第3話. 将棋の達人
1.
“王なる鳥”ヒクイドリは恐ろしかった。
赤黒く光る目は心の弱みを見透かし、嘴と蹴爪は鋭利で力強く、派手な鶏冠もまた威嚇用であると共に武器であった。青く輝く羽根に惹かれて人が近づくと、鳥は興奮して突き刺すような叫び声をあげ、ドタドタと跳んで蹴った。子供などクチバシのひと突きで食い殺すことが可能だ。
ヒクイドリが「初代の王の鳥」と呼ばれるのは、太古の神話が関係ある。
14人の太陽神が天空で華麗な戦を繰り広げていたころ、“小鳥たちの父”アーナナラウナラニは「日いづる処の太陽の神」の脇侍を務め、他の太陽が率いた火猫や熊蛇や兜魚たちと激しく争った。兄鳥である“大眼の梟”や“神変蝙蝠”、“無毛鷲”らは敵に回った。燃えさかる太陽の中で、アーナナラウナラニは自分の子供たちである無数の小鳥たちを生み出し、そのそれぞれに特性を付与して位を与え“九官長”を作った。
「神様が望むから、鳥は畑を見守るのしゃ」。中原で一番中古の歴史に詳しい藁婆さんは語る。「チュチュンの神は小鳥たちにたくさんの試練を課した。神様が望んだ初めての試練には灰鷹や鶉や鴛鴦や孔雀やロック鳥や曙や鵼や鳪や惑鵦や鸈や西鵛や鵸や蛇鳥や寝鵯や海猫や企鵝が臨んだ。初めてそれらに打ち勝ったのが火食鳥だったのしゃ」。藁婆さまは夢を見るような顔で曾々孫のエニステ少年に語った。「王鳥は美しい。遠い東の彼方の陽はこのきれいな青色で昇るのしゃよ。」
伝説では火喰鳥は鳥神の乗騎として神代の戦いに参加して武勲を挙げ、また伝説の「アノファルド王のサガ」でも神の使いとして王のもとを訪れ、美しく舞いながら多くの邪しまな人間を蹴り殺したという。
「花の舞いの祭」から二周間が経った。
異国の大侯爵からこの地の住民に贈られた20羽の王鳥は、里に大混乱を巻き起こした。
金冠赤涎垂大火喰鳥は昔話にはよく出てくる鳥である。でも誰も実物を見たことがなかった。アノ-ファルダナ侯爵もそのことを見越し、立ち去るときに飼育のための文官をひとり残していった。レンニエルフェスという名の優しげなその飼育員は村人に、頑丈な柵の作り方と鳥のエサとなる果樹の育て方、それから簡単な飼育のコツと注意事項を与えてから、見たことも無い色の大量の果実を置いて帰った。数日後、大公都から、慌てた様子で数人の文官がやってきた。大侯爵は帰国の途中に聖大公の光り輝く大宮殿に寄り、小さな里へのささやかな贈り物のことを話していったという。
大公都サグネリアには、面白好きの大公が誇る奇景巨大動物園がある。そこでは「この世のありとあらゆる珍動物がいる」という評判だったが、やってきた文官(飼育員)に聞くと、ここ2千年ほど火炎鳥がいたことはなかったということで、文官は大公都にあるありとあらゆる鳥類に関する古文書を調査し、その上でフェルフェルサの村々へやってきたのだった。
飼育卿が言うには、聖大公は是非とも珍鳥ジュルベルデネ(←火喰鳥のことである)を大公の公式なコレクションに加えたいと思召しである。火炎侯爵からは「贈り物の20羽を繁殖させることに成功したなら」という慶条を得た。フェルフェルサの民は速やかに火炎鳥を殖増し、しかるべき数を聖公への貢ぎ物とするように、とのことだった。その為に4人の飼育卿がこの地方を定期的に巡回し、民は大動物苑と大公都立生物大学と植物園のありとあらゆる援助、ならびに資金的な補助を存沢に受けられることとする、但し最初の火鳥の貢納があるまでこの地方の租は倍額とする、というお触れであった。無茶苦茶である。父たちは内心憤ったが、偉大なる聖大公の係官を前にしては何も言えなかった。
