第4話. 川くだり再び
1.
フェルフェルサの野の農民たちがヒクイドリと共に暮らし始めてから、三旬(旬=季節)が経った。
この国では5日を一周間と数える。さらに10周間をもって一旬とする。十の旬の組み合わせが一年だ。サグネリ聖大公の有する広大な領土は、守護太陽神群の恩寵により気候が恵まれており“冬”が稀にしか訪れない。フェルフェルサ地方の一年は7度の夏と3度の秋の組み合わせによって成っていた。各旬の呼び名は、守護神なる14柱の太陽神のうちから、それぞれの季節に由縁のある十神を選んで名付けられている。
いまは“第二の秋”(=この季節名は“爽かなる熱風”インネルプスレンヌス神に由来する)に移り変わっていた。農家にとっては最も忙しい旬のひとつである。エニステ少年の畑も2回目の鳩麦の収穫を終え、烏麦は収穫間近までの段階まで育て、続いて植える予定の燕麦や仔麦のための新たな畑を拡げ始めていた。二旬前から造り始めた火喰鳥のごはんの果樹園の育ちも順調だ。
「西方の異国の珍鳥の飼育には惜しみない援助を」の約束通り、政府からの補助は珍しく厚かった。異鳥は異国の珍しい果実しか食べず、それはこの地では収穫できぬので、当初は4人の飼育卿が1日置きに大公都の大植物園で特別に栽培されている樹果を大量に運んできた。やがてフェルフェルサ担当の飼育卿の人数は8人に増員されたそうで、村人は個々学識深い飼育卿たちから益々懇切な助言を受けられるようになった。すべては大公聖下のなみなみならぬ御関心の賜物である。祝日ごとには聖公ご下賜のお菓子が届けられた。飼育卿というのは官位は低いが歴とした聖大公都の貴族である。彼らは皆が親切で、飼育上の助言だけでなく鄙びた農村の民の文化生活の充実も図ろうとしているかのようだった。都で流行しているという料理や甘味、嗜好飲料、葉巻、服飾、装飾、管弦、建築、入浴法などのさまざまな見知らぬ物を村に持ち運び、村人は大公様の善意のおこころざしに心からの感謝を覚えることになった。
更に大公は遠いアノファルダナ炎王国に請うて植物の権威を呼び寄せた。火炎鳥が好む背の高い七色の西方果樹を大々的に育成するためである。ただしその果樹が当地に根付くには数年がかかるとのことだった。各農家の大屋敷の前の日当たりの良い広大な敷地が果樹園にするために切り開かれることを強いられ、馴染みない変な苗がたくさん植えられることとなったので、ふるさとの景色が大分変容した。でもそのための費用と補償は政府から存分に支払われたので、誰も不満は抱かなかった。
更に、炎王国の向こうにある伝説的な大国“象の王国”エレアント公爵領に特産品として生える黄芭蕉の細長く曲がっている柔らかい実を恐鳥がとても好むというので、大公は隊商を仕立てて採りにゆかせたという。その隊商が帰ってくるのは1年後だ。アノファルダナから派遣された植物医学の権威の人の来訪によってフェルフェルサには果実だけでなく諸々の麦栽培にも新たな技術が導入されることになり、将来の更なる収量の増加が見込まれた。平原の中央には巨大な石炭貯蔵庫が建設された。治安のための警邏隊の巡回頻度が増え、「国民の守護神」である“大公軍の誇る素晴らしい騎士さま”の小山のような勇姿も、以前にも増して頻繁に見られるようになった。
だがしかし、少し前から、事情が変わり始めていることに村人は気付いた。
