表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

そこで見ていろグレゴール(後編)

ここからがいいとこだから!さあ!

心地いい揺れが私を包んでいる。

トンネルの中の光を何かに例えるのを、あの教師たちは嫌いそうだ、なんて考えていた。


「一ヲ知治、底ノ淵しずく、うはは、危なかったねい」


彼女は薄い、控えめな唇をもにょもにょ動かして、片手でハンドルを握りながら、私がどこで売っているのかずうっと聞けないままでいる、ぐるぐる模様の大きな丸メガネを頭の上に乗せて、何が気に入らないのか、ずうっとその位置を調整していた。


「でもさ、いいのかい。ぼくちゃん様について来るってことはつまり、きみにとってはだよ、もう帰れないってことを示すんだけどね。やり直すに遅いってこともないと思うんだけれどね」


私が、タバコの匂いが嫌いだと知っているからと、開けた車窓から入った潮風が彼女の真っ赤なマッシュヘアをどんどん汚していく。だぼだぼのパンツがふかふか、アクセルを踏んでいる。


「居場所がないって、知っているでしょう」


「その赤いピンはどうしたんだい?やけちゃうぜ」


言葉を無視した彼女の肩に乗った赤い虫たちがニイ、ニイと鳴いて、こちらを責めている。


「例えば、夢の中で、現実じゃ寝たきり、死に損ないの植物人間からもらったって言ったら、ちょっとは驚いてくれるんですか」


「うはは、ずいぶんユニークな話だねい。そりゃあ、内容によっちゃあ、面白いと思っちゃうかもだ」


彼女はふたたび窓を閉めて、虫たちにまた、タバコの火をつけさせた。


「まあ、別に、決意さえつけなけりゃ、一生を住んでたっていい場所さ、部屋くらいはいくらでも、ぼくちゃん様の権限で用意させられる」


木須猫(きすねこ) 都音香(とねか)』。私のセラピストで、パートナーだ。

彼女は常に麻酔を打たれているかのごとく、まどろんだ、ぐにゃぐにゃした思考回路をもっていて、日常会話ですらも回りくどい話し方をする、さっきのは、聞いていた場所に向かうにあたって、それほど深く緊張する必要もない、という意味だろう。


「こう言っちゃあなんだけどね、ぼくちゃん様にとっちゃあ、夢のような話だよ。きみの腕をこっそりじゃなく、堂々と観察できるなんてなあ。なあ、なあ、モルモット扱いしちゃってもいいかい?」


ええと、これは冗談か。

私は彼女のマニュアルを彼女自身から伝授されていた。


「でも話を聞くのは得意だって、マニュアルに付け足しておいてくれい」


また心を読んだな。


そう、確か彼女はなんとか症候群とかいうのを持っていて、一歩間違えれば一生檻の中だったのを、パワープレイだけでどうにか社会適応したとか、これまたなんとか言っていた。


45分間のカウンセリングがあれば、実際に必要なのは5分なのさと、うぬぼれ混じりに言っていた。


「つまり、残りの40分を楽しい雑談に費やしたいクライアントと、そうでないクライアントがいて、きみは見事、ぼくちゃん様のハートを射止めたってわけさ」


「ねえ、さっきから、何か、その、もちろん私は小説の登場人物じゃないんですけど、地の文というか、すごくいやな所に割り込まれている気がするんです」


「うはは!自覚があったって妄想は妄想だ!きみ、棺桶に一歩近づいたぜ!」


虫たちがナビに集まって、ぴっぴっと操作すれば、やがて、トゥクトゥク、マイルドなビートがシートに響く。

こういうのって、運転中は操作できないようになっているのではないか。車種によるのだろうか。


「ああ、いいね、こいつぁ名盤だよ。ヴォルフガングなにがしの音の運びよりも、スヌープのフロウってのが、ぼくちゃん様にはなんでか一番響くんだね。ヒップホップってのはね、心地のよい自己完結、ギラつく箱の中の、王の音楽なんだよ。ぼくちゃん様は誰も崇めないんだ。それに惹かれるってのは、だからつまりさ、一方的にさ、彼に共感しているのかな。やあ、向こうにゃ共感してもらえないだろうけれども、王としちゃ正しい振る舞いだからね、気にゃしないさ」


私は彼女と出会うまで、彼の事は名前くらいしか知らなかったし、初めて聴いた時、私という個の持っていた”ラップ”というステレオタイプなイメージと食い違う、雑談のようでありながら、それが徐々にずれていって、でも、どこかで必ず綺麗に整列してしまう自信過剰な言葉の羅列を不思議に思っていたけど、それでも彼のラップを通せば、彼女の心の内を知れる気がして、早回しで素早く流れていく景色の中、ゆったりした拍子に乗っかって、目の前の現実とスピーカーから流れる音、そのよく似た二つの世界にただ耳を傾けていた。


人間というよりかは、煙っぽいんだよな、と思っていた。


「ここは、きみに同意しようかね。彼は”目”を持っていると思うよ」


彼女はまたタバコを消して、それから車を出て、ふらふらこちらへ歩いてきて、車のドアを開けて、ぺこっと頭を下げて、思った通りにメガネを落とした。


「やあ、やあ、ぼくちゃん様のお姫様に、格好をつけてさ、エスコートをしたかったんだけれどもねえ。ま、メガネはいいさ。予備がいくつもあるもんだからね、さあ、クルーズへと赴こう」


遠くの島へと私をさらう小さな船が、奇妙だけど、確かな善意をもって私に手招きしていた。




「ビンゴ」

   「ビンゴ」


「なあ、だから絶対古いって、それ、当たった時にビンゴって言うのがだよ」


姉妹がいつも調べ物をする時に使う図書館だ。そう、今どき図書館のパソコンだ。

使う前にタイムカードに名前を記入しなきゃならない。


ああ、これから不見神の双子の事を、俺は”姉妹”って呼ぶけど、深い意味はないから気にしないで。


二本と二本、合わせて四本の北斗神拳タイピングのあと、髪型に似合わない仕草で同時に、早押し競争のようにエンターキーを叩いた姉妹の横で、コンタクトに完全移行したらしい垢抜けない明るい茶髪と、ついに最近ピアスの穴まで開けやがったうっすい金髪で”モテ寄り”の、二人の男子生徒が驚いた。


「マジかよ、オレ、徹夜までして、すげえ必死に調べたのに」


一人称がオレのほうが『ピアス』で、


「着物掛さん、学校をやめるって、やめて行く場所がここ?」


こっちが『コンタクト』だ。一人称はボクね。


ちなみに、これはマジの名前で、最後までこれで行くつもりだよ。前作で『地味系』だった一人称私ちゃんがネームドに化けたのは特別なの。たぶん、キル・ビルの頃の栗山千明に似てたからだね。


モニターには膨大なネットの海で、おそらくは緻密に練られたシステムの中、小さな小さなほころびとして漂っていたクラゲが座敷わらしの幸運に釣り上げられてふらふら。ああ。今のはうまくない比喩だったかもしれない。


「この人、ボク達と同じくらいの年齢だよ」


コンタクトがブログの記事をスクロールする。


「げっ、ほら、後ろの看板、『シルクロード』って書いてあるって」


スマホの画像翻訳を使ったピアスが驚いて、こっちに画面を向けてきた。


「文字は自動で、画像だってたぶんある程度自動で、片っ端から消していってるんだろうけど、ネットから情報を消し切るなんてのは神にもできやしない所業だ。俺の神だけは例外だったのかな、あらゆるエロサイトから俺のお気に入りの動画が完全に消えちゃったけど、それでもたぶん、保存してた奴はいるだろうし、そいつと死ぬ前に会いたい」