火喰鳥は20羽もいるので、誰が飼育をするのかという問題が起こった。
「まとめて飼った方が早くつがってたくさんの小鳥が産まれるのではないか」と皆が思ったが、飼育卿の言うには、「火炎鳥は基本単独生活を好むので、繁殖期以外は別々に飼って、それぞれ自由にさせた方がいい」とのことだった。「すごく凶暴だから2羽以上同じ所にいるとものすごく危ないしネ」、と彼女は付け加えた。
なので、それぞれ一羽ずつ、分散して農場に預けられることになった。
エニステの家では、なぜか10歳のエニステが「一番そういうことに向いてそうだから」と飼育係を言い渡された。「弟と妹を絶対に鳥に近づけるんじゃないぞ」と父には怖い顔で言われた。「兄ちゃんばかりズルイ」と弟は喚き、妹も「鳥さんの目が怖い」と言って大泣きした。エニステは困惑するばかりだったが、叔父のエニソロウが心から心配して忙しいのに全面的な協力を約束してくれ、また料理好きな母も「たま子が楽しみ」といつになく優しかった。
エニステの農場の鳥の面倒をみてくれる分担になった飼育卿はアマステリという名前の若い女性だった。先祖代々聖大公家で騎獣の管理をする家柄だそうで、貴族にしてはやたらと優しい言葉遣いのお姉さんだった。彼女はエニステの家を含めて5羽の家を巡る役だったが、高給取りのうら若い貴族のお嬢さんとあって、彼女目当てにエニステの暇な伯父エギファスとエギファタルタ、エカテレの3人が競って甥の補佐を申し出てくれ、少年は一時期とても楽になった。しかしまもなく、隣の友人家セデルネの家でお父さんとお母さんが伝染病に倒れ、依願されてエニステの飼育舍がその鳥を預かることになり(後にそれは軽い仮病だったと明らかになる。仮病だって病気だ!といくたりかの村民が主張した)、更に、親友サトラシの妹のライヌラーシが火喰鳥に頭を激しくつつかれて大怪我をしてしまったため、その火喰鳥をもまたエニステ少年が面倒見ることになってしまった。さすがに3羽で並んで睨む強靱な鳥は大人でも恐ろしかったらしく、まもなく3人の暇な伯父も寄りつかなくなり、結局3羽ともエニステ一人で世話をすることになってしまった。
飼育卿アマステリ嬢は3羽もいる柵檻をひきつった顔で見て「あなたのところが一番来たくない」と泣き顔で言いながら、それでもとても親身にエニステと共に働いてくれた。緑橙や桃黄や黄紫の実の成る樹はこの近辺では自生しないので、まずはその果樹園を造るところからである。
彼女からの教えは「鳥に背中を見せるな」「鳥から目を離すな」「檻の強度を朝と夜に必ずチェックせよ」「神鳥と萎縮せずに容赦なく殴れ」「恐れるな、相手は果物しか食べない」であった。
一度、父が見ているところで神鳥に無礼な態度を見せてしまってその日は朝までひどく折檻されたのだが、翌日飼育卿が泣きながら父に鳥の危なさを力説してくれたので、以後父は神鳥に接する姿勢に関しては息子に何も言わなくなった。
叔父エニソロウは勘違いして幾度か恐鳥のエサにと多量の獣肉を持ち運んだが、鳥たちはそれを喜んで食べていた。やがて香筍農園の一羽と七魚屋敷の一羽も事故があってここに持ち込まれ、エニステが世話する鳥は5羽となった。
「それでもね、火炎鳥はね、簡単には卵を産まないのよ」。
優しいお姉さんは笑いながら悲しいことをエニステ少年に言うのだった。
2.
