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詐欺師のナマエ、愛の言葉 3


 それから二ヶ月経って、喪失は喪失のまま、けれども日常が廻りだして。

 笑顔は減ったけれど母はわたしの隣にいてくれて、三人分に減ってしまったけれど毎週土曜日はお弁当を作って三人で会った。

「コウくんは大人になったら何になりたいの?」

 少年のお皿に卵焼きを乗せてあげながら、母が穏やかに問うた。

「んー、まだわかんない」

 それを頬張ってから幸せそうな顔をしてありがとう、と返した少年が、首を傾げる。

「でも大声でわらえるおとなになりたい」

「あら素敵」

「じゃあわたしも」

「いや、ミユキなら簡単にできてるよ。きっと」

「えええ、そうかなあ」

 首を傾げる。さくらみたい、といつもコウが称する母のおにぎりを頬張る。

「なれてるといいなあ」




 それからしばらく経って起こったことを、わたしは一生忘れない。

 空は急に曇り出した。いつ雨が降り出してもおかしくないような。

 一緒に公園に来た母はその空を見て眉を顰め、一度家に帰って洗濯物を取り込んでくると言った。

「わたしは待ってる」

 まだ姿の見えない少年の顔を一度は見たかったので首を横に振る。

「じゃあ傘も持ってくるから、公園から出ちゃ駄目よ」

「はあい」

 うなずいて、母を見送ってからジャングルジムに登る。てっぺんまで登って、どんどん色の悪くなる空をぼんやりと見上げる。

 空の上に父がいるというのなら。

 この空の色に、影響されていなければいいと。

 そんなことを思いながら───ふと、眼線を下にさげると。

「あ」

 公園の横の道路、横断歩道の向かい側。

 見慣れた少年が笑顔でこちらに手を振る。

「コウくん」

 わたしも笑顔で、片手を上げた───その時。

 少年の顔が驚愕に塗り込められる。どうしたの。そう問う、前に。

「え、」

 冷たく乾いた手が、手すりを掴む手を引いた。───強い力で。

 引っ張られる。体が傾く。投げ出される。───空中に。

 その時聞いた。激痛みたいな半身の悲鳴を。

「───やめてかあさん!」

 落ちていく最中。冷たい目をした女性がひとり、引っ張られた自分の手から手を離すのが見えた。

 次の瞬間、叩き付けられた。女性の足元へ。ばあん、と大きな音が自分からして、よく分からない感覚が体を襲う。地面に倒れているはずなのにぐらり、と眩暈がして、痛みもよく分からないまま無意識に眼線を落とすと地面に血が零れていた。手のひらに透明な雫がいくつも落ちて自分が泣いているのかと思ったが、それは振り出した雨のようだった。

 腕を突っぱる。上体を起こす。通りの向こうで少年が、自分の名前を叫ぼうとしているのが分かった。───そして、それ以上のことも、分かった。




 こ な い で




 唇だけで告げる。半身がそれを読み取り、悲痛な顔で立ち止まる。

 きっと、自分の背後には、半身の母親が立っているのだろう───半身が語りたがらなかった、半身すら語れるほど禄に知らなかった母親が。きっと。

 自分にこんなことをする理由は明確には分からなかったが───これだけは言える。わたしが邪魔なのだ。そしてもう二度と、半身に関わってほしくないのだ。

 だったら。それなら。

 もう半身は、自分に関わっちゃいけない。近付かない方がいい。そのやり方で半身を護れるのなら、それでいい。

 何とか立ち上がる。後ろを振り返らないまま、傷口を押さえて、よろよろと立ち上がる。痛みは感じない。───傷の痛みは。

 それから必死に、必死に、必死に走った。道路を挟んだ向こう側に半身を残して、後ろも横も見ずに前だけ向いて。

 ───自分の息子に関わってほしくないから手を下すなんて、ふつうじゃない。

 でもその「ふつうじゃない」大人のところに半身を残さなくてはならない。

 それなら。それしか方法がないのなら。

 近付かないのが、半身を護る唯一の手だ。

 下手に近付いて刺激して、何かのきっかけであの母親が半身を害さないように。

 もう近付かないから。二度と会わないから。

 だから。

「───ミユキッ!」

 どれだけ走ったのか。家と公園のちょうど真ん中ぐらいのところで、傘をさした母と行き会った。手には二人分の小さな傘。青いのと赤いのと。それを見てよ漸く、ああもう二度と会わないのかと胸の中で小さな声がする。

 もう二度と会わないよ。そう決めたから。

 間違ってるだろうけど、そう決めたんだ。だから。

「どうしたのミユキっ。しっかりして、今救急車呼ぶからね!」

「……がい……」

「しっかりして、お母さんがいるから!」

 そう。そうだ。

 自分には母がいる。けれど。

 半身には誰がいる?

「お……がい……まも、て……まもって、あげて……」

 誰か。

 お願いだから。

 わたしには無理だから。

 誰か。お願い。

 わたしの半身を。




「……お母さんには、どうして怪我したのか言わなかった。勝手にジャングルジムから落ちたって言った。けど、薄々分かってたのかなあ。それとも、お父さんの思い出が残る家にずっといるのが辛かったのかな。怪我が落ち着いてすぐ、引っ越したんだ」

 県を跨いで何度か引越しをし、ある時、母は今の父と出会った。

「父さんと出会って、弟が出来て。……それが中学上がってすぐのこと。四人家族になって、暮らしてた。授業料免除の高校に行きたくて、猛勉強すれば狙えそうだったから、それで受かったところに入ったんだ。そしたら……」

 笑う。あの時は笑えなかったから、今笑う。

「なんでうまくいかないかなあって、思ったよ」

 運転するともりの眼が、一度ゆっくりと瞬いた。




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