No.18 肖像画
「ようこそ、我が屋敷へ。…どうぞ」
依留さんの言葉を受けて、一歩、中へと踏み出す。
「お邪魔します…」
依留さんの屋敷は、遠十の屋敷よりも、さらに立派な、大きなお屋敷だった。
有逆くんの話によれば、遠十の屋敷は無理矢理学園の敷地内に建てたため、あれ以上大きくはできなかったらしい。
わたしはそれでも充分大きいと思うのだが…。
「おかえりなさいませ、イル様、サノ様。エト様、アルキ様、ネア様、ようこそいらっしゃいました」
使用人らしき人たちが、そう言い一礼する。
「みんな、一人忘れてるよ。この方を」
依留さんはそう言って、わたしに視線を向ける。
「…!あなた様は、まさか……」
直後、使用人らしき人たちの動きが停止した。
「…え?」
わたしは思わず、その様子を呆然と見つめる。
「依留…リア様のこと、伝えていらっしゃらなかったんですね」
その様子を見て、咲野さんが呟いた。
「お三方のことは言ってあったんだけど…梨暗ちゃんのことはね。父に反対されても面倒だし」
「反対…既に猛烈にされていらっしゃいましたからね。なんとかお許しをもらいましたが、確かにリア様もご一緒となれば、無理だったかもしれません…。でも、この家の十字としての代表者は、あなたのはずです」
少し不服そうに、咲野さんは言う。
「そうだね。でもやっぱり、俺はまだ未成年だから。会社を動かしてるのも父だし」
咲野さんにそこまで言うと、依留さんはくるりと向きを変えて
「というわけで皆様、申し訳ございませんが、よろしくお願いします」
わたしたち四人に向かってそう言った。
「『よろしくお願いします』って、なにが?」
あからさまに不機嫌そうに、有逆くんが尋ねる。
「今回、梨暗ちゃんのことは伝えていないので、父は死ぬほど驚くと思いますが、お気になさらないでください」
「ていうか、その『梨暗ちゃん』って呼び方は何なの?」
依留さんに会ってから、有逆くんの機嫌はずっと地の底だ。
「依留…?」
上から声が聞こえて視線を上げると、エントランス中央の階段を上がった右の通路に、中年の男性が立っているのが見えた。
「これはこれは…エト様、アルキ様、それにネア様…こんなにお早くいらっしゃるとは…依留、何故すぐ知らせに来なかった」
その人はそう言いながらゆっくり階段をおりてくると、
目の前で床に頭をつけて―――土下座した。
「先日は、大変なご無礼を―――許していただけるとは思っておりませんが、どうか、謝罪だけでもさせていただきたく…」
「顔を上げてください。謝罪など、僕たちには無意味です。あなたの目的が『家の繁栄』のみにあるとわかっていながらあなたを使っていたのは僕たちのほうなのですから。利害の一致ですよ。ただ、次はないと思ってくれて構いません」
その頭に、有逆くんは冷たく言い放つ。
言葉は丁寧でも、彼の目はとても冷たい目をしていて―――とても怖い。
「謝罪なら、こいつにするべきだろう」
そう言って、永斗くんがわたしに視線を向ける。
「…!!あなた様は…!!」
頭を上げて、やっとわたしの存在に気付いたらしいその人は、目をいっぱいに見開いてこちらを見上げた。
「キョウ様…」
そして呆然と、そう呟く。
「……いいえ、わたしは、梨暗です」
懸命に心を落ち着けて、静かに、わたしは言った。
「リア…リア様…あなた様が……お初にお目にかかります、リア様」
「はじめまして。ええと…依留さんの、お父さん?」
そう言って、わたしは軽く微笑んでみる。
「ああ―――…リア様……リア様っ…先日は、とんだご無礼を……本当に、申し訳ございません」
依留さんよりも少しだけ小さめの十字―――目の前で、震えているのを感じる。
その姿を見下ろしながら、わたしは、学園を出るときに永斗くんがわたしにはってくれたガードを、自分の力で外した。
他の5人がまだ外出時にはったガードを外していなかったこともあって、わたしの十字の存在感が、一瞬にして周りの空気を覆った。
彼の震える十字を消し去るように。
「―――ああ…―――これが、あなた様の―――……」
「今日は、祖母の―――…京の、肖像画を見に来たんです」
彼は完全に、わたしに恐れをなしていた。
「はい…すぐにご案内いたします」
そう言って、彼は震えながら立ちあがる。
わたしはこのとき初めて、自分が『最十字』であることを自覚した気がした。
「お願いします」
そう言ってわたしは、ふと後ろを振り向いた。
「―――…え」
みんな、わたしを見たままかたまっていた。
「……こわかったんだってば」
依留さんのお父さんの後について廊下を歩いている途中、有逆くんが呟いた。
「え……そんなにですか?」
「なんていうか……ビックリしたよね、永斗」
「……ああ…」
「……わたしは、リア様が最十字であるということを改めて実感しました」
音甘さんが、少し複雑そうな表情で言った。
「うん。まさに『最十持者』って感じだったよね。やっぱり君の十字は、僕たちのものより強大なものなのだと、僕も改めて実感したかな」