鳥を飼い始め、それにかなりの手間を取られるようになってからも、エニステ少年の一番の関心事は自分の農園と、その背後にある秘密の森の、川の先に隠された大いなる秘密(そして先日失った自分の大小2艘の舟のゆくえ)であった。
エニステが前の季節に植えた鳩麦と烏麦は順調に背丈を伸ばしており、それらは窪地の中で川からの風に気持ちよさそうにそよいでいる。もっと水はけを良くするためエニステは毎日畑に足を運んで土いじりにいそしみ、彼の畑の面積は少しずつ広がっていた。同時に、日当たりの良さそうな別の窪地を選んでチュシャ樹とデネレローペの血色樹も植えてみた。これからどんどん暑くなるので運さえよければ異国の植物はきちんと根付き、西からの強い風もこの“青鳥の森”が防いでくれるはずだ。
「王鳥は散歩を好む」と飼育卿が言うので、たまに鳥を連れて畑に行くこともあった。5羽のうちから適当に一羽を選び、日替わりで木柵の外に連れ出した。最初は「逃げたら大変」と首に柔らかい皮紐を長めに巻いて引っ張っていったのだが、不思議なことに、紐などで繋がなくても鳥は思ったより逃げないということに少年は気付いた。
びくびくした様子の人間を見つければ奇声を上げてドタドタと追いかけて行ってしまうこともあるが、気が済むまで相手を突つき倒すと、さっぱりとした顔で戻ってくる。近隣からの苦情が全く無いのは、さすが大公殿下の威光である。まぁ子供のやっていることですからね、と父と母は笑って隣人に語っていた。
突然走り出してどこかの灌木の下に身体を埋ずめ、大きな口嘴で何かを掘っていることもあるが、鳥は身体が大きいのでよく目立ち、姿を見失うということも滅多に無かった。しばらく適当に出歩いていれば、鳥は満足な様子であった。
馴れない頃はよくエニステも頭から囓られ、ぶっとい足で遠くまで蹴り飛ばされることもあった。そこでハング爺さんの小屋へ行き、堅い樫の木の板で頑丈な盾を作ると、鳥は喜んだ様子で樫の盾の方に突進するようになり、エニステ自身が怪我をすることは少なくなった。最近では樫の巨木のゴツゴツした表皮を見た途端に興奮状態で目を光らせ走り出す程であった。今では暴れ出した鳥を押さえられるのは、樫の盾を持ったエニステしかいない。鳥との間に何らかの信頼関係が築かれつつある気がして、エニステはなにか嬉しかった。5羽いる鳥もやがて個性が出始め、見た目もかなり違ってきていたが、エニステに対する態度はどの鳥もほぼ同じだった。
飼育卿アマステリ嬢の腕は細すぎて重い樫は持ち支えきれないため、樫の盾は彼女には用意しなかった。叔父エニソロウ用にもひとつ作ったが、力自慢のはずの叔父の盾は5頭の鳥の突進で一瞬にして砕け散ってしまった。エニステの木工技術が未熟だったためと思う。でも以後二度と叔父は樫の木の盾を持とうとはしなかった。日に日に羽色がよくなり目に暴力的な鋭さを増していく5羽の鳥たちを見て飼育官の顔には笑顔が張り付き、「早く結婚したい」と小さく呟くのが口癖になった。十歳児のエニステにはどうして彼女が鳥を見るたびに結婚したい気持ちになるのか意味が分からなかったが、彼女が自分の頑張りを認めて言ってくれてるのだと勘違いして、嬉しく思った。この調子ならきっと近いうちに鳥たちもたくさんの卵を産んでくれるさ。そうすれば彼女の働きも大公様に認められ、良い縁談がひきもきらずにやってくるだろう。(と母が言っていた)
ことことと小さな荷車を曳き、一羽のたま子(鳥)と一頭の子牛をつれて、毎日自分の麦畑へ通う。
今日のお供は「ナマたま子」だ。母の命名である。あとの4羽にも「ノリたま子」「マキたま子」「ウデたま子」「イリたま子」という名が付けられていた。すべて母の命名である。マキ子とイリ子は仔牛のアオとは気が合う感じでそれなりに相容れていた。ナマ子は牛とはソリが合わず、ノリ子とウデ子は小長尾丸の長い尻尾を見ると血がたぎるようで、しょっちゅう喧嘩を仕掛けていた。アオも慣れたもので長い角で果敢に巨鳥と戯れ、たまに不用意に背中を見せた子供に恐鳥の蹴爪が鋭く襲おうとすると、とっさに撃退してくれるほどだった。のどかな夏の昼の景色である。「アオもたま子も女の子なのに元気だね」とエニステは嬉しかった。エニステは鳥は5羽ともメスだと信じて疑っていなかった。ついでに言うと水牛のアオも牝牛にしては不自然なほど角が長くなりつつあった。
