No.17 婚約者
現在の時刻は午前6時45分。
「なんでこんな時間にショッピングモールがあいてるんですか…?」
わたしの隣で楽しそうにカートを押しながら歩く音甘さんに尋ねてみる。
「このショッピングモールは、黒逆十字の者が経営してるんですよ。わたしたちが頼めば、いつでも店をあけてくれます」
そう言いながら、音甘さんは食料品をどんどんカートの買い物カゴに入れていく。
「でも、こんな朝早くに…」
「そうですね。突然訪ねたので驚かせてしまったようです。急いで準備をしてくれましたが」
こんな早朝だというのに、店員たちはそれぞれの配置についていて、商品も綺麗に並んでいる。
「そういえば、永斗くんと有逆くんは…」
「お二人は経営者に用事があるそうで。この時間はオフィスでなく本店にいるときいてましたから、本店に寄るついでにせっかくなので買い物もさせてもらおうと思ったんです」
「それで店の奥に入って行ったんですね」
「はい。本当はそこまで急な用事でもなかったのですが、面倒なので今日済ませてしまおうとアルキ様が。今日はいろいろと用事が詰まってますから、こんな時間に押し掛ける形になってしまったんです」
話しながら、音甘さんはまた、棚に置かれた商品へと手を伸ばす。
髪をほどき、いつものメイド服ではなく私服を着ている音甘さんの胸元には、普段は見えない黒逆十字のネックレスが揺れていた。
「…永斗くんや有逆くんもですけど…音甘さんも、その、十字なら、お金持ち…なんですよね?」
『広告の品』と書かれたシールの貼られた商品に手を伸ばす音甘さんに、思わず尋ねる。
「わざわざショッピングモールの食料品売り場お買い物する必要なんて、ないんじゃあ…」
「そうですね。確かにわたしは真風の長女で、昔はこんなところに来ることもありませんでしたが…でも、楽しいじゃないですか、お買い物」
そう言いながら、音甘さんはまた手を伸ばす。その度に、胸元の蝶も揺れる。
「昔はこんなところで買い物するなんて、親が許してくれませんでしたけど…今のわたしは、遠十に仕える身。お二人のお咎めがなければ、なんだってできるんです。昔より、ずっと自由に」
本当に楽しそうに、微笑みながら、音甘さんは言う。
そんな音甘さんの笑顔になんだかわたしも楽しくなりながら、ふと疑問に思ったことを尋ねてみた。
「そういえば、音甘さんはどうして遠十家に仕えてるんですか?」
「最も強い者の守護役ですから。それなりの者でなければ務まりません。遠十の守護は、代々真風家に与えられた使命なんです。けれど…」
そこまで言って、音甘さんの楽しそうな笑顔が、少しかげった。
「お二人は、ご自分の身はご自分で守れるだけの力を持ってらっしゃいますから。あまり役に立てているとは思えないのですけどね」
音甘さんの言葉に、十字としての二人を思い返してみる。確かに二人はとても強いけれど、だからと言って音甘さんが必要ないとはとても思えない。
「そんなことないです!!あの二人の守護役なんて、音甘さんにしか務まりません!音甘さんだからできるんですよ!」
個性の強い二人の傍にずっと仕える役なんて、そこらの人にできるとは思えない。
「ありがとうございます。…わたしの本来の役割は、メイドではなく守護なんです。なんだか最近それを忘れてしまっているような気がして…」
「いいじゃないですか!それだけ平和だってことです!」
音甘さんが弱気になるなんて珍しい気がして、気付けばわたしは必死にフォローしていた。
「そうですね。今のような状態が、ずっと続いてくれればいいのですが…おそらくこれも、一時的なものでしょう」
「じゃあ、その束の間の平和を思いっきり楽しみましょう!」
平和なのがいけないなんて、わたしには思えない。
「…はいっ、そうですよね…!」
