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五章 シャルロットと一緒

五章 シャルロットと一緒



――本に囲まれて、私は過ごしていた。

好奇心を満たすにはそれしか方法がなく、しかし本通りの確固たるヴィジョンを得るには、想像と言う曖昧な手段を使うしかない。

――『世界は、こんなにも美しい』

それは、どこかの詩のワンフレーズ。

想像の世界は、現実味がなかった。

みんな笑っていて、みんなが親切にしてくれて、みんなが本当に満足そうで。

青空には白い鳩が、草原には羊や馬が、海には魚やイルカが、氷山にはペンギンが。

――そんなの、本当じゃない。

分かっている。けれど、分からない。

世界は美しいのか。世界は汚れているのか。世界はどうなっているのか。

私にはそれが分からない。

だから、外に憧れていた。

でも、きっと出られない。

いつかは、この国を出て嫁ぎ、また幽閉にも似た生活を強いられる。それがお飾りである姫の人生で、今も昔も、この身分に生まれたからには仕方の無い事だと片付けられるだろう。

さしずめ、籠の鳥。陳腐な表現だけれども、究極になればなるほど、形容は陳腐になってしまう。

そして、そのケージの外を今日も眺めるだけ。

良く手入れされた、緑が眩しい庭園。煌く噴水は美しく、時間帯によっては虹が見える。

この刹那とも呼べる時間が好きだった。どれだけ既知に塗れていようとも、変わらない美しさがあったから。変わらないと言う生活に、どこか安心を覚えているのも事実だったからかもしれない。

噴水の強まった音に虹を期待して、窓まで歩み寄っていく。

と、そこで既知感が消え失せてしまう。

「……え?」

窓の下に視線を向けると、そこには何故か、人の手があったのだった。






外見的には子ども同然の女性――フランは嘆息しながら、目の前に腰掛けている容姿の整った男性――時雨に声を掛ける。

「……なぁ、時雨」

「あ? 何だよ、フラン。俺は今ナーバスなんだよ」

物憂げな溜息を零す時雨の表情には、確かに生気が欠けていた。

いつも浮かべている軽薄な笑みは陰を潜め、代わりに大切なものを失ったかのような、明らかにテンションの低い表情が浮かんでいた。

彼の悩み。それは、『アイギス』の腕の損傷とブレードシールドの爆発力の無さについて。

ああやって腕を犠牲にしなければ、敵は退けられなかった。しかも、ブレードシールドの切れ味も想定したものとは大きく違い――いや、違う。切れ味は想定通りだった。

多分、相手の機体は元の世界に無かった材質で作られた物だったのだ。シュミレートして、ダイヤモンドすらも両断するように設定していたのだが、それよりも硬い物質で出来た武器と機体だったに違いない。

(こりゃ、本格的に観光してみるっきゃないのかねぇ……)

懸念していると、フランは更に訊ねてきた。

「なぁ、時雨。今置かれている状況に、何か不純なものを感じないか?」

「は?」

今は会議の前で、ブリーフィングルームの座席に時雨は腰掛けている。先程からオペレーターが揃わず、会議が始まらないのだ。

なので思考の海に身を投じていたのだが、その状況の何が不純なのだろうか。

「フラン、お前……俺に発情しちゃってんの? 俺、今から痴女行為でも働かれんのか? 所謂、貞操の危機ってヤツ? うわ、やらしー」

「う、うううう撃ち殺すぞ! そうじゃなくて! その……」

「俺の顔に見蕩れてたか?」

「きぃ~さぁ~まぁ~はぁ~! 話の腰を尽く圧し折るな!」

例の如くキャンキャンと吠えるフランの全体を眺め、時雨はしみじみと呟いた。

「……Bの七十二、ね。一センチ、デカくなったじゃん。これからも精進しろよ」

「? …………ッ!?」

真っ赤になって、何かワケの分からない事を高速で捲くし立ててくるフランはさて置いて、こちらの膝で寝息を立てているアイリスの寝顔を眺めてみる。

普段から軽佻浮薄な態度を取っているにも拘らず、そこが何よりも安全だといわんばかりの安らかな寝顔。見ているこちらまでもが、幸せになってきそうな。

絶対的な信頼。信仰にも似たそれを、彼女を知る者なら自ずと理解が可能だろう。その対象となっている人物としては、何だかむず痒いものがあるのだが、望んだ結果だ。構いはしない。