村にやってくる飼育卿の皆様方が焦っている感じなのだ。火喰鳥のエサの量があからさまに増え、その異国の珍しい果実の種類も増え、良質のそれらを手に入れるために苦労している様子(国内ではまだ産出しないから)が察せられた。「栄養剤」と彼らが呼ぶ食品も、次々と違う物が投与された。最初は「火炎鳥は孤独を好むから繁殖期以外は各農家ごとに単独で飼う」と言っていたのに、その繁殖期が意外と長い(数季節に及ぶ)ことが分かり、飼育評議会の緻密なスケジュールにより「お見合い」と称する鳥の移動交流が頻繁におこなわれることとなった。飼育担当者であるエニステも子供なのに幾度も随行を求められ、父母は息子の幼齢を理由にそれを断った。ヒクイドリは縄張りを大事にし、かつ人見知りですばしこい生き物なので、飼育卿の計画表は一見慎重でありながらも効率的に広い平原を巡れるよう精緻で無理がかった複雑なものとなり、鳥の気を荒立てぬよう随行団の編成も気を遣ったものとされた。飼育卿と一緒に来る監察官の偉い人の顔はいつも違うものだった。
「エニステくん、火炎鳥が一番喜ぶことって何かしら?」
「狐や狸を追いかけ廻すこと」
「火炎鳥はどういう時にくつろぐの?」
「人や牛をぞんぶんにつつきまわしたあと」
鳥の飼育農家にはより煩瑣な飼育日誌の提出が求められ、文字を書くのを億劫がる農民たちの元に飼育卿が詰めて毎日時間を掛けた聞き取りを行い、更なる緻密な鳥飼育計画作成の助言及び、成果の出ていない現状の見直しを暗に強く迫るのだった。
彼女たちの焦りは、すべてが大公のせいだった。
飼育卿からはやがて頻繁に「大公様が」「大公殿下の思し召しが」「急がないと」というフレーズが出るようになり、遂に、秋の乾いた茸の香りのする強い風の吹くある日、仰々しい服装の護民卿が村にやって来て、村人たちに以下なるお触れが発表された。(といってもフェルフェルサの平原は広いので、護民卿は各戸を巡って律儀に一軒ずつ布告を伝え、飼育卿たちが申し訳なさそうにその後ろに随従していた)
「三旬ものあいだ、ただひとりも雛仔を献上せぬ事、当事者に統治者に対する謀反の意があるとみなさざるをえない。謀反者は刑に処す」
「なんと!!」
農民たちは驚き慌て、その日のうちに集会を開き善後策を協議することになった。とりあえず平原一の農場持ちとしてエニステの父が場所を提供し、“髙嶽御殿”(エニステの父の家である)の大広間におよそ50人の平原の主立った農主とその係累が集まった。
夜が遅かったので子供のエニステは同席を許されず、でも自分の家なので、天井の梁を伝って下から見られぬように話を聞ける位置まで行く方法を知っており、寝床に母と婆と弟を目眩ます藁人形の仕掛けを施してから天井に忍び、誰にも気付かれずに上の方からエニステ少年も事態を把握することが出来た。
「わたしたちも大公様の使令に何度も事情を説明したのよ。農家の皆は熱心にやっているって。火炎鳥はそうそうポンポンとタマゴを生むような動物じゃないって」
と、飼育卿たちの束ね役であるワスワテリ殿(40歳ぐらいの男性)が皆に向けて言った。
「でも、大公殿下はとても忙しく気が変わりやすい方だから」
「それにしても突然すぎるし不可解すぎますぞ。反逆の心なぞただの一人も抱いとりませぬ」
とエニステの父は力強く抗議した。
「そうだ、われらは世界一、大公領に対し忠に厚い農であることを自慢に思っているほどだ」「我々の生活の安寧は大公様あってこそのことじゃし」「ワシの女房なぞ代わりに卵を生んですぐさま献上したいと叫んで寝込むほどじゃぞ」「何故に鳥が玉子を産まないことが反逆なのだ、税は重いがきちんと払っとるぞ」「我らの何が悪いんだ」と、農場主たちが口々に喚いた。
「わかってますわかってますって。貴方方のことは私達はよく知ってますし、大公府にも何度も根気強く説明申し上げてますって」
「だったらば何故!」
