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第48話 日本人の常識

「…どちらさん?」

 インターフォンからかすれた声が誰何する。


「705号室の五十川(いそかわ)です」


「……」

 無言の向こうに嫌悪感に満ちた反応があった気がしたが、明確な返事はない。


 もしかして、急な訪問だから着替えたりしているのかと思って、5分間くらい待っていたが、何の返事もない。


――仕方ない

 俺はあきらめて部屋に戻った。


 初対面の男から約束無しで20時に訪問を受けた。

 日本人の感覚では非常識かもしれない。無反応になったとしても非礼を責めるのは間違いだな、ことは十分予想できた。


 俺は寝台(ベッド)に横になった。

 日本語の学習や世情を知る意味もあり、部屋にいるときはなるべくニュース番組を中心にテレビは付けっ放しにしている。


 眠りに落ちるか落ちないかのまどろみの瞬間、テレビ番組の内容がわかるようなわからないくらいの瞬間、テレビの音声が消えた。


 テレビは3時間操作しないと自動で電源が切れる設定にしてある。

 そうか3時間経ったのか、でも身体を起こすには面倒臭い。

 部屋の照明はついたままだった。しかし、照明は1時間で切れる設定のはずだ。なぜテレビが先に切れたのか


 人の気配がした。


 緑色の運動着(ジャージ)を着た髪の長い女がテレビのリモコンを持って立っていた。

 不機嫌そうな表情を俺に向けている。


 俺は身体を起こして、寝台(ベッド)に腰掛けた。


(かん) カンナさん、ですね」

 俺は部屋に勝手に入ってきたのが、彼女だとわかっていた。


「驚かないんだね」


熱海(あたみ)さんに選ばれた人なら、これくらいのことができても驚きません」


「そう」

 菅はリモコンをテレビの脇に置くと、座っている俺の正面に立って腕組みをした。


 自然と俺は彼女を見上げる形になる。

 涼しげな一重瞼と青白い肌、そして胸の大きさが印象的だ。

 一方、全体的に虚脱感を漂わせており体温も熱意も低そうだ。


「部屋の掃除や洗濯をしてくれていたのは、菅さん、あなただったんですね」


「いつから知ってたの?」


「今週かな」


「普通、もっと早く気づくけどね」

 菅の口調には非難するような響きが混じっていた。


「俺はあなたのいう普通ではないので」


 俺はイダフの貴族である。実家のマイダフ家では掃除や洗濯は常になされているものだった。倉庫に住んだときも個人居住室が半自動でやってくれるので、掃除や洗濯は意識しなくても良かった。

 マンション奥欧(おくおう)にそんな設備はない。それもわかっていたのだが、誰かが掃除や洗濯をしてくれているということを意識していなかったのだ。


「相当なお坊ちゃんなんだね」

 非難の度合いが濃くなった。


「僕はあなたに非難されているのですか」

 非難されても謝罪すべきものでもないし、特にこういう人を相手に謝罪してはいけない。

 俺の直感がそう告げていた。


「そんなこともわからないの!」

 明らかに怒っていた。


「非難されているのはわかりますが、非難される理由がないのでね」

 俺はゆっくりと脚を組んだ。煽るような言い方は自分でもどうかと思うが、菅が何に怒っているのかは知っておこう。


「いちいち、言わなくちゃわからないの?あんたバカじゃないの?!」

 部屋中に菅の声が響いた。見た目と大声の落差にとまどう人も多いだろう。


「あなたのいうバカの意味がわかりませんので、『あんたバカじゃないの』という質問には答えられませんね」


「理屈ばっかり言いやがって!」

 菅の声が更に大きくなる。

「あんた、掃除や洗濯やってもらって当たり前だと思ってるでしょう!」


「ああ、それは当然だと思っている」

 俺の答えは決まっていた。


「なんだよ、それ!」

 菅の青白い肌が紅潮する。


「当たり前だと思っているのかという問いに対する、という僕の答えです。繰り返しますが、やってもらって当たり前だと思っています」


 この言い方は日本人の感性に真っ向から反している。

 そんなことはわかっている。しかし、彼女を本当に味方とするならば日本人ぶっても無駄だ。どうしても、イダフの貴族としての地が現れてしまうだろう。

 そうなってから、離脱されても困るのだ。


 イダフの貴族としての俺を理解してもらう必要がある。


「あんたって常識ないんだね」

 菅はあきれはてた様子だ。


「そうですね、日本人の言う『常識』なら元々持ち合わせていません」


「何それ、なんで、あんたドヤ顔決めてんの、あんた日本人でしょ」


――やっと待っていた質問が来た

「違います。僕は日本人ではありません」


 菅はしばらく硬直した。それから、おもむろに顔を間近に近づけてきた。接吻(キス)でもするのかという距離だが、色香の漂う気配は全く無い。

 菅の目には、俺の目から何かを読み取るような力があった。


――魔法だ

 正しい魔法の手順を踏んではいないが、魔法の効力は発揮している。

 日本人でも魔法が使える人間がいるのだ。


 俺は驚きながらも目を逸らさないでいる。

 これは意識制御系の、心を読んだり書いたりする魔法だ。

 読まれたくないことも、読まれてしまうかも知れないが仕方ない。


 菅は二分ほど俺と目を合わせた後、顔を逸らして目を閉じた。頭の中で読んだことを整理しているようだ。


「…執着の塊ね、女への欲が凄まじいのね、気持ち悪い」


――第一声が気持ち悪いか、また言われてしまった


「でも、熱海(あたみ)さんがあんたを助けろと言ったのも分かる気がする」


 どうやら、菅は理解してくれたようだ。

 しかも、彼女は曲がりなりにも魔法が使える。うまくいけば、彼女は強力な支援者になる。


「でも、あんたの口から聞きたいな、あんたの話を」


――困ったことを言いだした

 どこまで話して、どこからは話さないか

 これは賭けだ。

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