二章 感情
二章 感情
「えー……軍部の方から、軍属ではないが技術者とパイロットとして協力を要請した、高宮時雨だ。時雨、挨拶を頼む」
初の戦闘から二日経って、時雨は今ブリーフィングルームに立っていた。
その二日は、ここでの世界情勢と歴史学、それと常識を学ばされていたのだ。
軍の適正試験は問題なく、射撃に格闘、反応速度と瞬間的な計算、指揮能力、どれをとっても一級品と称され、軍から請われる形になり、今に至る。
様々な視線が集中するのを感じ、時雨は自然と瞳が細くなった。
盛大な溜息を零し、時雨は欠伸をしながら自己紹介を行うことにする。
「あー……、高宮時雨だ。頑張って死に急いでくれ」
「なっ……!?」
無礼極まりないその態度に、艦内の空気は一気に殺気だってしまった。
隣で頭を抱えるフランに、時雨は肩を叩くと、良い笑顔を浮かべて親指を立てる。
訝しむフランへと、時雨は舐めくさった言葉を吐いた。
「ま、ドンマイ」
「貴様の所為だろうが! 何故言った! と言うかどうしてくれるんだこの空気! 折角歓待の場を設けたと言うのに! 苦労したんだぞ!」
「あーあー、うるせぇな……」
中腰になり、フランの整った顔立ちに頬を添え、時雨は彼女へと妖しい笑みを浮かる。更に真正面から見据え、顔を近づけながら耳元で。
「――喰っちまうぜ?」
「……っ!?」
憐れ、処女雪のように白く柔らかな頬を真っ赤に染め、ぐるぐると視線を回しながら気絶するフラン。
苦笑しながら時雨は軍の連中に向き直り、堂々と宣言する。
「俺は異世界から来た。で、俺は俺を呼んだ奴を探して、真意を問い質したいだけなんだよ。ぶっちゃけ、テメェらの国が滅ぼうと滅ぶまいと関係ねぇし? 他の国が情報流してくれんならその国に味方してもいいんだけどよ、まぁそこで気絶してる馬鹿には世話になったし? 見極めさせてもらうぜ。それで、俺の眼鏡に適えば、戦争の手伝いしてやるよ」
その高圧的で軽薄な態度に、一人の女性が前に出る。
「貴様などの技術を使わずとも! 我らが必ず……!」
「無理だな。そこのローランが千五百人いれば勝てるんだろうけどよ、お前らド下手だからな。この間の戦争を見ていたが、殆ど敵の過失からできた隙を突いて落としていただけだし、きっとハイエナの方がよっぽど上手く狩をするぜ。それに、俺の偽名は相馬五月雨。趣味の悪いカラーリングの、アイギスの設計者でパイロットだよ」
それを聞くと、技術者達が瞠目し、興奮した面持ちでこちらに駆け寄ってきた。一瞬で囲まれ、パイロットの面々も目を丸くしている。
代表格の若い男が、こちらを子どものように輝いた眼差しで見上げてくる。
「あ、アンタが相馬さんかい!?」
「おう」
「あれは凄い発明だな! マシンに対する愛が詰まっている! それでいて実用的であり、一機で戦況を左右できる機体だった。わ、我々の再現率はどうだった!?」
「お前らの技術にも感動したぜ。あれは良いものだ」
両者、無言で拳を交わす。メカマニア同士の友情結成だ。
技術者には受け入れられたようであったが、プライドの高いパイロット連中の敵意を感じる。時雨はそちらを睨んで牽制しながら、その筆頭である金髪の女性へと挑発的な笑みを浮かべた。
「ってなワケで、だ。俺が手を貸すのは、技術者、ローラン、フランだけ。自分らで何とかできるんだろ?」
「貴様こそ、私達を頼ったりするなよ」
「お前らはいらねぇ。俺が挙げた人物以外は興味ねぇし」
「……クッ、そうやって吠えていられるのも今のうちだ」
「あっそ」
悔しそうな顔を愉快な気分で眺めながら部屋を出る。
行く充てもないのだが、はてさて、どうしたものやら。
悩んで辺りを見渡すと、一つ目に止まった光景がある。
「……ん?」
――窓から見える城。
巨大で、見るものを圧倒するそれは、無論時雨にも興味を示させた。
けれども、遠い。見る限り二十キロはある。
実家にはバイクがあったのだが、ここにもあるだろうか。
丁度部屋から出てきたローランを捕まえて、聞いてみる。
「なぁ、バイク……自動二輪車ってあるか?」
「ん? ああ……。って、免許持ってるのか?」
「軍服着てりゃいいだろ」
