第22話 出社初日
8時10分、俺は指示された場所に差し掛かると、器用に自転車を停止させた。目の前には存在感は薄いが、灰色の大きな建物が朝日に照らされていた。
真新しい作業服がなぜか嬉しかったので、家から着てきたが、固くて少し動きにくい。
――倉庫だ
また倉庫だ。でも、元倉庫じゃない。現役の倉庫だ。
門に掛かった番号式の鍵を開ける。教えられていた通りに8・1・3と合わせると鍵が開いた。門を開け、自転車を敷地内に入れた。
――後は出社してくるのを待つだけか
8時30分には社員が出社してくるから、細かいことは彼に聞くようにとのことだ。
俺は職場となる倉庫の周りを一周する。特に変わったところはないが、軽い結界魔法のようなものがかけてあった。
――誰がかけたのだろう
ママナーナもリダリ隊長も魔法は使えるが、結界魔法となると別だ。
「あのー、枚田くん?」
後ろから甲高い男の声がかかった。振り返ると、俺と同じ作業服を着た若い男が立っていた。
歳も身長も俺と同じくらいだ。少し気弱な少年という印象を受けた。
「枚田 波央です。今日からこちらに配属となりました。よろしくお願いします」
準備していた台詞を淀みなく言って、一礼する。
――よし
「あっ、ぼ、僕は、五十川 護。よろしく」
少し緊張した様子で言った。
枚田 波央――会社で働くときの俺の名前だ。
命名は井田会長である。
ハオウガ=マイダフの偽名がマイダ・ハオ
これは少々安直ではないかと、会長に意見具申をしたら、会長の熱弁に逆襲された。
井田会長曰く、偽名を使うのに慣れていない間は、いっそのこと、これくらい安直な方がいいし、
これは一時的な名前であって、落ち着いたら、ちゃんとした名前にするから、との説明だった。
何十年も偽名を使っている井田会長の言うことだ、反論の余地は無い。
その一方、設定は凝っていて、覚えるのが難しかった。
俺は両親が貿易会社を経営していたので、小さな頃から海外で暮らしていた。しかし、両親は事故で死亡して、身寄りがなくなり、孤児となった。そこで両親の知己であり、篤志家でもある井田会長が俺を引き取り、ここで働くことになった、というものだ。
名前の安直さと、うって変わって、ずい分ややこしい設定なのですねと、いやみ半分で聞いたら、俺の日本語能力と日本文化への慣れだそうだ。
俺の顔は日本人といっても通用するが、自動翻訳に頼った俺の日本語と行動は、普通の日本人で通すには、少々無理があるそうだ。それよりは、小さな頃から外国に住んでいた日本人――帰国子女という設定の方が、言葉や行動が少しくらい他と違っても、ごまかしが効くからだということだ。
「じゃあ、仕事の説明をするね」
五十川はそういうと倉庫に向かった。付いて来いとは言われなかったが、俺はついていった。
彼は鍵を差し込んだまま、扉の脇にある小箱を開けると暗証番号を押した。八桁だったが、番号までは見なかった。そして、何か頭の中で数を数えて、鍵を回した。
扉が開いた。
暗証番号を押してから、何秒か経過してから鍵を回さないと開かない仕組みらしい。
中に入ると、天井まで届くほどの大きな棚が倉庫一杯に並び、棚には機械部品が収められていた。
「凄い数だろ」
五十川は自慢するかのように言った。自分の職場なのだ。
「ここは僕の席、枚田くんはそこね」
俺の席は少し拭いた後があった。掃除しておいてくれたのかもしれない。
五十川は何かを取りにいくと、すぐに戻ってきた。ちょっと多いなと言いながらもってきたのは紙束だった。
「ちょっと僕が手本を見せるから、見ていてね」
そういうと、彼は紙束から紙を一枚抜き出した。
「これは出荷依頼書。僕らの仕事は書かれた品番を数の間違いなく揃えること。部品はここの棚のどこかにあるから見つけだして、このコンテナに入れる」
そういうと、わかってくれるよねという気弱な目で俺を見た。
わかりませんと答えるのは少し気の毒な気がする目だった。
そうなると返事は決まっていた。
「はい、わかりました」
五十川は明るい表情になった。
「じゃあ、やってみて」
そういうと彼は倉庫の奥へ駆け出していった。彼には自分の仕事があるようだ。
俺は新たに別の紙を見る。見出しには出荷依頼書と書かれている。
出荷依頼日は今日だ。
品番は6品目ある。
俺はコンテナを小脇に抱え、同じ番号のものを探しに走った。
一つめの部品は数量6、よく使う部品なのだろう。よく目立つところに数多く置かれていた。俺は6つ掴むと、コンテナの中に置いた。
二つめも三つめも順調に進んだが、四つめの部品がどこにあるか、わからなかった。
「どうしたの?」
彼が声をかけてきた。
俺は部品が見つからないことを五十川に告げた。
「ちゃんと探してみた?」
「はい」
「ちょっと見せてみて」
五十川は俺が渡した出荷依頼書を見ると、考え込む表情をしばらくした後、机に戻り電話をかけた。
「お疲れ様です。第1倉庫の五十川です。出荷依頼書の5679で確認なんですけど・・・」
しばらく話をした後、五十川は電話を置いた。
「品番の間違いだって」
そもそも出荷依頼書の品番が間違っていたそうだ。正しい品番はすぐに見つかり、俺は初めての仕事、コンテナへの部品仕分けを完了させた。
「次なんだけど、それでね、この出荷依頼書のここに注意して欲しいんだ」
五十川は受取予定日を指差した。
「もし、この日付が今日から二営業日以内だったら…」
俺は黙って聞いていると、五十川は何かに気づいたようだ。
おそるおそるという様子で五十川は聞いた。
「…二営業日って、枚田くん、意味わかる?」
俺には二営業日の意味がわからなかった。




