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ある猫の一日


 暑い日。どうやら夏が始まったらしい。普段はこの家の長女の起きっ放しのベッドのぐちゃぐちゃした布団の上で丸くなるのだけれど、今日は暑い。朝なのにこの暑さなのだ。そのせいで気持ちよく眠れず、いつもなら寝ている時間なのに今日は起きているのだ。


 夏はあんまり好きじゃない。と言って、冬が好きかと訊かれれば、その答えも好きじゃないになるんだけれど。


 家のベランダに落ちる柿の木の影にでも、丸くなろうかと思ったのだけれど、間が悪く、家のおばあさんが洗濯物を干していて、どうにも落ち着けない。しょうがなく家の外に気持ちよく眠れる場所を探しに行くことにした。


 家を出て行くところで、長女と長男が同時に家を出て行くところに鉢合わせをした。


「お、ミァンミァン。いってくるぜ!」


「いってくるね~」


 二人とも私に声をかけて、自転車に乗って、それぞれの学校というところへ行った。毎日同じ時間に同じ場所に行くのだから相当に二人とも学校というところが好きなのだろう。私だったら絶対に飽きるだろうな。間違いない。


 ちなみに、ミァンミァンと長男が言っていたが、あれは私のこの家での呼ばれ名だ。最初はミァンという名だったのだが、いつの間にか二度続けて一つの名にされていた。かわり始めた最初の頃は困ったものだった。


 最近はミァン太郎とか、ミァブ衛門とか、ミァンダルアンとか言われることもある。たぶん私のことを呼んでいるのだろうが、私は雌なのだけれどなぁ。ひどい時にはミァヴァンゲリオンやら、ミァルチだとか、ニャフタリンみたいな全然関係の無い言葉を投げかけてくるのだが、私にかけられている言葉なので、たぶん私をその言葉で呼んでいるのだろう。まぁ、こんな言葉で私を呼ぶのは今高校三年の長男だけなのだが。


 さて、私はそんな彼らの朝の挨拶に尻尾で返事をして、暑さのしのげる寝場所を探しに肉球に力を入れる。


 わたしはこの家の人間達と共に暮らすようになって、もう十年近くになるのだが、一度だけ、引越しというものを経験したことがある。


 前に住んでいたところは自然がそこらじゅうにあったのだが、今住んでいるところは黒くて硬い地面や、白い四角い建物がそこらじゅうにあって、自然というものをあまり目にしない。


 初めてここに来たときには戸惑い、前居た場所に戻りたいと三日三晩思い続けたのだが、四日目に前に住んでいたところがよく思い出せなくなって、どうでもよくなった。住めば都という言葉が人間達の中にはあるらしいが、まさにその通りだ。慣れればそこが一番なのだ。




 近くに人間が乗って遠くに行くための自動車というものが大量に置いてある広い場所がある。そこに一本の大きな木が天に向かって、長い枝と無数の緑葉を生やしている。その根元がなかなかに寝心地がいいのだ。


 わたしは行き交う自動車に注意しながらその場所に向かう。


 無事、その木の太い根元に着き、さぁ、寝ようと足を曲げた時にあることに気づく。日陰なのに日向の所よりも暑いのだ。


 なんでだろ?


 少し考えた。もうちょっと考えた。いっぱい考えた。


 分かった。


 この木の周りに置いてある自動車が熱いのだ。どうやら、さっきまで動いていたらしい。この暑さだったら、まだ長女のごちゃごちゃした布団で寝ていたほうが気持ちよく寝れること受けあいだ。


 わたしは別の寝場所を探しに曲げた足を、ピっと伸ばした。


 ここもダメだとすると、あそこで寝てみようかな?


