5 新たな人。新たな世界
虎との戦いを終え、夜も深まったころやっと町が見えてきた。
……なんて都合よく事が運ぶことはなかった。
戦いの後、疲れた体を引きずって歩いてみたけども、行けども行けども文明の火は見えない。
あるのは月だけで、風になびく草が影となっている丘陵地帯がずっと奥まで続いている。
それでも僕の目には情報が溢れていて、ここがどんな場所かを伝えていた。
どこまで行っても人気はなく、化け物の気配ばかり。闇の帳の向こうは地獄だ、という情け容赦ない情報だけども。
だから僕は、先に進みたいのに進めず、コソコソと物陰に隠れながらジリジリと西を目指すしかなかった。
今も丘の僅かな窪みに隠れて、クマのような化け物をやり過ごしている。
「なんで隠れるんだ?」
「さっさと殺してしまえばいいだろう?」
なんて双子は言うけど、虎の時はよく目立つ弱点をたまたま見つけることが出来たから勝てたに過ぎない。
敵がどんなのかも分からないのに喧嘩を吹っかけて、死んだらただの道化じゃないか。
浮浪者で元人間でその上道化なんて、末代までの恥だ。子供を残せる可能性なんて微塵もないけど、それでもそんな死に方は嫌だ。
「……だから、勝手な真似をするなよ。嘘つき」
「「勝手な真似も嘘もついた覚えはないなあ」」
と言いながらも熊の方をチラチラ見るあたり、懲りていないらしい。
こいつ等のおかげで今生きていることは認めるが、こうなってくるとその拾った命がいくつあっても足りやしない。
彼女達の言う枠人だらけの場所もまだまだ見えてこないし、嘘八百で丸め込まれた感じが否めない。
最悪の場合、この目をくり抜く事を考えないと。
「「随分と酷い言いざまだな」」
「……思考を読むな。黙ってろ」
双子を黙らせ、耳を澄ませて、熊の動きを推察する。
熊は俺に気づいていないのかそのまま歩き去ろうとしていた。
だけど、それで安堵することはない。視界から外れても音でばれるかもしれない。匂いを嗅がれるかも知れない。
野生動物はそういったものに敏感だし、結晶入りともなればもう未知数だ。絶対に慢心してはならない。
「……」
一分一秒が経つのが遅い。まるで時間の流れがせき止められているみたいだ。
空を見れば、雲ですらのったりと動いて、空気全体が粘り付いているようにも見える。
「?」
そんな中で変化は起きた。
風の音の中に、もう一つの足音。
それは熊よりも軽く、聞き取るのも困難なほど小さい。
それでも重厚な足音が止まったのは、きっと熊の目に見える範囲にそれが立ったからだろう。
「鉄鋼種か。建材くらいにはなるかな」
足音の主が言葉を発している。つまり人だった。
なんて言って言葉を発する人外の可能性もあるんだけど。
「お前に恨みはないが、死んでもらう!」
その人が叫ぶと、金属同士がかち合う音がした。
火花すら想像できるような、激しい打ち合いだ。
「ほう、これはすごい」
「ベゼルも見てみよ」
「……」
絶対に見ない。顔を出した瞬間、巻き込まれることは確定している。
それに声の主が本当に人だったとして、それはそれで厄介じゃないか。
化け物は確かに怖いが、人の怖さはそれを遥かに凌駕する。
浮浪者としてずっと生きてきたから、その陰湿さ、意地汚さ、残虐さは身をもって知っていた。
僕を含め、あそこにいた浮浪者は大抵十人くらい殺しているというのがその証拠だ。
なんて言ったら一般人と一緒にするなと言われそうだけど、浮浪者と一般人を隔てるのはいつ消えるかもわからない理性だと聞いたことがある。
空腹が続けば、死に瀕すれば、いざという時には簡単に外れる、脆い枷だ。
だからこんな状況で人の傍には絶対に近づけない。寧ろ隙を見て殺さないといけないレベルなのだ。
「凄い思考回路だな」
「うむ、常人では考えられん」
化け物に人の心など分かるわけがない。いや、本当に怖い目にあったことがなければ一般人だって理解できないだろう。
その一点だけが、僕達浮浪者が唯一一般人よりも賢い点なのかもしれない。
暫く戦いは続いたようだが、肉が何かに断たれる音がして、それが幕切れの合図だった。