彼女の寝顔を見ながら、フランはこれが訊きたかったとばかりに眉根を寄せて、こちらを睨みつけてくる。

「……ノストラダムス。時雨、お前は彼女を要らないと宣言しただろう。言ってはならないタブーに触れ、それでも尚信頼を得た。何故だ?」

「さぁねぇ……。ま、天才同士さ、理解し会えたって事で良いんじゃねぇの?」

答える気がないとこの返答で確信したのだろう、フランは苦笑して話題を変えた。

「そう言えば昨日の雑務の書類、提出したか? 量があったものの、大切な書類だからな」

「ああ、アレか。昨日、焼き芋作るのに使っちまった。悪ぃな」

「ちょっ!? お、お前! あれは運営支部からの――」

「俺の部屋でやったから、灰が残ってると良いな」

「――くっ!」

こちらの手からカードキーを受け取ると、猛スピードで駆け出していくフラン。無論、冗談だ。雑務はちゃんと終わらせて、机の上に置いてある。

入れ違いになって、オペレーター統率員のアリサがようやく姿を現した。

「艦長、どったの?」

「ドラマチックが止まらなくなったんだとよ」

「ふーん。あ、時雨。これ、遅くなった」

相も変わらずやる気のなさそうなトーンに苦笑しながら、差し出されたそれを受け取る。

ビニール包装のそれは、色取り取りで、混じりけのない半透明の固形物。極小の星みたいなその姿は、昔懐かしいものだった。

「金平糖ねぇ……」

「ご褒美。まだあげてなかった。躾には飴も必要」

「何だ? 逆に俺から飼われたいのか?」

「戦争終わったら自宅警備員まっしぐらの私、それでもいいなら」

「別に良いぜ? ……その代わり、退屈させんなよ?」

彼女の細い顎筋に手を添えつつ、そう呟いてみる。それに応じるように、アリサもニヒルな笑みを浮かべた。

と、そこへフランが戻ってきた。息を荒げ、手には時雨によって完璧に仕上げられた書類がある。

ずかずかとこちらへ大股で近寄ってきたかと思えば、勢い良くこちらを指差して怒声を上げてきた。何なのだ。

「色々問い詰めたい事はあるが貴様らは何をしている!」

「お婿さんなう」

「お嫁さんなう」

「連携するな! って、何か知らんが息ピッタリだな! と言うか時雨は何故アリサの会話の真似が出来る!?」

「そりゃまぁ、某掲示板を三年以上眺めてきた者の実力っつーか」

「それと、無論呟きなう」

「自重しろ」

「オマエモナー」

「だぁああああああああ――――ッ!! 話が一向に進まんから黙っていろ!」

「責任転嫁、テラワロス」

「ぷぎゃー」

「だ・ま・れ!」

書類を机に叩き付け、フランは椅子に座り込む。それを見て、アリサもようやく腰を降ろした。

「で、だ。今回の会議の趣旨は、オペレーターと操縦者の連携を軸として、それを意識した素早い指示展開を――」

また面白くない会議が始まる。

アイリスは寝こけているし、ローランは特例でどこかに出かけていた。自分はここにいる歴が浅いからと、フランに連れてこられただけに過ぎない。

アリサは会議を聞きながら携帯端末を高速で弄っている。BGMなのだろうか、会議は。

仕方がないので、金平糖を食べる事にする。

「通信機能の強化は技術部に言ってある。携帯端末を使用した音声転送方も題に上げておいたから、幾分か改善が――」

ボリボリボリボリ。

「……さて、各武器の強化についてだが、時雨が今模索をしている最中でな。量子力学論やらややこしい論理の本を読み潰していたのを見たので、間違いはない――」

ボリボリボリボリボリボリボリボリ。

「…………ん、まぁあれだ。必然的にオペレーターと操縦者とのコミュニケーションも増える。艦内の空気をよくしようと狙っての事で――」

ボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリ。