麦畑では自由に周辺を火喰鳥に歩き回らせた。
まだ蕾すら生まれてなかったが、植えたばかりの異国の果樹の苗に嗅ぎ慣れた香りを感じるのか、鳥はその付近にいることが多かった。ときおり姿を現す大兎や穴狐などを大喜びで追いかけ回していた。
目下のところ、エニステがしなければならなかったのは、新しい小舟を作ることである。
森の中の河川の先にある自分の宝物の舟の現在を思うと、いてもたっても居られぬ。2度の航海であの形の船体では激波を乗り切れないことが分かったので、新たな構造上の工夫をする必要があった。少年の小さな頭は見えない設計図でいっぱいになっている。なかなかハング老の作業小屋に籠もる機会も取れぬので、数日掛けて新たな小破した小船とたくさんの木切れをこの麦畑まで運んだ。これなら農作業の合間に木の組み立てにも没頭できる。
細かいところに使うツタやなめし棒、接着剤にする樹脂などは傍らの小森に分け入って調達することにした。子供では木々の見分けは難しかったが、家に帰って夕食の時には兄や伯父たちにさまざまなことを聞いて教わることにした。より強力なニカワの作り方も習い、父に頼んでその材料(石灰につけこんで乾かした牛の生皮である)も分けてもらった。ニカワは便利だが水気に弱い。だが舟の建造にはニカワは不可欠である。
「膠にもいろいろある。兎膠と鹿膠、蛇膠、熊膠。熊のにかわが一番丈夫だが、お前はまだ小さいからな。頭からバリバリ囓られるだけだから絶対熊からニカワを採ろうと近づくなよ。膠と同時に使うのが良いのは樹脂だ。本当に水に負けちゃ困る部分には樹脂を使うのさ。樹脂と言ってもいろいろ種類があって、便利な樹脂は珍しい樹からしか採れないが、捜せば見つかるかもな。一番有名なのはゴミの樹だ」と次兄エミュージュは言った。
「ゴミ? ゴミが木に成るの?」
「そうだ。ゴミと言っても人間様が家で出すゴミとは違うぞ。天然ゴミと言って、木に成るゴミがあるのさ。生ゴミを煮詰めれば質の良い伸縮性の有る脂が出る。このゴミの樹は暑い地方にしか出ない。この辺じゃゴミは生えないかもな」
でもエニステには心当たりがあった。何を隠そう、エニステが通っている畑の脇にある“青鳥の森”は不思議に暑くてこの地方では一番季候が良いのだ。「捜せばゴミが大量にあるかもしれない」とエニステ少年は思った。
天然ゴミがどんな木なのかエニステは見たことが無かったが、飼育貴族のアマステリ嬢がついこの間まで大公都の動物大学に通っていたというので、詳しく教えて貰うことにした。
「ゴミ? 何が悲しくてそんなもの捜すの? くさいわよ」
と鼻をしかめながら、でもお嬢さんは丁寧にゴミの特徴を教えてくれた。このお姉さん本当に優しい。すぐ上の怖い姉エニノカーサとは大違いだ。エニステはますますこの人のことが好きになっている自分に気付いた。大人になったらボクがこの貴族のお嬢様とけっこんしてあげてもいいナ。
ゴミを捜すには、「曜日」が大事だとのことである。「曜日」が何のことなのか田舎育ちのエニステには分からなかったが、大都会では近年、樹脂に対し「分別を持つ」ことが流行ってるんですって。当地方なら「生ゴミ」は「火の日」と「金属の日」。天麩羅ゴミ、すなわち「手を加えて加工済みの樹脂」は「水の日」である。異次元からやってくるとされる「次元ゴミ」は一季節に1回しか排出されないとのことだった。優しいお姉さんからとても詳しく教えてもらえたので、賢い少年はすぐに森で天然ゴミの樹を見つける自信を得た。
「分別さえあれば大丈夫よ」とお姉さんは言った。
「金曜日」というのがいつなのか分からなかったので、小金持ちの髭婆さまが孫に気まぐれにお小遣いをくれた日にエニステは青鳥の森へ分け入ってみた。熱い国の樹々の匂いが嗅ぎ分けられるかと期待して火喰鳥のイリ子を伴ってである。ただ、ずぶの鳥を先導にしても全く意味が無く、やはり少年が先に歩くことになった。鳥はうしろから少年の背中を容赦なくつついたが、少年が手にした重固い樫でがんばって鳥を殴れば、恐鳥は一旦だけおとなしくなるのだった。
