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九章 信用と仮面

 九章 信用と仮面



 『隔離世』の大屋敷。その庭には、水が流れている。

 海水と真水が混じった――所謂、汽水と言う珍しいものだ。

 生活用水はこちらに流しておらず、その水は底が見えるほどに美しい。

 その川上は、真水だ。『生命の泉』から湧き出した水が、途中で『死の泉』とされる海水を生む川と混じり、下流からが汽水となっている。

 下流も綺麗なのだが、上流はより美しい。

 と、その上流に一匹の羽虫が飛んでいた。

 同じ軌跡を描かず、川の下に何かある事を指し示すかのような、珍しい飛び方をしている。

 その虫に、堪らず山女魚ヤマメが飛び出して、見事に捕食した。が、そのまま山女魚は外へと引き寄せられてしまう。

 姿勢を低くしていた時雨は、竿だけを立てて山女魚を掴み、魚篭の中に落とした。

 針が付いた虫――と見える物体は、フェルト等で虫のように偽装している、云わば疑似餌だ。俗に、フライ、もしくはフライフィッシングと呼ばれる漁法。

 隣で仕掛けを作っていた幸が、驚きに目を見開いた。

 「ほ、本当に釣れましたね!」

 「そりゃそうだろ。釣れなきゃ、一々こんなまどろっこしい事やるかよ」

 本当はガチンコ漁――大岩に大きな石を打ち込み、その衝撃で気絶し、浮かんできた魚を回収する漁――にしたかったのだが、幸に止められた。何でも、危ないし風情がないとの事。

 そのまま場所を移し、比較的穏やかな流れの場所で、もう一度フライを使って挑む。

 リールは無い。扱いやすいように、川釣り用のロッドよりも随分と短めの竿を使っている。この虫の動きが難しく、初心者はご法度の漁法だったり。

 時雨の手際は馴れたもので、本物の虫のような動きをしていた。先程見せた不自然な飛び方は、規則的に動くものが突発的に移動しようとすると、本能的にそれを追いたくなる習性を利用している。人間でも、一人だけ違う動きをすれば、嫌でも目立つのと同じだ。

 「時雨さん、いいですか?」

 「おう、何だよ」

 練り餌を付けた仕掛けを投げ込み、幸は声を少し大きくして話しかけてくる。地震動とは違い、空気振動は水中へは伝わりにくいので、魚が逃げると言う懸念は無いのだろう。

 手はそのままに、顔と意識を幸の方へ向ける。

 彼女の表情は真剣なものだった。邪気染みた気配さえ漂っているように感じる。幸がそこまで思いつめる事など、想像しがたいのだが。

 「……アースガルドから来たんですよね?」

 「ああ」

 「彼女達は、楽しそうに暮らしていますか? 戦争の影に怯えず……笑って暮らしているんですか? こちらの悲惨な状況を伝えず、ただ勝っているだけだと伝えられて、のうのうと暮らしているんですか?」

 「……どう言う意味だ?」

 そう言葉を返すと、幸は俯いて黙り込んでしまう。

 時雨は推測を立てつつ、溜息を吐いてからそれを語りだした。

 「あれか。グランディアはアースガルドの攻撃とやらを受けてボロボロなんだろ? 向こうも、兵力が激減したとは言え、技術力に開きがある。こっちが負けるのも時間の問題だ。そんな戦時中なのに、穏やかな生活をしているのが許せないわけだ」

 「……男女の地位も平等で、私達みたいに……こんな地下で怯えて暮らす必要も無くて。それが……悔しいんです」

 「へぇ」

 気のない時雨の返事に、幸が鋭い視線を向ける。が、その表情が凍り付いてしまった。

 何故なら、時雨はいつもの軽薄な笑みを潜め、ただ残念な物を見るような冷たい瞳で幸を睥睨していたから。

 「無いものねだりかよ。そりゃ向こうには最初から無いものがあるわな。羨ましがるなとは言わねぇよ、人間の自然な欲だからしゃあないだろうし。けど、お前は何をしている? のうのうと釣りしてんじゃねぇか。少しでも何とかしたいなら、何で戦わない? 何でこそこそと逃げてるんだ? 小さな戦力でもやれる事はあるよな。なら、何でそれをしようとしない? 抗うだけの牙は誰でも持ってる。いつまで口閉じてやがるんだ?」

 「そ、それは……皆が、いないと……」

 「ハッ! 仲良しこよしかよ、この期に及んで。皆がいないと飯が食えない、皆がいないとトイレにも行けないのか? 赤ん坊かテメェは。奴らを憎んでるなら、一人や二人、殺してみろ。戦争なんだろうが」