「パチカス、一回くらい教員免許剥奪されろよな」


ピアスは執拗に俺の事をパチンコ狂い扱いするけど、俺は一回もパチンコ屋に入った事がない。うるさくて怖いからだ。トイレはすげえ綺麗なんだってさ。それが本当ならうれしいね。


ちなみに、本来、図書館では静かにしなきゃダメだ。


モニターの中の『シルクロード』。

表向きには、これは大事なところだよ、表向きにはスイスに本拠地を置く、サービスと言うべきか、まあいいや、とにかく安楽死のサービスを行っている慈善団体らしい。


取材禁止、メディアへの露出を極端に嫌がるけど、悪い噂も特にない。

ていうか、情報が何もない。いわば海の向こうの実在する都市伝説だ。


ベストタイミングで、『こいつが犯人』から俺のスマホに着信が入る。


「現在位置がわかりました。私たちがすでに行方を追っています。持っている情報の都合上、多くは話せません。ただし知木先生、いちをちクリニックの院長が極めて法的な手段によって、こっそり直々に特別な設定を行いましたので、あなたのスマホだけは彼女の位置を特定できるはずです」


「それって何かの犯罪じゃないの?」


ぷつん、ヤブ医者からの通話が途切れた。

ああ、でも、たぶんこれは責められないんだ、向こうが切ったんじゃないから。


だって、それと同時に、パソコンがクラッシュして、エアコンも何もかも止まって、何なら辺りの電気供給まで一斉に止まっちゃったんだ。


「え!?ちょっ——オレのスマホが!」


人々はもちろん、ピアスが特にパニックになって、スマホをばんばんと叩いている。


ああ、こういうマジの警告を受けたら、経験上、逆に思い切り死ににいってやるべきだ。


もちろん俺のスマホはフリーズしたまま、冗談みたいだけど、ヤブ医者の仕掛けだろうな、マークのつけられた地図だけをオモチャみたいに写していた。


「行くぞ、主人公は行くしかないんだよ」


俺はこの小説の表紙をもう一回確認して、役立つ”オモチャのスマホくん”をポケットにしまって、すぐさま周りの連中を詰め込めるだけ詰め込んで、今まで何度も窮地を救ってくれた、今ごろは頑張って車検を受けている愛車を想って……いや、冷静に考えればそれほど活躍してないわ。さっさとクソな代車のエンジンをかけた。


揺れはスクーターみたいで、シートもペラッペラで、エアコンだってもちろん臭かった。

俺は運転しながら、今はこれしかないんですよね~、じゃねえよ、と店の奴の顔を思い出していた。




「ゴメンナサイ、二人マデシカ乗レナイノヨ」


「は?」


ポンコツの車の中で自分たちなりに決意を固めて、戦地への導入まで完璧にこなした超かっこいい戦士たちは、どこの国籍か全然わからない男の、小さい小さいボートの前で立ち往生していた。


「『メージ・チョッコレイ島』デショ、大キイ船入レナイ、OK?」


「黙れよ」


意外と、コンタクトが一番キレていた。わからなくもないね。

パーキングエリアで休憩している時が一番悲しい思いをするし、俺たちはそのピークを超えてここにやって来たんだぞ。


で、二人?二人って、少なすぎる。二人で行くとして、誰と誰なら生きて帰れる?


「俺様と姉貴が行きゃあいい、すぐに済む」


べべん、と一歩踏み出すデカ柱を、俺は手で阻んだ。


「いや、織無は……」


「あ?このメンツじゃ最高戦力だろ。何か文句あんのかよ、先公」


「言いにくいんだけどさ、謎の孤島に気の強い最強格って、なんか、逆に縁起悪い、負けそう」


「ああ!?」


クリムゾン色の着物を振り乱した織無に胸ぐらを思いっきり掴まれる。皆、俺の胸ぐら大好きだね。

だけど、こうしている間にも、半グレが血眼で追うほどの敵によって、拉致は着々と進んでいる。


「ああ、まあ、悲しむ奴もいないし、ここは大人の俺が行くよ。まず決定だ」


俺は慣れたジェスチャーで織無に手を離してもらってから、ブチャラティのポーズでボートの前まで踏み出したけど、当然ジョルノは乗ってないし、順番的に次に来るのは絶対アバッキオだから、気が気じゃなかった。


「なら、大人二人で出航といきましょうか、知木先生」


ほおら、アバッキオの声だ。


いや、先に船に乗っていたんだから、ジョルノなのか。

絶対違うね。くたばれ。お前に吹くのはドブ色の風だ。


そう、何となくわかるよね、乗っていたのは木偶の坊の重柄だった。




「なあ、たったの四作品で海外進出だ。日本のさ、海外ロケの映像作品の中にひとつでも面白いものがあるなら教えてくれよ」


俺はすっかり汚染の進んだ海水のしぶきを浴びながら、大泉洋の顔でそう叫んでいた。

辺りには一応、小さな島がいくつもあって、カモフラージュ感も、仕掛け感も満載。


風も海流も激しい時は激しいらしく、船の残骸だと思いたくないものがちらほら見える。


重柄は船長に見られようがお構いなしに、殺しの準備運動と触腕のストレッチをしている。


「モウスグ着クヨ」


そいつは嬉しいようで嬉しくない報せだけど、ざっと波間を裂いたかすかなノイズから察するに、俺たちに対して言ったわけでもないんだろ。


俺は一応、重柄の後ろに陣取っておいた。

こいつがふがいない時のために。




「おお、いいね。さすがぼくちゃん様のチョイスだ。やっぱ全然、こっちのほうが似合うぜ。しかしな、死に損ないの男からの決死のプレゼントにメカを仕込むなんて、ひでえことするもんだよな」


船に乗る前、知らない男の手に渡って島とは全く違う方向へと飛び立っていった蝶のヘアピンは、私の心と一緒に、今やシンプルな一本線に生まれ変わっていた。


あまり馴染みのない空間。まるで別の世界を見ているような気持ちだ。


「きみは一応さ、扱いは全ての意味合いを含んで、クライアントって形になるんだけど、招待された客でもあって、いわば、そう、VIPってやつさね、別にだね、思った通りに、なにかリクエストがありゃ、そこらの連中に言ってみりゃいいし、寝て起きて食ってりゃいい、好きなように過ごしてくれて構わないんだぜ」


そこはホテルのエントランスみたいで、けれども自然的な明るさに照らされていた。

落ち着いた人々が窓の側で読書をしたり、音楽を聞いたり、思い思いの行動をとって、ときに雑談をしたり。


彼女はメガネはそのまま、ずるずると、かなり大げさなオーバーサイズの白衣を着て、紐の長さが膝まである社員証を蹴りながら私の横を歩いている。


そして廊下で突然足をぴたっと止めると、カードキーを装置にかざして部屋のドアを開け、私をするりと部屋の中に入れて、流れるようなキスをしてから、それを手渡した。


「これがきみのIDだ。いいだろ?実はすーっげえ、このまんま抱きたかったんだけどねぃ、今日はもう遅えから、やんなきゃならねえこともあるし、名残惜しいけど、明日の朝にはまた来るよん」


もう一度、二度と続けざまに額にキスをされて、こちらへ手をひらひら振ったのが見えて、最後にドアが閉じられた。




「ようこそ、ようこそ。事情、聞いてる、アポ無し訪問、よろしよろしね」


ああ、まあ、思ってたよりかは近かったかな。

二回吐いた。


びっしょびしょの濡れた野犬みたいな俺と、かきあげる必要のない髪をかきあげて”水もしたたってる”クソ野郎を迎えたのは、広い袖口の、ところどころにゴージャスな金色が散りばめられた、日本じゃあんまり見ない真っ黒な礼服の若い男だった。