「まぁ、そういった技能を持ってる証拠にはなるけどな。わかった、来いよ。軍のヤツ貸してやるから」
「マジで?」
「マジだよ。その代わり、オレを街まで乗せてってくれな」
「行きだけで良いか?」
「ああ」
「ならお安い御用だ」
近未来的な外観の廊下を歩き、格納庫へと向かう。
沈黙に耐え切れなかったのか、ローランが口を開いた。
「なぁ、時雨」
「あ?」
「軍の適正テスト、トップだったんだろ? 何で軍属にならなかったんだ? 援助金も莫大に出てたろ?」
今更なローランの問いに、時雨は溜息を吐く。
「軍属だと縛りが大きいんだよ。だから、軍に係わっていて、それでいて地位の高い役を選んだってワケ」
「なるほどな。格好の情報の収入源だからな」
「ああ。でも、軍だと情報が偏るからな。いずれ街には行かなきゃならなかったのさ」
「……お前らしいな」
「まーな」
「で、目処は付いてるのか?」
「城」
単語だけだが明瞭な場所を告げた時雨に、ローランは顔を蒼くする。
「……城? あの、でっかいヤツ?」
「おう。面白ェ気がするんだよなぁ。アニメとか映画で見たことはあるけどよ、実際近くにあったら行ってみたいと思うだろ?」
ニヤついた顔をローランへ向けると、彼は慌てた様子で捲くし立ててくる。
「ば、馬鹿か! あそこはな、身分の高い者しか入れないんだぞ!?」
「なら衛兵全員ブン殴ればいいだろうが」
「んな非常識なことさせられるか! どこまで規定外なんだお前は!」
激昂するローランを見て、ふと疑問が浮上する。
「んじゃ心理テストしよう」
「唐突になんだよ」
訝しげな表情をするローランは無視して、その先を続ける。
「目の前に壁がある。お前はその向こうにどうしても行きたい。他の入り口を探そうにも、壁は果てなく続いていそうだ。どうする?」
「……入り口を探す、かな」
「ヘタレ&M野郎&真面目ちゃんが。延々と探してろ」
「どうしろってんだよ!」
「明確な正解ってのはないが、分類すればこうなる。爆弾でも何でもを使って壁を破壊するヤツは、我侭で自分に相当の自信がある。昇ろうとするヤツは適度に常識踏まえた馬鹿で、梯子とかを掛けるヤツは妙に現実的で頭が若干固い。トンネルを掘るヤツは馬鹿だが頭が柔らかいし、行動力に溢れてるな」
「……お前は?」
「人を焚き付けて壊させるか、次の壁があったと仮定して他の壁をも越えるような何かを作る。模範例にはなかったけどな」
意地の悪い笑みを浮かべる時雨を見て、ローランはこめかみを押さえた。
「どうしたよ」
「……眩暈がしたんだ」
「ま、ドンマイ」
「だから何で笑顔なんだよ!」
だが、ローランは決してその時間が不愉快ではなかった。
どこか安心できている自分がいるのに気付かせてくれるほど、時雨の存在は心強い。
――何故だかは分からないが。
格納庫に到着し、端に避けられている二輪車から比較的新しく大型のものを引っ張り出し、IDカードを差し込んでパスワードを打ち込む。
すると起動し、何を動力にしているのかは分からないが比較的静かなアイドリング音が倉庫内に響いた。
「やり方は分かったか?」
「おう。操縦も……ああ、これなら問題ないな」
――何せ、地球のバイクとなんら遜色ない。
跨り、専用のヘルメットを被る。
「よっし、飛ばすぜ!」
「……法廷速度、どこも五十キロだからな。人通りが多い道は三十」
「うわ、萎えるわぁ……」
「いや走れよ! 起動までしといてだれるな!」
「二百とか出してぇ」
「往来でそんな速度出してどうするんだよ!」
「わーったよ。しゃあねぇなぁ……」
「何で偉そうなんだよ」
突っ込まれながらも時雨はアクセルを吹かし、喧騒漂う城下町へとバイクを走らせていった。
窓の外の景色を、眺めることしかできなかった。
――外では何が起きているんだろう。
この外壁の向こうには、きっと楽しいことが待っている。
――お兄様は、私を連れて行ってくれない。
それはきっと、外には辛いことも待っているから。
私は子ども過ぎて、役に立てそうにもないけれど。
それでも、私は外を見たかった。
――雄大な大地と、人々の暮らしと言うものを。
――公務や業務に慣れるまでに、一週間掛かってしまった。
俺はまだ未熟で、妹を外に連れ出せるにはまだ早い。
