サラリーマン悪人殺し
1.平凡な男
朝の7時52分、今日も男は御堂筋線の電車に乗って通勤していた。
男の名は秋山翔吾。
翔吾がサラリーマンになって6年、通勤ラッシュには未だに慣れない。
翔吾は大阪市内に本社を置く鉄鋼会社に勤めている。
「おはよう秋山。昨日の9回の采配、あれはないよなぁ。」
翔吾がデスクに付くと、上司の木佐貫が話しかけてきた。
「ほんまっすね。あそこは絶対代打の場面でしょう。」
翔吾は昨日の場面を思い出し、同じ感想を持っていた。
二人は阪神ファンで、プロ野球の試合があった翌日は、昨日の試合の感想を言い合うことが日課だ。
木佐貫は人当たりがよく真面目で、誰からも好かれる性格だ。翔吾も、木佐貫のことは尊敬しているし、人として好きだった。
通勤ラッシュは辛いが、翔吾は仕事自体は好きだった。
その理由はとりわけ上司の木佐貫の存在が大きい。
いい仕事をして木佐貫に誉められると嬉しかった。
また、社内外問わず人に頼られ、多忙を極める木佐貫の負担を少しでも減らすことを、翔吾は仕事のモチベーションにしていた。
しかし、この部署には一つの問題があった。
それは部内に蔓延するパワハラで、実は木佐貫はその一番の被害者であった。
2.目覚めた男
「おい木佐貫!!ちょっと来い!!」
部長の大久保だ。
「はい!すぐいきます!」
木佐貫はすぐに返事をし、大久保のもとへ向かう。
「なんだこの資料!こんな出来の悪い資料を顧客に出すつもりか?お前この会社を潰したいのか?ほんとに仕事ができないクズだなお前」
この光景を翔吾は見慣れている。
大久保は木佐貫が嫌いなのだ。
理由はわからない。人間には合う、合わないがあるが、大久保からすると木佐貫は合わない側の人間なのだろう。
「はい、すみません、すぐ直します。すみません。すみません。」
元々真面目な性格の木佐貫は、大久保のイジメをいなすことが出来ず、深く受け止めてしまう。
30分程度の公開説教のあと、木佐貫は落ち込んだ顔で翔吾の隣のデスクに帰ってきた。
「はは、今日も怒られたよ。もっと頑張らないとな、俺」
「あんなの言いがかりですよ、気にしないでいいと思います。」
「ありがとう。」
ここのところ毎日、部署のメンバー全員の前で木佐貫は罵倒されていた。
木佐貫のプライドは完全に折れていたし、日に日に顔色も悪くなっている。
翔吾はこの現状をなんとかしたいと思っている。
しかし、上司がイジメにあっていると部下が会社に相談するのでは、木佐貫のメンツが立たなくなる。
また、木佐貫はこれをイジメとは受け取っていなかった。
そのため翔吾はただこの現状を見ているしかなかった。
そしてそんな日々が2か月ほど続いたある日の朝、翔吾は前日大敗を喫した阪神の采配について議論を催そうと思い、デスクで木佐貫を待っていた。
しかし、木佐貫は定時刻になっても出社してこない。これまで、木佐貫が遅刻することは翔吾の記憶ではなかった。
「木佐貫さん、今日は会社サボったか。最近働きづめだったから、いいリフレッシュになればいい」
そんなことを考えていた昼休み、総務に配属された同僚が真っ青な表情で翔吾の元へやってきた。
「おい、聞いたか?木佐貫さんのこと」
総務の同僚は、少し慌てて、それでいて簡潔に状況を報告した。
木佐貫は今朝自宅で首を吊って自殺したらしい。
遺書はなく、朝ご家族が自室で首を吊っている木佐貫を発見したそうだ。
翔吾は、自分の鼓動が速くなっていることを認識した。
3.男の正義
木佐貫が死んだ後、翔吾は魂が抜けたように何も手につかなくなっていた。
一番近くにいたのに、何故何も出来なかったんだろう?
