第30話 給料日の独白
「枚田くん、明日、給料出たら飲みに行かない?」
五十川が歌うような調子で誘ってきた。
「俺、未成年なんで無理です」
イダフでは15歳で成人だが、日本では飲酒は20歳からだ。
イダフでは成人なので酒も飲んだが、日本では飲まない。リダリ隊長との約束だ。法令に触れることは避ける。飲むのは4年後からだ。
「ぼくも未成年だよ」
だからどうした、と言わんばかりに五十川が押してくる。どうやら、日本人は飲酒に対する意識がゆるいようだ。
「すいません、やはり飲みはちょっと」
重ねて辞退の言葉を俺は述べる。
「うんうん、わかってる。冗談だよ」
給料日はイダフにもある。貨幣の大切さもわかる。
しかし、俺は日本の貨幣を使う機会が殆ど無い。
まず食料だが、俺の家には食料供給器がある。携帯食が中心だがイダフの味が味わうことができる。動かすのに日本の貨幣は必要ない。
次に衣類。通勤には作業服で間に合っている。穴が三箇所空いているが、仕事をする上での不便は無い。それ以外の服は、最初にリダリ隊長がン・メノトリーで用意してくれたもので足りている。
住む場所は倉庫とママナーナの匂いが残る個人居住室がある。
だから、使う機会がないというわけだ。それに日本人が持っているもので欲しいと思うものはなかった。
一応、日本の貨幣は井田会長から財布ごともらっていた。商会に勤務する人が一ヶ月に受け取る金額だという。お金の使い方は細かい理屈よりも使って覚えることですよ、というのが井田会長の言葉だ。
そうは言われたものの、ラーメンを食べるとき以外に使ったことはなかった。
「でもさ、出汁国ばかりじゃ飽きるし、他にも、美味しいところがあるんだ、行こうよ」
どうやら、所 剣星の店は、出汁之国ではなく、出汁国と覚えられているらしい。
俺が五十川と行ったのは二回だ。ばかりというのは違うと思う。
そういえば、所 剣星であるが、奴は魔族だが、積極的に俺をどうこうしようという気はないようだ。どうやらラーメン屋のほうが大事らしい。俺も、奴が普通にラーメン屋をやっているだけなら、手を出す理由はない。
そのうち雌雄を決する時も来るだろうが、まだ先だろう。
井田会長によれば、そういう魔族もいるらしい。
さて、この日は給料日、仕事帰りに、五十川と「飲みに行く」ことになった。
中華料理店だった。
中華とは日本の西側の大陸に位置する大国だ。俺の印象では世界を二分する大国の一方だ。
ラーメンも起源は中華料理だというが、ここで食べた炒飯や餃子も美味かった。
ノンアルコールビールで乾杯した。
「次はカラオケね」
ここでは五十川の歌を聞くことになった。意外と歌がうまい。歌う時の声質が違った。
「枚田くんも曲入れなよ」
俺は日本語の歌など全く知らない、種に歌がないか見てみたら、一曲だけ上がってきたので、その曲を選んだ。
俺は歌った。種の全面的な支援のお陰で歌うには歌えたが、上手に歌うことまで助けてはくれない。
「すっごい、そんな古い歌よく知ってるね」
と驚かれた。
井田会長が歌ったのだろう。
当然のことながら、俺の歌唱力について、五十川は論評しなかった。
カラオケは1時間半で切り上げた。歌い続けて、五十川の声が枯れてしまったからだ。でも、まだ30分残っている。
薄暗い部屋の中で、なんとなく二人でソフトドリンクを飲んでいると、五十川が語り始めた。
「その歌で思い出したんだけど、井田会長が歌う歌だよね」
五十川が何かいいたげな様子なので、俺は彼の言葉を待った。
話は唐突に始まった。
「僕の親は小学生の頃に事故で二人とも死んじゃって、身寄りもなくて、施設に入ったんだ。中学校を卒業して、この会社に入ったんだ…」
五十川の言葉がつかえた。
「…最初は営業部に行ったんだよ。けど、ウチの会社の部品は、製品について特に専門的な知識がいるんだ。けれども、全然そういうのが分からなくて、一年経っても売れたのはたったの10個だったんだ」
一年で10個、一か月に1個も売れていない。さぞかし肩身の狭い思いをしただろう。
「だから、僕は居づらくて、会社辞めますって言ったんだ。営業部の人達は仕方ないねって感じで誰も止めなかったよ」
五十川が大きく息を吸った。
「でもね、井田会長が強く止めてくれたんだ。辞めるなって。部品のことが分からなければ、それを勉強できる部門に行けばいいって」
「それが、物流管理部」
「うん、でも最初はやっぱり辞めるって言ったんだ。辞表も出して、会社の独身寮も退寮した後だから、今更戻れません、って。そうしたら、会長、何て言ったと思う?」
俺には想像がつかなかった。
「だったら、別に住むところくらい用意してやる、って。しかも、保証人には私がなってやる、って言ってくれたんだよ」
その時、五十川がどれくらい嬉しかったのかは、今の表情からも想像できた。
「実はこれからどうしようかと思っていたから、じゃあ戻りますって言ったんだ」
だから、住むところも部署も一新して、ここで働き続けることにしたんだ。
「でも、ここって」
他の会社はどうか知らないが。この会社では地味な部門だ。
「ははっ、わかるよ、機械みたいに単調だって言いたいんだろう」
五十川は、これは一部の人しか知らないことだけど、といって、得意げに人差し指を立てた。
「第1倉庫と第2倉庫は統合して、年内には大きな自動倉庫になるんだ。だから、こういう、肉体労働はもう終わり。僕らは管理する側に回るんだよ。でも、部品は全種類覚えなくてはならないから、また、違う大変さが待っているよ」
どうやら、五十川は管理者という地位に憧れているようだ。
しかし、第2倉庫にも人はいるだろう。
「ううん、あそこは外部委託だから、責任者になるのは僕らだよ」
ふーん、そうなのか、としか思えなかったが、五十川の言葉は熱を帯びてきた。
「何が目に留まったのか知らないけど、あそこまで会長が言うってことは、僕を見込んでくれてると思うんだ」
なんだ、なんだ、と思わずにはいられなかった。
五十川はこんな熱い人間だったのか。俺は五十川という人間を見誤っていたのかも知れない。
だが、井田会長(リダリ隊長)の人を見る目は確かだ。銀の羽衣師団では、余命読みのリダリとして、いくつもの困難な作戦を成功させてきた。つまり、五十川にそれだけの何か光るものがあるのだ。
俺には彼がただの気の良い兄ちゃんにしか見えないが、何か俺に見えないものが彼にはある。
これからは五十川先輩と呼んだほうがいいだろうか。
「だから、枚田くん、これからも一緒にがんばろうね」
――何やら一方的に話をまとめられてしまった
俺はカラオケ店の前で五十川と別れた。
夜空を見上げたが靄がかかって、星は見えなかった。
五十川の話が本当なら、リダリ隊長はどうしても五十川を引き留めたかったらしい。そして、俺を五十川のいる職場に配属させた。
一見、線の細い兄ちゃん、五十川 護。
何か秘密がありそうだ。