アーサー王の名を襲名したところで、実力が付いていない今ではただの看板だ。
――有能な仲間を集めなければ。
妹を託すことのできる有能且つ強い仲間が、今の俺には必要だ。
軍部の連中は貴族派で信用ならないし鼻持ちならない。かといって、酒場の冒険者達は荒過ぎる。一般市民は凡俗過ぎて問題外。城の連中も信用ならない。側近もそろそろ変えるべきか。
「……ん?」
金持ちを誇張するような悪趣味極まりない廊下を歩いていると、衛兵と一人の――俺と同い年くらいの男が揉めていた。
「貴様、これより立ち入り禁止だと言っているだろう!」
「見られて困るモンでもあんのかよ」
「軍属の貴様に答える筋合いは――」
「俺、こんな服着てるけど軍じゃないのさ。軍に協力してやってる身分でねぇ……。良いじゃん、減るもんじゃないし。見物くらいさせろよ」
「絶対にならん!」
「へー。なら……荒っぽい手段でいくぜ」
男がズボンのポケットから手を出して、適当に構えを取る。
衛兵も剣を抜いて、それを中段に構えた。
「丸腰で挑むとは……正気か?」
「雑魚相手に刃物持ってたら可哀相だろ? いいから来いよ。俺が勝ったら、通らせてもらう。そして、通報すんな。通報したら殺す」
「……舐めくさりおって!」
――馬鹿だ、と思う。
幼少より剣を習い続けてきた衛兵とただの男。勝負になるはずがない。
刹那、予想通り勝敗は決した。
ただ……予想外だったのは、男の方が強かったからだ。
正面に振るった神速の剣を男は避け、一瞬で間合いを詰めたかと思ったら、鎧と鎧のつなぎ目に手刀を繰り出し、一撃で衛兵を下してしまった。
「ば、かな……!」
崩れ落ち、気絶する衛兵をその男は欠伸をしながら眺め、こう呟いた。
「……ここの警備ってザルだな、マジで」
そして、こちらへと向き直り、おもむろに懐から銃を掲げてきた。
「で? そこの兄ちゃんよ、俺を通報するか?」
一瞬怯みかけたが、男の真意を眼光から読めたので、存分に睨み返す。
「どうせ撃つ気はないのだろう? それに、通報したところで衛兵が君に敵うわけがない」
「何でそう思うよ」
「この国を敵に回すと面倒だろう。観光が目的なら、発砲音を鳴らしてこの場を騒がせたくはないはずだ」
「……へぇ。頭でっかちだな、お前」
男の言葉に、思わずこけそうになる。
――何だ、この男は。
態度、風格、度胸、行動力。何もかもが突出し過ぎている。
そのくせワザと間抜けな発言をし、こちらの反応を見て面白がっていると見た。こんな人間と遭遇するのは初めてだ。
こちらが頭を整理していると、その男はいつの間にか近寄っており、こちらから懸念していた問題の載っている書類を取り上げ、眺めた。
「……ふぅん。街狭間の犯罪組織ねぇ。悩んでんのか?」
「ああ。こちらから討伐しようにも、知っての通り隣街のノースガルドとは仲が宜しくない。同じ国だというのに難だがな。しかし、犯罪組織が肥大化しつつあるのは問題だ。軍を向かわせようにも、隣街が勘違いして襲うかも知れん」
「アホか」
「何?」
その男は飄々とした笑みを崩さず、流暢に語ってみせる。
「まず、冒険者がいるだろ。ああ言う輩に立て札かなんかで国公認の討伐令を出し、賞金をいくらか出す。そうすれば馬鹿な輩が突付いて騒ぎになり、組織もどちらかの領土に逃げ込む。そこを囲んじまえば済む話で、上手くすれば賞金すら払わずに事が終わるな」
「……しかし、どうやって移動した犯罪組織の足跡を追うのだ?」
「国から密偵を一人だけ冒険者に紛れ込ませれば良いだろうが。軍隊の諜報部でもいいかもな。しかしこの場合、勢い付いている犯罪組織なら人員を募集してるはずだから、犯罪組織に直接送り込むのも悪くない。もしかしたら、隣街とその犯罪組織、繋がってるかも知れねぇしな」
――一瞬だけ首を突っ込んだだけの人間が、ものの数秒で打開案を見つけてしまった。しかも、その裏にある可能性まで一瞬で手繰り寄せて。
最近複雑な雑務に掛かりきりでいたので頭が回らなくなっていたのは認めるが、それにしても早い。そして、先程のあの強さ。
――有能な、仲間に相応しい人材だ。
気付くと、その言葉は自ずと出ていた。
「……お前、俺の仲間にならないか?」
