第八話循環の兆し
北西辺境、霧深き渓谷。アレンは崖の中腹にいた。
眼下には巨大な巣。そこにいるのは――
灰銀の巨影。
「……山嶺竜か」
この地方の頂点捕食者。通常なら討伐隊が組まれる災害級魔物。だが今、単独。竜は弱っていた。翼は裂け、鱗は鈍い。魔力が薄い。
「循環不足か」
神の言葉を思い出す。魔王の弱体化。魔物の停滞。世界の衰え。竜は吠える。力がない。怒りでも威圧でもない。
飢え。
アレンは剣を抜いた。
「……悪いな」
跳ぶ。鱗を踏み、首元へ。竜の牙が迫る。紙一重で回避。
剣を滑り込ませる。一撃では落ちない。二撃。三撃。
竜の動きは鈍い。弱いのではない。本来の力が出ていない。やがて。巨体が崩れた。地面が揺れる。静寂。アレンはしばらく、竜の亡骸を見下ろす。
「……痩せすぎだ」
解体。鱗の下の肉は、本来より薄い。魔力の核も小さい。
それでも。
《神饌調理》が発動する。
淡い光。黒い澱みが抜ける。その瞬間。竜の体から、光が溢れた。大地へ沈む。空へ昇る。風が変わる。渓谷に、久しくなかった温もりが走る。遠くの草木が揺れる。
枯れかけていた木が、わずかに芽吹く。
「……」
アレンは黙って肉を切り分ける。竜の背肉を厚く切る。
岩塩を振る。焚き火を起こす。強火。表面を焼き固める。
中はゆっくり休ませる。肉汁が落ち着くまで待つ。
一口。重い。だが、深い。血の味ではない。
“生きていた証”の味。
飲み込んだ瞬間。体の奥で魔力が爆ぜる。空へと光が走る。雲が裂ける。太陽が差し込む。世界が、呼吸する。
一方、王都。
「辺境の渓谷で魔力反応が急上昇?」
王が報告書を読む。
「はい。枯れかけていた土地の魔力濃度が回復」
「原因は」
「不明。ただ……」
側近が言い淀む。
「同時刻、対象の目撃情報が周辺で」
沈黙。王の目が細まる。
「……やはり鍵か」
騎士団本部。
リシアは報告書を見つめていた。渓谷の変化。魔力の回復。そして、彼の名。
「……あなたは何をしている」
だが声はどこか、確信を含む。彼は破壊者ではない。
奪うが、回す。世界を削らず、繋いでいる。リシアは立ち上がる。
「馬を用意しろ」
「副隊長?」
「視察だ」
命令口調。
だがその目は、前とは違う。
渓谷。
アレンは竜骨でスープを取っていた。濃厚な白濁。湯気が立つ。
「……悪くない」
遠くで馬の足音がする。アレンはため息をつく。
「静かに食わせろ」
だが口元は、わずかに緩んでいた。




