No.21 親友
黒板の前に立つ人物に、わたしは驚きを隠せないでいた。
その人物はクラスメイトたちの中からわたしの姿を見つけると、満面の笑みを浮かべた。
「それじゃあ自己紹介、お願いできるかな」
光野先生に言われ、彼女は口を開く。
「この学園のこのクラスに編入することになりました、明原 優理です」
ニコニコと笑みを浮かべて、彼女らしく。
「夕美北中から来ました!…と言っても、北には夏休みの出校日にちょっと出て行っただけで、元々は夕美中の生徒です」
『夕美中』という名を出しても、今このクラスにはわたしがいるせいか、以前よりもざわめきは小さかった。
「よろしくお願いします!」
そう言って、彼女はペコリと頭を下げた。
「夕美中…梨暗ちゃんの知り合い?」
彼女の自己紹介を聞いて、晴ちゃんが横から話しかけてきた。
「というか…親友」
そう、親友。
小学校一年生のときから、ずっと一緒だった。
「じゃあ、明原さんの席は――…」
「先生!わたし、梨暗の隣がいいです」
「水乃さんの?…まあ、転入してきたところだし…じゃあ、林末さんから一つずつ後ろに下がってもらってもいいかな」
「はい」
晴ちゃんは返事を返すと、荷物を全部持って立ち上がった。
晴ちゃんより後ろの生徒たちも、同じように立ち上がり、席を移動する。
「みなさん、わざわざごめんなさい」
そう言って、彼女はもう一度頭を下げる。
そして空席になったわたしの隣の席に、彼女は座った。
「梨暗」
思えば、彼女とももう一ヶ月以上会っていなかった。
夏休みなどの長期休暇もよく一緒に遊んでいたから、こんなに長い間合わなかったのはこれが初めてかもしれない。
「来ちゃった、梨暗に会いたくて。…梨暗も、わたしに会えなくて寂しかった?」
「…うん」
わたしが頷くと、彼女―――優理ちゃんは、とても嬉しそうに微笑んだのだった。
「明原さん、わたし一応このクラスの女子級長なので、わからないことがあればなんでも訊いてくださいね」
始業式が終わり優理ちゃんと二人で教室に戻ると、晴ちゃんが話しかけてきた。
「『優理』でいいよ。ありがとう!じゃあ、頼りにしちゃうかも」
「ありがとう。じゃあ、優理ちゃん、これからよろしくね」
「こちらこそ!…ええと、晴ちゃん…って呼んでもいいかな」
「もちろん」
それからしばらくは三人で話していたけれど、そのうちクラスメイトたちが優理ちゃんのまわりに集まり始め、気付けば優理ちゃんは一人、みんなからの質問攻めにあっていた。
「わたしも、あんな感じだったのかな」
「そうだね…」
遠十学園に初めて登校した日のことを思い出してそう呟くと、晴ちゃんに肯定されてしまった。
「えっ!?」
突然、クラスメイトたちからの質問に答えていたはずの優理ちゃんの驚いた声がしたかと思うと、優理ちゃんはわたしを見つめていた。
「梨暗って、寮じゃなかったの?」
「え…?」
「寮の案内なら梨暗にしてもらうから大丈夫って言ったら、梨暗は寮にはいないって…でも梨暗、寮に入るって言ってたよね?」
「!」
まずい。
「そういえば梨暗ちゃん、この前一緒に借りた本の返却日、今日までだったよね。HRまで時間あるし、今返して来ちゃう?」
横で晴ちゃんが、ふと思い出したかのように呟いた。
「う、うん!」
わたしは返事をすると、急いで本を持って席を立つ。
「図書館行くの?だったらわたしも行ってみたいな!」
「えっ!」
どうしよう。
優理ちゃんに嘘なんて吐きたくない。
でも、十字のことを抜いて上手く説明できる自信もないし…
―――それでも、優理ちゃんになら…
「水乃さーん、遠十先輩たち来てるよー?」
そのとき、廊下側の席に座っていた一人の女子生徒が、わたしを呼んだ。
「あっ、うん!優理ちゃん、晴ちゃん、ちょっと待ってて!」
二人にそう言って、わたしは足早に廊下へと出た。