装飾でもまだ物足りないのか、丸い刈り上げ頭の髪は丸見えの根元から先端までが見事な金色で、どうせ俺たちと同じ薄い顔だろうに、一丁前に、油が海にこぼれたみたいな濃い色のサングラスで目を隠していた。


「ワタシ、『(ワン)』ゆいます」


そう名乗った男は袖を袖の中に入れて、ぴしっとした立ち姿のまま、やっぱりちょっとだけ俺たちと違うお辞儀をした。


「見ろよ重柄、カタコトの日本語に、いかにもな偽名だぞ」


「そうですね、アジア人のテンプレートって感じです」


「なあ、じゃああいつ、やっぱキル・ビルがいるトコに来てんじゃん」


「そんなに栗山千明に似てましたか?」


「いや、もう似てないよ。この前まで似てたのに。デザインの都合だ」


これは全然、差別発言とかじゃないんだけど、あんなに、”もろ”に”もろ”なあちらさんが下手に出てくれるなんて、おそらくすごい事だろうに、島の上には全く頭を下げず、逆に雑談をかましてやる良い大人のお手本が二人いた。


「シルクロード、説明する、ついて来るといいよ」


王は全く気にも留めない様子で、キョンシーみたいに、きゅっと背中を向けた。


辺りは暗くて、どこが砂浜でどこが岸壁かなんてちっともわからない。


それなのに、でかい建物の外装は人工芝たっぷりの見事なヨーロピアンテイストで、テラスまであって、暖かい光がちらほら灯っていて、見ていると鬱になりそうだった。


「日本語、ごめんね。ワタシ、日本語がいちばんヘタなのよ。なんて、フランスの人が来たら、フランス語がいちばん苦手って言うよ」


我慢だ。愛想笑い前提のジョークを言う奴って何なんだ?


面白くないジョークのビンタを喰らうと、俺みたいなのは右から左に流す努力をしなきゃいけなくなる。

ここは重柄だけが頼りだったけど、重柄はアホだから、この独特な設備を将来に活かそうとでもしているのか、子供のきらきらした目で周りを睨みつけていた。


だからつまり、この時点ですでに、誰も王の話なんか聞いてないんだ。マジでヤバいよね。


「ああ、調べてきたの、すごいね、データ管理が徹底してる、気になったでしょ?」


「管理ってよりかは、そっち特有の、いや、言い方が難しいから俺はパス、重柄、お前も何も言うな」


「ドリンクサーバーだ、どうやって」


「ああ、それね、入りにくいの日本側からだけなのよ、島の逆側からは、たくさん、業者さん来てるよ。流通不便だと、何もできない。これからの話とも、ちょっと関係あるよ。あ、飲みたいなら、飲んでいいからね」


「なるほど……」


「重柄くぅん、社会科見学たのちいの?」


王は廊下でもう一度振り返ると、人差し指を口元につけて、わざと大きめのささやき声に変えた。


「先言っとくんだったよ、ごめんね、若者ちと早いけど、ご老人にとっちゃ夜だから、入居者さん、いるからね」


マナーを守れる子の俺は人差し指で合意したけど、あのアホはどうかな。


まだエントランスを通り抜けただけだけど、ぐるりと見渡しただけでも、すでに相当な部屋数と、大きな窓の近くにすごく、スタッフって感じのスタッフがいた。金が1で、やりがいが9って感じの。わかるかな。


俺は金が1で、やりがいが0で、疲れが9だ。


「専門のドクター、看護師さん、いればいるほどいいのよ」


「表向きには、ここは病院と登録されているんですか?」


おいおい言葉を選べよ!よくやったぞ、いいツッコミだ。


「いいや、いい気持ち、しないだろうけど、暗黙、得てのもの、いうことになってる」


「つまり利益になるからと、どの国にも見逃されている、無法地帯という事ですか」


「そう言ってくる悲しい人も、いるね」


「うんうん、いくら顔が良くても悲しい人いるねえ」


俺のサポートを無視して、しかしと、王は強い口調で切り出した。


「でも誤解しないで、実際、スイスに本拠地はあって、シルクロードはスイス、きちんと認可されてる。それに、シルクロード、働いている人たち皆、仕事が必要とされていないと思ったことは、一度もないよ」


「やりがいなんてどうでもいい。だったらこそこそした動きをやめて、スイスの中でだけ、やりがいとやらを振りかざして働いていればいいだけの事だろうに。お前が言うように、確かに”シルクロードは”認可されているのだろうな。後で調べればわかる事だが、どうせ、ここは法的に無関係の施設として登録されている……されているならまだいい。違うか?必要?不要?ふざけるな。完全なる違法だ。犯罪者の集団が世間に媚びへつらうのは不愉快だ、話を逸らさないでくださいよ、イライラするな」


お、爆発のシーンに行くにはまだ、だいぶページが残ってるように思うけど、もういっちゃう?


「王先生」


それを食い止めるように、小さな高い声がした。


幼い子供の声だ。

王は声の主に、日本では有り得ない距離感で尋ねた。


「どうした、どうした、まだ痛み、強い?」


「いいえ、グレゴール、悪いこと、起こる、言うの」


「そうかあ、わかった、ちゃんとお部屋行くから、いま、看護師さんと遊んでて」


子供は俺たちの事を怖がって、王の手を離れ、たたっと廊下を駆けていった。

その後頭部には、痛々しい、大きな縫い目があった。


「ケアはできても、どうしても、長くないのよ」


でも、子供だからか、走っていった先は看護師さんのほうではなかった。

お婆さんがひとり、静かに椅子に座っていて、その子にとんと手を叩かれた途端、嬉しそうに抜けた歯を見せて、窓に向かって笑っていた。


「ワタシ、違法、合法、問われたら、グレーの立場で、世界と戦うつもりでいるよ」


王は俺たちの意識を、そのつかの間の安息から引き戻すように言った。

そこに、ADHD大絶賛発動中の重柄が食ってかかる。


「今自分がどこに立っているのか、はっきりさせておきたいのは王さん、あなただけじゃないんです。答えてください、ここは一体何なんだ?」


「『シルクロード』ゆう名前はこれからの、長い長い道のりのこと。ここは人間が、残された時間を精一杯、いっぱいいっぱい、楽しむ場所、それともあなた、ここは自殺ほう助を推奨している施設と、こう言えば満足か?」


相手の身を突き飛ばしたのは、意外にも王のほうだった。


「ワタシも、スタッフも、バカにしちゃいけない。死なんてもの、大嫌い。最後の手段、みんなわかってるよ。ただ、その用意をしてあるだけ。これ、人工心肺と何が違う?最後まで、ひとが、残された時間、苦しむなら苦しんで、楽しむなら楽しんで、それは、ずうっと息苦しいベッドの上じゃできないよ、それこそ、おかしいでしょ?」


王の静かな怒りは、子供の耳にまでは届かなかったようだった。

今はこちらに目もくれず、お婆さんと一緒に窓の外を眺めている。


「重柄。バトンタッチ、俺がやる」


「知木……!」


俺は王を一旦かばうため、弾け飛びそうな怒りの対象を自分の背中に向けた。

よく堪えたな、今の。お前でも成長するんだ。


「王さん、俺はリスペクトが苦手なんだけど、ここからはちゃんとあんたの悪い仕事に敬意を払うよ。こいつは俺に任せて。発達障害なんだよ。いくつかルールがあって、あいつとの話は適当に済ませて、無視するのが精神的にいい。俺のために案内を続けてくれる?」


