10 またね
迷宮の出口が見えてきた。
そこは己の知らぬ場所で、己が見たいと思った場所。
―――本当にそうか?
己の中で疑問が鎌首をもたげる。
己の前には己が立っていた。
牙を剥き、今にも襲いかかってきそうな程の暴力性を秘めた己がそこに居た。
『俺は本当に外を見たいのか?』
「然り。己は外を見たいのだ」
『なぜ外に出ようとする?何故外を見たいと思う?』
「心の赴くままに従っているだけであろう」
己は己を睨みつけてくる。
これは幻の類ではない。間違いなく己であろう。
己がねじ伏せた獣性。それが今目の前に居る己。
そして己は何故か憤っている。
『別に迷宮の中で過ごせばいいではないか。外に出る必要などない』
「迷宮を出ると言っているのではない。ただ、一目見ようとしているだけだ」
『ならば今でなくてもいいではないか。何時でも見られる。時間はそれだけあるのだから』
獣は恐れているのだと気付いた。
頑なに外を拒絶する己に問いかける。
「何を恐れているのだ?」
『なに…?』
「己は何故外を恐れる?」
『違う!俺は憤っているのだ!』
「己にはそうは見えない。何せ己は己自身なのだから」
そう、己自身も気付いていなかった恐怖があった。
それは獣性のおかげで気付けた自身の気持ちだった。
『…俺が世界の意思といった物を見せてやろう。それで理由がわかる』
己が己の額に手を当てる。すると一瞬の時間に膨大な時間の奔流が頭に到来する。
穴蔵での生活。死ぬ仲間。襲われる日々。殺し合いの日々。
恐怖。悲しみ。怒り。憎しみ。諦め。
己がまだ人だった頃の記憶。
『ここは俺達の揺り籠だ。俺達の怒りを、悲しみを、憎しみをここで洗い流す。俺達は全てを忘れ獣に堕ち、やがて無へと還る。無垢になった魂はやがて地へと帰り、俺達は新たな生を授かる。いずれ外を見る事が出来るのだ。今である必要はないだろう』
獣の、いやかつての己の言葉は間違っていない。だが、それは目の前の己の話なのだ。
「それでも己は外を見たいのだ。己はかつての己ではない。己はここで生まれた。己はここで出会った。己は知りたいと思ったのだ」
己は腕の中に居るアイーシェに意識を向ける。
彼女との出会いは殺し合いからだった。
己は己の意思をその中で勝ち取った。獣性と理性と考えていたが、己はあの場で生まれた無垢なる魂なのだろう。
そして外の事を知った。アイーシェという存在が教えてくれた。
『だが、人は嘘を吐く』
「それは獣とて同じ事。また、時には仲間にすら嘘を吐くだろう」
『それが分かっていてなお、外に行くと言うのか?』
「恐れているだけが正解ではない。時には恐怖に打ち勝って、その一歩を踏み出すことで道が開けることもあるだろう」
『…どれだけ言葉を重ねても無駄だと分かった。俺はそのまま外に出て絶望を知るがいい』
そう言って己は目の前から消えた。
だが、己は己。決して己の中から消えたりはしない。
壊すということのみを訴え続けていた獣性は今は静かになった。
あの己との語らいの時間は刹那の時間にも満たないものであった。
己の中に芽生えた期待とは違う感情、恐怖。
だが、それでも己は外が見たいと思ったのだ。
「行くか…」
「…ええ」
* * * * *
私はこのままでいいのかと自問し続ける。
生き物は死んだら新たな命となって生まれてくると言われている。
しかし死んでも新しく生まれなおすことが出来ず、死んだ場所で留まり続けることがあるとも言われている。
それは幽霊だとか、お化けだとかと言われる類のものだ。
そんな話を信じている人はいない。
悪い事をしたりすると死んだあと酷い目に遭うという子供への教訓のはずだ。
しかし、この話はどうして生まれて来たのだろうか?
人の想像というのは可能性を秘めている。
だが、それと同時に現実に起きた事を勘違いしてそう言い伝えることもある。
先ほど見せた魔物の動き。あれは確かに人の生み出した技術だった。
もしかしたら魔物というのは人が死んだあと、新たに生まれる事が出来なかった姿なのではないだろうか?
獣性と理性の拮抗についても考える。
あれはかつての自分と生まれ変わる自分なのではないだろうか?
迷宮とは輪廻の一部として組み込まれた世界の構造なのではないだろうか?
