第16話 告白の思い出
ビジネスホテルの一室、俺は着の身着のまま、寝台に仰臥していた。
これからのことは、また明日、話をしましょう、井田会長(リダリ隊長)は、ほっほうと笑った後、当面のねぐらとして、会社の近くのビジネスホテルを確保してくれた。
寝具で寝るのは、ザミダフ攻略戦以来だ。
――ザミダフ攻略戦の直前
中央宮殿突入まで、あと半刻後となったとき、銀の羽衣師団を中心とする精鋭からなる突入部隊40人は貨物室で待機していた。
俺、ママナーナ、ハコネ、リダリの順で横一列に座り、最後の点検をしていた。リダリ隊長は自身の装備の調整、ハコネはただそわそわと落ち着きがなかった。
俺は隣のママナーナに何気なく軽い感じで話を持ち掛ける。
『ママナーナ、この戦いで生きて帰ってこれたら、俺と付き合わないか』
『ふふっ』
ママナーナは余裕のある表情で薄く笑った。隣のハコネにも聴こえたようだが構うことはない。どうせ子供だ。
『わたしがハオ君と付き合ったら、どっちの家もきっとうるさいわよ。覚悟できてるの?』
マイダフ家とウミサミダフ家には、数ある貴族の中では良い関係を築いていた。しかし、婚姻関係はない。150年くらい前に両家の間で婚約が破談になったか、離婚したとかで、それ以降、その手の話が出なかったという。
もし、両家に姻戚関係ができれば、得をして当人たち以上に喜ぶ者たちがおり、損をして喜ばない者たちも同じ数だけいる。
更にそういう者たちは両家の中にも両家の外にもいる。
もし、二人が付き合いだしたら、周囲の様々な思惑が入り乱れ、まともに付き合うことは簡単ではない。
それはママナーナも俺もわかっていた。
ママナーナは落ち着いた表情でこちらを見る。むしろ、ハコネのほうが話の展開に興奮したのか、顔が紅潮している。
君は背景役だ、落ち着いて欲しい。
『嫌かい』
俺は、覚悟できてるの、というママナーナの質問に答えずに聞く。
『面倒くさいのは嫌だけど、ハオ君のことは嫌いじゃないし、いいよ』
俺の体温が上がった。
背景が大きく目を開き、手で口元を押さえた。いや、だから、ハコネさん、君じゃない。
『じゃあ……それで決まりということで』
俺は確認をとる。うなずくママナーナの顔が近くなった。彼女の顔に見とれて、俺もつられるように彼女に近づく、そのまま、唇も触れんばかりに近づく。
背景が「えっ?もう?いきなりですか?」と陸に上がった魚のように口を動かしながら俺たち二人に近付いてきた。
――いや、君に立会人役は求めていない
リダリ隊長は大人の対応で素知らぬふりをしていたが、ハコネの状況を理解したのか、首根っこを掴んで元の位置に戻した。
ハコネは何か隊長に文句を言っているようだが、逆に一言言われて、背景は正気に戻ったようだ。
――流石です、隊長
しかし、ママナーナも正気に返った。
『付き合うといっても、今日の今日からはあれだから、そういうのは明日からで…』
手のひらで俺の接近を押し留め、ママナーナ自身も元の場所に戻った。
「そういうのは明日からで」
「……うのは明日からで」
「………明日からで」
彼女の言葉が頭に刻みこまれる。
――じゃあ、明日からはいいんだ
そして、今。
俺からしてみれば、一週間も経っていない。
――ははっ、マビルを卒業するどころか…
「ママナーナは日本人男性と結婚して、二人の娘がいます」
――なんで、俺にそんなことを聞かせるんだ
しつこく聞いたのは俺のほうだな。
――結婚するとき、ママナーナはウミサミダフ家のことを気にしたのだろうか、全然気にしなかったんだろうか。
思えば、父や母、そして兄が9000年前の彼方に消えた。蓮華流剣の師匠、兄弟弟子もだ。
でも、それはたいしたことではない。
ザミダフ攻略戦の前に別れは言ってあるし、遺書も遺した。
だから、飛行艦ン・メノトリーの制御体から、今が9000年後の世界だと聞かされても、あーそうなんだ、とくらいにしか思えなかった。
それなら、知っている人はみんないないよね、と心のどこかで理解していた。そのように心の鍛練をしてきたからだ。
でも、イダフは残っていると思っていた。
世界のどこかにイダフ人は生きていると思っていた。
ママナーナは待っていてくれると思っていた。
リダリ隊長が全てを否定した。
隊長は悪くはない。それはわかっている。それでも、リダリに対して何か恨みのような気持ちが芽生えていた。
俺がリダリを恨むのは筋違いもいいところだ。それどころか、彼は見知らぬ時代にとばされても、この世界に対応し会社まで興している。隊長の助けがなければ、俺はン・メノトリーで一生を終えるしかなかったかもしれない。さすが隊長だと感謝するべきである。
これから、俺はどうしたい?
これから、俺はどうなる?
これから、俺はどうするべきだ?
身体に違和感があった。熱がある。考えすぎたのだろう。部屋が少し寒い、暖かくするよう空調を調整するのに、少し手間取った。
俺はこの後退世界で生きていけるのか?
生きて行かなければならないのか?
俺は汗臭くなった衣類を全部脱ぎ捨て、鏡の前に立つ、なんか冴えない顔をしている。
部屋にあるシャワーを浴びた。音波式ではなく、お湯を使うシャワーだ。日本でシャワーと言えば、お湯を使うのが普通らしい。そして、濡れた体を布で拭く。シャワーひとつ取ってもこんなに違う、これに俺は慣れていけるのだろうか、体を拭くのが面倒になって、湯浴み着のような服を着た。寝るときに着るものらしい。布団の中に潜り込んだ。
疲れているが眠れなかった。起きて、遮光カーテンを開け、窓の外を見た。
深夜だった。誰もいない道路に棒状鬼が数体ぼんやりとした様子で歩いていた。ここは3階のようだ。
棒状鬼とは幽霊系の魔物で、イダフでは時折、街中に出ては、小さい子供を泣かしたり、体力の弱い人に取り憑いて軽い病気にかからせたりする。日本にもいるようだ。昨日も見た。
幽霊系の魔物は、イダフ人でもまれに見えない人がいる。日本では見える人が少ないのか、調子に乗って街中に出てくる棒状鬼の数が多い気がする。
連中は雑魚であり上級者がわざわざ相手にする魔物ではない。剣を学んで1、2年の初心者が練習代りに斬る相手だ。
俺も普段ならこちらから倒しに出ることはない。しかし、今日は違った。
――気晴らしに少し狩るか
俺は一度脱いだ服を着る。埃っぽく汗臭かったが構わず着ると、剣を二本懐に入れた。
――ちょうどいい、ドロガ二式の試し斬りをしてやろう
俺は人通りのない道路へ降りていった。