「いいよ、いいよ、こちらこそ、ごめんね。ああ、だけど、そうだったか。ううん、ワタシこれでも精神科医なのよ、こんなんじゃダメね」


「いや、無理もないね。俺は仕事仲間だけど、百人のシリアルキラーと同じ部屋に入れられるよりも、こいつとデスクが近いほうがまだ全然嫌だもん」


「あはあ、そうか、そうか」


重柄を嫌うのに言葉はいらないよな。


まあ、それはそれとして、誘拐の説明はついてないし、ガッツリ捜査はさせてもらうよ。




『ヤバいよ、絶対おかしいって!ボクら今、どうなってるの!?』


『落ち着けよ、自分の体だろ!』


「うふふ、平静を保たないと中身もろとも溺れ死ぬかもしれないわね」


それを是非とも見てみたいってんだろ、クソババア。


俺様、不見神織無はどういうわけか、足々女のクソババアの人力エンジンに引っ張られ、コンタクトだかピアスだか、バカどもの腕がそれぞれ作ったぬめつく膜のカプセルに覆われて、海底を潜水艦みたく移動して、先公の後を手はず通りに尾けていた。


背丈に比例するのか、俺様の入っている、コンタクトが作った膜は窮屈だった。


「……あっ。ご、ご、ごめんなさい、織無さん、ボクがもう少し、大きな膜を作れればよかったんですけど、あの、相変わらずお、おっき、き、き、お綺麗、なんですね」


「んだよ。男同士だろ、気色悪ぃぜ。向こうに入った姉貴が気がかりだ、万が一、しくじったら殺すって言っとけ、加護のテレパシーとやらで。……おい、あんま揺らして膜、破んじゃあねえぞ」


「あらまあ、天然の淫乱発言だわ」


『お、お、お、お、おおい、万が一にでもしくじったら殺すからな!』


『なんだよ、お前!?急に!』


どうも、ババアの”加護”を受けた人間同士は、口を開かなくても意思の疎通ができるらしいな。便利だか、便利じゃねえんだか。


「見て、機雷よ」


あん?

ババアが、老いぼれエンジンを停止させて、物騒な言葉を発する。


「随分厳重なのね」


コンタクトとピアスにも、同じ視界が共有されているようだった。


『機雷よ、っていうか、機雷まみれよ、っていうか……こんなの映画でしか見たことないよ……』


『アタリメさぁん、これじゃ、抜けられないんじゃねえの』


ババアはそうねえと呟くと、進行方向を下へと変えて、水底の砂に全員を置き、機雷から十分に距離をとったのを確認すると、神さま、いいとこ見せちゃおうかしら、なんて言いながら、俺様たちを新たに透明な膜でくるんでから、ピアスとコンタクトの変形を解除した。


そうして、ババアがひとり膜の外へ出ると、両手を前にやり、前が見えないくらいの太い、わずかばかり前のてめえの敗因である大量の触手を懲りずに繰り出し包んで、全ての機雷を一瞬のうちに白い団子に変えてしまった。


瞬間、触手の中で機雷が、包まれたのと同じ順番で連鎖して爆ぜて、触手はそこそこのダメージを負ってぼろり、ぼろりと崩れていくようだが、こっちからすりゃ衝撃すら感じなかったくらいで、残骸がどんどん下に、気泡のみが無念そうに上へ上へと上がっていっていた。


残ったのは濁った海水だけだ。


「すっげ……」


ピアスの素直な感想に、ババアは髪の一本も乱さずに、ご満悦で膜の中へと戻ってくる。


「神さまだもの。さあ、これで道がすっきりしたかしらね」


「あ、あの、アタリメ様」


コンタクトがおずおずと手をあげる。


「なあに?」


「あの、ボクには、重柄先生を通して、中での会話が聞こえていたんですけど、この機雷はちょっと、アタリメ様もおっしゃったように、おかしいくらい厳重すぎるというか、ここってたぶん違法で、建前上、一応は慈善団体のつもりなんだと思います。だけど、いくら無法地帯だからって、普通は警告も兼ねて、上の警備を厳重にするんじゃないですか、なんで下だけこんな……」


「そうね、ごく普通に考えれば、島の上はいくら見られたっていいけれど、むしろ、打ち負かす自信があるけれど、たぶん、地下には来てほしくないんじゃないかしら」


ババアが指さした先には、大樹のように島を支える大地と、不釣り合いな錆び鉄の扉があった。


「ああ。ありゃ下水道じゃねえ。死体を魚の餌にすんのに扉は邪魔だろうからな。なら何の扉なんだろうな?」


「ああまで露骨だと、いっそ機雷のほうが撒餌かもしれない、なんて思っちゃうわね。あるいは、焦って外に出た”中にいた人間”を叩く装置」


俺はここで、ババアと考えが一致したのを感じて、それが気色悪くて胃をむかむかさせながら、そっと姉貴に改良した小太刀を渡して、コンタクトとピアスに向けて言った。


「織無、これ……」


「姉貴。そいつは改良してある。前のよりも多少マシなはずだ。このバカどもと一緒に陸地にいろ。建物の中に入るな、誰とも出会うな、会ったらコンタクト、ピアス、てめえらがどんな手を使ってでも率先してブッ殺せ。敵が強けりゃアタマ使って、俺様が来るまでの時間を稼げ。俺様とババアはあの扉の中から先公と合流する」


「神さまの加護があれば、内、外、どこでも連絡を取り合う事ができるわ。コンタクトくん、ピアスくん、わかるわよね。あなたたちはトランシーバーで、命の綱。その自覚を持って取り組んで頂戴ね」


「や、じゃあちょっと待った、オレらの責任って、軽いようでめっちゃ重くな——


言い終わるより先に、ババアの作った三人分のミートボールは、イカ刺し様の足に引っ張られ、くぐもった絶叫とともに、陸地へ向かって運ばれていった。


余った触手が俺様を運び、扉へと伸びていく。

はった膜はすぐに扉の周囲にまでへばりつきながら広がって、ちょうど刀一振り分の水のない空間を作った。


「さあ、出番よ、小童」


「命令すんじゃねえ」


俺様はババアが横にいる違和感と、それよりもっといやなものの気配を感じながら、扉にまっすぐ、痛みすら感じねえほどに素早く太刀を通した。そして、俺様が先にすかさず中へ侵入し、ウイルスのババアも続いてしっかり傷口から侵入し、年増にゃ水圧もなんのその、その切断面をぴったり閉じてしまった。


「鬼が出るか蛇が出るか、ね」


「歳で忘れちまったか、鬼も蛇も、こっち側の生き物だぜ」


貧乏神と疫病神は、揃って暗い暗い通路へと踏み出した。




「おおう、ワンちゃん、このかたやイケてる、かたやイケてないメンズはなんだい。また見学かい、最近はめきめき増えて増えて、増える一方だねい、こう忙しいと全グレなのを忘れちまうぜ、うはは!……あん?だけど、きみら、見たところ健康そうだけど?やあ、そうでもないのかな?」


夜間でもそこらじゅうにスタッフが散らばってるんだ。

こっそり覗いた部屋の中にも、確かに人はいたけど——


そう、俺が廊下でなにか、違和感のようなものが徐々に確信へと変わっていくのを感じ、王の話を聞くフリをしながら考えている途中の出来事だ。


もう少しで答えが出るってところで、突然どこからか現れて王の背中をぎゅっと抱いたのは、どこで買ったのか、ダッサいぐるぐるメガネのダウナー電波女だった。好きな奴は好きそうなタイプだけど、たぶんそいつはハチャメチャな童貞だよね。


でも、そう、


「女だ、重柄」


「わかってますよ」


俺は女に逃げられないよう、一切の躊躇なしに、ズバッと尋ねる事に決めた。


「着物掛って女の子、見ませんでした?」


すると女は、首をかしげてから、あっさりと答えた。


「見たもなにも、彼女の要望を叶えたのはぼくちゃん様だ。面会ももちろん可能さね、会いに行くかい?居場所を知ってるぜ」


俺はてっきり、隠されているものかとばかり思っていたから拍子抜けで、だけどその拍子抜けっていうのは、うまく言えないけど、余裕ぶりを見せつけられているようで、ちょっと気持ち悪かった。


