詐欺師と箱庭 19
ディー。発信。ワンコールで繋がった。
『見えている。彼女を追えばいいんだよね?』
「うん、お願い。すぐにともりと追い付くよ」
通話を切る。コインパーキングに辿り着き停めておいた車に乗り込んだ。ナビを起動させ、ともりに『あと十分くらいで着くよ。正門横に行くね』と送り発進させる。
自動的に、読み込ませていたCDが流れ出す。ノイズ混じりの声を張り上げる洋楽バンド。海の向こうで叫ばれる唄が、海を越えて今この小さな島国の小さな車の中で鳴り響く。
それが彼らの望んだ形なのか、自分には判断がつかない。けれども彼らの音楽が好きだと思う。
アルバムの曲が五曲目に差し掛かった時、ともりの大学に到着した。正門外にいるともりが軽く手を上げたのが見え、ウィンカーを出してそこに停車した。
「お待たせ」
「待ってないよ。迎えに来てくれてありがと、みーさん」
窓を開けるとにっこりとともりが微笑んだ。ずい、とまるで窓から入ろうとしているのかというくらい視界いっぱいにともりが割り込んだので少し身を引いた。イケメンのどアップだ。どうした。
「え、なに、どうしたの」
「別に? 早く行こうかみーさん」
「ん? じゃあ乗りなよ」
「ちょっと今都合が悪くてね」
「都合?」
首を傾げる。ひょいっと、フロントガラスから覗き込むように右斜め前を見ると、大学名の刻まれた奇妙なオブジェの向こうからこちらを覗き込むブレーメン状態の人間の首たちがわらわらと引っ込んだ。数秒待つと、またそろりそろりと現れる。
「……普段友達に私のことなんて言ってるの?」
「ありのままのことを」
「……自粛して」
嘆息して、少し下がるように手のひらを見せる。それほど粘らずともりが身を引いたので私も外に出て、オブジェに向かって頭を下げた。途端、わらわらと男女五、六人が出て来てこちらに向かってくる。我が家の在宅ストーカーはなかなかの人気者らしい。
「ミカゲさんこんにちはー!」「はじめまして!」「年上! 年上カノジョ!」「童顔!」「ちっちゃいー!」「髪不思議!」「カブラギのカノジョ! すげえ!」珍獣か。
「こんにちは、いつもともりがお世話になってます」
「違う、俺が世話してんの」
「リコみたいなこと言わないの」
高校卒業式の時、娘がいつもお世話になっていますと笑顔で言った母に向かいええお世話してますと真顔で言い切った愛すべきクラスメイト。ええ確かにお世話になっています。
「カブラギが窘められてる!」「カブラギが逆らわない!」「カブラギが甘い!」「カブラギがやさしいだと!」「詐欺だ!」「騙されてますよ!」「普段のこいつは本当冷笑! ってカンジで───」「黙れ有象無象」「ひでえ!」「……本当、お世話になってるみたいで……」
やんややんやと盛り上がる大学生たちをどうにか収めて、失礼しますとあいさつし車に乗り込んだ。走り出すとサイドミラーにわあわあ手を振る大学生たちが映り、ともりが振り向くこともせずちゃっちゃと小さく手を振ったことに少し笑った。
「ごめんねうるさくて」
「楽しくキャンパスライフ送ってるなって安心したよ。もっと家に呼んでもいいんだよ?」
「やだ。みーさん見せたくない」
剥れたようにともりが隣でぶつぶつ言うので何だか楽しくなってくすくす笑う。この人気者が。
「やめてよみーさん笑うの」
「えー、なんで」
「弟扱いされてるみたい。うちのともりが楽しく学校生活送れてるみたいでうれしいワー的な」
「そりゃうれしいよ、自分の好きなひとが外でたくさんのひとに好かれてるってことでしょ? ……え、なに」
まじまじと横から見つめられているのを感じて訊ねると、ともりは何やら深く息を吐いた。どこから吐き出したものだそれは。
「……たまにすごいこと言うよねみーさん。運転中じゃなきゃ押し倒すところだよ」
「運転中じゃなくてもやめてね……」
「ああでもキスなら出来るね。次の赤信号でキスしようみーさん」
「話聞いてた?」
隣に座る残念なイケメンにキスを強請られつつ運転するってどんな状況だ。