「アイーシェよ」
「…なんでしょうか?」
魔物が考え込む私に声を掛ける。
最早この魔物の事を恐ろしいとは思っていなかった。
逆に自分は最低だと思ってしまう。
そんな私の心情を察しているのか魔物は穏やかな声で私に語りかける。
「人は時に嘘を吐くだろう。それは人を傷つけるだろう。時に命を落とすだろう。だが、それが全て悪い事だとは思わないのだよ。良い嘘というものもある。嘘ではない事もたくさんある。そして嘘に救われる者も数多くいるのだ。アイーシェよ。君は己に嘘を吐いた。だが、己はそれを裏切りだと言うつもりはない。己はこうして君と出会えた事は幸運だと思うのだ。君と出会わなければ私は迷宮の中で探索者を待ち続けるだけの存在となっていたかもしれない」
それは私の嘘を嘘だと知っていたということ。そして私の事を責めないという言葉。
だが、私の中に芽生えた罪悪感が許しの言葉を拒絶した。
「私は仲間に裏切られたのです!仲間に嘘を吐かれ、仲間に憤り、仲間を殺そうと思いました!なんとしても生きなくては、そう思いました。貴方に嘘を吐いて、貴方に自分を守らせて迷宮の外に出ようと考えました。私は貴方が外に出れば倒されると言う事が分かっていながら何も言いませんでした!」
「だが、己はそれでいいのだよ。己はそれがきっかけで己という存在に気付けた。己の過去と向き合った。世界の意思なんてものはなく、世界はただただ見守っているだけなのだと。そして悩み立ち止まっている者に手を差し伸べているだけなのだと」
「やはり貴方は…」
「気付いていたのか。私はかつて憎み恨み嘆き続けた。強い想いは己すら縛りつけ己という存在を雁字搦めにした。世界から目を背けようとし、世界はそんな己を優しく包み込んだのだ」
「それでも私はそんな貴方を騙したのです」
「己はそれをありがたく思う。ありがとう、アイーシェ」
「どうしてお礼を言うんですか!こんな私に…!」
「己が今こうして理性的にいられるのはあの時君が居たからだろう。己の心はもう荒んではいない。かつてあった事はもうどうでもいいのだ。怖がっていてはいけない。踏み出す勇気というものが必要なのだと気付けた。それは君が己に嘘を吐いた事で成し遂げられた事だ。だからありがとう」
私の頬はいつのまにか濡れていた。感情が高ぶり、言いたい事が喉から出てこない。
そんな私の頬を魔物は拭い、私を地面に下ろして言った。
「さあ、もう行こう」
私の手を握り、幼子の手を引く親の様に。
迷宮の外の光が私たちを包み込む。
そうして私は迷宮の外に辿りついた。
* * * * *
あれから私は探索者をやめた。
クライヴとケヴィンはそのまま探索者を続けたが暫くして死んだそうだ。
己の力量を見誤ったのは彼らだが、自分にもその原因の一端があるのではないかと今になって思う。
ドノヴァンはと言えば彼もまた探索者をやめた。
クライヴとケヴィンについて行けなくなったと言っていた。
そして私のところに来て謝ってきた。
迷宮に置き去りにした私に謝るというのは中々出来ないことだろう。
彼と出会っていなかったらドノヴァンを殺していたかもしれない。
そんな私はドノヴァンに嘘を吐いた。
怒ってない。気にしていない。あれは仕方のないことだった。
ドノヴァンは救われたような顔をした。そして涙を流して私が生きていた事を喜んでくれた。
嘘は時に人を救う。それは彼が言っていた通りだった。
そうそう、あの迷宮はあのあと魔物が湧かなくなった。それも当然だろう。
迷宮が生まれた原因がいなくなったのだから。
そして私は迷宮を解放したことでかなりの報酬金を得た。
外を恐れてはいけない。
外は嘘に塗れているがそれと同時に優しさにも満ちている。
それを教えてくれたのは彼だった。
私はそんな彼と出会った迷宮の研究を始めた。
言葉を解する魔物の噂があれば直接会いに行ったりもした。
彼らは外を、人を、嘘を恐れていた。
そして私は彼らの手を掴むのだ。
かつて彼が私の手を引いてくれたように。
かつて私が彼の心を救ったように。
「じゃあ皆殺しにいきましょうか!」
「ソレ…ハ…」
私は嘘を吐く。
* * * * *
迷宮の外に出た己は暖かい太陽の光を見て呟いた。
「空は変わらない。変わったのは己だったのか…」
全ては己の在り方次第。
世界は変わらず己が変わる事で見える世界が変わるのだろう。
拒絶だけでは生きていけない。
結局かつての己は拒絶を続けただけだ。
己の仲間を信じず、敵を作り続けた。
考えてることが分からないものは恐ろしい。
優しい嘘というのは、相手を理解しなければ出来ない事だ。
「またな」
いまだに涙を流しつづける少女に俺は別れの言葉を告げる。
それは再会の言葉。
いつかまた会えるだろうと嘘を吐く。
「ええ、また」
それに少女は泣きながら笑って答えた。




