詐欺師と箱庭 1
『ミカゲ、仕事増えた。今度やるやつ』
徹夜明け、では終わらず昼まで作業し漸く帰宅、シャワーを浴びて泥のように眠っていた私を、かつての先輩であり今の上司は情け容赦なく電話で叩き起こしてくれた。
「えええ、どういうことですか……殺す気ですか……」
『お前の命を刈り取る時は直接手を下してやる』
「ああ、それはどうも……ねえマノさん、休みが欲しいんですけど」
『奇遇だな、俺も欲しい』
どろどろに疲れた声で訴えるがかつてのかわいい後輩であり今のかわいい部下の訴えはマノ ヒロキのクールな声でさくっと流され、私は嘆息した。結局のところ、仕事がもらえるだけありがたい話ではあるのだ。
自分の第二の仕事であるブライダルの記録撮影ビデオカメラマン。土日は潰れるが一日数時間の拘束でそれなりの額はもらえるし、ソフトを使い映像処理をするのも不得意ではない。自分のスキルに合った仕事ではある、が。
『挙式は待ってくれないからな』
「未来で待ってる」
『行く、すぐ行く、走って行く』
「マノさんが来ても嫌だ……」
『言うな……何時ごろ帰ったんだ?』
「ん、今日のお昼過ぎです……朝十一時頃までやって、バラシ。タク送」
『ああ、電車あってもタク送だったんだ。よかったな』
「ふらふらでしたからね……ふわぁ」
『悪かったな変な時間に』
「いーえ。マノさんもお早いお休みを」
ちらりと視線を壁にかかった時計にやる。深夜二時四十六分。そこそこの時間だ。
『データ送っといたからちゃんと起きたら返信くれ。夜が明けてからでいいから。お疲れ』
「さまでーす」
マノがお疲れと言って、私がお疲れ様ですのさまです、を言うのは学生の時からの決まりあいさつみたいなものだった。通話を切り、少しだけ冴えた頭でメールボックスを開く。Eメールではなくパソコンで取得したアドレスのボックス、マノからのPDF付きのデータメール。ざっと流し見て、とりあえず朝が来たらきちんと確認しようとホーム画面に戻る。
ともりからメッセが届いていた。仕事は終わった? 危ない人が多いから気を付けて帰ってねというもので(ありがたいが、お前が言うな)時間が遅いので一瞬迷ったが『今家にいます。ありがとう』と返す。
小さく息を吐きながら続けて携帯を弄ると、ディスプレイに表示が出ていることに気付いた。一件のメッセージと一件の着信。二時二十四分。
登録していない番号からのものだった。見るともなしに数字を目で追って、
「───」
その番号が、
瞬間、携帯が震えた。
「っ!」
叫びそうになってのを必死に堪えて携帯を強く握ると、震え続ける携帯のバイブ音が篭ったようになった。あわてて確認すると、先程とはまた違う知らない番号が通知される。
震える手でボタンを押し込み、耳に当てた。
「───もし、もし」
『───夜分遅くにすみません』
がやがやというひとの温度を帯びた音に遠くから車の音。電話の相手は今、外にいる。
そしてその声はこういう意味合いのことを言った。警視庁だ、と。
「ミカゲさんですね。夜分遅くにすみません。わたしは警視庁のキノシタです」
家に上がって来た二人の男のうちひとりは申し訳なさそうにそう言った。続けてもうひとりがカサイです、と名乗り、私はいいえ、と口の中でもごもごと返事をして二人を中に通した。刑事さんだって警視庁だって。どうしよう何飲むんだろう? コーヒー? お台場の警察ドラマでは捜査会議の時コーヒーがよく飲まれていたような。じゃあコーヒー? ……しまった今切れてる。お茶しか……いいやもう刑事だろうと人間でしょ? お茶でいいよお茶で。
判断力が鈍っている。というより、何を判断したらいいのか、それすらよく分かっていない。
「すみません、全く状況が読めないのですが……」
キノシタは動揺と取ったらしく、落ち着かせるようなやわらかい口調で、
「失礼しましたミカゲさん、ニノ コウさんはご存知ですね?」
「はい……まあ」
「ご友人ですか?」
「いいえ」
友人ではない。だがニノ コウとの関係を聞かれると少々困った。どう説明すればいいのだろう。
「そのニノさんから二時半頃電話がありましたね?」
「……はい。気付きませんでしたが」
「電話はすぐに切れているようなので、仮に気付いたとしても間に合わなかったと思います」
「……あの、なにか……?」
「ニノ コウさんが階段から落ちて運ばれました。事件性があります」
どくん、と嫌な音を立てて心臓が鳴った。思わず唾を飲み込む。
「だ……大丈夫なんですか、彼は」
「気になりますか?」
「いやそれは……なるでしょう、全く知らないわけではないんで」
「というと、どの程度なら知っていると?」
「は……」
指先からあたたかみが消えてゆく。左手で右手の指先を包むように握った。
私は疑われている。
「……ニノさんは病院に今います。命に別状はありませんが、頭を強く打っていて意識が戻りません」
「───」
ひゅ、と、咽が鳴った。
「聞き込みをしたところ、目撃証言がありました。ニノさんが落ちたのは外に面している非常階段です。ミカゲさんに電話をかけたのとほぼ同時刻に階段を駆け下りる人影があったと言っています」
「男ですか、女ですか」
「気になりますか?」
「……」
「深夜で遠目だったこともあり、男か女かは分からないそうです」
「……そうですか」
「ミカゲさん」
キノシタの表情は、変わらずやわらかく触れやすいように見える。けれども一度もその表情を崩さない律に私の背筋はすぅっと冷たくなった。
「午前二時から二時半の間、あなたはどこで何をしていましたか?」