「……ともり、上着のポケットにスマートフォン入ってるから出してくれる」
「任せて」
「任せた……違う! 上着のポケット!」
「え? ブラウスの胸ポケットでしょ?」
「運転中! 運転中!」
「運転中じゃなきゃいいの?」
「話聞けえ!」
赤信号で頬を抓った。結構強く。
「いひゃい。ありがとうございます」
「もうやめようよそういうキャラ……」
「で、師匠にかければいいの?」
「そうしてください」
スピーカーフォンにされたスマートフォンが呼び出し音を吐き続ける。今度はワンコールではなかった。
『もしもし? 合流した?』
「したよ師匠。で、フルミ ナオミは今どこ?」
『大学だよ。C大』
「分かった、向かうね。また近くなったら連絡する」
通話を切る。一瞬だけ、沈黙が降りた。
「───ごめんね、付き合わせて」
「いーよ。みーさんといれるだけでうれしいし。それに俺のいないところで無茶してほしくないしね」
そう言ってからともりは言葉を選ぶような間を置いた。
「フルミ ナオミを疑ってるの?」
「……動機は十分だなあと思ってるよ。フルミ ナオミはニノ コウと婚約してさえいなければ、きっともっと違う人生があった」
「昨日聞いたのだとそうだよね。……でもさ、俺思ったんだけど」
形のいい眉が寄せられた。不愉快そうに。
「ニノ コウは自殺しようとしてたんじゃないかな?」
「……自殺?」
「そう。だけどそれを他殺に見せようとした。罪をみーさんに押し付けようとしたんだ。それでみーさんに電話した」
「ダイイングメッセージに見せようとしたのか」
「そう。逃げていった誰かは協力者。その上事実を全部黙ってる」
「……辻褄は合うね」
「いや、合わないよ。自分で言っといてなんだけど、無理があり過ぎる。卒業して以来関わりはなかったんでしょ? 何で今さらみーさんを陥れようとするのか分からない」
「ああ……それもそうか」
「みーさんがやったわけじゃないから、犯人は別にいる。恐らく単独犯で」
「……」
結局何かに近付けたのかそうでないのか分からないままC大に到着した。近くのコインパーキングに車を停めて、開放的な作りのキャンパスに足を踏み入れれる。
「違う大学ってわくわくするね」
「私の場合もう歳が歳だからびくびくする……」
「大丈夫だよ。童顔だから」
気にしていることを。むう、と膨れると、ともりが右手をふわりと攫った。
「あ」
「せっかく偵察来てるんだからさ。デートも兼ねようよ、カモフラージュにもなるし」
「キャンパス内でデートはしないと思う……」
「想い合う二人が一緒にいれば場所がどこであれそれはデートだよ」
変質者がいいことを言っている。普通に胸に来てしまい、手を解くタイミングを失った。
昼を過ぎ、授業中であろうキャンパス内は閑散としている。ディーから連絡があったということは、フルミ ナオミは今授業中ではないのか。
「フルミ ナオミはカフェテリアに向かってるってさ。あっちかな」
再びディーに電話したともりが軽く手を引き誘導してくれる。ディーはどこから見ているのだろう。目立つ容姿をしているだろうに。
「ねえ、訊いていい?」
「なあに?」
「師匠とはアメリカで出会ったんだよね?」
「そうだよ」
開放的なカフェテリアに入る。天井が高く、木目調の落ち着いた雰囲気の造りだ。羨ましい。私の通っていた大学は造り直したばかりだというのにカフェテリアはひとつもなかった。おかしな展示物が鎮座するガラス張りの立派な展示室はあったが。
飲み物を買い、なるべく隅の席に腰掛けた。二つのホットのカフェオレが、ゆるりとやわらかい湯気を立ち昇らせる。ほろ苦い香りの向こうに甘さを感じ、心がほっこりとする。
「恋人と二人で行ったの?」
「……その時はそういう関係じゃなかったけどね」
じゃあいつ付き合っていたのかと訊かれたら、付き合っていた期間はないと答えるしかない。そんな時間はなかった。だから彼氏というよりも、恋人というよりも、私の好きな男、というのが一番正しいのかもしれない。
