未来に散った恋
「……タイムマシンって本当に作ることができると思うかい? そんな事、夢物語だって思うかもしれないけど、僕はできると思うんだ。過去、人類は不可能と言われてることをどんどんと具現化していった。例えば、空を飛ぶって言う夢。例えば、海深くまで潜るという夢。例えば宇宙に飛び出るという夢。どれもこれも実現不可能だって言われてきたけど、どれだって実現されてきた。まさか2000年前には人間が月に立っている姿なんて誰も想像しなかっただろうし」
「うん」
こうやって、夜、今日助と食事をしながら、このことについて語るのは私たち夫婦の日課だ。
ワインを飲むと、普段は寡黙な恭平がすごく饒舌になる。その話を聞いていることが、私にとってすごく好きだった。
「ここ1000年の間に、科学はさらに大きな進歩を遂げた。バイオエネルギーの確立。がんの特効薬の開発……これはがんが駆逐されたと同時に新たな病気が現れるといういたちごっこになってしまったわけだが。そして、コールドスリープの実現。すでに凍結させたのち、解凍して、無事意識が戻り、日常生活にも支障をきたさないことが確認できた。これをもって、まだ特効薬が見つかっていない病気に対し、未来に先送りすることが技術的にはできるようになった」
「うん」
けど、コールドスリープの維持には、莫大な費用がかかる。
コールドスリープを利用することができるのは、現段階では一部の富裕な人だけで、一般の人には手も届かないような額だ。
本当に病気で苦しんでいる人は利用できず、富裕な人の娯楽としてしか使われていないというのが今のコールドスリープの現状だ。
恭平はずり落ちてきたメガネを上げる。恭平は既に少し酔ってきたみたい。今日はいつよりもましに、ワインを飲むペースが速いみたいだ。
私もいつもよりちょっとだけペースが速い気がする。
「タイムマシンを作るって言うのも、夢なんかでは終わらない。ほとんどの人は子供っぽい、バカバカしいって言うかもしれない。けどさ、過去に馬鹿だって言われてた人だって、地道に研究を重ねながら、成果を上げてった訳だ。そりゃ、もしかすると全くもって日の目を見なかった研究も多くあるかもしれない。けど、そう言う研究だって無駄じゃない。『この方法じゃできないということが分かった』これだけでも大きな成果だろ?」
「うん」
恭平はだんだんと興奮してきて、メガネがずり落ちていることも気にせずに話し続ける。
「そう、どんな研究だって無駄じゃないのさ。ずっとずっとありえないと思われていた、光より速い物質の発見もあったんだから。タイムマシンで過去に行く。それはまだ理論的に可能か不可能かはわかっていない。過去に戻るということが実際に可能ならば、過去にあった事象の改変が可能になる。はたしてそのようなことが可能なのか。可能だとしても、今の時代と大きく矛盾が生じてしまう結果になりえないか。当然だ、いなかったはずの人がいることになる、これは大きな矛盾が生じることになる」
「うん……」
恭平の声が大きくなるにつれ、逆にだんだんと私の声は小さくなっていく。
「けれど、こと未来に行く事だけならば、理論上は可能だ。宇宙に飛び立って、光よりも速い速度で走行する……単純な方法だけど、きっとできるにちがいないんだ。」
「うん……」
自分の目に、だんだんと涙があふれ、前が見えなくなっていく。
だって、今日が最後の夜だから。明日から恭平はタイムマシンの実験の第一号として、未来に行ってしまう。
「ごめん、僕の夢、いやただのわがままの為に、ずっとずっと1人にしてしまう」
「……いいの、すべてわかってて結婚したんだから」
それに、夢を追っている恭平を見るが好きだったから。
「僕が戻ってくるのは、きっと10年後。かならず成功させて、10年後に君の元に戻ってくる」
「うん……」
もう、私の声は嗚咽できちんと聞こえたかわからないくらい、か細いものになっていた。
「10年後、また会おう」
「うん……」
そして、私たちは食事を終え、静かにキスをして、2人で眠りについた。
目が覚めると、恭平はいなくなっていた……もともと、見送られると決心が鈍ると言ってたので、私を起こさないようにこっそりと出て行ったのだろう。
……私は1人になってしまった自宅で、また少し、静かに泣いた。
私は、コールドスリープから目を覚ました。
私が眠りについてから、あれから8年が経過したはずだ。
……コールドスリープはもともと、富裕層しか使えない、本来ならば私にはとてもじゃないけど使用することができなかった。
けれど、私には10年も恭平を待ち続けることなんて、辛くて耐えられなかった。
だから家を売り払い、すべての家財を売り払って身1つになり、どうにか8年分の額を集めて、恭平がタイムマシンで旅立って2年後、恭平が戻ってくる予定の前日に合わせ、私は眠りについたのだ。
……ようやく、恭平に会える……10年ぶりに恭平に会える。
何もかもがなくなってしまったけれど、恭平に会うことができるのだ。
翌日、私は恭平の共同研究員とともにタイムマシンの到着を待っていた。恭平に早く会いたい一心で共同研究員の人たちに無理を言って一緒に待たせてもらうことにしていた。
……予定時刻、タイムマシンは戻ってきた。実験の第一号として宇宙に、未来に旅立った恭平は、無事に戻ってくることができたのだ。
「恭平!」
タイムマシンの停止と同時に、私は研究員の人たちとともに、タイムマシンの中に乗り込んだ。
「恭平! どこ!?」
恭平に会いたい一身で、中を必死で探した。中はそんなに広いわけじゃない。
探せるところはすべて、ネズミしか入り込めないだろうせまいところまで、くまなく探す。
最後に到着した、操舵室と思しきドアを勢いよくあける……。
「恭平!」
……だが、そこにも恭平の姿は見えなかった。ただ無機質な機器類がピカピカと私にはわからない信号を送っている。
一緒に乗り込んだ研究員が「おお、減衰率が……半年しか……成功……!」と何やら騒いでいるが、そんなことはどうでもいい。私は恭平だけを探していた。
操舵室の中、見回してみたけれど、恭平の姿はない……操舵席にもだ。
ふと操舵席の前の操縦盤を見ると、恭平がいつもつけていたメガネが無造作に置かれてあった。
「……あ」
そのメガネを見た瞬間、涙が一気に溢れ、止まらなくなってしまった。
だって……なぜか、分かってしまったから。恭平はきっともうこの世にいないのだと……。
きっと、恭平の体は、光を超える速度に耐えられなかったのだろう。十分にシミュレーションを繰り返したといっても、実験にイレギュラーはつきものだ。
「……この……最悪メガネの、嘘つき……」
私はメガネを拾い、誰にも聞こえないくらい、嗚咽をこぼしながら小さな声でつぶやいた。
メガネだけ戻ってきたって意味ないじゃないか。
コールドスリープの技術を使えば、タイムマシンなんて使わなくても、私のように未来へ来ることはできたのに……ぎゅっと残されたメガネを胸に抱きしめて、私は声を出さず、静かに泣いた。