ゴミの樹はどんなところに生えているのだろう。
以前くだった川沿いに少し森に踏み入ってみると、緑の濃厚な香りがあたりを取り包む。飼育卿は「ひときわ大きな葉を持っている幹の細いひょろっと伸びている木を捜すように」と言った。小さな葉の種類もあるそうだが、素人には見分けにくいそうだ。エニステが探すべきはツルッとした濃緑の表面の葉がとても大きな木。
でも、感覚としてここは普通の温帯の森だ。空気の匂いがそれほど暑くない。飼育卿は「天然ゴミは熱帯性」と言っていた。熱を発している地帯があるはずだ。ここの辺りは違う気がする。素人的な確信でそう思いながら手に持った鉈で枝を切り払い刈り払い、どんどんと先に進んでいく。反対側の腕には樫の盾を持っているから何か邪魔だ。おまけに何が楽しいのか火喰鳥がときおり強烈な体当たりをかましてくる。「おいおいたま子、遊んでなくてちゃんとゴミを見付けてくれよ」。エニステは泣きたくなった。
川沿いにどんどん歩いていると、見覚えのあるものを見付けた。
これは、前に川に流されたときに一瞬だけ目に入った変な石像だ。そうだこんなの見たっけ。すっかり忘れていたなあ。そういえばこのずっと先に、すごく変な人もいたんだっけ。
改めて眺めて見ると、誠におかしな造形の石像である。全体的に苔むしていて、背丈はエニステより頭一つ低いくらい。大きな顔に目玉の無いギョロリとした目が大きく見開くような表情だったが、身体には腕が一本だけ生えていて、森のある方向を指さしているようだった。体表には何か模様があるように見えたので、緑の苔をこそぎ落としてみると、深く彫り込まれた複雑な文様と共に、何か文字のような物も刻まれているのだった。
「なんだろうこれ」
運良く背嚢の中に、小さな羊皮紙の切れ端が何枚か入っていることを思い出したので、墨汁と筆でこの文様を写していくことにした。
「セルデタがこういうの好きそうだぞ」
将棋好きの友人の顔を思い出してつぶやいた。セルデタはすぐ近くに住んでいるエニステの幼なじみで、古代の神秘的な謎やミステリイや戦略遊戯盤が大好きな子なのである。もしかしたら彼はこの森の秘密も、ゴミの木の生えていそうな場所も知っているかも知れないと思った。どうして彼に聞きに行くことを思いつかなかったんだろう。
石像が指さしている方に行ってみた。すると、またもうひとつ石像があった。今度は円形に組んだ何かの模様の土台の上に立っている。形は先程のものと少し違った。頭には三本の角が生えていて、目はひとつしか無かった。そして身体は横に倍ほど広く、先ほどよりもたくさんの文字らしき物が彫ってあった。エニステは2枚目の羊皮紙に、注意深くそれを写しとった。
その手が指し示す方角へ行くと、今度は4体の石像に囲まれた朽ち果てた祠らしき物があった。石像はそれぞれが異なった格好をしていて、大きさもばらばらだった。背に羽らしきものがあるものもいる。
羊皮紙を6枚使ってその模様をすべて写し取ると、エニステは祠の中を覗いてみた。何かあるのかもしれない。祠全体にツタが絡まっていて食べられぬ茸や枯れ葉に埋もれていたので、エニステが素手でそれを払い千切ろうとすると、ツタと見せかけて擬態していたあるものに気付いた。それは牙を剝いてシャーと唸り、エニステ目がけて飛びかかってきた。ヒッ。少年の頭が一瞬真っ白になった。蛇だっ。ころころとよく太った大きめの蛇が、この祠の中に何匹も居る。子供が固まって動けずにいる一瞬に3匹か4匹かの蛇が少年の懐に飛び込み、彼の首筋や手首やふくらはぎを咬んだ。咬まれた咬まれたっ、蛇に噛まれたっ。毒蛇だったらどうしようどうしようっ、死んでしまう僕は死んでしまうっ。うわあ、服に入ってきたっ、袖に入ってきたぁっ、と一瞬パニックになったあと、次の瞬間に冷静さが戻り、エニステは左腕に噛みついている蛇の首根っこを掴んでその蛇の顔をまじまじと見た。ほっ。なぁんだ見たことの無い蛇じゃん。見慣れているマムシでもヤマカガシでも、ましてやガラガラ蛇でもない。首根さえ押さえてしまえばとてもおとなしい優しい顔をしたか弱い小蛇じゃないか。顔つきから見て青大将の一種だと思う。