ワスワテリ殿は困った顔をしながら農民をなだめようとしたが、言葉が見つからないのだった。
「うーーん、大公殿下はとても気まぐれだから・・・」
「大公殿下のご真意をお聞かせ願いたい。本当にこの野の皆が投獄されるのか?」
とオトラトの父の“鉄人”オトタスタが語気荒く尋ねた。
「もしかしたら首を刎ねられるのか?」
「まさか! 大公殿下が本当にその気なら護民官と一緒に騎士団も来てとっくに全員ひったてられてるはずだわよ。今回のこれは大公殿下の愛情だと思う」
「刑に処すと言われたのにか!」と“華陽院の荘”の主人デエルネトが叫んだが、「だってあの聡明で果断な聖公が具体的な刑の内容を明示してないし刑の即時執行を指示してもない。大公殿下は意図的に貴方方に対して一拍置いていると思う」と飼育卿の長ワスワテリ殿は淡々と言った。
「たかが鳥が理由で罪に問われることなんてあるの?」
と“光の翼の御殿”の女主人ウェベルネータが問う。
「あたしは大公様と侯爵様からお預かりした鳥たちを、それはそれは大切に慈しんでいるわよ」
ウェベルネータ夫人は、エニステ少年と似たような経移で今では3羽の火喰鳥の面倒を見ていた。後に“火の胸の女”の呼び名で知られることになる女傑である。火喰鳥を現在複数羽飼育できているのは、エニステの家とこの人だけであった。
「この鳥ってそんなに大それた物なのかしら。むしろこんな変な鳥、20もいて一羽も死なさずに維持できてるってだけで立派なんじゃないかしら」
それを聞いて飼育卿の面々は「死なすだなんてそんな恐ろしいこと」と顔をぶるぶるさせたが、
「・・・うううーー、それは私のせいかも知れません・・・」
と小さな声で手を挙げておそるおそる発言したのは、ヤネウェリという名の飼育卿だった。30半ばぐらいの彼女は貴族様だというのにとても地味な服装と顔をしていた。確かウェベルネータ女主人の家の火喰鳥の担当だったはずだ。
「光翼夫人の三羽の火炎鳥の日々の戦いとあしらいがそれはそれは見事すぎたんで、わたし、感激しちゃって報告書書きに力を入れ過ぎちゃったんです。ちょっと表現過多すぎちゃったみたいです。それが娯楽にお飢えの英明で鋭敏な大公陛下のお目にとまったそうで、異国の諸侯の集まった大晩餐会で披露され、後日直々に光の翼の夫人の匠の術に対するお褒めの言葉をもらっちゃいました」
「あら、そうなの、光栄だわ」
「特に晩餐会では大公殿下の姫君が大喜びだったそうなのです。公女殿下は古代生物とか世界の不可思議な事象とか珍奇現象話とかが大好きであらっさられるので。なので次はここのアマステリから聞いた小さなエニステくんと5羽の巨鳥のことを派手に誇張した絵本にして姫君に贈呈しました。するとまた姫君が御歓喜なされたそうで、その原本は大公の大圖書局に廻されて豪華絵本に複製されて400部出版されました。なので次は「火炎鳥の主食は石炭と石油」「火炎鳥は何度も火の中から蘇る、その神話と歴史」「火の鳥殺人列伝」「火の鳥の口から吐かれる7種の火の違い」「火の鳥の火をお守りにしてかばんに入れると幸せになれる」「王鳥は果物を食べることによって森と麦を護る」「海面上昇と火炎鳥」等の豆知識をたくさん集めた知恵本を公刊予定にして準備中なところなんです」
「・・・おいおい」「鳥は火を吐かねえぞ」「食いもしねえぞ」「意外と臆病だぞ」と人々は口々に言った。(それはどうかな? と聞いているエニステは思った)
「ともかく、おそらく公女殿下が激しくお望みなのですわ。大公陛下はそれはもうお姫様をおかわいがりですから。今すぐさま献上せよ、できないなのならば全員首を刎ねてしまえ、との御下命があっても不思議ではない位だと思う」