どうっと重い音が聞こえて、続いて納刀。勝ったのは人の方らしい。
「……さてと、解体をしないとな」
まだ居座るのか。いい加減石が背中にめり込んで辛いのに。
でも、泣き言なんて言ってられない。もうしばらくこの窪みで木石みたいに固まっていよう。
いや、この場合は結晶みたいに、か。
「ほう」
「これはこれは」
モルガナイトがしたり顔で解体風景を見ている。
何が面白いのか、さっぱりだけど、何かが楽しいらしい。
楽しい……。あいつら今楽しんでいるのか。
その事実に、一瞬寒気が走る。その数秒後にはなんで楽しんでいたかも理解できてしまった。
「お、やっぱり人が居たか」
さっきまで戦っていただろう人が、窪みを覗き込んできた。
モルガナイトは、人が僕に気づいたことを知って笑ったのだ。
なんで教えなかった、なんて答えの分かり切っている罵声を頭で怒鳴ると同時に飛び起きて逃げると、その人物の全容が明らかになる。
鎧を着た女だ。全身を堅牢に覆って、だけど右腕だけ露出していて、そこに剣を握っている。
だけど、大きな特徴は露出した腕じゃなくて、その肩の付け根から肘にかけてめり込んだ結晶だろう。
鉛筆の芯みたいな色で、不規則に角ばっていて、月の光にギラギラと鈍く反射している。
これが、モルガナイトの言っていた枠人。わざわざ化け物に成り下がる、奇妙で頭の可笑しい人間か。
剣を握っている、ということは強盗目的かもしれない。
なんて思っていたら、女が話し始める。
「ああ、心配するな。私は怪しいものじゃない。君と同じ、結晶の宿主だ」
「そのようだな」
便利な目で注視してみるとその結晶が方鉛鉱に似たものだという文字が見える。
だけど、その方鉛鉱とやらがどんなものかは教えてくれない。
ただ、それが鉄鋼種という種類の結晶で柔らかくて壊れやすくそして重い、ということだけは知ることが出来た。
その文字列に対する感想は、だから何だっていうんだ、だけど。
「ありがとう。熊が居て動けなかったんだ」
剣に意識を向けつつ、一先ず女の目的を探るべく会話をしてみる。
「気にすることはない。人を助けるのが私達の使命だ」
くっと口角を上げるような笑い方に、気風の良さを感じる。
清々しくて、潔くて、男らしい感じだ。
さらりと流した髪と、下種な眼差しが向けられそうな体系が正しいなら女のはずなんだけど……雰囲気が独特で自信がなくなってくるな。
「君は随分と軽装だが、町に住んでいる人かな?」
「……それが何か?」
「見ない顔だからもしかして旅の人かなあ、と思ったんだけど……それにしては軽装だから」
探りを入れられているのか。だとすると僕の出自が不明な場合、殺してもばれない存在だと思われかねない。
「一応、町に居たよ。見なかったんじゃないか?」
「そうか。まあ私も町の人の顔を全て居るわけじゃない」
と言いながら、まだ訝し気にこちらを見る。誤魔化し切れていないのが、ありありと見て取れた。
だが、女はそれでも構わないらしい。剣をしまって、手を差し伸べてくる。
「初めまして。アッシュだ」
「……僕の名前は、ベゼル」
不本意だけど名前を名乗って、手を握って立ち上がると、なぜかアッシュが少し目を開いて僕を見てくる。
「ところで、君は何歳だ?」
「なんでだ?」
「頭二つ分ほどの身長差がある。私が長身だということを差し引いても、私の方が年上だろう。敬語を使った方がいい」
「気になるのか?」
「いつか気にする奴に絡まれるだろうから私で練習しておけ、という感じだ」
「お気遣いどうも、ありがとうございます」
適当に調子を合わせると、また笑顔が戻って強く握る。
一体何が面白いやら、さっぱり分からない。
よく見てみるけど、彼女に脳の異常はない。毒も盛られていない。本当に不思議だ。
不用意に人に関わっているのに、被害を被る可能性を考えていないのだろうか。
「さて、町まで護衛をしようかと思うんだが、邪魔かな?」
一体どうしてそこまでするのか疑わしいけど、願ってもみないことだ。
