第101話 失意と涙の日常
一美が消されてからの2、3週間、この間のことを俺は殆ど覚えていない。
断片的に覚えているのは、警察官に連れていかれたこと、七条だなえとママナーナ(熱海幸子)が身元を引受けてくれたこと、とりあえず東京に転居したこと。
その間もママナーナに聞かれたことには答えたし、言われたことはやった気がする。
魔皇帝アカムスとの戦いや一美の最期については正確に話したと思う。
いくらママナーナとはいえ、魔皇帝アカムスが時間移動魔法で来たという話など、最初は信じてもらえないと思っていたが、兜や両脚を回収したと言っていたので信じてもらえたのだろう。
アカムスが現代日本まで時間を超えてやってきた。その意味をママナーナは考えた。アカムスの言動から奴は何らかの目的を達したので、再来する可能性は低いとママナーナは判断した。
俺が精神的にかなり参っていることと、現実としてアカムスが大阪に現れたことから、ママナーナの退院に合わせて、俺も東京に行くことになった。
一美との関係については、全く聞かれなかった。
東京に行くことに異論はなかった。そもそも俺は自発的に何かしようという気持ちが無くなっていた。
そして、一美のことを思い出しては泣いた。
東京ではママナーナの家に住むことになった。家といっても別宅で、東京都の池上という場所にあった。別宅というだけあって、ママナーナが訪れることは2、3週間で一度くらいしかなかった。
イダフの貴族でありながら、俺はやはり下衆な人間なのだろう。一美を失ってどれだけ気持ちが沈んでいても、ママナーナとそういう行為はできた。俺にとっても気持ちを紛らわせることのできる唯一の時間だった。そして、その夜だけは熟睡できた。
翌朝、彼女は満足した様子で出て行ったから、俺も粗相はしなかったのだろう。
ママナーナは一美の話には一切触れなかった。
そして、一人になると、俺はまた泣いた。
日頃の生活は、家政婦が午後1時に来て午後4時まで家事をしていた。若い女性で名は大和田だったと思う。
食事は1日1回、夕方に大和田が作り置きした料理を冷蔵庫から出して食べる。
味はいいが、カロインが不足していることが多かった。でも、時折、カロインが豊富に含まれている料理も出てきた。
その時はまた一美のことを思い出して泣いた。
池上に来て一月ほど過ぎた頃、一人の女性の来訪を受けた。
三矢島 千理、一美の妹だ。
彼女たちとは出会った初日に誤解が元で戦闘となり、その結果、俺は彼女の右腕を斬り落としてしまった。天使小隊の治療により、彼女の腕は元通りになったが、俺に対する恨みが消えたわけではない。そして、姉である一美の件。もし、三矢島 千理が俺を殺すというなら殺されても仕方ないと思っていた。
「別に恨みなどありません」
一美にどことなく似た、しかし明らかに別人である三矢島 千理はそう告げた。
「一美はそういう危険があり得ることを聞いていたはずです。それを怠って、むざむざ殺されて、残された人に負い目を感じさせるなんて…」
俺はその言葉を聞いても怒りは感じなかった。なぜなら千理は目に涙を浮かべていたからだ。
一美と千理はあまり仲の良い姉妹ではなかったようだが、肉親は肉親だ、やはり悲しいには違いない。相手が生きているうちしか姉妹喧嘩はできないのだ。
「ハオウガさん」
この子も俺を本名で呼んだ。顔はともかく声はよく似ていた。
「一美とはどういう関係だったんですか?」
今まで誰にも聞かれなかった質問だった。それを妹が初めて俺に聞いた。
「愛していた」
俺は即答した。
答えが早すぎたのか、千理はしばらく俺の答えを頭の中で再構成しているようだった。
「ハオウガさん、少し違います。私が聞いているのは、あなたの一美に対する気持ちではなくて、あなたと一美の関係なのですが…」
「恋人同士、そういう関係だった」
俺はそう言い切ると、目から涙がこぼれた。
「そうですか」
しばらく、考え込むように黙ったあと、一美の妹は言った。
「自分が死んで泣いてくれる恋人がいたなら、短かくても、一美の人生も悪いものじゃなかったようね」
「悪いものじゃなかった…」
俺はその意味がわからなかった。
「そうよ、そう思わない?死に方だけでその人の人生を幸福だとか不幸だと決めつけるのは間違いだし、短命でも幸せな人生はある、私はそう思っている」
「素敵な考え方だね、誰かの言葉?それとも自分で考えたこと?」
「さあ、誰が言い出したかなんてどうでもいい、大事なのは自分がどう思うかよ。だから、一美は幸せだった。そして、あなたはどう?一美と過ごせて幸せだった?」
「幸せだった」
「それを聞けて満足だわ」
一美の妹は立ち上がった。
「おじゃましました、帰ります」
そういうと彼女は玄関までまっすぐ出て行く。俺も慌てて姉を失った妹を見送った。
「…元気だして」
「ハオウガさんこそ、また元気になったら、敵討ちに行きましょう」
そう告げる彼女の背中には力が溢れていた。
その夜、俺は一人で夕食を食べていた。
手順は簡単だ。電子ジャーから炊いた米を茶碗によそい、タッパーに入れてあるおかずを電子レンジであたためる。
そのとき、インターフォンが来訪を告げた。
モニターを見ると蒼だった。
それともう一人、見知らぬ人影が映っていた。