 「あ、貴方は、自分の手を汚してないでしょう! 技術者が知った風な――」

 「最初は両親だ」

 「……え?」

 「次に親友の女、次に土機に乗った男達、次にシュバルツガルドの密偵、次にファヴォス基地にいた職員全員」

 「な、何を……」

 淡々と人物を述べていく時雨の表情から感情と呼べるものが消え失せていく。

 その瞳が改めて幸に向けられた瞬間、彼女は心の底から恐怖し、今までの生温い恐怖と言う感情を忘れてしまう。

 「テメェら、本当の恐怖を知らないだろ。死に掛けてないから臆病だ。死を体感するよりも恐い事なんて無いからな。それ以外なら、何でもやってやる気になる。どんなに綺麗な言葉を飾ろうが、戦時中に殺したくないとかほざく奴は敵よりも性質が悪い疫病神だ。そのなあなあが伝播するからな。正直に言うとお前は間引かなきゃならねぇヤツの一人なんだよ。……邪魔だ」

 拳銃を早抜きし、幸へと向ける。

 竿を放り出し、彼女はじりじりと後ろに下がり――樹に背が当たって、へたり込んでしまう。

 時雨は冗談ではなく、殺気を込めている。だから、彼女も恐怖から歯の根を震わせ、涙を溢れさせていた。

 もう一つ、時雨は小型の銃器を取り出して、彼女の足元に放る。

 幸はそれと時雨の顔を交互に眺めていたが、やがてはそれを手に取った。

 「そうだ、それでいいんだよ。考えても見ろ、殺されたら終わりだぜ? なら、相手が死ぬ方がいいだろ。相手の抱えてるものの重みなんざ、知ったこっちゃ無いだろうが。死ぬ相手に容赦はいらねぇ。纏めて吹き飛ばしちまえよ。……あるロボットのアニメがあるんだが、お前に送るわ。『ねだるな、勝ち取れ』ってな」