女は王の体の上をずるずると登って、頭を抱きかかえた。


「ぼくちゃん様は木須猫都音香、スタッフのリーダーであり、臨床心理士であり精神科医なんだ。案内、バトンタッチするよん。ワンちゃんはお仕事に戻んなよう」


「ああ、わかったよ、いいから、離れてね」


王は木須猫を引きずり下ろして、廊下の突き当たりへと歩いていった。


「さあて!」


不意に、木須猫が大きな声を出して、手を上に掲げて指を弾く。


「きみら、ヒーローなのかい?来るかもしれないってあらかじめ、もちろん言われてたし、ぼくちゃん様はそれからきみを守るよ、とも言ったんだ、あの子、カイコにね」


「誘拐犯はあなたと言うわけか、話が早くて嬉しい限りだ」


俺は重柄の、変な言い方だけど、今にも手が出そうな触手にどうにかしがみついて、そうだそうだと茶々を入れて、案内が終わるまで、この暴れん坊将軍が成敗をわずか待ってくれるように祈った。




「うっ、ダメ人間コンビ」


私は彼女には追い払うように言ったはずなのに。

目の前には彼女と、ああはなりたくない二人組がいた。


「地味系!俺はダメじゃないだろ!男は外見より中身って、俺は確かに教えたぞ!」


「長い事茶番に付き合わされたよ。その干し草で作った小汚いパジャマから着替えて、君のくだらないヒステリー、単なるバイオリズムの乱れに何人巻き込まれたか考えてみろ、いい加減大人になったらどうだ、夢に別れを告げる時だとわからないのか」


「うっはっは、おおいおい、おいおい、うはっ、なるほどねえ、ぼくちゃん様が聞いていた以上に、カイコはきみらに対して、気ぃを遣っちまっているみたいだな、遣わなくっちゃならないんだな、それくらいにゃあ強烈じゃないか」


タバコの匂いがすぐ後ろまでやってきて、白衣の両袖が、ずるっと私の前でクロスする。


「小さなほうはぼくちゃん様が”バカなきみを誘拐した”と誤解してる、大きなほうはシルクロードそのものが気に入らないみたいだね~ぃ。つまりつまり、つまるところ、カウンセリングできみが話してくれたことを話してやりゃあ、残りは、きみを不妊症にした大きなほうを倒せば解決って算段だよ。いいや、案外、納得してくれるかも、だぜ」


さあ、と背中を押されて、私は分岐路に立たされる。


あの二人のお喋りは始まると止まらないのを知っていたから、私がいち早くスターターピストルを鳴らさなきゃならなかった。


「ええと、ら、知木先生、私は誘拐なんてされていません、自分の意志でここにきました」


「洗脳されてる奴が操られてる自覚があるか、自分の意志でやってるのかなんて俺は知らないから、そいつがサイコ・サイコセラピストである以外に何とも言いようがないね」


彼女が、うはっ、いいねその響き、名乗ってみようかな、と笑う。


「違うんです、私はそこの重柄に抱かれた事は恥ずかしくて誰にも言っていませんけど、不妊になった事をはっきりと家族に伝えました」


「家族だからと、無条件に受け入れてくれると心のどこかで信じていたのだねえ。このかわいこちゃんには明確な心境の変化があったのさ。さあ、急いでそこまで行ってみようか」


「最初はひどく落胆されて、しばらく口もききませんでした」


「家庭の不和。いかにもおなごらしい、ありがちな事情だな」


「あなたが……よく言えますね」


「まあ、それは本当にそう。こいつの装備はいつでもブーメランだ。俺もムカついた」


ばらつく場と、カッとなった私を、ぱちんと鳴った指が冷静にする。

私は音の先の彼女に一度目をやって、その笑顔を見てから続ける。


「…家族は母に、父に、妹。ともかく、私はその家にいられなくなったんです」


「なあ、やっぱ考えすぎだって、地味系。それでわけのわからない施設に単身上がり込むなんて、どうかしてるって思わないか?」


ち、ち、ち、と指を横に振る彼女。


「小さな先生。いいや、ここは大きな先生へ向けて言うべきだろうかね、その身体、実感があるんじゃないかい。おや、違うのかい。まあ、多かれ少なかれ、抱えたハンディキャップってのは抱えた本人が苦痛を覚えるよりもずっと先に、こいつぁ残酷な話だが、周りの世界をさっぱり変えちまうのさ」


彼女の言葉はわかりにくいけど、私の状態を完璧に言葉にしてくれているのは彼女だ。


「……私は受け入れられた。だけど、本当の意味では、それから毎日毎日、家族の顔をした違う人たちから、腫れ物扱いを受け続けていました。あれからの事ですよ。今まで、私の役割は今まで長女だった。それなのに、両親の興味の対象、私が姉という事実さえ、日に日に妹へと移り変わっていくのが見えたんです」


ここが自殺ほう助を行っている事なんか、とっくのとうに聞いている。


それでも私は三人のあの目から離れて、たとえ失踪や死という形であっても、一日でも早く忘れたいだけなのだ。失望、絶望。どちらも向こうが、家族が先に抱いた感情だ。それを秘めた目つきはいつでも胃から上がってきて、私に頭を抱えさせて、叫びに至らせる。よくも、よくもと。


「この子は家族が好きだったのさ、残念ながら、この子一人だけがね」


「クズ男、あなたは”そんな事か”ってずうっと言い続けるんでしょう。知木先生は静かですね、まだ童貞のくせに、いい事を言おうとでもしているんですか」


私は片腕を触腕に変形させて、切っ先を銀髪のほうに突きつけた。


「私だってあなたになりたかった、あなたみたいな、他人を思い切り憎める馬鹿になって、どいつもこいつも殺して、何も考えずに逃げおおせてやりたかった」


あの男には、これはたぶん、侮辱の言葉として届く。


向こうのほうから、やはり、ぶんと振りかぶる音がして、私は瞼に力を入れずに目を閉じた。

死にたかったからじゃなくて、彼女を信じていたからだ。


そして当然のように、金属が激しくぶつかる音がした頃には、私の目の前には誰より優しい彼女がいて、その背後には巨大な赤い甲虫が三体、息のあった連携で、重柄の腕をその牙で受け止めてくれていた。


「人をすぐに憎むからバカってのはなあ、いいや、もうちょい複雑な理屈があるんだよ、つまりは違うんだけれども、ぼくちゃん様のお姫様をかくまってやる必要なら大いにあるみたいだ」


甲虫のカーテンの中、すごく甘くて煙たいキスをされる。


「だけどきみはよく言ったぜ。さ、部屋に行きな、帰ってもらうだけさ、殺しゃしないから」


にっと笑った彼女に、私は誇らしく背を向けた。




「何だ、こりゃあ」


俺様がでかいだけの昔ながらの造りの家に住んでいるからってだけじゃねえぞ。

ここの存在は誰が見たって、一昔前の映画みたいな、ぎらついた強烈なフィクションだ。


全ての見えない物事が自動で、勝手に進んでいっている。四方八方をモニターに囲まれ、生きたコンピューターの群れが、己のシステムを自身で完全に制御している機械の群れは、まるで、もう一つの別の世界が箱の中にすっぽり収まっているみたいだった。


「……まともじゃねえ」


俺様は柄にもなく、滅多にない感情を抱いていた。


「小童、怖がっていても始まらないわ。バックアップが他の場所に存在しているかもしれない。わかるかしら。あの侵入口はいざという時、この空間を丸ごと海の藻屑にするためかもしれないのよ。さあ、早く情報を整理して、あの子たちに共有しましょう」


