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詐欺師と箱庭 4


「ゼミ合宿から帰って来たら警察に重要参考人扱いされて不審者にぼこぼこにされてるって、みーさんは本当目を離すと何をしでかすか分からないよね。ストーキングしがいがあるよ」

「いや私が何かしでかしたわけじゃ……いたたたたたたた」

 消毒液が傷に沁みぎゅうっと顔を顰めた。「痛い? ごめんね」と相変わらずの落ち着いたテノールの声が消毒を続ける。

「いやでも、四つん這いになってるみーさんを見て興奮……動揺したよ」

「今興奮とか言った?」

「あ、うん、ほら、俺みーさんの在宅ストーカーじゃん? やっぱそういうサービスシーン見せられちゃうとどうもやっぱり……」

「え、あの瞬間見てサービスシーンとか言えちゃうの? どういう神経してるの?」

「や、俺だって嫌だよ? 俺以外の奴に四つん這いにさせられてるみーさんなんて。そこまで太い神経してないよ? きちんと同意を得て俺が自分の手で、」

「ごめんそこじゃない。今そこ大事じゃない」

 打ち身とは別の意味合いで頭が痛くなりうな垂れた。




 カブラギ トモリについて説明をするのは長い時間と大きな省略を赦せる寛大な心が必要だ。実を言うと私自身もよく分かっていない。

 近くの国立大学の法学部に籍を置く大学二年生。

 自称、在宅ストーカー。

 私から言わせてみれば、同居人。




 溜め息を吐いて、天井を仰ぐように頭を傾ける。ごくありふれた一軒家、母親と弟は父親の海外出張に着いてゆき、大学入学が決まっていた私だけこの家に残った。

 それでもただ部屋が余っているから、という理由だけで近い年齢の異性を家に住ませたりはしない。色々とそれなりに事情があったのだ。もう済んだ話だし、今回のことに全く関係はないけれど。

「明日病院と警察に行こうね。俺付き添うから」

「いやいいよ、大学に行きなさい……ゼミ合宿行ったならレポートとかあるんでしょう?」

「いやもう卒業旅行前夜祭みたいなもんだったし」

「えええ」

「序章?」

「壮大過ぎる」

 男のひとにしては線の細い首を傾げると、さらりとした髪が少しだけ揺れた。長い睫毛に縁取られた瞳が私を見る。二年前……いや、もう三年近くになるのか。出会った時、あんな荒んだ顔をしていたのが嘘みたいだ。今の方が嘘なのだろうけれど。

 私の人生ががらりと色を落としたあの時期、すったもんだあった挙句、行方を眩ましたり現れたり、ちょっと拳に頼ったり、ほんのりとした障害にやんわりと退いて頂いて、そうして彼は何故か私の在宅ストーカーになった。何故か。何故だ。全くもって理解は出来ないが、とりあえず嫌われたわけではないのだろうという曖昧な理解の仕方をしている。

「みーさん?」

「なあに?」

「で、いつちゃんと説明してくれるの?」

「ああ……」

「俺が着けてなかったらみーさん殺されてたかもよ?」

「まあ確かに……ん? え、着けてたの?」

「まあ正確には追い付いた、が正解。GPSって偉大」

「え、なに、何か設定してたの……?」

 事の発端───は、省略していいとして。

 彼とわたし。

 ニノ コウとわたし。

「……仲が良くなかったんだ」

「誰と?」

「ニノ コウと私。折り合いを付けるのが、難しかった」

「うん」

「ニノ コウは本当に頭が良くてね。教師からも信頼が厚い優等生で。私以外の生徒みんなにやわらかい笑顔で接してたよ」

「……みーさんには?」

「私には……うーん、そうだな」

 ニノ コウを思う。

 無言でわたしの机を蹴り飛ばした彼を。

「彼にとって私は、目障りな存在だったと思うよ」




 わたしが入学した高校に、目を引く容姿をした頭のいい男子生徒がいると知ったのはそれこそ入学初日のことだった。新入生代表のあいさつの時のことだ。

 色素の薄い茶色がかった髪に、すらりとした体格。未完成な痩躯が、通る声で格式ばったあいさつをする。

 入試をトップで通過した特待生は彼か、と思った。学年で五人の、入試の成績が良かった特待生。入学金はかからず、授業料も免除。自分もその内のひとりだったが彼の頭の良さは桁違いだ。あとで知った話だが、彼の母親はこの学校に多額の寄付をしているらしい。

 そんな完璧とも言える彼に目を付けられた理由は至極簡単だった。たまたまだ。たまたまわたしが彼と同じ特待生で、彼はそんな私と同列に思われることが嫌だった。

 私から言わせてみればもっと簡単だ。たまたま彼はわたしに出会い、わたしも彼に出会い、そして折り合いを付けるのが、難しかった。彼は徹底的に私を無視し、かと思えば机を蹴り飛ばして私の荷物を散乱させた。決まって特待生のみが集まる時だけだ。

『こいつ、嫌なんだよ』

 軽く笑って、彼が言う。散乱した教科書を前に。

『お前らも、こいつに関わんない方がいいよ? ここだけにしとけ』

 くすくすという湿っぽい嘲笑や、困ったように落とされる視線。冷たくなった手で、散乱した教科書を掻き集める。

 それでも、そんな風に続いたあの時間を思い出すことは少ない。ニノ コウの顔を見ないようにしていたせいかもしれない。

 今も昔も、ニノ コウがどんな表情を浮かべていたか、わたしは知らない。





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