 そう言い終えると、悪戯少年のように時雨は破顔して見せた。

 「わ、私にも……出来ますか……?」

 「出来る出来ないじゃねぇ。やるか、やらないか……だろ? ……俺と一緒に来い」

 力強い時雨の言葉に、幸は胸が震えると同時、体の芯に熱い物を打ち込まれたような滾りを感じていた。

 彼と一緒なら、何でも出来そうな気がして。変わりたかった自分に、変われそうな気がして。

 だから、涙を拭って歯を強く噛み、無理やり微笑んでみせる。

 ――そう……恐怖なんて、噛み砕いてしまえばいい。私にはその為の、牙があるのだから。

 「……はい! それに、私は貴方のお世話係ですから!」

 強がったような笑みだが、それでいい。恐怖を忘れるなとは、誰も言っていないのだから。

 と、竿が急に重くなり、川へと引きずり込まれそうになる。

 「っと!? さ、幸! 手伝ってくれ! こりゃ、ヤバい……!」

 「はい、時雨さん!」

 足早に彼の元へと駆けつけ、竿を一緒に引く。

 だが、無茶な体勢だったので、それを立て直せず、力強い引きに吸い込まれていった。

 咄嗟に幸を庇うように抱いて、そこそこ深い水の中へとダイブしてしまう。

 冷たい水に驚いたが、早々と立ち上がって、一気に糸を手繰り寄せた。

 と、掛かっていた獲物に、双方目を丸くしてしまう。

 「わぁ……!」

 「……そりゃ、重たいはずだ」

 一メートル半を超える大魚――伊富魚イトウが、水の中で暴れている。

 魚篭には収まらず、万一に持ってきていた大魚篭に入れて、一息吐く。

 「濡れたな……」

 「はい……」

 下着までぐっしょり濡れて、気持ち悪いったらない。

 幸は、と見て失敗を悟り、頬が高潮するのが分かった。

 白い襦袢が透けて、肌色が覗いている。濡れる事によって、整ったプロポーションのラインがより一層鮮明になっていた。まぁ、エロいの一言で済むのだが。

 本人も時雨の視線を辿ってそれに気付き、顔を真っ赤にしながら反対方向を向いてしまう。

 「……見ちゃいました?」

 「セクハラされたな、見せ付けられちまったぜこの俺が……」

 「えぇっ!? ひ、被害者はこっちですよ! 酷いです!」

 「男女平等なんだろ? だったら、俺の裸見るか?」

 「え……遠慮、しておきます」

 「実は興味津々なんだろ? 遠慮すんな、ほら」

 逞しい上半身だけ露出させてみたのだが、それだけで幸は茹った蛸のように赤くなり、そのまま気絶してしまった。

 彼女を陸地に抱き上げて、くしゃみを一つ。

 「……火でも起こすか」

 どちらにせよ、乾かさなければならないし、もう何匹かは釣らなければならない。

 時雨は薪を拾いに、濡れた着物で森の中へと入っていった。





 「どうする? そろそろ、あの少年とやりあって良いんじゃないかな?」

 「いい考えじゃな。静観も飽いておった。それに、あれは感情兵器のスーパーロボット。これをあの少年が作ったのかどうかも、聞かねばなるまい」

 照明の光りに浮かぶ、黒い機械兵器――輝・トラペゾヘドロン。

 人のような温かい輝き。まるで、生きているかのような輝きを示す、そのロボット。

 「なぁ……お主も、そう思うじゃろ?」

 それに乗るのは――誰でもない。

 投げ掛けられた視線は、その機体に向いている。

 「お主の生みの親に会って来るがいい。名を付けて貰って来るのじゃ。仮の名前や『名無し』のままでは、面倒だからのう……」

 少女がそういい終えると、機体のモノアイが淡い緑色に輝き、そのままどこかへ消えてしまう。

 「……? この世界から消失したぞ。何なのだ、あの機体は」

 「何かを感じたんじゃないんですか? それか、恋でもしたのかも。感情兵器と言うのは、機体に生命が宿っている――つまりは、精神もあるの。人の形を取るって、開発者が設計図に書いてたわ」

 メイド服の女性が二度頷き、更に指を鳴らす。

 すると、奥に並んでいた直方体が駆動し、不恰好だが人型を成した。

 「趣味も程ほどにするのじゃ。資材は有限じゃからな」

 「まあまあ! 他の星から集めた分もありますし、いいじゃないですか!」

 生気の無い一人の人間が、その中へと転送され、その機体は脚部のブースターを使って発進していく。

 少女は玉座にて、ただ経過をさも愉快そうに笑ってみせる。

 「さて……白い盾はどうなるのかな?」

 その視線は、暗闇の空間をただ眺めていたのだった。




 魚を獲り終え、時雨は宛がわれた研究所にいた。

 グランディアの女性用機体を作る。楽ではないが、難しくは無い。

 日本人女性の脳波と全く同じ。人数が少ないなら、個人の専用機に仕立ててもいい。

 問題は、また素材か。

 ここで採れる鉱物資源は限られている。『紅の虚』は時雨を信用していないのか、情報は流してもらえてはいない。

 流石、磐長は慎重だ。あそこを仕切っているだけの手腕は認めざるを得ないだろう。

 いや……磐長ではない気もする。幸や彼女以外、周りと視線が合った試しがないのを、今思い出す。

 ――ふと過ぎる、一抹の余勘。

 「……俺を隔離し、殺そうとしてるのか?」

 だとすれば、監視カメラはお決まりの位置にあるはずだ。ダミーも混ぜるとしたら、天井裏に五つ、PC下に一つ。更に俺ならヴォイスマイクも畳の下に配置する。音声は時として、重要な情報やそれに繋がる手がかりになるのだ。

 銃弾を放ってそれらを破壊しつつ、残しておいた一台のカメラへと、笑顔を向ける。

 「逃げねぇけどよ、そりゃないぜ。俺は一応信用してるんだからさ、ちょいとは信用してくれよ。いや、お前じゃないのは分かってるぜ、磐長。……おい、そこで見張ってるクソ女。次やってみろよ……消しちまうぞ、この地下空間ごとな」

 最後のカメラに一発打ち込み、作業を再開する。

 (機体には思い入れがあったほうがいい。武器は和弓、刀、薙刀の三種。銃は経験の浅い者に、予測ロックオンシステムとオートマニューバーシステムを。デザインは和甲冑……それか、可変式の戦闘機)

 二種類を考案し、それぞれの骨格を3Dソフトで模り、駆動部を決めていく。

 (いや……この地形を考えれば、水中からの攻撃が有効かねぇ。レーザー系は極力抑えて、実弾やミサイルを。電磁加速砲も有効っぽいよな。装甲は厚めにし、尚且つ高機動。接近戦時に、脳波を感知して働く全身フィードバックシステムを――)

 組み上げていく。ただ、淡々と。

 徐々に思考が固まっていく。滾る感情を抑えつつ、それを画面内で結晶化させ、試す。――失敗。では次だ。

 ――ああ、しかし楽しい!

 この時が堪らない。試行錯誤を繰り返し、工程を消化していく。ただそれだけの事が、楽し過ぎて止められない!