「成り行きで一緒にアメリカに行くことになって、成り行きで一緒に過ごして、成り行きでそのひとの故郷に行って、成り行きで家族とか友人とか紹介されて」
そこでディーに出会った。そのまま成り行きで数日共にその彼と過ごして、そして運命に決められていた通り、彼と離れ離れになった。
───言えば、たったこれだけのことだ。
胸元、シャツの下に下がる真鍮のホイッスルの存在を感じながら、思う。
たった、これだけ。わたしが彼と過ごせた時間は十日間にも満たない。
───彼を失い、わたしがもう二度と元には戻れない程崩れ壊れたかは、言葉にも足りないし、時間にも関係がない。
「……来た」
「……あれがそうか」
ともりが小さく呟く。一人でカフェテリアにやって来た彼女は飲み物を買うと窓際の席に腰掛けた。ともりがさり気なく椅子をずらしなるべく私を隠すような角度で座る。離れているから大丈夫だとは思うが先ほど会ったばかりだから警戒するにこしたことはない。
「……本読んでる」
「誰かと待ち合わせしてるのかな」
「友達、いるの?」
「……うーん……」
「いそうだった?」
「……あんまり」
首を横に振る。そしてそのまま三十分ほどそのままでいた。フルミ ナオミはその間本を読み続けていて、時たま手を休めてマグカップを口に運んだ。それの繰り返し。何も怪しいところはない、授業と授業の合間の時間をくつろぐただの大学生だった。少しだけ気になったのは、
「……やっぱ誰かと待ち合わせしてるのかな」
テーブルの上に置いたスマートフォンをちらちらと気にしているところだった。誰の連絡を待っているのだろう?
「……今日はあんまり進展なさそうだね」
「うん。まあ、根気強く時間をかけて───」
その時、顔を上げていたフルミ ナオミがぱっと顔を下げた。あわてて本を手に取り読書していますというポーズを作る。
疑問はすぐに解消された。カフェテリアに明るい声が入り込んできたからだ。
「ナオミちゃん!」
明るい茶色のショートカットの女性が一人、うれしそうにフルミ ナオミに歩み寄った。
「やっぱり会えた! この時間空きなんだねー」
「き、キヨラ先輩もなんですね」
「そうそう! さっきまでサークル棟篭ってたんだけどさー、隣でコーハイがスプレー使いだして! もーシンナー臭くてたまらなくって出てきちゃった! あれだよね、自分の作業の時は我慢出来ても他人の作業だとどーにも我慢出来ない時あるよね」
ワガママだけどねーと笑うキヨラという学生は一度遠ざかりカウンターで飲み物を買うと再びフルミ ナオミに歩み寄り向かいの席に座った。
「もー、やっぱ部屋は広いとこ使いたいよねー。あ、でもいろいろわちゃわちゃ工具とか置いとくのも秘密基地っぽくていーよね」
「わ、分かります。……すごく」
「ほんと? ナオミちゃんほんと趣味合うー」
フルミ ナオミのあの部屋を思い出す。確かにいろんなものがごちゃごちゃとしていて秘密基地のようだった。内容物は置いておいて。
「ねえ、今度ナオミちゃんの作品見せてよ」
「えっ……と、」
「それで私の作品も見てほしい。こないだの展示会以外の作品もまだまだあるんだー。是非感想聞かせて?」
「あ……」
「気が向いたらでいいよ、いっつもいきなり押しかけてごめんね!」
「いえ、全然、別に」
「いい子だなー。是非うちのサークルへ! まっ、これも気が向いたらね!」
ぐいっとコールドドリンクを飲み干したキヨラが立ち上がった。
「ばたばたさせちゃってごめんね! また今度!」
「はい。……また今度」
嵐のように去って行ったキヨラをフルミ ナオミは見送ると、その姿が完全に見えなくなってから彼女も立ち上がった。マグカップを下げ、カフェテラスを出る。ガラス越しにじっと見つめていると、彼女はそのままキャンパスを出て行ったようだった。授業の合間ではなく今日はもう終わりだったのか。ということは。
「……あのキヨラってひとに会うためにここにいたんだ」
そう。それも偶然を装って、だ。