翔吾は自分の無力さに途方にくれていた。
そして、自殺の原因は間違いなく大久保のパワハラにあると確信していた。
「(木佐貫さんが死んだのはお前のせいだ、大久保。クズ野郎。お前が死ねばよかったのに)」
大久保はどう思っているのか?それが気になった。少しでも反省や後悔の念はあるのか?だが、それを聞くことは勿論出来ない。
翔吾はしばらく、仕事中も家でも木佐貫の死について考えざるを得なかった。
それほど翔吾にとって木佐貫という人間の存在は大きかったのである。
そんな日々が続いたある日、翔吾が自販機でジュースを買っていると、喫煙所から大久保と、後藤の会話が聞こえてきた。
後藤のことは、上に取り入ることしか能のないクソ野郎という印象だが、大久保と後藤は仲が良かった。
「それにしてもアイツ根性なかったよなぁ。仕事が辛いくらいで死ぬなよな。ああいう奴はどこの会社行っても結局死んでんだよな」
大久保は自分を納得させるように言った。
「でも大久保さん、実際大丈夫なんですか?木佐貫の家族から慰謝料とか求められてないんですか?」
後藤は大久保を心配する素振りを見せている。
「なーに、大丈夫よ。なんせ遺書が出てきてないからな。セーフだよセーフ。」
「なるほど、それなら安心ですね。それにしてもアイツ、死ぬならちゃんと仕事片付けてから死ねって話ですけどね」
「お前の言う通りだ。迷惑してるのはこっちだよ、全く。大体顔が嫌いだったんだよ。あいつ、中学の時に嫌いだった体育教師に顔が似てるんだよ。死んだと聞いたときには体育教師に復讐できたみたいで、正直スカッとしたね」
翔吾はこの会話を自販機の側面で飲み物を飲むふりをしてこっそりと聞いていた。
無論飲み物など喉を通らなかった。
身体中が熱くなり、木佐貫のことを思い出して、涙が止まらなかった。
泣いている所を他の人間に見られるとまずい。
翔吾は一旦非常階段で地下へ移動し、普段誰も来ないトイレに入った。
トイレに入って、鏡で自分の顔を見て驚いた。
涙はボロボロと止まらなかったし、何よりも怒りで顔が真っ赤になっていた。
翔吾はそのまま個室に入り、声を殺しながら泣き続けた。
そして、一時間ほど経った後、こう思った。
「大久保を殺す。絶対に殺す。」
4.男は計画を実行に移す
翔吾はトイレから出て顔を洗った後、何事もなかったかのようにデスクに戻った。
デスクに戻った翔吾は、早速大久保を殺害する具体的な計画について思案していた。
仕事をしているふりをして、「大久保殺害計画」のフォルダを作成した。
もちろん、誰も見る可能性がないCドライブの奥深くの階層である。
普段殺人事件のニュースを見るたびに、翔吾は思う。
「何で殺人犯って捕まってしまう間抜けばかりなんだろう?俺なら絶対に完全犯罪ができる。」
そして、自分ならこうやって殺害する。という妄想をよくしていた。無論、実際には人を殺した経験など翔吾にはなかった。
想像していただけだ。
しかし、今回初めてその想像を実行に移すことになった。
殺害方法は初めから決めていた。爆弾である。
理由は足がつきにくいからだ。
爆弾を使って人を殺した場合、捕まるパターンは2種類だ。
1つ目は実際に爆弾を仕掛けている場面を目撃されること。2つ目は爆弾を作ったことがバレること。
2パターンどちらのリスクも考えたが、翔吾は慎重にやればバレることはないと考えた。
前者のリスクは、相手の行動パターンを徹底的に調べあげ、確実に一人になる時間を狙えば問題なかろう。
後者についても、問題ない。要は、怪しまれる買い方をするから足がつくのだ。
材料は、一種類ずつ全国各地の店舗を周り、少しずつ揃えればいい。
全国の店舗の爆弾の材料になりうる素材の購入者の履歴を警察が調べることは不可能だ。
翔吾はまず大久保の車へGPSを仕掛け、行動パターンを調べた。
約一ヶ月、行動パターンを調べた結果、毎週金曜日の仕事終わりにゴルフ場へ打ちっぱなしへ行くことが分かった。
これだ。このタイミングを使おう。
この一ヶ月の間、爆弾関連の資料を読み込んだ。元々理系の翔吾にとって、それを理解するのはさほど難しいことではなかった。
基本は作っては実験の繰り返しだ。
実験では、火薬の量を最低限まで少なくした。
本番はこの火薬の量を、期待する爆発になると想定されるまで増やせば良い。
出来ればその実験もしたかったが、それをやるとかなりの影響が出るため、足がつくリスクが高くなると考えやめた。
大久保がゴルフ場に滞在する時間は大体30分から1時間の間だった。
そして、ゴルフ上から自宅までは約50分の距離である。
したがって、大久保がゴルフ場に入ってから1時間後から1時間20分後までの20分間は、大久保は確実に車を運転している時間ということになる。
ゴルフ場の駐車場は監視カメラなどなく、人通りも少なく、何より暗い。
翔吾は金曜日の夜、少し早めに仕事を切り上げ、ゴルフ場の駐車場で大久保の到着を待った。
ほぼ予定通り、20時過ぎに大久保の乗ったプリウスは到着した。
翔吾は大久保が車から出て、ゴルフ場に入ったタイミングで素早く大久保のプリウスのもとへ移動し、下から潜り込んだ。
そして、1時間10分後に作動する時限爆弾をプリウスの下部へ外から設置した。
周りに人はいない。翔吾は足早に自分の車へ戻り、自宅へ車を走らせた。
「やった。やってやった!大久保は今日、死ぬ。木佐貫さん、俺は...」
奇妙な気分になった。復讐を果たすことができるという満足感と、恐怖の感情も確かにある。
しかし、不思議と罪悪感はなかった。
殺されて当然の男。翔吾の中では大久保の存在はそれ以外にはなかった。
出来れば死ぬ所を確認したかったが、やめておいた。
現場を見に行って足がつく殺人犯は多いらしいという情報を知っていたからだ。
もし失敗したらしたで、それでいい。
また仕切り直しだ。
5.殺害
帰宅した翔吾は、興奮を落ち着けるためビールを一缶飲んだ。
大久保は死んだのか?生きているのか?
