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詐欺師と記憶 20


 体に響く低い轟音。頭上を通り抜けてゆく甲高い高音。上を見上げるとそこには高い建物は何一つなく、頻繁なペースで巨大な鉄の鳥が視界を横切る。

 空港のプラットフォームに来ていた。空気が震える中、フェンスに触れるとそのフェンスまでもが微かに振動しているのが分かった。

「ここまで来てくれなくてもよかったのに」

 忙しいだろう? とディーが首を傾げた。それについては否定出来なかったが、それにしたってこの状況で見送りなしに帰すという選択肢は最初からない。

「ディーだって忙しい中助けに来てくれたでしょ。……本当にありがとう、感謝してもし切れない」

「まだ何も解決していないのに、すまない」

「ううん、むしろ仕事放り出してよくここまで長期滞在してくれたと……」

 既に三週間は経っている。メールや通話を通じて色々と指示を出していたようだが、それもついに限界が来て、とうとう帰国を余儀なくされた。当たり前だ。感謝してもし切れない。

「君もいろんなものを拾うね。奇妙な女子大生、気の毒な女子高生」

「ははは……」

 一悶着あったが、キョウコは今入院していた。ニノ コウもいる、あの病院に。全治三週間という大怪我だが、それでも命に別状はなく、障害もない。ほっとしているのが本音だった。

「懐かない猫みたいだった男子高校生も拾ったね」

「そういう時期もあったねえ……」

 今や猫というよりは犬のような気がしなくもない青年を見やる。気を遣ってくれているのか、少し離れた場所で飛び立つ飛行機を物珍しそうに見上げているひとりの青年。

「それから、あいつも」

「……」

 最初に出会ったのは空港だったと、

 思い出すまでもなく、想う。

「ねえ」

 ぼんやりと、視線をフェンスの向こう側に───違う、どこも見ないままに。

 ただ視線を投げたまま、彼の友人に声をかける。

「オーリは」

 口に出す勇気がなくて、避け続けて、けれど決して忘れることも出来ず、毎日毎日想っていた名前は───自分で思っていた以上にするりと、唇からこぼれた。




「キサラギ オーリは、わたしのことが好きだよ」




 轟音。

 あの飛行機は、どこへ行くのだろう。




「───だろうね」

 振動の向こうで、ディーが笑ったのが分かった。

「こういう仕事をしているとね、『そういう星の下に産まれた』っていう言葉、あながち間違いじゃないと思うんだよ」

きちんと視界に意識をやると、少し困ったような───幼子に読み聞かせた物語の世界の続きを求められたような、そんな複雑な顔で、ディーは言った。

「『類は友を呼ぶ』に繋がっていくと思んだけどね。人は性格は違っても、境遇や状況が似てる人と出会って親しくなることが多い気がする。僕の弟分がそうであるように、君の愛すべきクラスメイトがそうであるように」