 感情を表に出さず、制御する事を覚えたはずなのに、こう言う時にはてんでダメになる。

 (……出来た)

 されど、没頭するとその時間はより短くなってしまう。

 「送信……っと」

 その設計図を、磐長へと飛ばした。

 完成したのは陸戦に特化した、『玄武』、『白虎』。そして、副産物である、海戦仕様の『豊玉』。後継機の『鳳凰』と『青龍』、そして『伊邪那岐』も懸念したが、これは上質な鉱物なくては成立しない。なので、データはスティックに写しておいた。

 一息吐いて、回転椅子の背に体重を預ける。

 地面を蹴って椅子を回し、鋼鉄で仕切られたドアを正面に捉える。眺めつつ銃口を向けながら、その向こうへと声を掛けた。

 「……居るんだろ? 咲耶姫」

 ドアが開くと、そこには確かに彼女の姿があった。――手に刀を持って。

 「流石。全部手のひらだって?」

 「浅慮過ぎるんだよ、アホクセぇ」

 「馬鹿にしないで欲しいわね。あんたみたいな男なんて、勝手を許せばきっと私達を襲うんでしょ! その頭で言葉巧みに利用して、強い体で物理的に逆らわせない! 向こうの兵器を作っていた裏切り者! グランディアの民なのに、何故裏切ったの!」

 間髪入れず、トリガーを引く。

 銃弾を腹に受け、弾け飛ぶ刀。思わず目を覆った咲耶を地面へと蹴倒して、拘束する。

 「……俺にもあいて選ぶ権利があんだよ、思い込みだけの世間知らずが。それに、俺は異星人だ。ここに来て、ゼロの人間関係でやってる。だから、俺は俺の認め、信じたヤツしか身内扱いしない。それ以外は気持ち悪くて、抱けないね」

 「嘘! 男なんて、穴が開いてれば何でも良いんでしょ!」

 「なら、これが証拠だ。俺は――テメェらなんて、どうでもいいんだよ」

 容赦なく、彼女が最も誇っている整った顔面を――思いっきり地面へと叩き付けた。

 くぐもった悲鳴を聞きつつ、その鼻血と涙で悲惨なことになっている顔面を、鏡で見せてやる。

 「……不細工だな。キモ過ぎ、最悪。こんな事、言われたこと無いだろ? 生まれてからずっと、煽てられて育ったプライド自慢の無能野郎がな。その所為で、テメェの姉さんがどんだけ苦労してると思ってんだよ」

 「か、関係ないでしょ!」

 「そうやって逃げる気か? その問題に直面するのが嫌だからって、事実から顔を背ける理由にはならんわな。アイツもアイツだ……一々構ってやるから、それが足枷になっちまう。お前、何も出来ないんだろ? 綺麗な手、綺麗な顔、綺麗な服。整えられて嬉しいかよ。贅沢な悩みばかり増えていくってのは、どんな気分だ? 雌犬が。庇護下で生活して、何も感じないのか? 好意に胡坐を掻くだけの生活ってのは、そんなに面白ぇのか? ああ!?」

 「だ、だって……私に、させてくれなくて……お姉ちゃんの方が、上手――」

 「彼女の手を見たかこの馬鹿野郎が!」

 腕を折れる限界まで捻り上げ、込み上げて来た怒りを爆発させてしまった。感情制御が利かない。いや、利かせようとも――思わない!

 「そうやって言い訳をするな! 最初から何でも出来る人間はいない。何で、磐長の手が傷だらけか、知ってて気付かない振りをするな! 彼女の才能は平凡だ、テメェよりもな! だから、人一倍努力する! 頑張って結果を残している! たかだか一度や二度の失敗じゃない、あれは何度だって、何時だって努力していた手だ! 苦労を知るヤツの手なんだよ! じゃテメェは何だ、お飾りか? だったらなぁ、お飾りらしくしてろよ。不必要に口を利かず、自分の身形にだけ考えてろ。それ以上に迷惑は掛けず、積極的に前に出て、交渉の道具になれ! そして、弄ばれてろよ! お飾りの仕事だ、冥利に尽きるだろ? 無能なお前でも、それくらいなら出来るだろうしな。……ああ、その顔じゃ無理か。汚ぇし」

 恐怖で引き攣っていた彼女の瞳が、確かな怒りを抱いた。同時に、抵抗が戻ってくる。

 ビクともしなかった腕。だが、少しずつ抜け道を探らんと、震わせることに成功していた。

 「そうだ抵抗しろよ。何で出来るのにそうしない。――甘いんだよ、全てにおいてな! 最初からやってりゃ、拘束を解けたかも知れねぇだろうが。後、刀を突き付けりゃ俺が手出しできないとでも思ったか? 恐くねぇんだよ、馬鹿が! 殺すつもりなら、チャカ使うか爆弾特攻でもしてみろ!」