廊下に出ると、そこには有逆くんと、少し後ろに廊下の壁にもたれかかった永斗くんがいた。
「始業式お疲れ様。どう?二学期の遠十学園は」
有逆くんがそう尋ねてきた。
「え…?出校日のときと特に変わらないですけど…」
「そんなことないでしょ?」
「りぃーあっ!」
「わ!!」
背後から、突然優理ちゃんが現れた。
「誰と話してるの?…あー…」
優理ちゃんはわたしの前に立つ二人をじっと見つめると
「もしかして、噂の遠十先輩方ですか?」
二人にそう尋ねていた。
「噂の?」
「はいっ、とても噂になってるみたいですから。…どちらでも」
優理ちゃんは二人に、ニコニコと話しかける。
「…君は?」
「そんな、編入許可してくださったってことは、資料しっかり読んでくださったんでしょう?…って、それは理事長の仕事か。梨暗の親友の、明原 優理です」
「そう。僕は…いや、僕たちの自己紹介は必要ないかな」
「そうですね。いろんな人から聞きましたからっ」
どうやら二人の人気は、転入してきたばかりの優理ちゃんの耳にも入るほどらしい。
「梨暗が学園のアイドルである遠十先輩たちとすっごく仲良しって噂も、どうやら本当みたい!」
「えっ!」
誰がそんな噂を…確かに、そう見えるだろうけど。
「ていうか梨暗、本はいいの?」
優理ちゃんがふと思い出したかのようにわたしに尋ねる。
「あっ、うん。もうHR始まっちゃうし、あとでいいや」
「じゃあ、僕たちはそろそろ戻るね」
教室の時計を見て、有逆くんが言った。
「HR、間に合いますか?」
HRの時間まで、あと3分ほどしかない。
「大丈夫だよ。高等部の時間割は中等部とはずれてるから。じゃあ、また後でね」
有逆くんはそう答えると、永斗くんと一緒に廊下を歩いて行った。
「梨暗、本当に有逆先輩と仲良しなんだね」
「え、そ、そうかな…?」
「永斗先輩は、あまり喋らない人なんだね。…うん、噂通り」
優理ちゃんは、納得したように呟く。
「そういえば、遠十先輩たちは、この学園の敷地の奥にある、プライベートスペースに住んでるんだっけ」
「うん、そうだよ。よく知ってるね」
「みんなが教えてくれたから。遠十先輩たちって、本当に人気者だよね。遠十先輩たちが廊下にいる間、教室の女子たちみんなこっち見てたし」
「えっ、そうなの!?」
それは…気付かなかった。
学校でも有逆くんたちと一緒にいることは避けられないので、なるべく視線を無視しようと頑張ってきたせいで鈍感になっているのかもしれない。
「プライベートスペース、かなり広いらしいけど、生徒どころかここの教師もよっぽどの理由がない限り入れないんでしょ?」
「うん」
「梨暗は、入ったことある?」
「えっ」
もしかして。
晴ちゃんに言い当てられたことを思い出す。
「ねぇ梨暗、実はそこに住んでるんでしょ」
「…!」
でも、晴ちゃんのときとは違う気がする。
これは、ただの『勘』というよりも…
「すっごく大きなお屋敷なんでしょう?いいなぁ…わたしも住みたい」
「ええっ!?」
「ダメ?」
優理ちゃんはそう言って首をかしげてくる。
「だ…ダメっていうか…」
「頼んでみてよ」
「…うん」
遠十の屋敷に親友を住ませて欲しいと頼んだら、二人はなんて言うだろうか。
「いいよ」
「………え?」
予想外の答え。それが承諾なのだと理解するのに少しかかった。
「梨暗の親友だからね。特別。長期は無理だけど、少しの間なら」
昼食を口に運びながら有逆くんが言った。
その横には、とっくに自分の分を食べ終えてしまった永斗くんがいる。
今日は始業式だけだったので、HRのあとすぐに下校し、わたしたちは屋敷に戻ってきていた。
「それでは、お部屋を用意しなくては!どこのお部屋が良いでしょうか」
「ええと…きいてみます」
急いで夕食を食べ終えると、わたしは服のポケットから携帯電話を取り出した。