長身痩躯の銀髪の男がそう言い、時雨は肩を竦めた。
――男の顔からは疲労が濃く滲み出ている。それも、精神面と肉体面の両方。恐らくは、ここの城の高官か主か。
どちらにせよ、友好の幅が広がるに越したことはない。
「仲間にはならないね。縛られんのはゴメンだ」
「……そうか」
「だがまぁ、俺もそろそろ友人が欲しいわけよ。利害関係なく、互いを励まし支えあう。損得なんて二の次。俺は異世界から飛ばされてね、頼れたり頼られたりする人間がいないんだな、これが」
「異世界? では、軍部が言っていた技術協力者か?」
頭の回転は悪くなさそうだ。知的な外見からもそれは覗える。
質の高い黒い服を身に纏い、全体的に白く線の細いボディーラインが良く映える。削げたような頬と鋭利なブルーの瞳、後ろの方で結ばれた長い銀髪に、フレームのない眼鏡が特徴的だ。顔立ちも端麗で、それが高貴さを匂わせているのだろう。
適当に値踏みしながら、時雨は首肯を返し、言葉を続けた。
「正解。噂のイケメン、高宮時雨だ」
「……まぁ、友人の件なら構わん。俺はロッテンシャルル・ド・アーサー。ロッテでいい」
「じゃ、決まりだな。ロッテ、今から俺が組織潰してきてやるよ」
「……何?」
怪訝そうに眉を顰めるロッテだったが、どうもこうもない。
「次、俺の立ち入りを全面的に許しといてくれると助かる。んじゃな」
「そこまでする理由を述べてから行け!」
「――友人が困ってんだ。手を貸すのが筋ってモンさ。それに、残りの書類の問題も片付けとくから、さっさと寝ろよ。疲れてんだろ?」
「!? ……お前」
「んじゃな。王様だかなんだか知らないけど、そう言うのは無理するこたぁないんだぜ。ま、友人に任せとけよ」
「……お手並み拝見だな」
「全部解決してたら、労ってくれや」
「まぁ、俺の友人になるなら当然だがな」
「……言ってくれるねぇ」
――そう言われた方が、張り合いがあるというものだ。
城門まで乗り付けていたバイクに跨って、さっそくその現場へと向かうのだった。
夜。
あれから素直に寝台で横になっていたロッテだったが、あの友人になりたいと言っていた技術協力者――高宮時雨を思い出し、まどろみから目を覚ます。
まさか、あれから全ての事件を解決しているはずはないだろうと思う。
何せ、あの事件の他に、『グランディアの隠し土機生産ラインを暴く』、『新量産型神機の設計図』がある。幾らなんでも、早々に片が付く話ではない。
身を起こし、眠気で緩む表情を引き締めながら執務室に向かうと、慌てて従者の一人が駆け寄ってきた。
「王! 高宮時雨と名乗る男性から、例の犯罪組織を軍が一網打尽にしたとの報告書とグランディアの生産ラインを押さえ且つ奪取したとの報告書、それと従来に無い量産型神機の設計図が届けられております」
眠気が、一気にどこかへ飛んでいった。
「……本当なのか?」
「え、ええ。確証は取れております。こちらが犯罪組織のメンバーとリーダーの拘束写真、次に工場の写真、最後に設計図で御座います。いやはや、よく出来ていますなぁこの設計図は。何でも、あのアイギスを企画したのも時雨殿であるとか」
「……そうか。おい、高宮時雨は内密に国賓として扱え。私の友人だ。何かあったらただではすまさないぞ」
「か、畏まりました!」
慌てて出て行く従者を視線だけで見送り、ロッテは設計図を画面に浮かべる。
量産型の最低基準として、コストと武器の比重、操縦マニュアルの安定、経験の浅い兵士でも手足として扱えるOSプログラムが要る。
装甲を従来より薄くし、機動性を上げて扱いやすくしたのは正解だ。OSの改善によって小回りがより利くようになったのに、軽量化を図らないのは無駄だろう。
武器も燃料の掛かるビーム兵器はマシンガンしかなく、他は回収可能な兵装が積まれ、コスト的にもパワー的にも申し分ない。
「有線巻き取り式の中近距離型ソードか。内部爆発カートリッジでも装着できれば、威力は増すか。隊長機に積ませるとして……ふむ」
特に欠点といった欠点は見当たらない。
他にも、屈折機構搭載の遠距離用狙撃ライフルや水中推進バーニア、宇宙用重兵装パックが考案されており、汎用性もある。
「……眩暈がするな」
書き込まれた膨大なOSの内容を見て、苦笑する。