「誰が怖がってるって?クソババア」


だいいち、こんなの、どれが読める文字なのかすら、わからねえだろ。


「中に入った二人はとっくに警戒しているでしょうけど、この施設には厄介な何かがあるのよ」


ボタンやレバーみたいなのはちょくちょく、大量にあるが、どれに触れたらどうなるかも全然わからねえ。最悪だが、どうにも緊張して、身体がカチコチに固まっちまってる。


ババアはというと、するすると全域に触手を伸ばして全ての目を閉じていた。


「おい、汁で濡らすなよ!」


「濡らせば神さまだって感電するの。黙って素振りでもしていなさいな。よほどの理由でもない限り、結局は、これから潰す予定の建物なんだから」


俺様は叱られた感じがして、イラついたから、周りのものを……まだ何一つ斬れやしねえじゃねえか、畜生。


「……で?厄介な何かってなんなんだよ」


まあ、ちょっとだけ、格好はつかねえだろうが、すごすご圧し負けるよりかはマシだぜ。

わからないのかしら、なんて答えようもんならここでおっ始めてやる。


「ひとの流れがないのよ。神さまは彼の目と耳を通じて、ひとや設備を全て見たけれど、どのひともしっかり働いている様子で、肌の色も多種多様だったわ。宗教観だって、どんなものにでも対応できるでしょうね。これから死を迎えるひとびとの、あらゆる要望に応えようとしている……すごくいい話のようだけれど、きっと、知木先生の抱いた違和感の正体はこれね。不気味だわ」


子供にものを教えようとする大人みたいにババアは続けた。


「小童、ここは、ひとの介抱をする場所なの」


「ああ?はっきり言えよ」


「あの子たちは見ただけなのよ。それぞれの持ち場で、ひとびとが、なにか作業をしているところや、暮らしぶりが確かに”遠くでちらほら見えた”。なのに、あの子たち、その中の誰とも口をきいていない。王が抱えた女の子のあとも、誰ともすれ違わなかったわ。ひとの生死がかかった場所で、ひとの行き来がないなんて有り得ないのよ。ここのひとびとはまるで見世物で、仕事をひとに見せることを仕事にしているみたい」


そう、まるっきり、平和すぎるんだわ、とババアはほとんど独りごちた。


「これだけの設備と人員を揃えて、それを動かすとなれば、維持するだけでも膨大な手間賃がかかるはず。よほど大きな資金源がない限り、無い袖を振るどころか、無い腕を振るように」


テレビでいかにもなアホらしい女が言っていたが、女ってのはみんな推理好きらしいぜ。

毎日ヒマじゃねえ俺様は、ひとの行き来が、の辺りで面倒になったってのに。


「で、何の情報があれば手っ取り早いんだよ?」


「数字ね。より確かな銭の流れを探して……あら」


小難しい話から逃げるように、とはいえ逃げたわけじゃねえが、いったん姉貴の中に引っ込んで、死神同然のババアに果たして幸運が訪れるのか、中で腕を組んで高みの見物を決めこんでやる事にした。


「まあ、まあ……便利な力」


お目当ての情報は見つかったかよ。


「三織、すごい?」


「ええ、とってもすごくって、えらいわ。これをすぐに先生に伝えましょう」


ババアは軽くしゃがんで、姉貴に目線を合わせて、ありがとう、と言った。


そこで、すかさず俺様が顕現して、その角の生えた白いつむじを思い切り見下してやった。


「今度こそ、本当に殺せる距離だぜ」


すぐに、ぎょろり、と全身の目が俺様を睨みつけてくる。


「あなただって、見ようによってはかわいいのよ。いつまでも子供なんだもの」


「海が大好きなてめえと違って、俺様はまだ針の穴ほどしか活躍できてねえんだよ」


とは言っても、そろそろ、俺様の見せ場がやって来るようだな。


ようやくかよ。うずうずしてきたぜ。


機械が一足遅れてワルの気配を嗅ぎつけて、ディスコみてえな真紅のライトがフェードインとフェードアウトを何度も繰り返し、ひっきりなしに警報を鳴らす。


やがて、エレベーターが降りてくると、その男は寝坊でもしたかのように、ナメた慌てた様子で、小さな機械の箱の中から大きな機械の箱の中へと移動して、レバーひとつで警報システムを止めた。


「ね、ね、困るよ、ここ、荒らされちゃ」




俺たちのフロアでは、今日死ぬ予定の人もいるんじゃないのかよ、まさに今、無駄な命の殺し合いが始まろうとしていた。


三体の、種類のわからない甲虫がそれぞれ役割分担をして、重柄の触腕を引きちぎってしまったんだ。

あんなもん、いくらでもちぎってくれていいんだけど、その、こいつもついでにいっとくかって臨戦態勢はマジでいただけないね。


「ニィィーッ」


もちろんこれは俺のセリフじゃなくて、虫のセリフだ。

人間、あんまり“に”の発音でびっくりしないだろ。


「知木先生、あの虫けらがあのおなごの”目”のようです」


「おいおいおい、騒がしいったらありゃしないよ。凶悪犯も、精神障害者も、末期がんの患者もさ、皆、勢揃いしているってさあ、後者はともかく、前者のカクテルは、きみらにだって平気で危害を加えるんだぜ。きみら、注意事項、ワンちゃんから聞かなかったのかい」


そう言いながら、木須猫は手元のボタンをぴっと押した。


「きみら!面白い非常事態だ、そこから出ちゃダメだぜ」


ボタン操作で落ちてきたのはシャッターだ。俺たち、木須猫、それぞれの背後が封じられた。

縦、いや横か?とにかく一直線のクソ長い長方形の中に閉じ込められたってわけ、笑い事じゃないよ。


重柄はともかく、俺は地味系の入った部屋を覚えていた。右側、一番奥だ。


部屋番号はS-01からS-20まで。ドア同士が少しずつずれながら向かい合っている。左側が偶数の部屋、右側が奇数の部屋だから、地味系が入ったのは最奥のS-19だ。


俺の真横、S-03のドアノブなら簡単に動いて、今みたく中にいる、俺の姿を見て飛び上がったやせた男にちらっと挨拶までできちゃったんだけど、あの感じだと、地味系はしっかり鍵をかけたんだろうな。


俺はそのドアを開けたまま口元をしっかり隠して、重柄に、ああクソ、屈辱だけどかがんでもらって、耳打ちをした。


「重柄、さっきのあいつの説明くさい言葉は嘘だ。少なくともここは凶悪犯と精神障害者を入れる房じゃない」


「どうしてそう言えるんです?」


「内鍵と窓がついてるんだよ、普通、ヤバい奴らって外鍵で管理されてるし、よく開く窓なんてもってのほかだ、理由はわかるだろ。なんであいつが嘘をついたかって、当然それを利用されたくないからだって、お前だけはこう思ってていい。単純な方が動きやすいだろ。地味系は内鍵のある部屋にいて、俺たちはすでに窓を見てる。触手属性持ちのお前なら窓を通って内鍵を開けられるってあいつは読んだんだ。俺の秘めたるポテンシャルはノーマークだし、お前への認識も甘すぎるよ、どうせドアなんかぶっ壊されるのに」


「回りくどいのは嫌いなんですよ、バカな作戦に協力しろと言えばいい」


「正しく言いかえれば、お前は回りくどいのが嫌いなんじゃなくて、回りくどいと理解できないんだ、いつもいつも都合よく物事を解釈しやがって、頼むから、伝える通りに動いてくれよ」


天井から降ってくる虫の兵隊は耳打ちそっちのけでガシャンガシャンと音をたててさらに数を増やし、こちらへ向かって距離を詰めてきたから、俺はそっちのお望み通り、重柄をやせた男のいる部屋の中に入れて、ドアをしっかり閉めてから、本気の後ずさりをした。虫の足は本数ぶんだけ速くて、すぐに俺へと到達する。