 私は頭の中で思いついた場所に向かって、足を交互に動かした。


 私が今向かっているのは、私が住んでいる家の人間達が時々ご飯を持ってきてもらうお店だ。ラーメンとか餃子とかいう、私にはあまりおいしそうにみえない食べ物を扱っている。名前は「天華天」というらしい。


 ここには時々足を運ぶ。まだこっちに来たばかりで、地理が分からず、住むことになった家へ帰れなくなった時にこのお店の御主人さんに煮干しを貰ったことがあるのだ。それでなんとか力を戻して、家へ着くことが出来た。それ以来、何回か煮干しを貰ったことがある。


 それで、なぜ私がここに向かったかというと、ここは夏になるといつもお店の中が秋のように涼しくなっているのだ。それはエアコンとかいう暑いところを涼しくする機械の力らしいのだが、そんなことは私にはどうでもいいことなのだ。気持ちよく寝れればいいだけなのだ。家にもエアコンというものはあるのだが、今年はまだ動いていない。


 ちなみにそのお店では今まで一度も寝たことは無いのだけれど、今思いつくのはここしかないので、「天華天」で寝ることにする。


 いつものようにお店の裏口に行き、一声かけて、御主人さんが出てくるのを待つ。


 待つ。まつ。マツ。


 ………おかしい。


 いつもならもう顔を出してもいい頃合なのだけれど。もう一度声をかけてみる。そして、また同じだけ待つ。だけど一向に出てくる気配は無い。


 おかしい。お店の正面に回ってみる。


 おかしい。いつもなら出ているはずの戸の前に掛かっている赤い布きれのようなものが無い。


 どうゆうことだろう?


 ちょっと考えた。もう少し考えた。もっと考えた。


 分かった。


 休みだ。よく見れば戸のガラスのところに張り紙がある。


 そういえば前にもこんなことがあって、その時御主人さんはいなかった。やっぱりお休みだ。涼めないのならこんな暑いところに突っ立ている理由は無い。他の場所に行くことにする。


 だけど、どうしよう。いく所がないなぁ。まぁ、こんな所でじっとして考えるより、動いて考えた方が、ひょっとしたらいい場所が見つかるかもしれないし歩く事にしよう。


 私は足を進めた。




 近くの駄菓子屋。銭湯。もの静かなおじいさんの住んでいる家。どれも今にも潰れそうな木造の家なのだけれど、私はこういう家のほうが好きだ。今住んでいる家はなんとも高級感溢れている綺麗で新しい家。血統書などがあるような猫が住んでいそうな感じがする。私には合わない。昔の匂いというのがしないのだ。まぁ良くないというわけでわないのだけれどね。


 そんな古い家々を回ってみたのだが、他の猫がいたり、人間がうろついたりして、やはり落ち着くことが出来なかったので、未だに私は気持ちよく眠ることが出来る場所を探し歩いている。


 また、暑くなった気がする。そろそろお昼時だろうか。


 そんなことを思いながらも足を止めることはなかった。そんな時、ある神社の前にやって来た。


 こんなところがあったんだ。


 十年ここに住んでから初めて気づいた場所だ。結構遠いところにきたのだろうか?そう思ってあたりを見回してみたが、それほど遠くないところにあの大きな木が見えたので、そうでもないんだと考え収める。


 さて、神社の敷地を覗いてみると、どうやら他の猫も人間もいないようだ。さらに立ち並んでいる木々が作る涼しげな木陰がとても良い感じだ。これなら気持ちよく眠れそうである。


 私は神社の境内に上り、落ちる木陰の中で丸くなる。


 予想通り。とても気持ちが良い。やわらかい風が毛並みをやさしく撫でていく。


 ふわぁぁ~~~~。


 やっと眠ることが出来る。大きなあくびを一つして、私は念願の眠りについた。


 が、その直後、すぐに私は両目を開けることになった。


 どこからか猫の声が聞こえたのだ。しかも良く聴けば、その声は小さな子猫の声であることがわかった。


 無視。しようとも思ったのだが、どうにも気になって眠れない。私はその子猫のもとへ行くことにした。


 その声は神社の裏手から聞こえてきていた。裏へ回るとそこには一つのダンボールの箱が口を開けて置いてあった。その中に子猫はいるらしい。


 中を覗く。すると、そこには確かにまだ生まれて日の浅い子猫が泣き声を上げていた。たぶん人間がこの子猫をこんなところに置いていったのだろう。


 私を見つけたこの子猫は箱から這い出し、私になついて来た。


 私もこんな風にしてダンボールの中に入れられて、今の家の人間達と暮らすようになった身だ。この子猫に同情してしまう。人間の身勝手な行動でこの子猫の一生はどうなってしまうのだろう? 運がよければ私のように人間と共に暮らすことで生きていけるが、もし人間と暮らせなかったら……。