わたしの部屋の隣でいいかな?と思いつつも、一応優理ちゃんにメールを送ってみる。
すると、すぐに返事が返って来た。
「えっと…『梨暗と同室でいいよ』……え!」
「それなら、リア様のお隣の部屋を用意しておきますね」
「…お願いします」
確かに、優理ちゃんと同室も、楽しいかもしれない。
でもやっぱり、一人でいられる場所も必要だから。
今のわたしには、一人で考えたいことがたくさんあるから。
「どうしますか?寮にお荷物が届いているのなら、今からでもお荷物を運んで…」
「あっ、またメール」
閉じてしまった携帯電話を再び開く。
「『今、プライベートスペースの門の前にいるよ』って……ええ!」
「もう来たの?はやいね」
有逆くんが、最後の一口を口に運びながら言った。
「わたし、ちょっと行ってきます!」
「あ、お待ちくださいリア様!わたしも行きます!」
音甘さんの言葉に待つこともできずに、わたしは急いで屋敷を飛び出した。
「あっ、梨暗!」
「優理ちゃんっ…!」
息を切らして門にたどり着くと、門の向こう側には大きな荷物を抱えた優理ちゃんが立っていた。
「待ちきれなくて来ちゃった!荷物もまだ開いてなかったし」
「はやすぎだよっ…ビックリした…」
わたしが息を整えながらそう言うと、笑顔だった優理ちゃんは急に申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね。迷惑…だよね。強引だって、わかってはいるんだけど。久しぶりに会えて、本当に嬉しくて、それでつい…」
「ううん!ビックリしたけど、大丈夫。わたしも優理ちゃんに会えて、本当に嬉しいから」
わたしが慌ててそう言うと、それでも優理ちゃんは不安そうな顔をして
「本当に?」
と尋ねてきた。
「うん」
わたしが頷くと
「よかった」
優理ちゃんはそう言って、ようやく安心したように微笑んでくれた。
わたしが門を開けている(本当は十字の力で自動ドアのように開くけれど、不自然に見えないように十字の力を使いながら手で引いて)間に、音甘さんが車で門の前までやってきた。
「お待たせいたしました。お二人とも、お乗りください」
「ありがとうございます」
わたしと優理ちゃんはそれぞれお礼を言って、音甘さんの車に乗り込んだ。
優理ちゃんに「一日だけ!」と懇願されて、今日だけ優理ちゃんは隣の部屋ではなく、わたしの部屋に泊まることになった。
「わぁ!梨暗の家の梨暗の部屋にそっくりだね!」
部屋に入った瞬間、優理ちゃんがそう言った。
「うん。永斗くんと有逆くんの計らいで…」
「そっか。ねぇ梨暗、」
優理ちゃんはわたしの部屋をぐるっと見渡すと、言った。
「どうして梨暗は、ここに住んでるの?」
「え…」
当然の疑問。だけど…
「まぁいっか」
わたしが言葉に詰まっていると、優理ちゃんはそう言ってドアノブに手をかけた。
「えっ、優理ちゃん、どこ行くの??」
「ちょっと遠十先輩たちにお礼言ってくる!」
そう言って、優理ちゃんは部屋から出て行ってしまった。
遠十家のC塔の、使われていない空き部屋。ちょうど、音甘の部屋のすぐ下にあたる。
その部屋に人がいることをわかっていながら、優理はノックもせずに、勢いよく扉を開いた。
「こんにちは、遠十先輩方。滞在を許可してくださってありがとうございます」
カーテンを締め切った薄暗い部屋は、『黒』を強調する演出なのか。
「こんにちは明原さん。いいよ別に。どうせ長くはないだろうから」
カーテンの閉められた窓際に佇む有逆がそう答える。
「あなたのような方に苗字で呼ばれると、変な感じがしますね」
「お前も、苗字で呼んでいるだろう」
有逆の立っているすぐ傍…窓際のソファに座っている永斗が言う。
「そうですね」
優理はいつものように、にっこりと微笑んで答える。
「わざわざこんな場所まで差し向けてくるとは思わなかったよ」