道が分からない上、化け物だらけで何もできない以上、誰かに案内されないとならないのだから。
妙な動きをしないよう監視をしつつ、護衛が終わったなら適当に挨拶して別れてしまおう。
「頼み……ます?」
浮浪者間では全く使っていなかった、聞きかじっただけの妙な言葉遣いを実践しつつ、僕は不可思議な雰囲気と言動の女、アッシュの後をついていった。
彼女に案内されること数分。
遠くに見えた光が近づいて、視界いっぱいに広がれば、随分と大きな町が現れた。
いや、正しく言えば町は見えない。僕がもう十倍くらい高ければ建物が覗けたかもしれない。
それくらい高い壁が、聳え立っていた。
焚火がいくつも付けられ照らし出すそれは全く装飾もなくて、ひたすら硬さと高さを追及しているのが見て取れる。
見て取れる、というのは感覚的ではなく、僕の目が文字通りすっかり暴き切っていた。
その正体は驚くことに化け物の結晶だった。数多の結晶をどうやっったのか、くっつけて作られていた。
凄まじい文字の羅列に、一瞬クラッとするくらいの種類だ。百は下らないだろう。
「どう……」
どうやって作っているのか、と呟きかけたけど、それを言えばウソがばれる。
言葉を飲み込んで、その代わりその壁にちょこんとついている門とその門兵に目をやる。
「全く、働き者だね」
「本当に。毎度のこと頭が下がるよ」
僕にとって、彼らは勤勉であればあるほど危ない。だから怠けていてくれたらいいのだけど、という意味だったんだけど。
随分都合よく解釈してくれて、こっちは助かるばかりだ。
門兵もいい勘違いをしてくれたら万々歳なんだけど。
「お疲れ様」
先ずアッシュが手を挙げて、門兵に挨拶をする。
すると、槍を持っていた兵士はアッシュに気付いて親し気に手を挙げた。
「やあ、アッシュ。いい素材は採れたか?」
「鉄鋼種の結晶と肉が少々。でも肉は駄目かもしれない」
「そんなに侵食してたのか? 大事にゃなってないようだが、怪我はないか?」
「怪我はないけど剣がボロボロだよ。見てみるかい?」
「はっ。こいつぁすげえや。研ぎなおしも無理そうだな」
等々、楽しそうな会話が続く。もしかしてこのまま雪崩れ込めるかもしれない。
なんて甘い予想はしない。世界はいつだって思い通りにならないのだ。
「ところでそこの子は?」
なんて身も蓋もない言い方をされて、僕の旅は終わりを告げた。
町の人間ではないことがばれて、どうしてそんな嘘をついたかも推察されただろう。
さて、厄介な事になる前にここから立ち去らないと。
なんて思った瞬間、隣の女の動きが急変した。
「おっと」
いきなり僕を抱き上げた挙句、口を塞ぎ始めたのだ。
あまりに突然だったから、反応が遅れた。足が地面から浮いてしまって手遅れだった。
僕は、簡単に女によって捕まってしまっていた。
くそ。短慮だった。見知らぬ女に案内なんて頼むんじゃなかった。
そもそも、案内しようという提案をしたのはあっちなんだ。腹に何か隠してると思うべきだった。
というか案内を断った後、こっそりと後をつければいいだけだったんだ。
けど、どれだけ後悔しようともう意味がない。必死に抵抗して、思い切り踵を振り下ろして足を攻撃してみるけど、全然びくともしない。
化け物一匹をねじ伏せる怪力を持っているはずなのに。動けない。
「この子は私の知り合いだよ。ここに住む予定で、枠人だ」
人攫いは平然と話を続けて、今度は僕の瞼を指で押し広げ始める。
暴れ回る僕とこの女はどう見ても仲良くは見えないのに、門番もこれまた平然として覗いている。
きっとこの男もグルに違いない。
この町は人攫いの巣窟とみて間違いはないだろう。
「ほう、こりゃ珍しいな。目にすっかり埋め込まれてやがる。で、お前さんの知り合いだ、と」
「ああ。私の知り合いだ」
「……なら仕方ねえな」
カカっと笑って門兵が扉に手をかける。
ゆっくりと開かれる隙間から見える景色とまばゆい光。
思わず抵抗するのも忘れてく。
「結晶技術の最先端、翡翠の町にようこそ」
そう言われた町の、その異様さに僕は自分の目が大きく見開かれるのを自覚した。