 まだ言葉も分からない子猫だ、たぶん食事の取り方も分からずに死んでしまうだろう。本当に人間というのは身勝手な生き物だ。


 かと言って私にはどうしてやることも出来ない。この泣き声からして、お腹が減っているのだろうが、私は子宮をとってしまわれているために、乳をだすことが出来ない。ただ、同情してやるくらいしか出来ない。しかし、このままではあまりにもあんまりだ。私はこの子猫を生かさせてあげたい。


 私は考えた。うんと考えた。深く考えた。もっと考えた。


 閃いた。


 人間からミルクを貰うのだ。この子猫がこんな目に遭っているのは人間のせいなのだから、この子猫を助けるのに人間がなにかしても筋は違わない。むしろ正論だ。


 私は子猫の首根っこをくわえて箱の中に戻すと、境内から飛び降り、人間を探しに出た。神社を出たところで、一人の人間に会った。黒い髪が長くてこれまた長いスカートの若い女だ。そいつの足元に行き、体を擦らせて一声上げる。


「ん、なんだお前? かわいい猫だなぁ。なんかほしいのか?」


 よし、私に興味を持った。これで、あとは喉でも鳴らせば大概の人間は喜んで、なにかをくれる。


「ゴロゴロしてる。ゴロゴロしてる。そだ、たしか鞄の中に………」


 人間は案の定、私の喉ならしに上機嫌となり、鞄をあさり始めた。


「お! あった、あった。ほれ。食べな」


 そういうと、人間は私の前に食べ物を置いた。


 あんぱんだった。


 う~ん、あんぱんじゃあ、あの子猫はまだ食べることが出来ないだろう。


 私は口をつけず、上を向いて、違うものを要求した。


 しかし、人間の女はもう歩いてあっちへ行ってしまった。


 私はしばらくこのあんぱんとにらめっこをしていたが、していても何も解決しないことに気づいて、新たな人間が通りかかるのを待つことにした。


 しかし、どうやらここの辺りは人間はあまり通らないらしく、さっきの人間から一人も見かけることが出来ない。他のところへ行って、さっきのようなことを別の人間にやろうかとも思ったのだが、あの子猫が心配で、ここを離れることは出来ない。


 もうしばらくここで、人を待つことにする。




 どのくらい経ったろうか?相変わらず人間を見かけることはない。


 そろそろ強い日差しがなくなってきた。もう何時間も過ぎてしまったんだろうか?


 ………いや、違う。


 これは、この匂いは、雨だ。


 雨雲がお日様を隠してしまったから、涼しくなってきて、時間が多く過ぎたと勘違いしたのだ。


 そう思うや否や、上を向いた私の鼻の頭で一粒の雫が弾けた。


 そうして、間も無く、滝のような大雨が私を大きな粒となって、攻撃しはじめた。


 夕立か。こうなったら人間が通るなんてことは一縷の望みも無い。


 私は境内に戻り、雨宿りすることにした。


 すぐに止むと思うので、止んだらまた人間を見つけようと思う。


 私は雨が止むまでの間、あの子猫の傍にいようと思い、神社の裏へ回った。雨が強くて、子猫の声が聞こえなかった。しかし、ダンボールはそこにあるので、当然子猫もまだそこにいると思った。


 だけど、あの子猫はいなかった。


 ぐったりと、白いお腹を見せて、目をつむり、舌を出し、横になっていた。お腹はピクリとも動かない。


 もう、生きていなかった。


 なにか食べさせてあげたかったのに、生かしてあげたかったのに、生きてほしかったのに………。


 雨のせいで五月蝿い。


 心の重さが、雨を吸って、なお重い。


 雨のせいで寒い。


 子猫はさっきまで生きていた証をまだ保っていた。


 雨のせいで暗い。


 気持ちよく眠れると思ったこの場所は、もう、その場所ではなくなった。


 私は何も、出来なかった。


 何か、何かしてあげたい。


 この儚い一生に終わってしまった子猫に何かしてあげたい。


 考えた。

 考えた。

 考えた。

 考えた。


 ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと、考えた。


 空が晴れた。


 一つだけ浮かんだ。


 私より早く眠りについてしまったこの子猫に、この気持ちよく眠れる場所を譲ってあげることにする。


 それくらいしか私には出来ない。


 だから私はまた、気持ちよく眠れる場所を探しに行くことにした。



                                          おしまい。


2002年 作成

2010年 加筆・修正

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