「っだぁああああああああああああああああああああ――――!! 喧しい! 騒々しい! てか物を食うな!」

と言うよりも、無駄が多過ぎる。

どうせ質問は後から出てくる。まずは要点を纏めて話して、後に質問を受け付ける形にした方が効率が良い。形式に拘る必要なんて、どこにもないのだから。

「で、結果を纏めれば、通信機能が改善されるので後に支給されるマニュアルは読んどけって話と、オペレーターと俺らの関係を親密なものとさせ艦内の空気をより緩くしようって事だ。不明なら後日、俺に聞け。以上、解散!」

「その通りだがコラ! 貴様らも勝手に帰るな! 給料引くぞー!」

蜘蛛の子を散らす勢いで、全員が思い思いに解散していく。そう、堅苦しいのは勘弁。

と、アイリスがようやく目覚め、蕩けそうな笑みを浮かべてこちらを見上げてきた。

「……おはよ、時雨」

「おう。会議は終わったが、後でマニュアル配布すっから」

「誰がそれを作るんだ? なぁ、時雨」

「その書類の一番下の三枚。それ、マニュアルな」

「……フン!」

悔しかったのか、素早く書類の山から三枚を抜き取り、苛立たしげに去っていくフラン。

その背中を視線で見送りつつ、十秒ほど前から胸で振動していた携帯端末を取り出す。

「よォ、超絶イケメンプリンス」

『止めんか気色悪い! どうだ、元気か?』

「ああ、久しぶりだな。……あの時、以来か。へっ、変わっちまったな、お前も……」

『特に久しぶりでもないし、あの時と意味深に言うが書類交換の時だったろう。それに、人間はそう簡単に変わらない』

「頭でっかちだもんな」

『うるさい、放っておけ』

王子――ロッテからの着信だった。

相変わらず知的な雰囲気が声から滲んでいるものの、前のような追い詰められたような声音ではない。

どこか余裕と、そして不安が入り混じった声。

「んで、何か頼み事があるんだろ? ハキハキいこうや」

『……お前には敵わないな。そうだ、折り入って頼みがあるのだが……』

彼らしからぬ口篭り。

ロッテは、内容を胸で認めて言葉にするタイプの人間だ。口数こそ少ないが、そのどれもに無駄がない。

しかし、今はただ動揺だけが伝わってくる。

「んだよ、アレか? エロ本の隠し場所で悩んでんのか?」

『ち、違う!』

「今ドモったな、このむっつりめ」

だが、返答はない。

訝しげに耳を澄ませていると、搾り出すような声でロッテは言う。

『……じ、実は、だな。い、妹がいるんだ』

「あっそ。で?」

『…………か、彼女と、友達になって……くれないか?』

「恋人じゃなく?」

『それは絶対に許さん! 例えお前であろうとも渡す気は更々ない!』

断言するロッテに、苦笑する。まるで過保護な父親だ。

「このシスコン野郎め。で、何で俺なんだ? お前の妹を毒牙にかける気満々だぜ?」

『……偏見に囚われず、物事を自分の物差しで解釈可能、それを他人に押し付けない。それでいて、尚且つ信用の置ける人物。この条件なら、お前しかいなかったんだ』

「てかお前、友達俺ぐらいしかいねぇじゃん。現実的な解釈でカッコ付けんなよ」

『う、うるさい黙れ! とにかく、いいか? 会うだけでも良いんだ』

「わーったよ。会うだけな。ノリで連れ出しても良いのか?」

『許可する。五時までには戻って来い』

「小学生かよ……」

アイリスの頭を撫でながら、苦笑する。

「ま、興味もあるしな。髪の色と目の色、可愛いか可愛くないかだけ口頭で頼むわ」

『金髪碧眼、幼さが抜けてないスタイルに可愛らしい造作。目に入れても痛くない。背は低いぞ。見た目によらず好奇心が強くてな。城の外に出たがっているのだ。全く、危ないと言うのに……。転んで怪我でもした日には、卒倒するぞオレは……』

