六章 裏切りと空っぽの少女 ~前編~
珍しくシリアス回。短めです。
六章 裏切りと空っぽの少女
「あのね、お姉ちゃん……」
「ですから、乙女は高潔であるものなのです! 一生を添い遂げると誓った相手にしか素顔を晒さず、ちゃ、ちゃんと貞操と節度を守り、淑女としてお嫁に行かなければならないのです! 特に、グランディアの姫である私や咲耶はもっと慎みを――」
「いや、だから……はぁ」
人の話を訊かず激昂し、マシンガンのように言葉の弾幕を展開している磐長姫を見、咲耶姫はこっそりと溜息を吐く。
土機――『西洋武者・鴉』に乗って出撃していたのだが、帰ってくるなりこうして説教を始めてしまっていた。正直、何で怒られているのか未だにハッキリしていない。ただ、ふしだらだと怒られているのは分かるのだが……そんな事をした覚えは無い。一切無い。なにせ、男日照りを通り越して男干ばつなのだから。
ここは男禁制の、『隔離世』と呼ぶ場所。グランディアの地下にあり、いずれ婿に行く日が来るまで、女を磨いたりゴロゴロしていたり、各々が思い思いに過ごしている。誰かは、『パンドラの匣』と呼んでいた。いや、別に開けてはいけないと言う事は無いが。
あ、そうだ。『パンドラの匣』と言うのは、アースガルドの神話の人間外内の『負』を内包する匣。神に遣わされた女性が持ち、それを女性の魅惑に落とされた男性が開けてしまったらしい。以降、開けちゃ駄目よとの慣用句で使われるようになった、と言う経緯がある。
けれどまぁ、好奇心は猫をも殺すと言った諺があるのだ。人間は女性が関係なくとも、きっとそれを開けていただろう。
閑話休題。ごめん、横道それた。
で、武勇で名高い男性に求愛されたら断れないのがグランディアの風習。それを変えようとしている革新派に私達姉妹共に所属し、男と戦列に並び、戦っているのだ。ここがその隠れ蓑で、文字通り隔離されたような空間である。
場所が場所だけに、出会いも無ければ目新しい出来事も見当たらない。心当たりなど、どこにあると言うのだ。
なので、ひたすら聞き流す。
「そもそも、いくら相手がその……い、いけめん? だからって、ホイホイついて行っちゃいけないんです! そりゃあ確かに咲耶は蝶よ花よと育てられたかもしれませんが、とにかく駄目なんですよ!」
姉は横文字に弱い。彼女曰く、喋るのが難しいらしいのだが、そうは思わない。何か便利だし。
例えば、ゴキブリホイホイとか。そんな日常にまで浸透している言葉なら、姉でも発音は容易らしいのだが……何が違うのだろう。我が姉ながら、分からない。
「わ、私も出会いの一つや二つくらい望んでますけど! そう言うのは私達はまだ早いんですよ! そ、その……し、下着まで見せる間柄に……」
そろそろ、突っ込んでいいだろう。
「お姉ちゃん。私、別に誰かと交際してるわけじゃないわよ」
「嘘です! 今、咲耶が嘘吐きました! 敵の高宮時雨という人が、貴女の愛用している下着の色と形状をピンポイントで当てて見せたんですからね!」
――それ、なんてエスパー?