「いるのだろう? 時雨」
虚空へと声を投げてみる。
すると、玉座の裏からその人物が顔を出した。軍帽を目深に被っていたのだが、それを取り払うことで、端正だがニヤついた笑みで台無しになっている顔が露になる。
「八時間振りだな。どうだい、俺の手際ってのは」
「お前が十人いてくれれば、他の国を完全に潰すのに一日も掛からないだろう」
「その後、多分十人の俺は殺しあうだろうけどな」
「物騒だな」
「平和ボケしたこの国にはそう思う人間しかいないわな」
「……平和ボケ?」
「ああ。この街の連中、全員暢気な面してやがる。胸糞悪ィ」
「民を不安にさせぬように配慮してあるからな。汚れるのは俺たちだけでいい」
「そういった選民思想が気に食わねぇ。この国の法は厳しいが、国を抜けてはいけないとは無かった。ってことは、だ。連中好きでここにいるんだろ? だったら遠慮はしなくていいんじゃねぇのか?」
「ここでの暮らしというものがある」
「確固たる意思がありゃな、暮らしなんて簡単に捨てられる。守りたい、好きだから、世迷言だろうけど、何せ勢いがあるからな。それに人間ってのは図太い生き物で、大体どんなところにだって定住しちまうもんさ」
何故か、そのニュアンスには「苦労したよ」という意味合いが含まれているように思った。
「経験論のようだが」
そう返してみると、時雨は一瞬だけ視線をそらし、苦虫でも噛んだかの様な表情を残したまま、器用に笑った。
「ま、俺にも若い頃があったってワケよ」
「今も若いだろうが」
「心だよ心」
「……まぁいい。で? 俺の信用を勝ち得て、何をする気だ?」
「別に」
「……何?」
「いや、なーんも考えてねぇなぁ。……そうだなぁ、この後、城出ないか? 美味いラーメンがあるんだよ」
「ら、らーめん?」
「おう、決まりだな。んじゃ、行こうぜ」
「ま、待て! まだ行くとは言って――」
が、言うだけ無駄だった。
気が付けば、目の前には、湯気と美味そうな醤油の匂いが漂う丼が置かれていた。
木製のテーブル。瀟洒さの欠片も無い、無骨なデザイン。
酒やタバコ、他の臭いまで入り混じる中、その醤油の匂いが抜きん出て強く、それが何とも言い難い空腹感を覚えさせてくる。
「……何だこれは」
「醤油ラーメンだ。俺の世界じゃ、知らないヤツなんていないぜ」
「こっちじゃ、知ってる方が珍しいがな」
無駄に良い体格の男――店長だろう。糸目にスキンヘッドといった、よく分からないスタイルをし、威圧感に満ちている。店内の柄の悪そうな連中が大人しく麺を啜っているのも彼の存在の所為か。
「違うね」
「……?」
「心を読んだのさ」
「読むな!」
「ま、一口食ってみりゃ分かるさ」
そういい、時雨は麺を豪快に啜りこむ。
箸は一応使える。時雨のようにはいかないが、自分も啜ってみた。
「……美味い」
口から自然に零れたその言葉に、時雨と店長は歯を剥いて笑う。
「外に出て見ねぇと、分からないことってあるだろ? 何でも、自分一人でやろうとすんな」
「あ……」
――父を思い出す。
神出鬼没で、大概は外出していた。雑務は下っ端に押し付けるその傲慢さが気に入らなかった。
だから、こなして見せようと思った。一人で全て片付けて、『アーサー』の家名に相応しい人物になるのだと。
――違ったのだ。
「要は、人を上手く使えってこった。お前には地位と権力がある。その言葉に他にない力がある。だからよ、無駄にすんな」
「……ああ。流石、俺の友人一号だ」
「お前……友達、いないのな」
「黙れ」
「嫌だね」
「……」
「こう切り返されたのは初めてか?」
「ああ」
「ならいい。俺らは対等の関係だ。命令なんてぜってー聞いてやんねぇ」
「……ふむ。分かった」
「よし、とりあえず食おうぜ。伸びたラーメンなんざ、焦げた焼肉の次に不味いんだよ」
「……焼肉?」
「あー? テメェ焼肉も知らねぇのか? ……まいいや。今度から、度々連れてってやるよ」
仕方無さそうに、しかしそれが苦でもないかのように笑っている時雨。
――彼が、堪らなく眩しい存在だと、そう思える。
心の中の小さな嫉妬心を粉砕されてしまったロッテは、どこか清々しさを覚え、そのラーメンを啜った。