第二話それを、食べる気か
森に、金属音が響いた。剣と爪がぶつかる硬質な衝撃。怒号。馬のいななき。玲司――いや、今はアレンと名乗る男は、木の陰からそれを見ていた。五人編成。統一された白銀の鎧。胸元に刻まれた紋章は、剣と天秤。
――ルミナリア王国騎士団。
彼らが囲んでいるのは、巨大な岩亀。甲羅は岩盤のように分厚く、前脚は丸太ほどもある。岩亀は咆哮し、地面を踏み砕く。
「左脚を狙え! 魔力を集中させろ!」
凛とした女の声が飛ぶ。先頭に立つ騎士。他より細身だが、無駄のない動き。金髪を後ろで結い、蒼い瞳が魔物を射抜いている。
――副隊長、リシア。
岩亀の脚に一閃。甲羅の隙間に剣が滑り込む。内部から鈍い音。魔物が崩れ落ちた。土煙が舞う。静寂。
「……討伐完了。損害は?」
「軽傷一名のみです!」
「よし。コアを回収しろ」
騎士たちが作業を始める。
玲司はその様子を観察する。
手際は悪くない。
だが――
「……もったいない」
ぽつりと漏れた。騎士が振り向く。
「誰だ!」
玲司は木陰から出た。
黒い外套。腰の剣。無表情。
「通りすがりだ」
「ここは討伐区域だ。民間人は――」
言い終わる前に、玲司は岩亀の死体へ近づいた。 騎士たちが一斉に剣を構える。
「止まれ!」
「触るな、それは危険だ!」
玲司はしゃがみ込み、甲羅を軽く叩いた。音を聞く。指で縁をなぞる。
「出汁が出るな」
「……は?」
リシアが一歩前に出る。
「何をしている」
「回収だ」
「コアは既に――」
「違う」
玲司は短剣を取り出す。躊躇なく、岩亀の腹部に刃を入れた。
「待て!」
騎士が止めようとするが、リシアが手で制した。
「……見る」
玲司の手元から、淡い光が広がる。内臓にまとわりついていた黒い靄が、霧のように消えていく。騎士たちが息を呑む。
「毒素が……消えた?」
玲司は黙々と解体を続ける。肉を部位ごとに分ける。骨を丁寧に外す。血抜きをし、川へ運ぶ。その動きに迷いはない。戦場とは思えないほど静かな作業。やがて彼は言った。
「火を貸せ」
「……何をする気だ」
「食う」
空気が凍る。
「それを、食べる気か」
リシアの声は低い。
「魔物だぞ。毒も呪いもある」
「処理した」
「あり得ない」
「味を知らないだけだ」
玲司は骨を砕き、即席の鍋を組む。水を張り、火にかける。岩亀の骨を投入。しばらくして――香りが立ち上る。
濃厚で、深い匂い。騎士の一人が思わず喉を鳴らした。
「……なんだ、この匂いは」
玲司は肉を軽く炙り、鍋に落とす。即席の塩草を摘み、放り込む。煮立つ。黄金色のスープ。木椀に注ぐ。一口飲む。目を閉じる。
「……悪くない」
沈黙。リシアが近づく。
「本当に、害はないのか」
「試すか」
差し出された椀。騎士たちがざわめく。
「副隊長、危険です!」
リシアは玲司を睨む。その目は真っ直ぐだ。恐怖より、探究。彼女は椀を受け取った。一口。止まる、もう一口。蒼い瞳が、わずかに揺れる。
「……美味い」
誰もが息を止める。身体の奥が温かくなる感覚。疲労が軽減される。
「魔力が、回復している……?」
玲司は淡々と言う。
「食えば循環する」
「循環……?」
「命は回すものだ」
リシアはしばらく黙っていた。やがて告げる。
「名前は」
「アレン」
「所属は」
「ない」
「……監視対象だな」
騎士たちがざわつく。
「君は危険かもしれない」
「そうか」
「だが、有益でもある」
リシアは剣を収めた。
「しばらく同行させてもらう」
「好きにしろ」
玲司は残りのスープを飲み干す。火を消す。残った肉を布で包む。騎士団と並んで森を歩き出す。その背後で。討伐されたはずの岩亀の死骸が、淡い光となって地面へ溶け込んでいく。誰も気づかない。世界が、ほんのわずかに呼吸を取り戻したことに。