「―――それをお前は受け入れられているのだと、改めて思い知らされた」
永斗くんは、やや暗い表情でそう言う。
「そんなこと……わかりませんけど、でも、わたしも実感しました。自分の十字の大きさを」
自分の十字の存在感を最大限に表に出す―――圧倒する、あの感覚。
「わたしの十字は…異常に大きくて……、それが心地よくて―――酔ってしまいそうだった」
「酔う―――か」
わたしの言葉に、有逆くんは難しい表情をする。
「十字に酔うのは、危険だよ。それこそ、十字をひっくりかえす行為において、最も恐れられることなのだから」
「だが」
有逆くんの言葉に、永斗くんが口を挟む。
「こいつの場合は、それで良いのかもしれない」
「永斗…?」
予想外なことを言われたようで、有逆くんは驚いた顔をしていた。
「こいつの十字は、きっとこいつに歯向かわない。こいつは自分の十字を全てその身に受け入れていて―――その身に従えているように、俺には見える」
「そんなことが可能なのか、僕にはわからないけれど―――それなら、結局は梨暗の意志次第ってことかな」
永斗くんの意見に反発するわけでもなく、有逆くんはそうこたえた。
「どちらにせよ、俺たちは最十持を信じる他に―――」
「そうかな」
今度は、永斗くんの言葉を有逆くんが遮った。
「なんのために、今梨暗を僕らの手元に置いているの?今の最十持は黒正十字―――僕らの敵だ。僕らが最十持の方針に従う必要なんてないよ。強制さえされなければ―――」
皮肉気な笑みを浮かべて、有逆くんは続ける。
「むしろ逆だよ。今なら、目覚めたばかりの未熟な最十字を僕たちに従えることだって可能だ」
「……今の最十字を俺たちが従えるのは無理だろう」
「どうしてそう思うの?」
「あのっ!」
思わずわたしも、口を挟んでいた。
「わたしは……わたしの意志で、動きますから」
「―――僕が、それを許すと思ってるの?」
本気なのか冗談なのか、
表情を変えないまま、有逆くんが言う。
「……有逆くんこそ―――わたしに、逆らえると?」
さっき依留さんのお父さんと対面していたときよりも、余程緊張する。
やっぱりこの二人は他の十字とは違うのだと、思い知らされる。
「さあ。どうだろう」
そう言って笑う有逆くんの表情は、いつもの意地悪な笑みに戻っていた。
―――まさか、本当に冗談だったのだろうか。
「―――こちらです」
ちょうど着いたようで、ずっと黙っていた依留さんのお父さんがそう言った。
目の前には、彫刻の施された重そうな扉があった。
依留さんのお父さんがその扉を押す。
「でも今は―――」
有逆くんの呟きを掻き消すかのように、ギイイと扉の開く音がする。
「君の意志を尊重してあげるよ、梨暗」
目の前の扉が、開かれる。
「―――っ…!」
部屋の奥には、大きな額縁。
「これ…が…」
そこに収まっていたのは、わたしの知る姿よりずっと若かったが、たしかにおばあちゃんだった。
「わたしが見るのははじめてですが、本当にリア様によく似ていらっしゃって―――…いえ、リア様の未来の姿と言ったほうが良いのでしょうか…?」
わたしのすぐ隣で、音甘さんがそう呟く。
一人の女性の、全身像。
髪はドレスの色と同じ漆黒。床につきそうな程にまで長く、独特な形にうねっている。
「これは…何歳ぐらいのときに描かれたものなんですか…?」
「そうですね…十持が歳を公表することはあまりありませんが、おそらく20代前半かと。キョウ様の姿に一目惚れした、うちの絵師が描いたものと聞いております」
わたしの問いに依留さんのお父さんがこたえる。
「映線の家と、交流があったんですね」
「映線は、つい50年ほど前までは黒正十字だったものですから。『キョウ』の名を知るくらいには、親しくさせていただいておりました」
そう。おばあちゃんは、『ケイ』という十字名を持っていた。
そんな彼女の『キョウ』という名を知っていたということは、かなり親しかったのだと思う。
「どうして祖母は、『ケイ』と名乗っていたのでしょうか…」
「さあ、そこまでは…申し訳ございません」
ここに描かれているのは、十字としてのおばあちゃんだ。
『水乃京』ではなく、『ケイ』としての姿。
彼女はどんな思いで、十字の世界を生きていたのだろう。
「梨暗…満足した?」
有逆くんがわたしの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「はい…とても。見られて良かったです」
「…そろそろ行くか」
わたしの言葉に満足気な表情をして、永斗くんが言った。
「そうですね」
音甘さんもそうこたえる。
「もう行ってしまわれるんですか?」
咲野さんは少し驚いたように言った。
「昼食もご用意いたしましたから、召しあがって行かれては…」
そんな依留さんの申し出を
「いらない」
有逆くんは2秒で断っていた。
門まで見送りに来てくれた三人にお礼を言って、わたしたちは映線の屋敷を後にした。
残る目的地はあと一つ。
わたしは、言いようのない不安で溢れていた。