とにかく、首を横に振って否定する。
「違うから。私達が外に出られないのは知ってるでしょ。それに、男なんて興味ないもの」
「……!? ま、まさか……い、今流行のれ、ず……びあん? なの!? そうなの咲耶!」
「何でよ!?」
発想が突拍子も無い。自分より耳年増である姉は、時々妄想の世界へ飛び立ち、幸せそうな顔をしている時がある。いくらここが俗世から隔離された場所だからとは言え、出て行けないわけではないのだから。
愕然としていた表情を戻して、姉は真剣な表情で姿勢を正す。
凛としたその雰囲気に触れ、自然と自分も姿勢が戻った。こんな時だけ、姉らしい風格が漂っている。他はお姉さん振ろうとして失敗しているが。
「……分かりました。高宮時雨殿とは交際関係にあらず、下着も見られていないと、そう言う事ね?」
「そうだけど……」
「なら、あれは時雨殿の勘でよろしかったのですか?」
「そうなんじゃない? や、時雨って人は知らないんだけど。知り合い?」
「ああ、見せていませんでしたね。データベースにいつの間にか情報が流れていたのですよ。グランディア人なのに、技術協力顧問として軍に協力を乞われている人物がいる、と。これが、顔写真です」
水色の着物。その裾から一枚の顔写真を取り出し、私の前に差し出してくる。
写真には――甘いが、どこか危険な表情を浮かべたグランディア人の顔があった。
いや、軽佻浮薄なその面構えがどこか胡散臭い。
何となく分かるのだが、彼には何か重いものが見える。
自由そうで、少なくとも享楽主義を地で行くような性格ではないだろう。どこか、無理をしているような……何故だかは分からないが、そんな気がした。
「……彼」
「え? ……や、やっぱり、イケメンですよね。いや、騙されちゃ駄目ですよ、咲耶! 男なんてみんな狼なんですから! うら若い私達なんてきっと……ああ、恐ろしくてその先は言えません! 何を言わせようとしているんですか!」
「理不尽が過ぎるんじゃない!? じゃなくて、他に知ってる事は?」
「そうですねぇ。卓抜した技術と思考、行動力を備え、軍に飼われない人物であるらしいです。それと、王族の方とも交友関係を持つとか」
――ここまで完璧だと、若干胡散臭いが。
何にせよ、そんな人物と敵対はしたくない。なら、どうやって味方に付ける?
普通は自分の武器を生かし、相手に取り入る。
では、私の武器は……?
「――お姉ちゃん」
「何ですか、咲耶」
「化粧道具……どこだっけ?」
「へ……?」
その頃、アースガルド軍本部では……
「だーッ!! ざっけんなよクソ! こんなアホみたいな熱伝導率と硬さを持つ鉱石なんてあるわけ無いだろうが!」
――時雨の私室。
ハイスペックディスプレイPCの画面から放たれる明かりが、整った顔を凶悪に変貌させている時雨の姿をより鬼気的に照らしていた。
キーボードを腹いせに殴ってみるも、募る苛々は払えない。舌を打ち、噛んでいたガムを包み紙に吐き、それをゴミ箱へ放り投げた。
時雨は刺激の強いブラックミントガムを噛みながら高速で数値を打ち込んでいたのだが、先程の言葉と共に作業を中断している。
行っているのは、『アイギス』専用新武器の開発だ。
いつも、形状、素材質量入力、シュミレート、OS書き込みのフェイズで開発に着手している。
現段階で形状までは何とかなった。今は素材質量入力で詰まっている。
そう、問題は素材だ。
鉄は脆過ぎる。かと言って、銅や銀は熱伝導率が安定しない上、手入れが大変なので却下。アルミは強度に問題が生じ、様々な合金パターンを錯誤してみたものの、無茶苦茶な数値を要求される始末。それが二日ほど続いている。
目の下にはうっすらと隈が出来ており、ストレスと疲労を見る者に印象付ける。徹夜には慣れているのだが、それはストレス等のマイナス要因を感じなかった場合の話。今はかなりの眠気が群を成して襲ってきていた。