「そりゃ誰も勇気とは呼べないだろう、もちろん、あらゆる意味において、単なる無謀だぜ。いけてる彼だって、ぼくちゃん様が思うに、君の言っているうちの何%を理解できたんだかわかんないぞ」


こういうおしっこを漏らしそうな状況は初めてじゃない。

ニィニィ、独特な鳴き声と、クソ鋭い牙が俺の前でキシキシいっている。


「なあ、ここはこれから潰れるよ。メチャクチャな奴らが俺たちの他にも動いてんだから」


「ああ、ああ、そうなんかもねい。もちろん知っているとも、ぼくちゃん様は目に詳しいんだぜ」


余裕の木須猫のハンドサインで、兵隊は這う身体をざっと縦に揃え、綺麗な姿勢を取る。


「ただ、なぁんでこんなに余裕かも、考えてみてほしいもんだな。きみらの仲間がいくら神がかっていようがだ、今あっちに向かったワンちゃんの目は、ぼくちゃん様の最高傑作で、ガチだぜ」


そしてそのまま、その手を俺に向けて、いやしい顔で指をすり合わせた。


「前提として、んなこたしないけどさ、もし世間に公表したら、世界中の通貨が、ぼくちゃん様のもとへとがっぽり、どうぞお受け取りください、いえいえご遠慮なさらずってトコだろうねい、うはは、あんまり商売っ気出すもんじゃないかね、でも、最初になに買おうかなって考えちまうんだよなあ、どうしても、きみらが神々もどきだなんだといい気になっているのを思うとさ」


「織無とアタリメ様を知ってるんだな?」


「あんなもん、研究に本気で取り組んでりゃ、知らないほうがおかしいさね。目は感情のエネルギーで、ぼくちゃん様は感情の専門家なんだぜ。んで壁ってなぁ、大きけりゃ大きいほど燃える、そうだろぃ?」


木須猫は俺が何を考えているかも知らず、余裕のお喋りを続けていた。


「そりゃ全部が違うな、きみの考えはお見通しだし、それほど余裕でもないぜ」


は?

何だ、今の。


君たちどう思う?

メタ発言って最悪だよな?


「だいいち、思った通りのことしか起きないだろうしな。うはは。こいつぁ挑発だ。凶悪な人間はエリア内にいません、窓伝いに動いて内鍵を開けますってのは、より多くのコマを自分の色にしようとしているような、ばかげた、安直なやり取りだ。もちろん開けさせないようにってのもすごくつまらないよな。そんなのは最初からお互い、どうだっていいんだよ。なあ、きみとぼくちゃん様がやっているのは人間を使った命がけのゲームだって、カワラズくん。トガリと違って、きみはわかってんだろう。だぁからさぁ、きみが仕掛けたギミックがなかなかに巧みだって褒めてんだぜ。一瞬で組み立てたのかい、あぁそりゃあ厄介だ。侵入者ん中で一番おもしろいのは、ぼくちゃん様にとっちゃ、きみだな。ぼくちゃん様はただ、出題者に答えを返してぇのさ。さっさと殺すわけないだろ?こうして話すんだよ。裏の裏のかきあい、どっちが表か、どっちにもわからないようなのが、楽しいよな」


「だったら、ワンちゃんの目の素晴らしさについてのトークとか、その辺はちょうど場面転換の”つなぎ”になりそうだよね、ちょっと語ってみてくれよ。今、すげえ鼻くそほじりたい気分だからさ。高い壁とかはいまいちよくわかんなかったわ。俺は低いハードルを蹴倒して歩くのが得意だ。お前の事を低いハードルって言ったんじゃないよ。そうだな、ああ、すごくすごくお前の、銀魂を通って、通ったまま万が一の稀なケースとして大人になっちゃったって感じの、有り得ないくらいキモいキャラに合わせてやって、どうしても、この勝負についてポエミーに言及しなきゃならないなら、俺ならカードに例えるよ。俺とお前の手元に裏返ったカードが置かれてて。駆け引きの時間はとっくに終わってるってね。お互い、後はカードをめくるだけってのはどうだよ」


木須猫はぐいっと近づいてきて、俺の肩辺りに触れたかと思うと、こなれた動きで足をかけて無様に尻もちをつかせると、海水まみれの俺のぼさぼさ頭を片腕の関節を大きく曲げ、しっかりと包んで、空いたもう片方の手を袖から取り出し、マジでモテない体の下から上へとするする滑らせて、薬指と小指の表のわずかな肉と、人差し指と中指の裏の爪を、全く角度を感じさせずに切り替えながら、最後に耳の外周の線を寸分の狂いなく完璧になぞって、すらり、かりり、耳を二度周った。


「カワラズくん。きみ、どうしてなかなか、つまんねえ男じゃねぇなあ。いい口説き文句じゃねえか、濡れちまいそうだぃ」


どぎついタバコの匂いと、いやに湿っぽいささやき声がそう聞こえてから、突然声がこもりだして、おおよそ味わった事のない、あるはずのざらつきなんてちっとも感じられない、何かが。


たぶん、ただただ今は、中も外も、くちょ、くちょ、てろてろ、ぐぷり、そうやって、なだめてはいたぶろうとしているだけだよ、と、そう伝わり感じた通りの事をされているだけだった。そんな、ほとんど悪ふざけの緩急の動きに、単なる女の気まぐれに、俺は自分でとてもコントロールできないほどの、我慢ならないくらいのくすぐったさに一方的に押さえつけられてしまっていた。


たまらず声をあげて、身をよじって逃げようとする。


だけど、まだ自由なはずのもう一方の耳の行き先にはすでに細い手がにまりと待ち構えていて、その指先にすぐにかみつかれ、やわやわとあやされて簡単に思考をにぶらされる。


また、それだから元々の耳も意地悪い熱に追いつかれてしまって、片や、すぽすぽ、するすると上手に甘えるなめらかなタッチに踊らされ、片や、媚びきった熱い息がかぽかぽ包んでは離れる、経験のない柔らかさを何度も感じさせられ、その恥辱すらも指で絡め取られ、薄い唇のなかを転がされてはくちゅりくちゅりと咀嚼されて、しばらく、女の子みたいな声がオートモードで出っぱなしになって、


気づくと俺は、自分の知るパーフェクトフォルムをはるかに超えたものすごい何かを見ていた。


木須猫はそんな”覚醒俺くん”をつんとつついて、立ち上がって、ぐるぐるメガネをくいっと持ち上げた。


何?今のは。あんなの、あたし、知らないわ。


「うはは。ま、どっちにしても続きは勝負が終わってからさね。ただし、ぼくちゃん様が勝つぜ」




「……どういう事ですか、あなた達」


暗闇の中、作戦通りに私を運ぶはずのボートの上には”虫の殻”があって、それを遮るようによく知る顔が並んでいた。


おとなしい顔の男が叫ぶ。


「こ、こっちのセリフだよ!これ、何なのさ!」


いずれかにひどくやられたのか、体の殻がはがれ落ちて、肌色と、縫い目が見えていた。

言葉の軽い男がそれを触腕でつついている。


「うえ、吐きそう」


吐きそうとは、こっちのセリフだ。


私は選択の余地をすっかりなくしてしまって、非常時に指示されていたもう一つのルートへと駆け出したけど、その先にはすでに赤いジャケットのおかっぱ頭が立っていた。


ああ、そんな、よりにもよって不見神だなんて。


「どけ!」


半分、無駄だと思いながらも、以前よりも伸びなくなった触腕を振り上げて、力の限りに振り抜いた。


音も手応えもなく、ただ、びちびち跳ねる腕だけが地面に落ちていた。


相手がいつ手に持った小太刀を振り抜いたのか、全く見えなかった。

私は膝をついて、パニックをなんとか抑えて、自分の首を残りの手で必死に確認している。


「おとなしく帰る?」


確かに今、脅してきているのだ。結局、あの頃と何も変わらない暴君が。

低い不見神のソロパートは、今や、揃った時よりも、私にとってはずっと不気味だった。


「なあ、話そうぜ。オレらその……何ていうか、友達だろ」


「そうだよ。着物掛さん、ちょっと、おかしくなってると思う」


彼らに悪意などないのだ。きっとそうなんだろう。

だけど、今のは敵を無力化していい気になった男二人の言葉で、それだけ、そう感じてしまって、それは、それだけでも、今の私を逆上させるには、それは、それは十分すぎるほどの要素だった。


