詐欺師と記憶 9
夕飯を作り終えて、時計を見ると七時頃だった。そろそろともりが帰ってくる時間か。
キョウコは塾が十時頃終わると言っていたっけ。最寄り駅まで車で迎えに行くが、ともりはどうするだろうか。お弁当の下ごしらえをはじめつつ考えていると着信があった。ともりからだ。
「はいもしもし、迷子になっちゃった?」
『俺は何が何でもみーさんのところに帰る。……あのさ、ちょっと画面も繋ぐよ』
「え? うん」
スマートフォンを耳から外し操作すると、今度は画面いっぱいにともりの顔が写った。これだけアップなのにその顔立ちはどこも綻びはなく、外にいるようで辺りは暗い。
『ちょっとあれ見て。うちの子なんだけど』
ともりがスマートフォンをくるりと回した。写るのはどこかの公園、遠目のベンチだった。少しずつ、さり気なくともりが近付いていく。
ベンチに座っているのは確かにキョウコだった。そして、もうひとりいる。細身の若いスーツ姿の男。スーツ?
二人は真剣な顔で話しているようだった。時折、キョウコが何か本を見せて首を傾げる。
通行人のように通過したともりが、十分離れたところで再び携帯を覗き込んだ。
『雰囲気的には問題ないんだけどさ』
「うん。でも……」
スーツ。少なくても高校生ではない。
あれは誰だろう?
結局、塾が終わるまでともりが近くのファミレスで張ってくれることになった。その代わり自宅待機しているようにという交換条件だったが。なんだか申し訳ない。
あのあと、二人は別々に、けれども同じビルに入っていったようだ。塾の入っているオフィスビルに。ということは塾の講師、だろうか? だとしたら何故授業前に公園で? あの時間帯、あまりひとはいない。まるで人目を忍んでいるようだった。
考えたくはないが。
(協力者……としたら、力のあるなしは関係なくなる)
仮にニノ コウをどうこうしたのだとしたら。
直接ではなく、協力者の手を借りたのだとしたら。
何の問題もなくなる。
(……いやでも、ナオミだって……)
犯人じゃなきゃいい。信じていたい。けれど揃いも揃って全員自分が犯人だというような実況しか出してくれない。
フルミ ナオキ
フルミ ナオミ
フルミ キョウコ
そして───
チャイムが鳴る。ゆっくりと顔を上げ、インターフォンではなく直接ドアを開けてそのひとを招いた。
「お食事時に申し訳ありません」
流れるような声で紳士は言った。
「お訊ねしたいことがあるのですが」
でしょうね。
玄関に現れたチグサに胸中で冷たくそう返して、一歩引いて紳士を家の中に招き入れた。
夕飯の匂いの充満する部屋でお茶をいれるのはどうかと思ったが、他にやりようもなく、換気扇を強く回すということで妥協した。窓を開けるのは肌寒い。
「お忙しい時間に申し訳ありません」
「いえ。いらっしゃると思っていました」
もう少し早い時間帯に来ると思っていたが、まあチグサにも仕事がある。
「私がフルミ ナオキの部屋に行ったという連絡が来たんですね?」
「来客はめずらしいもので」
お茶に手を付けながらチグサは言った。
「彼女は不思議に思ったようです」
お茶を運んでくれた女性を思い出す。フルミ ナオキは知っているのか。自分の情報がこうやって出回ることを。それとも知っていてあきらめている?
「キョウコさまのことをお訊ねになられたようで」
「話の流れでそうなっただけです。訊いたわけでは」
「ですが、ずっとこちらにお世話になるわけにもいかないでしょう」
沈黙。
ばれていたか、と、肩の力を抜いた。
「ではあなたが助けてくれると?」
「いいえ」
老紳士は僅かに首を横に振った。
「わたくしはコウさまの執事でございます」
「そのニノ コウが助けようとしていた子です。手を貸してもいいのでは?」
「出過ぎた真似でございます」
「それは私にも言っているの? 手を出すなと?」
「そのように受け取られるのならば、そのように」
「……」
唇を噛んだ。落ち着け、と言い聞かす。
「……確かに、ずっとここに置いておくわけにはいかないです」
ともりのことを思う。高校生だったともりを少しの間だけ家に置き、けれども流石に未成年の少年とずっと暮らしていくことは難しく、結局ともりは高校を卒業するまで親戚の家に引き取られた。それでいい。あれでよかった。けれど。
「敵も味方も分からない今の段階で、あの子はどこに帰れるんです? ───安全だという確信がないまま、あの子を返すわけにはいきません」
馬鹿だと思われても仕方がない。だってこのひとから見たら自分はただの小娘だ。二十四。大学を卒業してまだ数年のガキ。二十歳を超えたって、職に就いたって、誰かの人生と未来の責任を取るにはまだまだ未熟で、時間も経験も何もかもが足りていない。分かってるよ。でもさ。あんたたちみたいなしっかりとした、責任も時間も経験も人生も十分持っている優れた大人が何もしてくれないのなら、子供たちはただ、泣くことも出来ず死んでいくだけじゃないか。
─── こ な い で
頭から流れる血を押さえるよりも前に───かつての自分が伝えた、護るために確信を持って間違えた言葉。
「───別にあなたが背負わなくても、いいではありませんか」
それは酷く乾いていたが、どこかやさしく聞こえる声だった。
「責めているわけではありませんよ。けれども、普通ではないでしょう」
「……そうですね」
疲れが滲んで、声になった。
「……ごめんなさい。私、言い過ぎて……しまいました」
「いいえ。事実でしょう」
「いいえ。───わざわざ様子を訊きに来てくれる程度には、あの子を気にしてくれているのに」
その時はじめて、能面のようだったチグサの表情に変化があった。ぴくりと眉が動いて、しかしそれはすぐに平面となる。水面は、僅かにしか揺らがない。
「コウさまはあなたに電話したのですね」
「───」
顔を上げる。
どうして知っているのか。どうして。息も出来ず視線を彷徨わせる。
「コウさまを発見したのはわたくしです。その時スマートフォンも確認致しました」
「……そのことは……」
「誰も知りません。警察と、あなた以外には」
「……そうですか」
「あなたは自ら関わってくる。何故です?」
何故? ───理由が、必要か。
「───考えておきます」
「は?」
「理由が必要なら、次に会う時までに考えておきます。だから……」
もうすぐともりが帰ってくる。キョウコと一緒に。会うのは避けた方がいい気がした。
「そうですか」
チグサは立ち上がると一礼した。ゆっくりと顔を上げ、その色素の薄い目が私を射抜く。
「あなたがつくる理由、楽しみにしております」
再開します。
よろしければ、引き続きお付き合いください。




