第9話 章末話~面倒な迷宮
かれこれ2刻は上がり続けている。
同じ階段と踊り場が延々と続く。
ここには道標や標識はなく、照明もない。夜目が利くといっても、わずかでも光があってこそだ。光が全く無ければ、夜目も利かない。
視覚以外の感覚を動員して、暗闇の階段を上がる。最初のうちは上がった段数を数えていたが、2,000段を過ぎたあたりで数がわからなくなってきた。
階段を上るのにも飽きてきたし、どこまで上がってきたのかも、どうでもよくなっていた。
こんなにやる気がないのには理由がある。
――暑い
地熱が高いからだろう。この階段内はかなり暑い。
俺は自分自身と周りの空気に冷却魔法をかけながら進んでいるが、それでも暑い。
宇宙服を着るか、魔法を使わなければ、たちまち死んでしまいそうな暑さだ。おそらく、400イ度は越えているだろう。ザミダフの魔法士が使う火炎魔法くらいはありそうだ。しかも、地熱だから魔力切れになることがない。
――しまったことをした
宇宙服なら探せば、ン・メノトリーにあったはずだ。持ってくれば良かった。しかし、それに気づいたのは、だいたい3分の1ほど上った後だった。
靴に使ってある素材が熱に弱かったせいか、型くずれして大変歩きにくい靴と化していた。いっそのこと裸足になろうかとも考えたが、熱は下から来ている。
階段自体はもっと暑いに違いない。
靴なしで歩くのは無謀な冒険だ。裸足を守りきるほど俺の魔法は持続性という点で安定していない。登り切る前に俺の魔力が切れることはないが、いつまでという終わりがわからないのは厄介だ。
この階段は迷宮というほどではない。ひたすら階段を登るだけの一本道だ。隠し通路があるかもしれないが、俺にはわからなかった。あってもなくてもどうでもいい。この場所の暗さと暑さ、そして、しのぐための魔法をかける面倒臭さ、こいつらが俺を支配しつつあった。
もしもの話になるのだが、ここでザミダフ兵に襲われたら、今の俺は少し危ない。
防具はなく剣は2本、それはなんとかなるだろう。しかし、場所が悪い。
――俺が負けるとしたら、こういう状況だろうな
そんな余計なことを考えていたが、魔法の効き目が切れかけていた。急いで冷却魔法をかけ直す。さっきより強めにかけた。身体が落ち着きを取り戻す。
――休みたい
階段や踊り場は十二分にあるので座る場所には困らないが、うっかり眠ったところで魔法が切れたら、とんでもないことになる。気づけばよいが、気づかないまま死んでしまう可能性も高い。
ここは体力を消耗しないように慎重に上る。
蓮華流剣は力と速さで押し切る流派だ。そんな俺にとって、周囲に気を配りながら少しずつ進むという行動がどれだけ苦手なものかわかってくれるだろうか。
リダリ隊長ならこんな事態への対応など苦にならないのだろう。
俺もこの階段では得体の知れない恐怖は感じない。雑な作りではあるが、そこかしこにイダフの科学が使われている。ン・メノトリーの工作補助体が作ったに違いない。
それにしても暑い。油断したらやられる。ハコネも起こして一緒に来ればよかった。ハコネの安定した魔法で冷やしてくれていたら、こんな階段などハコネをおぶっても行けただろう。
だが、ハコネを起こすわけには行かなかった。種を読んだところ、外部から封じの氷柱を開けるのは厳禁らしい。下手に開けると中の人の命にかかわるそうだ。緊急時に起こす手順も種に記録はされていたが、別の機会にしよう。
種によると、建物でいうなら500階分あるらしい。イダフでは、500階の高さがある建物は二つしかなかった。ザミダフの中央宮殿は3分の1の高さだった。
ママナーナのことを考える。ママナーナについての細かい記録はなかった。彼女が削除したのか、そもそも記録しなかったのだろう。俺より少し早く氷柱から出たようだ。
まさか、出てからリダリ隊長とくっついたりしたのでは、と余計なことを考える。
大丈夫だ、大丈夫。
俺は思い出す、リダリ隊長はバルーラだ、それはない。
この階段は暑く暗く雑念に溺れやすい場所だ。
俺は余計なことは考えず、冷却魔法で自分を冷やしながら上がった。
頭を冷やし、足を進める。
気づくと冷却魔法をかける間隔が長くなっていた。地上に近くなるに従って、地熱による暑さが弱まってくるのがはっきり分かった。それとわずかに地上の外気が流れていた。
そうなると少し元気が出てきた。
推定だが、地下400イダフィになったあたりから、上へ上へと軽快な音楽に合わせるように俺の足は進んだ。
ようやく階段を上りきると、4刻半の時間が経過していた。もう座っても地面は熱くないが、今度は座らなかった。
目の前には扉がある。
『では、次の説明だ』
頭の中で声がする。種が自動的に情報の再生を始めたのだ。声が電子音なのが残念だ。
『地上へ出る前にすること、
1つめは、言葉の種で使えるようになった言語を活動させること、
2つめは、締心術をかけておくこと、
以上』
種が着床する前にぶっ倒れた俺からすると、種の機能を使うのはためらったがやることにした。でも、締心術をかけておくことなんて、わざわざ言うほどかな、と思う指示だ。
俺は扉に手をかけた。ふっと身体が揺らいだ。
触れた者を所定の場所に移動させる転送型の扉だった。
最初、見えたのは青空だった。冷たい風が身体をなでる。そして、身体に当たる日光の温かさが心地良かった。ついさっきまで、火傷しそうな暑さの中にいたのにも関わらずだ。
俺は異国の地に立っていた。
様々な人種が行き交っているのが見える。異国の言葉と文字が溢れかえっていた。
ここはイダフではない。女神イダフの光が届かない辺境の哀れな蛮族の国だ。この国の言葉は、まだ使いこなせないが、俺がいる場所がどこなのかは理解できた。
「…京都駅」
俺が最初に口にした日本語だった。