重い瞼をこじ開けながら、再度キーボードを打ち込んでいく。
「……そういや、ここの鉱石ってこれだけなのか?」
そうだ。まだ、全て可能性を試したわけではない。
検索エンジンを立ち上げ、条件に合う金属を探っていく。
日本ではない。そもそも、世界が違う。世界が違うなら物も違う。なら……希望はある。
「エメラキスカ、ブルースフィア、シャルラッハ……ああ、この世界の宝石か。リアファールまであるし……ってことは」
時雨の脳裏を掠めた二つの素材。
――オリハルコン。それと、ダマスカス鋼。
オリハルコンは言わずもがな。誰もが知っている伝説の鉱石で、夏の夕焼けを映したかのような黄金色をしている。硬度に比肩する物無く、最高の金属と名高い代物だ。
ダマスカス鋼は、ファンタジーでよく登場する。木目の模様にも似た武器が出来る、強靭な鉱石として名高い。
「おっ……」
データを見つけ、流し読みをしていく。
加工すると、オリハルコンは蒼くなるようだ。別名、『蒼の現』とこの世界では呼ばれているらしい。
数値をオリハルコンで打ち込んでみる。
が、いきなり駄目出しを喰らう。……どうやら、熱伝導率らしい。
なるほど、強度だけなら最強らしい。しかし、熱で溶けるのに一ヶ月も掛かるのであれば、それはもう不要だ。
ダマスカス鋼も今ひとつ心許無い。計算上、一度しか使えなくなると出ている。これでは実用性に欠けるだろう。一撃専用のスポットアイテムにするにしても、コストが掛かり過ぎるのだ。
舌を打ち、更にデータベースを探っていく。
と、そこへ誰かがやってくる。足音から察するに、フランだ。次いで、コーヒーの香ばしい匂いが鼻腔を撫でていく。
「順調ではなさそうだな。濃い目のコーヒーを淹れたが……」
「ああ、悪ィな。机の横に置いといてくれ」
「砂糖やミルクはいるか?」
「砂糖四個、ミルク三個。出来れば、混ぜといてくれ」
「分かった」
陶器のコップと金属のスプーンが奏でる音を聞きながら、更に意識をモニターへ向け、調べていく。
「てっきり、ブラックコーヒーかと思ったのだがな」
集中していようといまいと、会話は邪魔にならない。鬱屈したこの雰囲気と気分を払拭してくれるからだ。
無碍にしないよう、意識を少しだけ会話に向ける。
「いや、正直に疲れてるからな。コーヒーを嗜むならブラック、休憩時や作業続行にエネルギーが必要なら、砂糖でも何でも入れるぜ」
会話中に置かれたコーヒーを一口啜る。
あれだけミルクや砂糖を入れてもまだ消えない苦味と甘さ、そしてミルクの濃厚さが体に染みていく。これなら、もう少しやれるだろう。エネルギーよりも、精神的な気力が沸いて来る。
固まりかけた体を伸ばしていると、フランが画面を覗き込んできた。画面には細々とした鉱物のラインナップがある。
「……何について悩んでいる? 鉱物なら、割と詳しいぞ」
「そうさな……」
話しても良いのだが、彼女が知っているだろうか。と言うか、本当にあるのだろうか。
オリハルコンと同一視されていた、昔の日本文献に登場したもう一つの鋼。
「緋々色金。触ると冷たくて熱伝導率の高い鉱物だ。知らないか?」
「む……? 赤い金属か?」
「外見じゃそうらしいんだが……実物なんか、見た事ねぇし」
「そのヒヒイロカネは知らないが、『紅の虚』に特徴が酷似しているな」
「あ?」
キータイプして、情報を探ると、すぐに現れた。
すぐに数値を設定してシュミレート。滞りなくそれは進み、何の問題も生じさせずにテストを合格して見せた。
恐らく、強度と粘り、そして熱伝導率だ。熱すれば瞬時に熱さが行き渡り、無駄も少ない。また、超高温でも融けないので、素材としては優秀だ。
また、特筆すべきはその重さだ。銅と同等の重量は、中々便利である。押し合いにも有利に望む事ができ、またそれで殴っても良さそうだ。