祠の中にはこの蛇がいっぱいに詰まっていて、エニステに向かって次々と飛びついたが、手にした樫の盾で払えばそれ以上は噛みつかれることも無く、後ろにいる火喰鳥は嬉々として蛇を蹴散らして遊んでいた。恐鳥を前にすると肥満した小爬虫類は無力である。たま子、ほどほどにするんだよ、蛇は森の木の守り神だからね。
大事が無くて安心したが、今日はこれで引き揚げることにした。この森には何か秘密がある。それを解き明かすのはまた今度にしよう。
夕暮れ時にとぼとぼと家にたどり着いて、鳥を畜舎に入れると、母は夕食の準備の最中だった。
エニステは常に親孝行な子でありたいと思っているので、畑に行った帰りにはいつも何か母にお土産に持って帰ることにしていたのだが、今日ばかりはカバンに入れて持って帰ってこれる物が無かった。母をとてもガッカリさせてしまうに違いない。でも嘘をつくことはできず、エニステはうなだれて母に言った。
「おかあさん、ごめんなさい。今日はゴミをたくさん持ち帰ってくるつもりだったのに、出来なかったの」
母は微笑みをうかべて振り返って言った。
「いらないわよそんなもの。お前に何事もなければ、それで十分」
そのとき母は、エニステの服の中でうしろから首筋に噛みついている青いものを見つけた。
「何これ? ・・・キャ」
「・・・あ、まだいたんだ」
蛇を素手で掴んでしまった母の悲鳴が、巨大な屋敷内に木霊した。
すぐに父が飛んできた。気絶した母の手の中にある物を見て、顔色を変えた。「馬鹿野郎っ、こいつぁ大長老が言ってた野槌って奴だぞ。毒虫だっ」。走ってきた伯父のエギファスとエギファタルタは逃げ出した。「おいっ、ウォラアトを呼んでこいっ。アイツだったら毒虫のことをいろいろ知ってる」
すぐにさすらい人のウォラアト兄ちゃんがやってきて、蛇に噛まれた箇所を素早く診断してくれた。エニステは7ヶ所も野槌に噛まれていた。「野槌は毒を持っているという説と、そんなの無いという説があるんだ。俺でもその見分けは知らない。でも、こんなに噛まれて、時間が経ってもピンピンしてるっちゃあ、こいつには毒は無かったってことだろうな。運が良かったな、ぼうず」
それを聞いて安心した父にひどくどやされた。「森の中で知らないクリーチャーにほいほい平気で触る奴があるかバカモノっ。お前が死んだら母さんが泣くぞ。母さんを泣かせてみろ、お前を吊るして剥ぎ殺すからなっ。今後二度と野槌なんか見つけてくるんじゃないぞっ」
そう殴られて、エニステは泣きたくなった。
「父さんゴメンナサイ・・・ ボクの背嚢の中に・・・」
父は息子の鞄を持ち上げて絶句した。エニステはたま子が蹴り上げ気絶させた蛇を、6匹ほど入れてきていたのである。小さい弟がきっと喜ぶと思って。
「まあまあ、おじさんおばさん。異国ではこの蛇、捕獲に賞金がかけられている程なんです。食べたら意外と美味しいってことかもしれませんよ」
「まあっ、そういうことならっ」
母は急に機嫌が良くなってフライパンをかざし、料理の準備に取りかかった。その晩は香辛料をたっぷりかけ、時間を掛けて香ばしく焼いたり蒸したりされた、色とりどりの蛇料理が食卓に並んだ。味はよく太った鶏のようで滴るように汁が溢れ出しエニステは「母さんの料理はいつだっておいしいな」と思ったが、皆の感想には賛否があった。見た目が悪すぎるのだと思う。隣に座ったウォラアト兄ちゃんもコメントを差し控えていた。幼い弟と妹だけキャアキャア喜んで(?)いた。
翌朝になってやってきた飼育卿は、蛇の残骸を前にして子供の武勇談を聞くと、複雑な表情をした。
「大公殿下はツチノコの目撃だけで莫大な懸賞金を設定しているのに・・・」
でも彼女は考え直した。
「アタシは火炎鳥だけで手を焼いているのに、こんなのに関わったら、きっと増々ドツボにはまるわ」。・・・こうして皆が大金と栄誉を取り逃した。
3.