そう言って微笑んでくれる音甘さんに、わたしはほっとしたのだった。
食品売り場で買い物を続ける音甘さんの元を離れ、わたしは文房具売り場に来ていた。
外出できる機会なんて滅多にないだろうから、二学期に使う文房具を一通りそろえておこうと思ったのだ。
消しゴム、シャープペンシルの芯、それぞれ複数入ったものを手にとって、商品棚と商品棚の間をレジに向かって歩く。
誰もいないショッピングモールというのはとても不思議な感覚だ。
それでも店員たちはそれぞれの配置についているので、全くの無音というわけではない。
レジにも、ちゃんと人がいてくれるはずだ。
こんな時間からレジに立たされて、不機嫌でないか少し不安だけれど。
そんなことを考えながら歩いていた。そのとき、
商品棚の向こう側に、小さな人影が見えた。
「誰…?」
明らかに店員のものではないだろう小さな人影に、わたしは思わず尋ねた。
わたしの声に反応したのか、商品棚の影から顔を覗かせたのは、小さな女の子だった。
「…あなたは…?」
女の子はそう呟いて、わたしのほうへ向かって歩いて来る。
小学校中学年くらいだろうか。流した長い前髪をとめる大きな黒いヘアピンが印象的だった。
その女の子はわたしの目の前まで来て、わたしの顔をじっと見上げた。
「…そう…あなたが」
そして、そう呟いた。
「えっと…どうしたの…?迷子…?」
こんな時間に店内にいるなんて、店員の子だろうか。
「…そうです。迷子です」
女の子は、無表情で答える。
「お母さんやお父さんは?お仕事中…?」
「いいえ」
「迷子なら…」
「いいえ、大丈夫です」
店員さんに声を掛けたほうがいいかと思ったのだが、女の子はきっぱりと『大丈夫』と言った。
そして女の子は長い髪を翻してわたしに背を向け、そのまま歩き始めた。
「えっ…ちょっと待って!」
そのまま行かせて良いものかと思わず呼びとめると、女の子は足を止め振り返ると、もう一度
「わたしは大丈夫です」
と言った。
そして、
「またお会いしましょう」
そう言って、再び前を向くとそのまま歩いて行ってしまった。
「誰だったんだろう…あの子」
とても、不思議な感じだった。
なんと言えばいいのか―――あの少女からは、自分と共通するものを感じた。
「あっ、梨暗ちゃん発見!」
「わっ!!?」
突然背後から声を掛けられ、わたしは思わず飛び上がった。
「そんなに驚かれなくても…ここにいらっしゃるとメールで知らせてくださったのはあなたじゃないですか」
振り返ると、そこには依留さんがいた。
「そ、そうですけど…」
考え事をしながら歩いていたせいか、全く気付かなかった。
互いにガードをはっていたせいもあるかもしれないけれど。
「えっ、ちょっと待って下さい依留。今、リア様のこと『リアちゃん』って呼ばれましたよね!?」
依留さんのすぐ後ろから、依留さんを追いかけてきたらしいサノさんが言った。
「だって梨暗ちゃんがメールで、『できれば様付けはやめてください』っておっしゃるから」
「…メール!?メールのやり取りをされるような仲だったんですか!?というか、敬語なのにちゃん付けって変ですよ!」
どうやらサノさんは、依留さんのわたしに対する呼び方が相当気に入らなかったらしい。
「それはお前も同じだろう?咲野」
「!!だって…それは…依留がそうおっしゃるから…」
「そんなに心配しなくても、大丈夫。俺が愛しているのはお前だけだよ」
「!…依留……」
「……ええと…お二人はどういった関係なんですか…?」
なんか邪魔しちゃいけないのかなと思いながらも、わたしはついそんな質問をしていた。
「!!すみませんリア様!挨拶もなしにっ」
依留さんを見つめていたサノさんは、我に返ったようにこちらに振り向いた。
「お久しぶりですリア様」
「咲野と俺は、婚約者同士なんですよ」
「えっ…」
婚約者…?