しかし、落選した二素材と『紅の虚』は奇しくも三竦みのようなポジショニングだ。
軽量で熱伝導率が高く、粘りのある『紅の虚』。
かなりの重量で、熱伝導率の鈍い頑強な『蒼の現』。その狭間をいくのがダマスカス鋼だ。
「っし。固まったな。後は、生産地……っと」
検索結果、ゼロ件。
「……」
再検索。
検索結果、ゼロ件。
「…………」
キーワードを変更し、検索。
――検索結果、ゼロ件。
「……オイオイ、ここまできてそりゃ無いだろ二日掛かってんだぞ! あぁッ!? ぶっ壊されてぇのかよ!! キーボードクラッシャーばりにやってやんぞテメェコラ!!」
とうとうストレスが限界突破してしまう。それはそうだ。こんな状況が続けば、誰だって嫌になる。
フランが必死にこちらの体を掴み、止めさせようと椅子へと引っ張ってくる。
「お、落ち着け時雨! そもそも、『紅の虚』はグランディア秘蔵の鉱物だぞ。アースガルドにあるのはダマスカス鋼と『蒼の現』だけだ!」
彼女の説得に絆されたわけではないが、椅子に座り直してみる。
熱っぽい頭で考えたところで、もうこれ以上はどうしようもない。ならば、気晴らしでもしよう。
そうだ、言葉遊びでも。
「んじゃ、旋律と糸。類似する点を挙げてみろよ」
「は?」
「気晴らしだ。正解したら、いい物やるよ」
「…………わ、わからん」
「どちらも、『紡ぐ』ものであるってな。ああ、残念」
ベッドに身を投げ出し、その傍らをポンポンと叩く。
「罰ゲーム。ちょいと添い寝してくれ」
「うむ」
即答したフランだったが、徐々にこちらの言葉を飲み込んでいっているようで、次の瞬間には顔を真っ赤にしてこちらへ驚愕している顔を向けてきた。
「はぁ!? ちょ、ちょっと待て! その前に、ほら! 色々あるだろう!? じゅ、順番を飛ばすのはよくなくて……ま、まずはその……き、きききき――」
「啄木鳥か?」
「何故そうなる!?」
「そりゃこっちの台詞だっつの」
苦笑し、体から力を抜いていく。
それは浮遊感にも似ている。しかし全身が安心し、弛緩していく感覚は、浮遊では味わえない。
まどろみの中、言葉を続ける。
「ちょいと、俺だって……人肌、恋しくなる事あるんだぜ? ま、どうでもいいがよ。……ヤベ、本格的に寝るわ。じゃな、フラン……コーヒー、サンキュ……」
意識が続いたのはそこまで。
後はひたすら温かい泥濘に沈み込んでいく――。
寝入ってしまった時雨に毛布を掛けながら、フランは微笑んでいた。
あれだけこの軍や世界を嫌いながら、ここまで協力してくれる。そんな彼の律儀さと誠実さが、愛しい。
(……愛しい、か)
けれど、今は戦時中だ。いつ死ぬかも分からない状況で、そんな刹那的価値観で自分を見失ってはいけない。
この大型艦の船長であり、軍の総帥。それが、自分の肩書きだから。
(けど、今くらいは……いいよね?)
毛布に潜り込み、背中合わせに布団へ入る。
彼の匂いと共に、人肌の温かさが何故か涙腺を緩ませた。
(……そっか。誰かと寝るのは、これが初めてだっけ)
幼少の頃から軍人のエリートとして育て上げられ、自分も軍人になる事を信じて疑わず、ただひたすらに己を磨いていた。
親は褒めるだけ、使用人は準備だけ、私もそれが当然だと日々訓練に励んだ。
だから、温かさをあまり知らなかった。
「……時雨」
呟いてみるものの、彼からの返事は無い。
すると、堰を切ったかのように言葉があふれ出す。
「私ね、ずっと女の子になりたかった。女の子になって、素敵な王子様と恋がしたいって思ってた。……今は、もう無理だから。ゴメンね、時雨……好きになって」
気付けば、頬に涙が伝っていた。
彼の背中から伝わる命の鼓動を確かめながら、声を押し殺して、泣いた。
泣きつかれて眠るまで、ずっと。
――ずっと。