第十三話止まる世界
異変は、静かに始まった。最初は小さな報告だった。
南方の港町で、魚が腐らない。腐敗しないのではない。
“変化しない”。
獲れた直後のまま、時間が止まったように硬直している。
次に。北方の森で、落ち葉が朽ちない。冬を越えても、春を迎えても。土に還らない。
そして――魔物が、死なない。
正確には。
致命傷を負っても、消えない。霧のように分解されるはずの魔力が、漂い続ける。
世界の“循環”が、止まり始めた。
山岳地帯。
アレンとリシアは、異様な光景を目にしていた。巨大な岩熊。本来なら討伐後、魔力が霧散する。だが今。死体はそのまま。魔力が抜けない。
「……臭わない」
リシアが言う。
「腐敗が進まない」
アレンは熊の腹部に手を当てる。冷たい。だが、死の冷たさではない。
「止まってる」
「何が」
「変化が」
空気が重い。森が静まりすぎている。風が吹かない。虫が鳴かない。
「これは……まずいな」
アレンが珍しく、明確に言う。
同時刻、王都。学術院が騒然としていた。
「魔力流動率が半減!」
「いや、地点によっては停止!」
王の前に報告が積み上がる。
「原因は」
「不明」
「魔王の残滓では」
「反応なし」
王は低く呟く。
「……世界そのものか」
山中。
アレンは熊の肉を切り分ける。
「食うのか?」
「試す」
《神饌調理》を発動。
だが。光が弱い。澱みが抜けない。
「……反応が鈍い」
「どういうことだ」
「俺の“回す力”が、噛み合ってない」
その瞬間。空が歪む。黒い亀裂。雷鳴のような音。大地が揺れる。
「これは……!」
亀裂から溢れ出るのは、魔物でも、魔族でもない。
“未分解の魔力”。
形を持たない奔流。触れた木が石化する。
川が凍りつく。
「循環が止まり、溜まった魔力が暴発している」
リシアが剣を抜く。
「斬れるのか」
「分からん」
奔流が迫る。アレンは前に出る。
「下がれ」
「何をする」
「料理だ」
「は?」
地面に竜骨包丁を突き立てる。魔力を掴む。喰らう。
飲み込む。胃が軋む。 全身に亀裂のような痛み。
「アレン!」
「……重い」
魔力が多すぎる。循環していない“生の塊”。
だが。噛み砕く。分解する。再構築。白い光が爆ぜる。
奔流が霧散する。空の亀裂がわずかに閉じる。
だが完全ではない。アレンは膝をつく。
「……足りない」
「何が」
「俺一人じゃ」
世界規模の停止。個人の力では追いつかない。
王都、同時刻。空に同じ亀裂。王はそれを見上げる。
「三ヶ月、待てぬな」
側近が問う。
「陛下、動きますか」
「動く」
王は断言する。
「全土に触れを出せ」
「何を」
「“料理人を探せ”」
ざわめき。
「陛下?」
「奴一人では足りん」
王の目が鋭く光る。
「循環を扱える者を集めろ」
山中。リシアはアレンを支える。
「無茶をするな」
「無茶じゃない」
「倒れる」
「倒れない」
だが息は荒い。
「世界が止まりかけている」
「……ああ」
「三ヶ月どころじゃないな」
アレンは空を見る。
亀裂は増えている。
「俺は皿しか守らないつもりだった」
「今は?」
「皿が割れそうだ」
世界という皿。
循環という料理。
「手伝う」
リシアが言う。
「騎士としてではない」
「なら何だ」
「隣に立つ者として」
短い沈黙。
「……重いぞ」
「望むところだ」
遠くで、また空が裂ける。
世界が軋む音。
物語は次の段階へ。