三日後、歩いてセルデタの家に行った。
もちろん火喰鳥を一羽伴ってである。鳥は定期的に散歩させないと悪いような気がしていたからだ。友にも可愛いたま子を見せたかった。
セルデタの家は、エニステの家の“高嶽御殿”から見て、“青鳥の森”を挟んだ反対側にある。セルデタの家のある辺りは、エニステの大農場がある付近よりも若干木々がまばらに多いが、それでもエニステの家と同じように夏の風に泳ぐ背の高い金色の農地に囲まれた家だった。セルデタの家は“煙の塔”と呼ばれていた。その名の通り普通の屋敷ではなく「塔」なのである。実はセルデタの家は、この地方では珍しく農家ではない。セルデタの“養父”は“学者”で、周辺の住民にはよく分からぬ研究を長年おこなっており、10歳のセルデタはその学者のただひとりの“養い子”なのであった。しかし学者は「従僕」をたくさん雇用しており、実はとても内部がごちゃごちゃとしていて賑やかな楽しい塔なのだった。“煙の塔”の名はもちろん見た目から。塔の随所から大小様々な煙突が突き出ていて、青や緑や赤の煙がよく吹き出していたからである。(塔のまわりの畑は、別の農家の耕作地であった)
エニステにとっては「おとなりさん」なので、オトラトやセデルネと同じように、小さい頃からセルデタの家にもよく遊びに行ったものだった。セルデタの父のウストラテルス老は寡黙な知識人だったが、好奇心が全身から滲み出ているエニステのような子供には優しかった。塔の最上階の老学者の居間兼研究室には見たことの無い機械や実験器具、分厚い本や立体模型で作った地図で溢れていた。
息子のセルデタも黒髪で華奢な色白な子供で、本を読むのが大好きで、部屋の四方の壁や寝床の周りはうずたかく書物に取り囲まれていた。彼の部屋は複雑な構造の塔の中ぐらいのあたりに吊り下げられる形であった。友人が興味を持っている分野は戦史と考古学。エニステがセルデタの家に来るときは、多くの場合将棋を共に楽しむためだった。セルデタは将棋盤の研究がとても好きだった。
ノリ子を連れてとことこと森を大回りし、“煙吐く塔”に向かう。
鳥は道端で呑気にしている農夫をみつけると頭を低く下げ、全体重(打撃力)を先端の黄色い鶏冠に込めて豪速力で突進する。火喰い鳥は、くちばし、けづめ、とさかと三つも致命的な重武器を持っているのだった。この頃では里の各地に出没する王鳥の危険は知れ渡り(※もちろんこちら側の農地に出没するのはエニステの父が預かる5羽ではない。飼育卿たちの協議によって各家で目下放し飼いが推奨されてきていた)、どの農夫も青い羽根をみるたびに大慌てで逃げ出す。この地方は大公殿下の御威光によりとても治安が良いため、火喰い鳥を傷つけるような猛獣も滅多には出ぬ。(鳥にとっては)とても平和な光景の大平原であった。
セルデタの家は火喰い鳥を一羽も託されなかったので、前からセルデタはエニステの飼い鳥を見たがっていた。塔に着くと友は外に出てきて「へー」とか「ほー」とかしきりに感嘆しながら鳥を眺めたりなでたりしていた。“初代の王鳥”は“伝説上の神鳥”だからね、友の頭の中には鳥の神の神話が溢れ出すように渦巻いているに違いない。神話についてはエニステの家の藁婆さまの方が詳しいはずだが、少なくとも昔語りの学習に熱心ではないエニステよりはセルデタの方が物知りなのは確かだった。
横でエニステが既にボロボロなごわごわになった強い樫の盾を構えて立ったため、あのとてつもなく気の荒いノリ子が大事な友に襲いかかる素振りすら見せなかったので、エニステは嬉しくなった。よしよし、お前分かってるんだね。
ノリ子を果樹園に放ち、セルデタの部屋に入ると、そこには煙の塔に寄宿しているトカゲ人間のヴラスヴァテイとその妹シュルシェリヴェネがいた。このふたりも小さい頃からの仲良しだ。いつものようにまず4人で将棋を楽しむことにした。
「将棋」とは、対戦相手同士が「赤軍」と「白軍」に分かれ、それぞれが「軍隊」を率い、それを戦略的に動かして相手の「将」を撃破する遊びである。「赤軍」と「白軍」は「対等な強さ」に合わせて紳士的に対戦するのがルールだった。将棋の「駒」は精巧に作られた人形で、騎士や歩兵や城や飛び車やカブトムシのツノやかつらをつけた馬や王や女王を模していた。エニステの家にも先祖代々伝わる立派な「将棋盤と駒」が揃えてある。中でもエニステは「聖大公の重騎士軍たち」の金属製の駒の重厚な重みがお気に入りだったが、でもセルデタ家のコレクションの見事さはエニステの屋敷のものを軽く凌駕するくらい、いや他のどの家の誰もこんなのを持っていないと息を呑むぐらい、聖大公だってこれを見たらびっくりなされてしまうんじゃないかと思うくらい、本当に本当に壮麗なものだった。