気になって仕方なかった。
仕事の用事のふりをして電話をかけてみようか?とも思ったが、やめておいた。
心配しなくても、明日結果が出る。
予想はしていたが、やはり明け方まで眠ることが出来なかった。
会社は休みたかったが、休むと不自然だと判断して出社することにした。
翔吾は予定通り出社した。そして、いつもはいる時間に大久保がデスクにいないことを確認した。
大久保がいないことを誰も気にも止めていないようだ。
そして10時40分、大久保より上の役職の本部長の人間から、部署の人間全体に宛てたメールが届いた。
「昨晩、大久保部長は事故に逢い、お亡くなりました」
翔吾はそのメールを何度も見返した。
そして、人を殺してしまったのだというショックと、計画通り大久保殺害をやり遂げたという充足感に浸っていた。
捕まる心配はしていなかった。
足がつくような行動がなかったことは、昨晩の熟考の結果で自信があった。
悪人は死ぬべきだーー。
実際に人を殺した後も、翔吾はその考えに間違いはなかったと確信した。
6.その後
大久保の死について、彼の部署では驚くほどその死を悼む者はいなかった。
表面上では確かに「死んでよかった」というような発言は見られない。しかし皆に同様の思いがあることを、翔吾は察していた。
あの小判鮫のクソ野郎、後藤ですら大久保の後釜の部長にすり寄り初めていた。
予想通り、彼もまた大久保のことが好きだったわけでなく、自らの出世のために大久保に取り入っていただけだった。
翔吾はこの状況に満足感を得ていた。
やはりクズは死ぬべきだ。その方が皆幸せになれる。
翔吾はこの自らの持論を、証明できたと考えた。
そしてさらに、「悪人は全員死ぬべきではないか?」という考え方を強くした。
その後翔吾は、自分の目についた(翔吾の価値観で考える)悪人を、次々と殺害していくことになる。
翔吾は二年の間に、9人の人間を殺害した。
法律では裁けない悪人ーー。
これが翔吾の考える殺すべき対象だった。
部下をパワハラで自殺に追い込むクズ。
実のないことしか書いてないゴミを高額な金額で弱者に売り付ける、情報商材屋。
権力者の親の力を利用して、レイプや暴行等の数多の犯罪行為を揉み消してきたボンボンの子供。
翔吾は目についた悪人を、一切の痕跡も残さず殺害してきた。
翔吾には人を殺す才能があった。
しかも、翔吾には客観的には動機がないように見える。そのことがさらに警察の捜査を困難にした。
7.違った側面
翔吾は日曜日に外に出歩くことが日課になっていた。
街には様々な情報がある。
人が多くいる場所には、悪人も集まってきやすいというのが、彼の持論だった。
そうして歩いていた翔吾は、ふと黒い服を着た集団がいるのを目に止めた。
どうやら葬式らしいが、外の立て札を見ると、翔吾が殺害した人間の葬式だった。
男の名は、清田。妻子持ちでありながら、それを隠し若い女と浮気をし、妊娠した女に子供を降ろさせた男だ。
翔吾は、気まぐれに葬式会場の様子を見てみることにした。
「こんな悪人のためにわざわざ葬式までやるなんて、律儀な親族だな。」
翔吾はそう思ったが、葬式会場を見て唖然とした。
第一に、参列者は100人近くいた。それだけではない。皆一様に涙を流して清田の死を悲しんでいる。
清田は、周りの人間から好かれていたようだ。
このことは翔吾に物凄いショックを与えた。
帰宅後も昼間の光景について考えていた。
「俺の価値観では、確かに清田は死ぬべき悪人であった。しかし、別の人の角度から見た清田は大切な人間の一人であったらしい。
もしかすると、人が悪人か善人かを決めることは、神にしかできないことであり、俺が決めていいことではなかったのかもしれない」
8.自問自答する男
自分がしていることは正しいのか?と自問自答する男
翔吾は今まで行ってきた殺しについて考えた。
「皆が死を喜ぶ悪人ばかり殺してきたつもりだが、俺が気づかなかっただけで、その死を悲しむ人間も多くいたのではないか?
であれば、俺のやっていることは、その人から見れば間違いなく悪である。
また、もっと広い視野で考えた場合、善人だと思われる人間も、人間以外の生物から見ると悪なのかもしれない。
と言うのも、人間以外の生物にとって、人間の生き方は傲慢で、自らを住みづらくさせる悪い要因の一つでしかない。
他の生物がもしもっと高い知能を持っていたら、漏れなく人間を憎んでいただろう。」
翔吾は三日間、答えのでない問答を自分に問い続けた。
そして、自分が今まで犯してきた行為について考えた。
俺は、ひどい勘違いをしていたのかもしれないーー。
三日間考え抜いた後、男がだした結論は、死ぬことだった。
死ぬ理由は、自分が悪人だから。
悪人を殺すことを信念にしてきたのなら、自分も例外ではない。男はそう結論付けたのだ。
こうして、ある晴れた日の早朝、男は首を吊って自殺した。