「わたしの役目は梨暗の一番近い場所にいること。それがたまたまここだった、それだけのことです」
優理は恐れもせずに窓際まで進むと、一気に、カーテンを引き開けた。
「…っ」
眩しそうに目を細める彼らをしり目に、優理は外…太陽の『光』を見つめる。
「昼間からカーテンなんて閉めずに、日の光いっぱい浴びたほうが健康にいいですよ」
そしてクルリと向きを変えて彼らを見ると、満足げにそう言った。
「太陽の光よりも月の優しい光にほうが好きなんだよ」
「月なんて!太陽の光を借りているただの衛星にすぎません」
有逆の言葉に優理はそう言って、再び歩みだしドアの傍まで戻る。
「それじゃあわたし、梨暗の部屋に戻りますね」
そう言って、ドアノブに手をかける。
「どうぞ、ごくつろぎください」
壁際に佇み様子を見守っていた音甘が、そう声をかけた。
優理は少しだけ振り向き微笑むと、その部屋を後にした。
「あっ、優理ちゃんお帰り」
10分もせずに、優理ちゃんは戻って来た。
三人とも十字がC塔にあったので、優理ちゃんが無事辿り着けるかどうか心配だったのだが、どうやら大丈夫だったようだ。
「ねえねえ梨暗、ジュース飲まない?」
戻ってくるなり優理ちゃんはそう言うと、荷物の中から缶ジュースを二つ取り出した。
「冷えてないからあれだけど…なんなら氷もらってくるし」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
優理ちゃんからジュースを受け取る。梨のジュースだ。
二人でベッドの端に座って、ジュースをあける。
「…梨暗の名前って、変わってるよね。『梨』に『暗い』で『梨暗』。いったいどんな由来があるの?」
ジュースを飲みながら、優理ちゃんがそんな質問をしてきた。
「わたしの名前はおばあちゃんがつけてくれたものらしいけど…」
そういえば、名前の由来なんて、きいたことがなかった。
「お母さんにも『林檎』の『檎』の字が入ってるし、名前に果物の名前を入れるのが好きなのかな…」
「きっとなにか深い理由があるんだと思うな」
優理ちゃんはそう言って微笑む。
「優理ちゃんは?」
「わたし?わたしは普通だよ。優しさを理解する…的な」
「そうなんだ。素敵な由来」
梨の甘い香り。
林檎とはまた違った、水分の多いみずみずしい甘みが口に広がる。
おばあちゃんはどうしてわたしに『梨暗』という名前をつけたのだろか。
『梨』はともかく、『暗』は…どちらかというとマイナスのイメージが強いこの漢字は、もしかしたら『黒十字』に関係しているのだろうか。
黒十字は夜を司どる。そして白十字は昼を司る。…以前有逆くんに、そう聞いたことがある。
「わたし…梨の味、好きだよ?」
優理ちゃんが言う。
考えてみても、わたしにはわからないことだ。
「うん、わたしも」
それでもただ、わたしはこの味が好きだった。
「本当にいいの?狭くない?」
「うん。全然大丈夫…梨暗あったかいね」
「わ…!優理ちゃんのが、あったかいよ…!」
今は午後11時すぎ。
わたしと優理ちゃんは、何故か一つのベッドで寝ることになった。
布団を持ってくることもできたのだけれど、優理ちゃんに押し切られてしまったのだ。
別に嫌ではないのだけれど…自分の寝ぞうが悪くないか心配だ。
「ねぇ梨暗…」
電気を消してベッドに入ってしばらくたって、優理ちゃんが呟いた。
「なに?」
「…あの日わたしがメールで送った言葉、覚えてる?」
「うん。…もちろん」
暗闇の中、優理ちゃんが嬉しそうに微笑むのが、気配でわかる。
「わたしたちは、なにがあっても親友…だよね」
「そんなの…当たり前だよ」
「…ありがと」
わたしたちは、なにがあっても親友。
そう、例えなにがあったとしても。わたしたちは、親友だから。
「優理ってだれ?」と思われた方・・・
No.2、No.3あたりで出てきた梨暗の親友です。