「過保護過ぎだろ、それ……」

急に馬鹿馬鹿しくもなったが、興味があるのは嘘ではない。

「分かったよ。お前に挨拶は?」

『いい。今日は執務が溜まっていてな……。また今度、ラーメンを食べに行こう』

「お、良いねぇ。んじゃな」

通話を切ると、アイリスが身を起こしてふらふらと立ち上がる。

「じゃ、お部屋で寝るから……さ、寂しくなったら電話するね」

「おう。良い夢見ろよ?」

こちらの動きを邪魔しない。アイリスの良さは多数あるが、それが最たるものだと時雨は思っている。

(気を使い過ぎるのも、考えモンだがなぁ……)

いつか、精神が磨耗するのではないだろうか。

「ま、いっか」

時雨はそう呟くと、最後の金平糖を放り投げ、それを口で受け止め噛み潰した。





盗んだバイクでなんとやら。昔懐かしいあのフレーズが、今は何となく恋しくなる。

ともあれ、時雨は軍から失敬したバイクを走らせ、城の前までやってきた。自分専用のバイクが欲しくなるのだが、もう少し給料を溜めてから。いざとなった時、蓄えがあるのとないのでは違いが如実に出る。

顔を強張らせる門番にひらひらと通行証を見せ、城の中に入る。

手入れの行き届いた噴水庭園を歩きながら、時雨は毒づいていた。

「……場所くらい言えよあのシスコン野郎が」

聞いていなかった自分の落ち度でもあるのだが。連絡を入れてみたのだが、会議中らしく電源が切られているようだった。

「こりゃ手っ取り早く侵入するしかねぇよな」

そうと決まれば、即行動に限る。

「よっ!」

ジャンプ一番、二階の窓の縁に手を掛け、自身を引っ張り上げた。

「ん?」

と、室内にいた、大人しそうな少女と目が合う。

金髪に軽めのウェーブが掛かった髪に、大きな碧眼は驚きで見開かれているらしい。多分彼女がロッテの妹だろう。良く通った鼻筋や目元が良く似ている。

外見は華奢で、確かに儚そう。ロッテが心配する理由も分からないでもない。

とりあえず、開いていたので窓を開け、簡単に自己紹介を済ませる事にする。

「よっ、機嫌はどうよ。俺、高宮時雨な。お前の兄さんであるあの堅物の友達」

「に、兄様の……?」

「似合わないだろ? けど、実際はそう言う奴らの方が上手くいくんだよ。コレ、経験論な。……今、天才と馬鹿だから釣り合うとか思ったろ?」

「……そ、そんなことナイデスヨ?」

――間があったぞ。片言だし。

内心で苦笑しながら縁に腰掛けて、ロッテの妹である少女を気付かれないように観察する。

怯えてはいないようだが、物珍しそうにこちらを見つめてくる。居心地は悪い。けれどもまぁ、その事に馴れていない訳ではない。

互いが互いを探り合っていても、面倒なだけだ。さっさと用件を言ってしまおう。

「んで、提案だ。俺と一緒に、外へ行かないか?」

「え?」

驚きで、彼女の目が見開かれる。

特に考えずに発した言葉だが、状況を鑑みるにただの人攫いにしか見えないし聞こえない。

――これは、マズったか。

「いやまぁ、安心してくれて良いんだけどよ。俺、あまりにも胡散臭すぎるだろ? お前さんとしてはどうよ」

が、答えは既に決まっているようなものだった。

彼女のその、キラキラした瞳を見れば、誰でも答えは知れるだろう。

「はいっ! ぜひ、ご一緒させて下さい!」

――ああ、無垢だ。

最近、少女との出会いが多い気がする。それが何を意味するのかは分からないが、とりあえず交友関係は持って置いて損はない。

妙な確信を抱きつつ、その華奢な少女を姫抱きにし、

「ふぇ? ――――はひゃあ!?」

窓から飛び降りた。

衝撃を殺しながら着地し、渡り廊下まで走る。その柱と壁との間で壁キックを行い、高く跳んで城門を脱出した。

