第42話 留守
俺は下手隷というやつかもしれない。
せっかく伸びてきた一美の手をうまく躱すと、俺は一美の部屋から帰ってきてしまった。
帰り際、一美は無表情で俺を玄関まで見送ると、細い声で何か言った。
何を言ったのか聞き返そうと振り向いたら、俺の前でドアが閉まった。ドアの閉まる音が耳に障った。
寝台に仰向きになる。満ちた腹が苦しい。
何か最後の詰めを誤った気がする。
ザ1号作戦、魔皇帝アカムスのときもそうだった。
奴の四肢を斬り落としていながら、隙を見せたばかりに奴が吐いた唾で、俺はこの日本に墜ちてしまった。
手にする直前で勝利が逃げていく。あのまま、俺は一美と一緒に居たほうがよかったのだろうか。
でも、俺があそこにいたままでどうなったというのだろう。もし、一美との関係に進展があったとして、その後はどうなるのだろう。
三矢島 一美は日本人で、俺、ハオウガ=マイダフはイダフの貴族だ。
――もし、一美がカロイン豊富な食事を作れなかったら、俺は彼女のことをどう思っただろう
いかん、考えすぎている。
イダフ人は俺以外に三人。
- リダリ(37)
- ママナーナ=ウミサミダフ(18)
- ハコネ=ヤマイダフ(14)
そのうち女性は、ママナーナとハコネの二人だ。
ママナーナは日本人と結婚したというし、ハコネは氷柱の中でいつ覚めるのかわからない長い眠りについている。もし目覚めたとしても子供は対象外だ。
恋愛対象は日本人の中から選ぶしかない。
でも、それでいいのだろうか。
日本人はイダフ人に近い見た目ではあるが、異民族であることに違いはない。
俺はイダフ人として、イダフの貴族として、間違ったことをしようとしていないだろうか。
リダリ隊長(井田会長)やママナーナはそれについて、俺に文句を言ったりはしないだろう。俺も別に彼らの選択を間違っていると云いたいわけではない。
しかし、その選択を自分にも許すかどうかは別だ。
(やっぱり、お国に帰りたいですか?)
そう聞かれて、俺は泣いた。
俺は気づいた。
イダフに帰りたいのだと。
しかし、イダフはもう無い。
――また泣いている
俺は自分の目から涙が流れているのがわかった。
今、抱きしめてくれる人はいない。
でも、誰かに見られているわけでもない。
俺は涙を拭くことなくそのままにしておいた。
拭いてもどうせまた流れるのだ。
こういう時は考え過ぎても碌なことにならないし、下手に動いても碌な結果にならない。
夜の街に出て、棒状鬼を斬って回るなどという行為は愚行の極みだ。
これが、戦いならどうすればいいのかわかる。
敵を倒すか、敵から逃げるかの二択だからだ。
しかし、敵がいるわけではない。いるとすれば自分の中にいる。
時刻を見たら、午後8時を回っていた。
俺は前の家にいくことにした。
自転車で20分ほど走らせる。速度はいつもより速いがいつもより安全運転を心掛けた。
いつも通り、対魔族の感知警報を確認する。警報は一切無かった。他に異常もない。
少し落胆した。
こういうときに極悪な魔族でも来てくれれば、ひと暴れして気分も晴れるのだが、そんなに都合良く魔族は現れない。
倉庫に入る。
ここを引き払ってから、まだ1ヶ月くらいしかたっていないし、二週間前にも携帯食を取りに来たが、前よりも埃っぽい臭いが漂っている。
飛行艦ン・メノトリーから持ってきたであろう個人居住室も寂しそうな佇まいだった。食料供給器を開けると、三本ほど携帯食が精製されていたので出しておく。
もしかして、一美とは無理かもしれない。そんな予感もあった。
一人乗り飛行車も重力光線銃コマナも俺が最後に触った状態のまま置かれていた。
俺が抜刀の構えをとると、ドロガ二式の刃が滑らかに滑り出た。
剣は俺を裏切らない。
抜き身の刃を振った。
振る、剣を振る。
――眼前に魔皇帝アカムスがいる。
そう思うことで素振りの一つ一つに力がこもる。
斬る、奴を斬る。
まずは左腕、次に右足首、左脚、最後に右腕だ。
ママナーナの援護はない。奴の四肢はすぐに再生した。
再生した四肢を斬る、斬る、斬る、斬る。
何回と回数を決めて自己満足などしない。
魔皇帝アカムスが再生できなくなるまで斬る。
――鳥の鳴き声が聞こえる
隙間から漏れた朝日が、俺の顔を照らしていた。
俺は倒れていたようだ。
そして、意識を失うまで剣を振れたことに満足していた。
全身の骨と筋肉はもう動けないと叫んでいる。そんな身体に俺は動かなくて良いと命令する。
俺は倒れたままの体制で、ほとんど一日中過ごした。
ようやく起き上がれるようになったのは午後6時を過ぎたころだ。俺はなんとか自分の身体を自転車に乗せると、1時間かけて、マンション奥欧に戻った。
俺は一旦自分の部屋に戻ると、汚れた服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。
身体に染み付いた倉庫の埃と臭いを洗い流す。
気持ちも少し洗い流せて、前向きになれた気がする。
俺は疲労しきった身体を505号室まで運んだ。
一美が食事を用意して待ってくれている時間だ。
欠けた栄養を、欠けた元気を埋める時間だ。
昨日のことは謝ればいい。
それに腹も減っていた。
俺は505号室の呼び鈴を押した。
しかし、反応はなかった。
しばらく待って、もう一度呼び鈴を押す。
やはり、何の反応もない。
俺は部屋の中の気配を探ったが、人の気配はなかった。
一美が留守にしていると理解するのにあまり時間はかからなかった。
ふと、人の気配を感じた。振り向くと知らない女性が不審者を咎めるような視線を俺に向けていた。
俺はその場を離れ、自分の部屋に引き返すべく、階段を上がった。
――携帯食を持ち帰ってきて良かった




