第36話 食事当番
俺は食卓の前で硬直していた。
目の前の食卓には料理が並んでいる。
「五十川さんのお口にあえばいいんですが…」
五十川は、俺、ハオウガ=マイダフの日本での名前だ。
二人掛けの食卓の向かいには、三矢島 一美が俺の顔色を伺うように背筋を伸ばして座っている。
緊張しているように見えるが、緊張しているふりをしているようにも見えた。
俺は疑い深い。
俺は5階で彼女に呼び止められ、彼女の部屋505号室に招かれた。イダフの貴族ではこのような習慣は無かったし、日本にこのような習慣があると聞いたことも無い。
但し、情報源は井田会長(リダリ隊長)である。
彼は平民出なので貴族の風習には疎い、日本に貴族があるとすれば、その辺りの情報収集が手薄になっても仕方ないだろう。テレビを見ると、日本にもセレブという階層があるようだ。
しかし、目の前にいる三矢島はセレブには見えなかった。
品位は感じるが貴族とは違う。
そもそも住んでいる部屋が貴族でもセレブでもない。
この部屋は俺の部屋705号室の真下にある。間取りは殆ど同じはずだ。
俺もイダフ貴族の中では品の無い方だ。その俺が言うのだから間違いない。
出された料理も貴族が食する料理とは程遠いように見えた。
三矢島からは邪気は感じない。多分食べても大丈夫だろう。
しかし、三矢島は初対面の人間だ。
所 剣星のラーメンとはまた勝手が違う。所とは剣を交え、どのような男なのかはわかっていた。
判定魔法で料理を確認しておこう。
俺は静かに判定魔法を詠唱すると、驚きの判定が出た。
献立:
- 白ご飯
- 味噌汁
- 焼き餃子
- トマトときゅうりのサラダ
- 鶏のささ身蒸しの胡麻だれ和え
――まさか
どの料理にも、カロイン――魔法に必要な栄養素――が十分に含まれていた。もちろん毒など盛られていない。
気づけば俺は箸を取って、食べ始めていた。
箸はイダフでも使う。米は粘りが多いが日本の米はこういうものだ。どのおかずも一口食べるたびに、細胞の欠けた部分を埋めていくようだ。
一気呵成に食べ終えた。
その後、俺は身体の内から魔法力が泉のように湧き出てくるのを感じた。
顔を上げて、向かいに座る女性を見直す。
どうやってこれらの料理を準備できたのだろう。
そして、よくこれだけの料理を用意してくれたものだと、純粋な感謝の気持ちが湧き上がってきた。
――次の言葉に全ての気持ちを込めよう、日本人のするように手も合わせよう
「ごちそうさまでした」
「気にいっていただけましたか?」
三矢島は安堵したような笑顔を見せた。
俺の答えは決まっている。
「はい」
自分では見えないが、俺の顔はさぞかしほころんでいるに違いない。
「よかった、無駄にならなくて」
「無駄って」
無駄にならなくての意味がわからず聞き返した。
「三週間前から準備していたんですけど、一度も来ないから終わりかな、と思ったんです。けれども、最後に一度くらいは召し上がって欲しくて」
話が見えない。
「でも、五十川さんって、お若いですよね、何歳ですか?」
話が急に代わった。
「16…じゃなくて17歳です」
三矢島は目を大きく見開いた。
「あーら、じゃあ私なんかおばさんに見えるんじゃないですか?」
あーら、という言い方が俺の喜点を突いた。日本語では壷に嵌るというそうだ。
「ははっ、綺麗なお姉さんだとは思いますが、おばさんとは思いませんよ」
俺は笑いながらいった。
これだけのものを食べさせてくれたのだ。軽口になるのも仕方ない。
三矢島も嬉しそうに笑う。
「ところで、どうして僕にこんなごちそうを食べさせてくれたんですか」
三矢島の笑みが止まった。
「聞いていないんですか?」
「はい」
誰から聞いていないというのだろう。
「でも、カレンダーのことは知ってるんですよね」
「はい」
「他の部屋には行ってないんですか?」
「いいえ。僕がここに引っ越してから、他の部屋に行ったのは今日が初めてです」
「そうなんですか…」
三矢島の唇にうっすらと怒気が漂った。
――なぜ怒っているのだろう
「…私の三週間はなんだったのでしょう」
三矢島は気落ちしたようにうつむいた。
俺はうろたえた。何が起こったのだ、何を落ち込んでいるのだ。
「えーっと、三矢島さん…」
次の言葉が出ない、俺はどうすればいい。
三矢島は顔を上げた。
目に涙が浮かんでいるが、溢れてはいない。
泣かないつもりなら、俺も泣いていないものとして接しよう。
「食事当番だったんですよ」
俺はうなずいた。
「カレンダーに部屋番号が書いてありますよね」
――あれか
日曜から火曜には505、
水曜は空欄、
:
と書かれていた。
「私はいろいろあって入ったばかりの会社を辞めました。その時は精神的にもすごく落ち込んで、朝も起きられなくて、収入もないから、住む場所にもお金にも困って、どうしようもなくなったときに知り合ったのが熱海さんです」
熱海さん――俺も知っているような言い方だが、俺の知らない人だ。
「あの人は、最初、宗教の勧誘みたいな人かと思ったけど、いろいろと親身になってくれて、ここにも、格安の家賃で住まわせてくれたんです」
俺がただで住んでいることは黙っておこう。
「半年くらいここに住んだら、だいぶ体も元気になってきたので、また、就職活動をしようと熱海さんに相談したら、就活しながらでいいからと熱海さんから仕事を頼まれました」
「何の仕事を頼まれたんですか」
答えの予想はついていたが、先回りする気はなかった。
「週に何回かあなたに食事を作ってあげて欲しい、と頼まれたんです」
「僕に、ですか」
予想通りだ。熱海さんは井田会長か近村氏の部下だろう。
「ええ、あなたにです、ハオウガさん」
三矢島の顔から泣き顔は消え去っていた。
自分では見えないが、今、俺はどんな顔をしているのだろう。