何故だか固まっている少女を降ろしてやり、隠していたバイクを引っ張り出した。

「どうよ、外の世界は」

「……広い、です……凄いです! 大きいです! 窓縁から切り取られたような空じゃないです! あ、鳥が飛んでますよ! 初めて見ました……!」

その言葉に、時雨は表情にこそ出さなかったが衝撃を受けていた。

――初めて……空を見た。


その時は、本当に嬉しかった。


――未知の世界に焦がれていたから。


――隔離された部屋。封鎖された空間。

――異物を押し込めて、最低限の生活を営ませるだけの独房。

――寒い。

――怖い。

――暗い。

――もう居たくない。

――だから現状と言う名の糸へと、牙を立てよう。

――そして、俺は……。


「――さん? 時雨さん!」


その声に、我へと帰る。

気付けば嫌な汗が至るところに滲み、どうしようもない不安に駆られる。

最悪なフラッシュバック。もう唾棄したはずの、あの記憶。

再び封をし、彼女へと笑って見せた。

「おう、どうした?」

「どうしたじゃないです! 大丈夫ですか? 風邪ですか!? ね、熱は……!」

必死に背伸びして、こちらの額に手を当てようとする少女。だが、身長差は四十センチ近く、到底届かない。

その様が微笑ましくて、愛しく思えた。

(……相当、参ってるなこりゃ)

最近は、正体不明な出来事が立て続けに起こっていた所為で、体がおかしくなったのだろう。

設計書の紛失、異世界への旅立ち、入軍、人殺し、友人作り、そして事実上の敗北。

自分だけを気遣っていれば良かった今までとは、逆転してきている。その変化に、多分心が追いついていない。だから、こんなヘマをする。

(気を遣いに来たのに、遣われてどうするんだって話だわな。情けねぇ……)

優しい少女に感謝しつつ、時雨は彼女の頭をぐしぐしと撫で、バイクに跨った。

用意していたヘルメットを投げて寄越し、後部座席を親指で示す。

「……乗れよ。今日は色んな場所、見せてやるから」

「あの……」

「心配すんなよ。俺、ちょっと腹減ってボーってしてただけだって。ラーメン食いにいこうや」

「らぁめん? えっと……」

「行きゃ分かるさ。ほら、乗った乗った」

急かすと、少女は意外と素直に跨ってくる。

「振り落とされねぇように掴まっときな」

「はい!」

ギュッと腰に手が回され、存在全てを任せてくれる。

その安心感を確認した後に、時雨はアクセルを入れ、街へと驀進していった。


――遥か上空からの、男性の笑みに気付く事無く……。






二時間が経過し、時刻は午後二時半を迎える。

「美味しいですねぇ~!」

「そりゃ良かったな」

クレープを片手に嬉しそうな彼女――シャルロッテ・ラ・アーサーは、スキップしながら歩いていた。

誰の趣味なのか、白くフリルの付いたノースリーブのワンピースに、少しだけヒールのある同じく白いサンダルがよく似合っている。勘だが、多分ロッテの趣味だ。

清楚な外見に言葉遣い。……いや、言葉遣いはロッテのそれと違って砕けているのだが、上品な――と言うよりも、間延びした声が品の良さを表立たせていた。多分、貴族特有の余裕と酷似しているからだろう。

それなりに視線も飛んで来てはいるが、ただの興味本位。不埒な真似を働こうとしている輩や、暗殺者のような殺気立った視線は感じられない。

(平和だ……)

嵐の前の静けさ。そう予感させるものも無い。

ただの平和。ここの国民なら、ずっと享受していたいだろう尊ぶべきもの。

けれど、帰りたいと思っている。

でも、それでいいのか?

