始まる
夕陽が水平線に消えていく。
何故か切ない気持ちになった。
"あれ"が消えたら私は俺に戻れない。そんな変な事も脳裏に浮かぶ。
俺は何なんだろう。
その時、背後から温かい感触に包まれる。
…莉結だ。
心地よいシャンプーの香りがふわっと香った。
『今の瑠衣も好きだよ?やっぱり"瑠衣"に戻りたいって思う?』
その言葉に即答できない自分がいる。
「なんだろう。今までの自分に戻らなきゃいけないっていう"義務感"と、本当の自分を受け入れなきゃっていう"義務感"。訳わかんないよ。」
『無理しなくていいよ。どっちの瑠衣も"瑠衣"なんだし。どちらかにならなきゃいけない訳じゃないからゆっくり考えればいいって。』
「俺、いや…私。自分がなにか分かんない。なんかさっきの言葉で急に気付かされたっていうか…今までは突き進むことだけ考えてなんとかやってこれてたけどね。」
俺を包み込む腕の力が強まる。
俺の顔の横にシャンプーの香りが近づく。
『衣瑠も好き。わかる?』
その言葉にとっさに顔を向けてしまった。
…近い!
風に煽られただけで唇が触れてしまいそうだった。
自分の理性を無理やり保って前を向こうとするが動かない。
…触れてしまおう。
『おーい!!衣瑠ちゃんゴメンねー!!!』
遠くから聞こえたその声に心臓が飛び出てしまいそうになった。
いや、飛び出たかも。
その心臓は地面でボールのように弾んでどんどんと高く飛んでいく。
ほのかさんと千優さんが走ってきた。
『えっと…あの…邪魔しちゃった?』
見られてた!!?
もしそうだとしたら…弁解しないと。
『あの….さっきはごめんね。私も気が使えなかったっていうか…』
どうやら見られてはなかったみたいだ。ふぅ…
「あ、私こそゴメンね急に。気にしなくていいから♪カレー心配だから戻ろっか。」
早く落ち着かないと…
『う…うん!2人とも顔真っ赤だけど大丈夫?』
え?!うそ?!
それは"君のせい"なんだよ!
そう言いたかったがやめた。
よし、とりあえず今後の事は後回しにしよう。
今は林間学校を楽しんで莉結との思い出を作ろうかな。
今を楽しまなきゃ!!
なんか急にそんな気持ちが芽生えた。
炊飯棟に戻ると男子たちがぐだぐだと座って話し込んでいた。
『あっ♪おかえりなさいっ!!衣瑠さんに莉結さんッ♪
ご飯炊けましたよー!!どうです?俺らの努力?!』
「あ、ありがとね。」『おぉー♪美味しそう』
『衣瑠さんに莉結さん…?あんた達…』
『おっ、1番はここの班か。先食べちゃっていいからなぁー。』
先生がふと顔をのぞかせた。
他の班はまだできないみたいだな。
うぅ…泣いたせいかお腹空いた。
『ではでは…晩御飯を頂くとしますか?』
『わぁーい♪美味しそー♪』
『うまそー!!俺たちって幸せだよなぁー!!』
『美女の手料理の味後で自慢してやろーぜ!!』
「じゃぁ私よそいますね。」
『マジ?!くぁー!!幸せだなぁ!!』
…
「『いただきまーす!!』」
う…うまい。
辺りはすっかり暗くなってきて景色は見えないけど、
アウトドアな雰囲気で食べるカレーってこんなにも美味かったのか…
「莉結ちゃん!人参よけずにちゃんと食べましょうね♪」
『えぇ…人参だけは…衣瑠好きじゃん。食べてよ。』
「こんな美味しいのにもったないってー!!ほらっ!」
『ん…うん。いつもよりはマシ…だと思う。』
『じゃぁその人参俺が食べるー!!』
『あんた達はこの焦げでも食ってなさい!!ほらっ!これも!』
『黒っ!!カレー黒っ!!』
なんだかんだで楽しく晩御飯が終わった。
『皿洗いってほんとめんどーだよねぇ。お腹いっぱいだしもう楽しみないし…』
「なに言ってんの。みんなでやればあっという間だって♪」
『俺たちが代わりにやろうか?』
「あ、お願いしま…」
って誰?!
後ろを見ると見知らぬ男子達がニヤニヤと集結している。
そいつらがいたであろう炊飯棟では"あれっ!男子どこ?!"とか"あいつら呼び戻してきて!!"という声が聞こえる。
なにやってんだよこいつら…
!!
今なにか殺気のようなものが…
…俺はこの時、女の本性をまだ知らない。