 開いた片手で、圧し折った刃を全力で握ってみせる。

 鮮血が滴り落ち、すぐに赤い水溜りが生まれていた。痛いし酷い出血だが、死にはしない。この程度は、覚悟しておけばなんて事は無い。

 「……変わるなら、今だ。何事にも転機がいる。ここは、女性の権限を高める場所だったな。――お前も、明日から全員に混じって訓練してみりゃいい。でなきゃ、仲間なんて言葉だけだ。お飾りでいたいなら、そうしてろよ。でもな、自分で動かない限り……周りも、変わらないんだよ。白馬の王子を求めてばかりじゃ、ダメなんだ……」

 そこには、いつもの軽薄な時雨の姿はない。

 いるのはただ……物憂げで、優しい雰囲気の少年だけ。

 「あなた……」

 込み上げて来た涙を振り払い、彼女の拘束を解く。

 瞬間、立ち上がりながら咲耶は詰め寄ってきた。敵意は無く、ただ純粋な好奇心だけが彼女にある。

 「……お、教えて! 何で、泣いてたのよ!? それに、何で……叱ってくれたの?」

 と、振り向いた顔は、酷く壊れていた。

 いや、表情は凶暴そうな微笑なのだが、雰囲気が優しいままだ。感情の仮面すら付けれず、時雨も同様の渦中にいた。

 「……踏み込んでくるなよ。甘えたくなる」

 「え……」

 一呼吸置いて、瞬きをした刹那に、時雨は元の雰囲気に戻っていた。

 精神高揚の臨界点以内に、テンションが収まったから、コントロールできる。

 「ってなワケよ。俺は逃げねぇ……しばらくは、な。それに約束する。俺から一方的にお前らに踏み込んだりはしない。また、踏み込ませるつもりもねぇよ」

 「ちょ、ちょっと!」

 「いいから、顔拭いてこいや。血の化粧でアマゾネスに見えるぜ」

 「……今度、続きを聞くからね」

 「覚えてたらな。三秒で忘れる」

 「あ、あんたねぇ……!」

 「……あれ、何でそんなに血塗れなんだよ!? 誰にやられたんだ!? は、早く医務室か自室に行って、血を拭いた方がいいぞ!」

 「本当に忘れてんじゃないわよ! お、覚えてなさい!」

 捨て台詞が似合う小物っぷりも素敵だったりする。何でも絵になるな、コイツは。

 苦笑しながらパソコンに向き直ると、速報の二文字が画面に表示されていた。

 ブラウザを開くと、そこに映し出されたのは――巨大なロボット。

 「あ?」

 防衛しているのはアースガルドの精鋭。フラン達はまだ、現れてはいないらしいが。

 それにしても、ロボデザインは酷い。

 全長六十メートル程か。装飾も何もない、鉄で出来た積み木を繋いだだけのように見える。

 が、

 「……なっ!?」

 その腕が突然、砲弾の如く打ち出された。

 目にも留まらぬ速さで駆け抜けた拳は、そのまま誘導線を辿って間接と再連結。

 更に、その腕は変形し、ドリルに変わる。

 「おおおおおおおおっ!?」

 倒されていく機体だが、コックピットまでは貫いていない。不殺生主義者でも乗っているのだろう。

 パイロットの考えは気に入らないが、スーパーロボット伝家の宝刀、ロケットパンチにドリルとは……。

 「……ちょっと、俺も作ってみるか。王道ってヤツを、な」

 それに、見捨ててはいけないだろう。

 欺いたとは言え、彼らは――フラン達はまだ死んでいいフェイズではない。アースガルドを代表とする戦力が消えてしまえば、グランディアがこれは好機と殲滅するだろう。

 しかし、正体を知られたら、何かと面倒な事になる。

 ――なら……別の存在に『成れば』いい。演じきるのだ。

 「……これを使う日が来たな」

 システムデスクの下。二重底の箱に隠している、その仮面。

 「んじゃ……ここからは、人格と声音を変えよう。彼の先達者のように、別人へと。俺が私になり、技術者は預言者となる。私は――そうだな、ゼ○は流石にオマージュとは言えない領域か。ならば、私は……ヴァフス・ルードニルとでも名乗ろうか。知恵は私より、優れた者がいるだろう……それに、私は死ななければならないからね」

 陶器のような質感の仮面を付け、その下で時雨――いや、ヴァフスは穏やかに微笑んだ。

 「さぁ……行こうか」

 ――戦場へ。

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