 ともり。親と縁を切り、これ以上なく血肉を分け合った兄弟とも縁を切ったかつての少年。

 ミキ。喪った右眼。生きた左眼だけでファインダーを覗き、世界を切り取る女。

 オーリ。ディーの無類の親友であり悪友であり腐れ縁でありわたしの恋人。そう言うのが赦されるのなら。




 君は奇妙な男によく好かれるね、と、ディーが笑った。

「君をいくらでも手伝うけれど、決定的に助ける男がオーリでないのなら、受け継ぐのはあの若いナイトだね。───君はまだ認め難いだろうけど」

 茶目っ気たっぷりにウィンクされて私は渋面を作った。外人だからこの上なくウィンクが絵になる。

「ともりが私のことを大事にしてくれてることくらい、ちゃんと分かってる」

 分かっている。あのあたたかい手が───ふわりと幸せそうに笑う眼が、何にも代えられない特別なものくらい。

「私はね、好きなんですよ。どんな状況でも、ここで終わるものかって全力で幸せになろうとするあいつらが」




 どん底すら生温い。

 地獄さえも甘美に思えてしまうようなあの喪失感。

 泥濘を手繰り、自分の血を啜りぎりぎりの活力を得、それでもまだ敗けるものかと這い蹲るかれら。




 ───心底、愛おしいんだよ。




「僕は君の味方だし、君の力だからそんなことはあり得ないけれど───君を敵に回したくないなとは、強く思うよ」

 彼等全員を敵に回したら、それはそれは酷い目に遭いそうだからね。とディーは笑った。

「君の敵は酷く不幸で、酷く勇敢だね。ひとりになるのが怖くないのか」

「どうだろう。それでも欲しいなにかがあるんじゃないかな」

「君も手に入れられるといいね」

「……うん」

 みーさん、と声がかけられ、少し仏頂面をしたともりが歩いてきた。

「師匠、もういい? みーさん独占し過ぎ」

「ああ、悪かったね。君に返すよ」

「そりゃもう、全力で受け取りますよ」

「おかしいな、私もう二十四なんだけどな……」

「また近い内に来るよ。何も解決していないんだから……それまでいい子にしておくように。ともりはユキから目を離さないように」

「りょーかい」

「おかしいな、本当色々おかしいな……」

 ぶつぶつと呟いていると、くしゃりと髪をかき混ぜられた。グリーンの目が細められる。楽しそうな笑顔。

「幸せになりなさい。幸せにしてあげなさい。君にはその努力をする力がある」

私も笑った。こくんと素直にうなずく。

「はい」




 滑走路を走り、すうっと空に吸い込まれるように飛び上がった飛行機をなぞるようにしてともりが指で後を追った。

「あの飛行機かな」

「かもしれないね」

 ぱたぱたと風がカーディガンを扇ぐ。秋のはじまりはもう過ぎ、既に終わりを迎えようとしていた。

「あっという間だね、季節が過ぎるの」

「そーだね」

 真っ直ぐに線を描いて飛び立った飛行機は、あっという間に空の中の小さな白い点になって、やがて消えた。

「冬になる前には、みーさんを悩ます全ても終わってるかな」

「どうかなあ。というか、そこは『容疑者扱いが終わる』んじゃないんだ?」

「見てたら分かる。みーさんは容疑者扱いされてることに対しては比較的どうでもよく思ってる」

「……あー」

「みーさんを悩ませてるのはきっと、もっと別のものでしょ。容疑者がどうでもいいと思えるくらいのでかいもの」

 ともりが振り返った。フェンスを背に付け、それから、見たことのないような顔で笑う。

「いいよ。今は言わなくて。───でもね」

 ゆっくりと歩み寄ってきたともりが、真正面から私と向き合い、両頬を包んだ。ゆるく上を向かされ、至近距離で視線を合わせる。

 暗く影になったともりが薄っすらと笑い、吐息が唇に触れた。

「でもね、俺は強欲だから。───いつかみーさんの全てを貰う。全部丸ごと、みーさんを貰う。

みーさんが隠してることも隠したいことも、立ち向かってることも敵も味方も嘘も本当もみーさんの想い出を持ってるひともみーさんの手を引くひとも、みーさんに関わりみーさんを創り出しみーさんが愛するものもみーさんが憎むものもみーさんの世界の全部ぜんぶすべて、俺が貰う」

 ともりが囁く───見たこともない、笑顔で。

 恍惚とした貌で。




「みーさん、好きだよ」




 ───この想いに、どう応えよう。

 ふ、と何かを言いかけた吐息は結局言葉にならず───ただ呼気だけがともりの唇に届いた、はずだ。

 にこりといつものように笑って、ともりが身を離す。「覚えててね」と軽い調子で言って。

 この想いはきっと、とても大きくて重いはずなのだ───私を潰すくらい。

 けれど、ともりの言葉はすんなりと胸に染み込んで、そして私の一部になった。一瞬にして。───重くないとは言わない、けれど、重さと大事さは似ていた。これは大事な、重みだった。

 これがあるから、そう遠くには行けない───ふらふらと彷徨うことはない。流されることも、消えて無くなることも。

 今、彼に返す言葉が見つからないなら。

 何かを返す勇気がないのなら。

なら今はきっと───これが正解だ。

「ともり」

 青年を呼ぶ。目の前の彼を、空を仰いでいた彼を呼び戻すように。

「なあに? みーさん」

「帰ろう」

 手を差し出す。

 これが正しく、わたしのしたいこと。

「───うん」

 花がほころぶようにともりが笑って、私の手を握った。




 そう。笑っていて。うれしそうに、幸せそうに。出来ればわたしの見えるところで。

 そして帰ろう。空を見上げて、のびをして、飛行機雲をなぞりながら───出来れば、わたしと一緒に。







〈 詐欺師と想い出 詐欺師の想い 〉




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