帰ったところで、あの胸糞悪い連中と生きていかなければならない。

異世界トリップ系のジャンルが一時期流行したのは、のっぴきならない状況や既知感への逃避、そして超常現象とご都合にも配置された美少女美男子との逢瀬への待望だ。

若い頃は、『もしかしたら』とか安易極まりない不確定な要素で、想像をしてしまう。

自分が言うのもなんだが、これは異常だ。異常を及ぼし、その効果を広げていく癌細胞――、云わば自滅因子。それが俺だ。

こんな機械設計を出来る奴なんて、危なくて当然だ。その内、淘汰されて、どこかへ追い込まれる。

元の世界に帰りたいのは、きっとその事を恐れているからだろう。

だから今まで深く関わろうとはしていなかったのに、いつのまにか物語の中枢にいるかのような違和感を覚えている。それが怖くて堪らない。

(元の世界なら……主人公はアイツだったんだけどな)

この世界では会えない――本当の親友を思い返して、苦笑する。

(……っとに。今日はどうしちまったんだよ。即決即断の俺が、悩むなって話だよな……)

……らしくない。無意識のホームシックか。

変化には確かに、今でも戸惑う。

例えば、この路面。

色取り取りのレンガで舗装された街並み。中央には巨大な噴水や市場があり、昼夜を問わず人で賑わっている。

十八世紀のヨーロッパを髣髴とさせる、そんな雰囲気がある。いや、実際のそこはもっと悲惨な状態だったらしいのだが。

軍部へ向かう道すがらは、非常に近代的な施設が目立つ。ショッピングモールとか、レジャー施設とか。

継ぎ接ぎの街。しかし、どこか愛着を抱いているのも事実。

中途半端で、情けない。中途半端が人間の本質である事も否めないのだが、何と言うか……。

「美味しいです! 美味しいですよ、時雨さん!」

彼女を見ていると、そんな気が晴れる。

内心で感謝しながら、苦笑を表に浮かべた。

「あーあー、聞こえてるって。はしゃぎたいのは分かるけどよ、少し落ち着け」

「あはは! ――へぶっ!?」

「うわぁ!?」

言わんこっちゃ無い。誰かとぶつかったらしい。

彼女の元へと走り、そして驚いた。

「よォ、俺のチワワが失礼」

「ち、チワワじゃありません!」

「――っ!? 時雨!?」

「ん?」

聞きなれた声が耳を打つ。

艶のある黒い髪に、今は驚きに見開かれている紅玉のような赤い瞳。

こちらよりは低いものの、平均的な身長。体型は普通に見えて、中々筋肉質だ。白い七部袖のシャツに赤いインナー、ジーンズにスポーツシューズと言うラフな恰好の上からなら、誰だってわかる。

いつもは軍服を着ているので気付かなかったが、よく知った同僚の顔がそこにある。

「おお、末期ペドフィリア愛好症候群のローランじゃないか。こんなところで幼女ウォッチングか?」

「うぇえええ――――っ!? そ、そうなんですか!?」

「適当なこと言うな! オレは別にペドは好きじゃないし、そんな症候群にも掛かってない! 付け加えるなら、そんな行為もしていない! 後、そこの君、全力で引くのは止めてくれ……!」

