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詐欺師と箱庭 12


 ドアを開けると備え付けられていたベルがからんからんと鳴った。はっとしたようにドアに背中を向けていた女性が振り返る。真っ直ぐに見据えると、その女性の細い咽が唾液をこくんと吞み込んだのが見えた、気がした。

 席を案内しようと近寄ってきた店員に待ち合わせなんですと小さく微笑み、彼女に歩み寄る。

 こつ、こつ、こつ……たった五歩程度で、彼女の前に立つ。

「───こんにちは」

 はじめまして、とは言わなかった。

「フルミ ナオミさん」

「───はじめ、まして」

 フルミ ナオミは喉に引っかかったような小さな固い声で返した。

「ミカゲと呼んでください。───それで」

 席に座る。彼女と向かい合う、真正面の席。用意された、私の席。

「ご用件は」

 ゆったりと笑う。ここにいるのはミカゲという女でも自分でも何でもない気がした。

「……誰にも言っていませんか?」

「あなた手紙をもらったこと? ここに来ること? ええ」

「本当に? あなたの彼氏にでもですか?」

「彼氏ではありませんが、伝えていませんよ」

 やはりともりのこともばれていたか、と胸中で小さく思う。隠れて一緒に住んでいたわけではない。当然か。

 ここでフルミ ナオミは予想外の顔をした。困ったような、困惑したような表情を浮かべたのだ。

「……彼氏でもないひとと同棲しているんですか?」

「え?」

 早朝ポストに『誰にも言わないで来い、勿論一人でな』的な文章を直接投函し呼び出した相手が言うに相応しくない言葉な気がした。もう少し言うと、『被害者の婚約者が容疑者に言う言葉』ではない気が。

「あ……婚約者、ということですか」

「い、いいえ。違います」

 まだともりは学生ですって違うこれ何の話?

「……? 婚約者でも彼氏でもないひとと同棲……ですか?」

「……在宅ストーカーです」

「え?」

「……在宅ストーカー、です」

「……」

「…………」

「…………」

 へにょり、とフルミ ナオミは情けない顔をした。

「それって大丈夫なんですか?」

 その言葉がとどめだった。完全に脱力して肘を付いて頭を支える。どうなってる。どういうことだ。

「いや分かってますよ、傍から見たらおかしいというか非常識なことくらい。でもやましいことは何もありませんし、学生とはいえ相手も成人しています。法的な問題はありません。大丈夫です」

 常識的な問題はあるけれど。とりあえず今はいい。今後も考えようとは思わない。

「フルミさん、今朝うちのポストに直接手紙を投函しましたね」

「え?」

「え?」

「……えっ?」

 フルミ ナオミの顔がさあっと青くなり、赤くなり、青くなった。やぼったい眼鏡の奥の瞳が見開かれる。

「み、み、み、見てたんですかッ!」

「起きちゃったんですよ、ポストの音がしたから」

「どれだけ耳がいいんですか! あの時間なら寝てると思ったのに!」

「た、たまたまです。それより、え? 手紙を出したことじゃなく姿を見られたことが問題なんですか?」

「あの格好を見られたことが問題なんですっ」

「え? ゴスロリ?」

「やああああっ」

 勢いよく立ち上がり口を塞がれかけたので咄嗟に手を払った。ぺしゃっと勢いを流されたフルミ ナオミがよろめく。

「だ、だ、だだだって誰も見てないと思って、思って!」

「……誰も見てないと思ったからあの格好をしてたんですか?」

 立ち上がったフルミ ナオミの格好を上から下まで見る。グレーのカーディガンにオフホワイトのブラウス、黒のロングスカート。踵の低い靴にストレートロングの黒髪。黒縁の眼鏡。

 整えればきれいな顔立ちだろうが、それを押し隠すかのようなやぼったさがあり結果地味な女性になっていた。今朝のブロンドはいずこへ。

「趣味でしょう? 何をそんな隠すこと……」

「『そんな』───ですか」

 かくん、と。

 何かに裏切られたかのような風に言って、そのあと、疲れた顔でフルミ ナオミは笑った。く、と胸の奥が苦しくなる。この手の貌に、昔から弱い。

「ごめんなさい。あなたにとっては大事なことなんですね。失礼しました」

 口調を変えて、きちんと相手に向き合い座るよう促す。少し驚いたような顔をしてから、腰掛けた。

「『誰にも言わないで』は、万が一知られたとして、そのことも含めだったんですか?」

 ややあって彼女は小さくうなずいた。視線をテーブルに落とす。

「フルミ ナオキさんの妹さんで、ニノ コウの婚約者なんですよね?」

 ふるっと彼女は震えた。それから、ほんの僅かにうなずく。

「あなたが───」

声も震えていた。青褪めたた顔を上げ、同じく青褪めた唇が、見開かれた眼が、真っ直ぐに向けられる。

「あなたがコウさんを突き落としたのですか?」

 沈黙。

 どう答えたら正解なのか───

「───違います」

 ふるり、と首を横に振る。

「私じゃありません。証人はいませんが、私はその時家で寝ていました」

「……じゃあどうして、兄はあなたと会っていたんでしょうか?」

 口調が暗く澱む。昨夜のことか。何故知っている、かは───

「……お兄さんに尾行を着けていましたね?」

 ぴくりと肩が震えたのが確認出来た。

「それでそのあと、私にも見張りを付けたんですね?」

 昨晩の視線はそれか。と同時にきめ細かい薄ら寒さが項をぞろりと撫でた。昨晩?

