第37話 女神の贈り物
更に話を聞いて、大体の事情はわかった。
― 熱海という人物が、三矢島に、俺の食事の世話を依頼
― 毎日、世話をするのは無理なので、三矢島はできる日を暦に書き、俺の郵便受けに入れる
― 暦を見て、俺が食事をしに訪れる
― しかし、連絡の手違いがあり、俺は暦を受け取っていたものの、それが食事のできる曜日を意味しているとは知らず、自力で食料調達をしていた
ということだ。
一方で、三矢島はせっかく料理を準備したにもかかわらず、三週間、俺が一度も来なかったので、何かの理由で自分を避けているのだと思っていたそうだ。
三矢島は辞めようと思ったが、その前に一度くらいは俺に食べてもらおうと思っていたそうだ。しかし、食事の準備をする、ということから、俺のことをよほどのお大尽と想像していたらしく、自分から声をかけるのをためらっていたそうだ。
しかし、自分が入れた暦を、明らかに年下の俺が郵便受けから出すのを見て、おもわず声をかけたという。
「つまり、連絡ミスだった、ということですか?」
「そのようです。僕だってこんな食事にありつけると知っていたら、絶対に来ますよ」
「じゃあ、これからは来てくれるんですね」
「もちろん来ます。こちらこそお願いします」
俺は頭を下げた。彼女に非はない。
非があるとすれば、井田会長か近村氏、熱海の誰かだろう。
とにかく、食事の心配をせずに済むのはありがたい。
「ところで、一回あたりいくらお支払いしたらよいですか」
俺はこの際、腹を割って話すことにした。俺の金は尽きかけている。マイダフの家にいたときなら金に糸目はつけないが、ここではそうは行かない。
できれば、週一回くらいは食べられる値段であって欲しい。
「いりません」
それまで開いていた窓を閉じるように三矢島は言った。
態度の厳しさに俺は少しひるんだが、すぐに三矢島は窓を開いた。
「必要なお金は熱海さんから頂いていますから」
だから大丈夫ですと、三矢島は笑った。
――よし、それでは遠慮なく世話になろう。
俺は気持ちを切り替えた。
「献上されたものは躊躇なく受け取るべし」
イダフ貴族の悪い癖だが、俺にもその悪癖が少しあるようだ。
これで食事問題は解決する。
そこでもう一つ大事な質問だ。
「どうして、僕をハオウガ、って呼んだのですか」
俺の本名は井田会長と近村氏しか知らないはずだ。
どちらかが俺の名を教えたからだと思うが、いちいち本名を教えていたら、俺が五十川を名乗る意味がない。
「最初に聞いた名前はハオウガさんで、五十川さんの名を聞いたのは、今日が初めてです」
「じゃあずっと前から」
「はい、705号室にすんでいるのはハオウガさんだと聞いていました」
身体から力と魂が抜けていくのがわかった。
――誰だよ、ここまで話したのは
食事のことは満足に伝わらないのに、俺の名前は早々と伝わっている。
こんな具合で井田会長の会社は大丈夫なのだろうか。
情報管理がかなり怪しい。
新しくも残念な発見だ。
「今更かもしれませんが、僕のことは五十川と呼んでくれませんか」
俺は改めて、三矢島にお願いした。
「はあ…」
三矢島はなんで?という顔をしている。
「本名は秘密にしておきたいからです」
「わかりました、ハオウガさん。私はちゃんと秘密は守ります」
「いや、そうじゃなくて…」
三矢島の顔が引き締まる。
「だから安心して下さい、ハオウガさん」
――わかっていない
誰だよ、こいつに喋ったのは
三矢島は食卓から身を乗り出すようにして、俺の目を見る。
「ハオウガさん、私はあなたの味方です。だから安心してください。外国での一人暮らしは大変だと思いますけど、何か困ったことがあったら、私に相談してください」
三矢島は、一語一語区切り、かつ明瞭な発音で言った。
そして顔が近い。
うん、俺は外国人という設定にされているようだ。
以前は帰国子女という設定だったから、それよりは真実に近い。
日本からすればイダフは外国で間違いない。
「はい、ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」
もう、そう言うしかない。俺も三矢島の目を見返した。
すると、にらめっこみたいですね、と言って、三矢島は元の位置に座りなおした。
俺は改めて、ごちそうさまを言った後、三矢島の部屋を後にした。
「じゃあ、また明日」
三矢島は明るい顔で、少し馴れ馴れしい口調で、念押しした。
「はい、また明日」
俺も少しくだけた口調でこたえた。
俺は廊下を進んで階段を上がった。
背中に三矢島の視線を感じたので、踊り場で振り向くと目があった。
何やら照れくさい。
部屋に戻って、寝台に仰向きになる。
満ちた腹を軽くさすった。
女神イダフの贈り物のように食事が向こうからやってきた良い一日だ。
そうだ、女神イダフの贈り物なのだ。
食事くらいで、何をおおげさな、と思うかもしれない。
必要な時に、必要なものを、必要な量だけ与えるのは、
女神イダフの配剤だ。
そして、こういう手配をしてくれた井田会長、近村氏、熱海には感謝しなくてはならないだろう。
もちろん実際に食事を作ってくれた三矢島にもだ。
そして、俺は新たな発見をしていた。
間近でみた顔が美しかった。
――俺は三矢島 一美に恋したかもしれない