エニステの家にはありきたりな「女王騎士国」「帝国軍」「死者の軍団」「森の妖精団」「トカゲ兵団」「機械化小人団」「鼠軍団」ぐらいのセットしか無い(これでも多い方である)。でも友人家の蒐集物はこの10倍はあるのだ。ありとあらゆる古今の軍団を網羅していると思われるほどだった。
「妖精の国の戦士たち」のバリエーションだけで、「光り輝く絶海の孤島の(アトランティス大陸の)妖精団」「地底の底の妖精団」「白い崖のロンドン塔の島の妖精みたいな人たちの妖精団」「冬の国の白い妖精団」「天空の雲の上の妖精団」「極東の鼻の高い妖精団」「四次元の国の妖精団」などが揃っていた。世界各国の名彫刻師の名が底に刻まれている物もあり、またセルデタと指先の器用なヴラスヴァテイが2人で作った自作の品もあった。
将棋は、「戦場図」にあわせて森や山や川や城の模型を配置して、そこに軍隊をちりばめることから始まる。あとはルールに従って軍隊を移動させ、「激突」させて賽を奮って勝敗を決するのだ。
実のところ、7歳以降このゲームでセルデタに勝ったことが無い。セルデタは古今の著名な戦場をすべて調べ上げ、さまざまな軍隊の組み合わせによって、歴史に残る名将の采配をみんなシミュレートして、ノートに取ってファイリングし、それをすべて頭の中に入れていた。セルデタの部屋の『古今東西の兵書』の本棚は一冊手に取ってぱらぱらとめくってもエニステには片ヒラも理解できなかった。
それでもエニステは将棋で遊ぶのが好きだった。むしろこのゲームで、友と勝負を競うというよりも将棋の達人の先生に「こんな勝ち方もあるんだよ」と教えて貰っている気分だった。歴史的にはとても有名で、古典的な戦術がぶつかり合ったとされる「聖王都攻防戦」ですらエニステが指揮するのとセルデタが指揮するのでは展開が異なってきた。エニステは「青い大海原の魔王の戦い」や「“悪魔の三人”の戦場」や「戦争三國志」や「4人の龍の戦い」や「機械工兵の穴掘り戦」などの戦場図が好きで、何度も会戦をせがみ、セルデタも根気よく「授業」につきあってくれた。良い采配とは、いくつかのパターンの組み合わせであり、地形の活用であり、予備兵力の効果的な運用であった。「機動戦」は素人は決して試みてはいけない。エニステと同い年のセルデタは戦術が誠に巧みであった。(不本意なことだがエニステは他の子よりも用兵がヘタだった)
それでも龍や巨人や人喰い鬼や魔女や鼠王子が溢れ出す戦場はとても楽しく、窓の外が薄暗くなるまで将棋盤に没頭するのだった。
今日は最後に、セルデタの指揮する「15人の聖大公都の重騎士たち(および工兵隊)」 対 エニステの指揮する「ファンダリアのおとぎの国騎士団(赤龍“灼熱の王”付き)」・ヴラスヴァテイの「トカゲ帝国の偉大なる指導者シュラーガヴァスティと近衛兵団」・トカゲの妹の「西岩の森山脈のグリーンスキンの大軍とクラグスパイダー」の合同軍が「ウェステンジョドバールの岩場の城」の戦場で渡り合ったが、セルデタの大公軍が易々と連合軍を防ぎきった。決着までとても長い時間が掛かったが、3人はとうとう降参した。
「今度はアノファルド王の火喰い鳥の軍団も作ってみるね」とセルデタは楽しそうに言った。
ひとしきり軍隊の展開を遊び倒したあと、小休止してエニステは友人に、8枚の羊皮紙に写し取った例の絵を見せてみた。説明を聞くと、セルデタは食い入るようにその文様を見つめた。
「見たことないよこれ。いや、父さんの本にこんな記号がたくさん載っていたような気がする。いや、青鳥の森だっけ、この家からも見えるあの小さな森のことだよね。そんな不思議な秘密のある森なのだとは知らなかったよ。でもこの石像の形は何かヒントになるかもしれないよ。うん、少し時間をちょうだいよ。本をたくさん調べて絶対ナゾを解き明かすからさ」
エニステは、郷土史に詳しいセルデタでさえ森に刻まれていたこの「文字」を知らないと言うことに少し落胆を覚えたが、思った通り「森の秘密」自体については強く喰い付いてくれたことには満足を覚え、その晩は寝床の中で、冒険についてや歴史上の英雄のことについて、夜遅くまで語り明かすのだった。