「……興信所とかのひとですか?」

「……そうです。すみません」

「それは昨夜から、私がお兄さんと別れたあとからですよね?」

「兄を着けていたスタッフさんから、兄が女性と───あなたと会っていると連絡を受けたので、増員をお願いしてあなたと兄が別れた時から着けてもらいました」

「……」

 じゃあ誰だ───

 一昨日、私を襲って来たのは、誰だ。

「……ミカゲさん?」

「え?」

「……気を悪くされましたよね、謝ります」

「え? ああ。いや……」

 つい、空恐ろしい顔になっていたのか───ふっと取り繕い、苦笑いを作った。

「いえ、まあ……この状況下でお兄さんがわざわざ誰かと会っていたら、疑いますよね」

 けれども、しかし。

「……あなたはそもそも、私の存在を知る前は───お兄さんがニノ コウを落としたと思っていたんですか?」

「……可能性はゼロじゃないと、思いはしました」

 そうだろう。そうでなければ、そもそもフルミに尾行は付かない。

「……それはどうしてですか? 何か理由が───」

「……すみませんが」

 少し怯えたように、声が震えた。

「お答えしなくてはなりませんか?」

「……私も尾行を付けられていたんですから、その辺はお詫びのつもりで教えてほしいですけどね」

 ぼそりと、けれど聞こえるようにトーンを落として言うと流石に居心地が悪くなったのかフルミ ナオミは身動ぎした。

「……厚かましいとは思いますが、これは」

「……そうですか」

 無理か。まあ、会ってすぐの人間をそこまで信用出来る訳ではない。

 カランカランと、ベルが鳴る。ドアが開き、誰かが入って来る。見るともなしに見ていると、異国の男が来店していた。穏やかに日差しが降り注ぐ、こちらのひとつ前の席に案内され、満足そうにメニューを開く。

「……」

 楽しそうでいいな……と一瞬うらやましくなって、それから一気に疲れを感じて溜め息を吐いた。

「私は家で寝ていましたが」

 言外に、私はもう答えたぞ、と含ませた。

「あなたのアリバイは? その時どこにいたんですか?」

「……ないです。その時は丁度……外にいました」

 随分とそちらの都合のいいように答えるなあと苛立ちもあったが、困ったような顔をされてこちらも少し困った。そうっすか! お互い残念っすね! とは勿論言えない。

「……ミカゲさんは、コウさんに虐められてたんですか?」

 ……フルミ ナオキとの居酒屋での会話は、興信所の人間から聞いていたのだろうけれど……結構ずけずけと訊いて来るタイプだ、この女。いや、訊かなきゃ話が進まないとそう判断したのか。どちらにしろ答え難い。婚約者に向かって。

 情報を聞きたい。けれども警戒故こちらの情報は最小限に抑えたい。───そんな思惑がひしひしと伝わってくる。別にいい。この女何を勝手にと苛々はするが、いい。普通警戒くらいするだろう。気に食わないけれどいた仕方がない。

「まあ確かに……折り合いはよくなかったですね。でも私以外のひととは上手くやっていましたよ。教師からの評判もよかったです」

 そんな出来た人間と折り合いが付けられなかったのかと思われたらきついな。と思った。フルミ ナオミがさらに困った顔になる。

「コウさんは人当たりのいい穏やかなひとだと思うんですけどね……」

 傷口に塩を塗り込んでくれてどうもありがとう。知ってるよ。

「はあ……ええと、あなたは。ニノ コウのことが好きなんですよね? あんまりこの話は楽しくないんじゃ」

「すき?」

 異国の言葉を復唱するように、フルミ ナオミはこちらを遮った。口にすること自体が奇妙なような、そんな口ぶりで。

「すきとか、きらいとか───関係ないですよ」

「え?」

「婚約は私たちが幼少の頃から決まっていました」

 そこではじめて、違和感を感じた。───感じて、ぞっとした。

 少しおっとりした世間慣れしていないマイペースな女性───そう思っていた女が、無表情でも笑顔でも泣き顔でも困り顔でもない、ごくごく普通の表情で、狭く閉ざされた世界の決まりごとを語る。

 そのことが本当に奇妙なことなんだということも識らずに。

「だから結婚するんですよ」

 おかしなことを仰るひとですね。そんな風に続くような空気で、彼女は笑った。無理のない、自然な笑顔だった。




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