「大公家の家銘は華麗に・拙速に・果断に ですもんねえ」
「そんな無茶苦茶な!」
「大丈夫よ、あのお気の短い御方がそこまでまだ仰られてないのですから、まだ少し大丈夫って事」
「卵が生まれるのを待つではなくて、この鳥をそのまま献上するのじゃいけないのかしら。どうせ持て余しているのだし」
とウェベルネータ夫人が言った。それに対し、ワスワテリ殿が悲しそうに言った。
「それはかなわぬと思います。サグネリ大公は頑固な方なの。一度アノファルドの侯爵と約束してしまっているから。珍鳥ジュルベルデネ(火炎鳥)は友好国の君主から当地の村人への贈り物なのです。大公の思し召しとしては、伝説の王鳥が伝説となり得るいきさつを経て、大公の王土で繁殖し、再び大公の元へ帰還したという逸話が欲しいこと。「珍しい鳥だから手元に欲しい」と言う願望は聖下の御中には無いと考えないとならないの。村人から直接お取り上げになるだけでは大公殿下は満足なされないし、近隣諸国へも自慢できないわ。大公の太陽と大地の恩寵の結晶(雛鳥)の忠節なる民による献上という形を取らなければならないの。大公は最初にあなたがたとそういう約束をされたのだから」
「それでなんで私たちが謀反の罪になるのかしら」
「大公殿下は気が少し御短めであらっさられてますから」
「我らはどうすれば良いのだ!? 卵は産まれる可能性はあるのか? 大公様のご希望にすぐさま沿える事を我らはできんのか?」
父が問うと、飼育卿たちは困った顔をした。
「私たちも分かんないんです。一体どうやったら鳥が卵を生んでくれるのか」
そして朝まで諤々と議論をした結果、農民の代表団を仕立ててヒクイドリを引き連れて都まで直接赴き、大公府にて鳥の披露と謀反の罪状に対する釈明、並びに様々な陳情をおこなうことに決まった。
2.
フェルフェルサの野の民の代表として都に行くことが決まったのは、エネステの父と、友人オトラトの父、ノルンリの父、シテダルの叔父、ムソラスの兄、デテニケの父、ウタンカの父にミガキスの父、そしてウェベルネータ夫人であった。連れて行かれることに決まった火喰鳥は、エニステの家の5羽とウェベルネータ夫人の家の3羽である。もともとヒクイドリは単独行動を好む生き物なので、見知らぬ仲間と突然一緒にされたらどうなるか分からず、そういう理由で常日頃から仲間と一緒に行動することに比較的慣れていると思われるこの両家の鳥が、都への旅への使節団に選ばれたのだった。
誰も8羽もの鳥を一度に移動させた経験がなかったので、計画を相談している飼育卿たちの顔は緊張に強ばっていた。エネステは当然飼育係として都まで同行を強いられることを覚悟したが、「子供だから」という理由で一行には加えてもらえなかった。「僕がいなくて大丈夫かな」「集団生活に慣れていると言ったってきっとたま子は一斉にみんな突つくよ」と少年は心配に思ったが、8人もいる飼育卿が一緒に行くのだから、心配に思う必要など全く無かった。エネステ少年がやらせられると覚悟した役は、鳥あしらいの技に長けているウェベルネータ夫人がすることに決まった。
実際のところ、エニステ少年は太陽輝く華々しい都に行きたくて行きたくてたまらなかったのに、飼育卿は誰も少年に声を掛けてくれなかったので、激しく落ち込んだ。
集会のあった翌々日には使節団はすぐに平原を出発した。
かつて、アノファルダナ侯爵は20羽ものヒクイドリを引き連れてこの地を訪れたのである。あのときの侯爵家の編成の分析は飼育卿団も既に済ませていた。飼育卿たちの計画は完璧だった。突貫で荷馬車に木の檻を組んで鳥かごを作った。