小説やドラマなんかではよく見かける単語だ。
もしかしたら、十字の世界ではよくあることなのかもしれない。
「依留があなたに名を名乗ったと聞きましたから…わたしも名乗らせていただきますね。わたしの本名は、写宮咲野と申します。先日はご無礼をいたしました」
「いえっ、あの、写宮咲野さん…ですね!改めてよろしくお願いします」
頭を下げた咲野さんに、わたしは慌ててそう言った。
「咲野は、十字の位的には、ちょうど俺のすぐ下にあたります」
「そう…なんですか」
同じくらいの十字の者同士での婚姻。
もしかしたら、家に決められたものなのかもしれない。
「そういえば、お三方はどちらに?」
咲野さんはそう言って、あたりをぐるっと見渡す。
「永斗くんと有逆くんは、経営者の方に会いに行ってます。音甘さんは、下の食品売り場で買い物を」
「そうですか。ねぇ依留、皆さんそれぞれ忙しいようですから、少しの間だけ店内を見てまわりませんか?こんなところに来る機会など滅多にないのだし…」
「そうだね」
「よければ、リア様もご一緒に」
「いえ、わたしは…」
たとえ家に決められたものだとしても、この二人にはそんなの関係ないように見えた。
「そうですか…ありがとうございます」
「すみません、梨暗ちゃん」
二人は少し申し訳なさそうにそう言って、仲良く歩いて行ったのだった。
「りーーーあっ!」
「うわ!?」
突然背後から声を掛けられ、わたしは思わず飛び上がった。
「梨暗、驚きすぎだよ」
振り向けばそこには有逆くんがいて、隣には永斗くんの姿もある。
「依留さんも有逆くんも、心臓に悪いです…」
「えっ、なに?イルが来てるの?」
少し棘のある声音で、有逆くんが言う。
「あっ、はい。わたしがメールで知らせたら、迎えに来てくれたみたいで…咲野さんも一緒に」
わたしがそう言うと、有逆くんは少しだけ目を見開いて
「梨暗、なんで依留のアドレス知ってるの」
と言うのと同時にわたしのバッグに手を伸ばしてきた。
「えっ、それはこの前…って、有逆くん!?」
「僕より先にアドレス交換してたなんて…許せないから消す」
「だ、ダメですって…!」
有逆くんにとられそうになるバッグを必死でかばう。
そう言えば、永斗くんに言ったときも、永斗くんはとても驚いていた。
十字の間では、メールのやりとりは珍しいのかもしれない。
永斗くんは、わたしたちの様子を無言で見つめている。
「……ネアが車をとりに行ってる。僕たちも店を出ようか」
どうやら諦めてくれたらしい有逆くんが溜息を吐きながら言った。
「あ、でも依留さんたちが」
「そんなのほおっておけばいいよ」
「ダメですよっ、せっかく迎えに来てくれたのに」
「イルがいなければイルの屋敷に行っても意味がないだろ」
永斗くんの言葉に、有逆くんは益々不機嫌になる。
「えー…だったら永斗、探してきてよ。僕はまだイルには会いたくないんだよ。別にイルがいなくても、イルの屋敷には入れるし?」
「…俺だって、本当はイルになんて会いたくない」
「…それは、依留さんが一度、二人を裏切ったからですか?」
わたしのワガママに付き合ってもらってることに申し訳なくなって、わたしは思わず尋ねた。
「違うよ」
「違う」
ほぼ同時にこたえられた。
「え…」
思わず呆然とするわたしに
「仕方ない、三人で探そう。どうせその辺でいちゃついてるだろうから」
話を断ち切るように有逆くんが言う。
「はい…」
歩き出してしまう二人に、わたしも頭を切り替える。
今からわたしは、依留さんの屋敷に行く。
おばあちゃんの肖像画を見るために。
わたしは急いで二人の後を追いかけた。