拳を震わせながら俯くローラン。いやまぁ、素直な反応でよろしい事。

とりあえずクレープが付いた部分を適当に拭ってやり、時雨は彼の背後にいる大人しそうな女性に声を掛けることにした。

「初めまして。俺、高宮時雨ってんだ。アンタ、ローランの姉かい?」

「ええ、そうです。エルルーンと申します。好きな物は……お酒、ですね」

酒好きを公言するこの女性。

髪が長くて、より女性的であること以外、ローランと似通っている。と言うより、ローランが中世的な面立ちをしているので、女性版ローランと言った印象が極めて強い。

「へぇー。それなら、知ってるか? 酒造『バッカス』に新しい発泡酒が入ったらしいぜ?」

「まぁ! 時雨さん、ありがとう御座います! ねぇ、ローちゃん! 今から買いに行ってもいいかな?」

「ああ、すぐ近くだしな。オレも、ちょっとこいつと話しておきたいし」

「俺との……夜の秘め事とか?」

「え? トランプですか?」「え? ……えええええええええええええええええええ――――っ!? ローちゃん! 不潔です、不潔!」

「お前は会話する度に爆弾を落とすのは止めてくれ! 後、君が純真で本当に助かった!」

何か言いたそうだった姉の方も去って、時雨達は最寄の喫茶店に入った。

軽食と紅茶を頼んで待っていると、ローランが会話の火蓋を切ってくる。

「時雨、誰だその子」

「あ、はい。シャルロッテ――むぐ!?」

そのままホームネームを言わせると、ローランが卒倒しかねない。

時雨はシャルロッテの口を塞ぎ、小声で伝える。

「ローラン、お前だから話すが……こいつ、ロッテの妹。つまり、お姫様なんだよ」

「……マジ、だよな?」

「ああ」

「……眩暈がしてきた」

苦労性なのだろう。こめかみを押さえて懸命に何かを堪える様を見ていると、何だか同情せざるをえない気分になってくる。

「まぁ……俺のお冷飲めよ。後三分の一しかねぇけど」

「厚意なのか嫌がらせなのか微妙な線だな。別に欲しくない」

「ああ、やっぱりお姉ちゃんの事がチュキでちゅか? このシスコンめ」

「すまん、マジで笑えないから……」

いつにない真面目なトーンでローランは語る。

鬼気迫る彼の表情に、シャルロットは愚か時雨でさえも、息を呑んだ。それ程の剣幕が、彼にはあった。

「ど、どう思う? 姉貴は義理の姉で……その、オレは幼馴染がいるんだけど、どっちからも迫られてるんだ。オレがたまに外出許可貰ってるの、知ってるだろ? 姉貴は騎士の正統後継者でオレはその御付き、幼馴染は貴族の一人娘。権力があるから、どっちも断り辛いんだよ……」

「何だお前。最終的に刺されそうな修羅場してんな。刺されちまえよ、Niceboat的なアレで。つか爆発しろ」

「何か的確なアドバイスをくれって暗に言ってるのにどうして殺されるんだよ!?」

「惚気にしか聞こえねぇよ、アホか。世の男が聞いたら、血の涙を流してお前に襲い掛かると思うぜ?」

「……恵まれてる、自覚はあるんだよ……でも、どうすればいいんだよ……」

運ばれてきたアッサムミルクティーで喉を潤し、時雨は溜息を吐きながら苦笑して見せる。

「若い内はそれでいいんだよ。こりゃ経験論だが、傷付けて、傷付けあって、痛みを知って人は成長していくのさ。一度痛い目見ないとわかんねぇんだよ」

「知った風な口だな。同い年だろ、オレら」

「だから、経験論だって言ってるだろ? 悩めるうちに悩んどけよ。……時間切れになって、両方とも選ばない結末だけは迎えんな。行動起こして後悔しろ。目先の失敗を恐れていると、一生後悔する羽目になる。……俺が言えるのは、それだけだな」

そして、シャルロットの方を向く。

「ロッテの馬鹿はお前に汚い世界を見せたくなかったんだろうがな……。でも、知らなくて良い事なんて一つもねぇよ。いくら残酷な事実があろうが、要はそれを見て次にどう生かすか考えりゃいいのさ。その為に、親しい奴がいる。だから、これからはちょくちょく連れ出してやるよ」

「い、良いんですか!?」

驚いているシャルロッテの頭を、くしゃりと撫でてやる。

「楽しかったか?」

「はい! 人がたっくさんいて、クレープは美味しかったですし、お昼に食べたラーメンも初めてでビックリしました!」

好奇心に満ち溢れている瞳。星を散りばめたような輝きが眩しくて、思わず目を細める。

「んじゃ、今度は自然の多いとこでもいくか!」

「やったぁ! 絶対ですよ、時雨さん!」

仲良さそうな二人を、ローランは苦笑して眺めていた。

――数分後、身の丈ほどの巨大酒樽を担がされる事など、彼は夢にも思っていなかっただろう。

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