なくなった腕を”もっともっと強靭に”生え直すように、自身に言い聞かせる。


そこに重い代償も痛みもなく、だけど心臓は地の核まで落ちていくようだった。


私の真紅の感情は今、月を見事に貫いている。


今まで、ずるりと生えていた私の腕は、がきん、とその音色を赤に変えて、手首の辺りまで太く生え変わって、かっこ悪く言えばレンコンのように、良く言えば重たい銃器のように、知った顔三つに向かって速度を増しながら回転していた。


「……ねえ、ボクさ、ああいうの、最近見たことある」


「それ、オレとやったゲームじゃねえ!?」


男どもが冷や汗を流して、不見神がさっと身をひそめる。

きゅるきゅると、丸が線になるまで回って、回って。


「や、ちょちょちょ、ちょっ……」


「ヤバい、逃げろ逃げろ逃げろ!」


すぐに、一発、二発、その直後に数え切れないほどの肉片の銃弾が、数束の線のまま発射された。


ピアスの前に立ちはだかったメガネの変形した白い腕が盾となり、大量の肉の火花を散らしながら、吹き飛ばされるように茂みへと逃げこんだのが見えた。


いいぞ。もう一つのルートはあっちだ。


ふと、強い強迫観念を感じた私は、そこに腕をやらなければならないような気がして、45°ほど角度を変えて、感じた位置へと腕を運んだ。


不見神の小太刀が、今度は腕へめり込んでいた。


なんだ。


止められるんじゃないか。


「はっ、今度こそ、首を落とすつもりだったんでしょうね」


「うん」


茂みから顔を出した男どもは、防御こそ成功したようだけど、無傷というわけでもない。

ピアスの腕に一発、コンタクトの足に二発、直撃しているのがわかる。


お前たちとは、もしや今の私にとって、逃げるまでもない相手なのか。


「ぐああああ……っ!ああくそ!パチカスメガネは何針縫ったって言ってた!?」


「はあ、痛い、痛い……た、確か、俺くらいになると針とかじゃないんだぞって」


「あいつ、なにを得意気になってんだよ!イラつく!」


飛び出してきたという事は、向こうもやる気だ。

だったら、やっぱり、と、いう事は、やってしまうべきなのだ。


「不見神が学校からいなくなれば、喜ぶ人間のほうが多いんですよね」


不見神は何も言わずに小太刀を抜いて、縦に数回回転してから着地した。

そして、こちらを向いて立ったまま刃をしゅるしゅると左から右に、その逆に。

この動きを、暇な手でおもちゃでも手繰るかのように繰り返していた。


私はといえば、もう片方の腕を小太刀の防御のために変形させている。


「先生、後ろで笑ってるよ」


ああ、そうでしょうね。


笑わば笑え、クソったれの大人もどきども。

お前たちが好き勝手に侮辱するほどに大好きな、画面の向こうの少女というのは皆、お前たちと違って、いいや、もしかしたら、すっかり醜く生きる事に慣れたお前たちと同じで、その時の気持ちひとつで、いっそ、何もかも捨ててやれるんだから。




「まずいかもしれねえ、姉貴」


「なら助けに行きなさいな。ねえ、思ったのだけれど、小童、あなた、いつまでもお姉さんについてまわっていないで、単独行動を覚えるべきよ」


「うるせえな、何が言いてえんだよ」


「くっついて行動するせいで弱点が増えているのよ、蹴り上げてまで教えてやったでしょうに」


黒眼鏡の奴は、すぐ目の前まで来て、俺様たちのやり取りを不思議そうに見つめた後、咳払いをして、姿勢を整え頭を下げた。


「”ワン”だ、知ってるぜ、驚いたか」


「ああ、なら、はなし、早いね」


王は自信なさげに頭をかいて、


「ミスクミオリナシ、あなたみたいなの、伴導眼(はんどがん)、ゆわれてる。人間が特定、物事を習慣的、多くの犠牲、行う事で得る、強い強い禁忌の、人にくっついた力、あなたの場合、幸運、不運、操れるよね」


と、突然、読み上げるように俺様に向け、語った。


「アタリメ。あなた、亡眼(ぼうがん)。そうめずらしくない。命失われた、人間の目でしょ。だけど、レアケース。目の知性が、特別に異常で、白い光、だから、悪質でしょ。戦いじゃ、なにも、壊滅するほどじゃない。問題は、人間の数減らす、特性。持ってるよね」


ババアは何も言わなかった。いつもは話し好きだろうに。

俺様だってわざわざ近づかねえぞ、こういう時のババアには。


「ワン、いう名前は好きよ。漢字で、王様。英語だといちばん、いう意味でしょ」


王がそう言って手をかざすと同時に、突如、激しい閃光が俺様たちを包んだ。


「こけおどしか?目だと知ってるなら尚更、光じゃ俺様はひるまねえとわかるだろ。このババアはどうだか知らねえがな」


「ワタシ、ここで目の研究してるよ、第三の目は開眼して特性を得て、次に解眼する事で初めて己を知る」


目は光を眩しがったりはしねえが、どうもおかしいのは、王の姿はくっきりしたままだってのに、景色だけが白いまま戻らねえって事だった。


「続き、あるよね。この世には大きな、特に、力をもった三角形があるでしょ、左か右か重要じゃない。強さ、問題じゃない。亡眼と、伴導眼、てっぺんに、魔神眼(ましんがん)があって、三つ合わせて神様もどき、いうことでしょ。わかってるよ。てっぺんが増やす、あなたが育てる、あなたが減らして、それを繰り返すのが目の世界でしょ」


「あら、物知りなのねえ」


「三角形に、王の字、混ぜたら、”全”ゆう字にも、なるよね」


王は誇らしげに、手を胸にやった。


「そこに点々をつけて、下に地球という大きな玉を足せば金玉の出来上がりだ。有り難ぇな、潰してやるぜ」


「小童、あなた、お姉さんや知木先生とよく話して、いいえ、先生とはあまり話さないようにして、一度、夏休みをもらったほうがいいかもしれないわ」


そこで、確かになとバカな発言を自戒した俺様はようやく冷静になって、辺りを見渡して、景色の違和感に気づいた。


光っているんじゃなく、光るものが何一つなくなったんだ。

頭を痛くする、コンピューターの群れがどこにもねえ。


あの群れを避難させた後、何かのフィルターでも重ねやがったのか。

ここはただ、ノイズが走った、ひたすらに白いだけの空間だ。


「つまりね、ワタシの目、三角形の、中央に、これから、入る予定なのよ」


「小童」


ババアが袖をそっと前にやるから、俺様はいよいよ、そいつをどけて前に出るしかなくなる。


「『模神眼(モシン・ナガン)』、ゆうよ。名前、『デウス・エクス・マキナ』」


ナメやがって、笑わせるんじゃねえ。

まやかしやイカサマの類なら、何の意味もねえぜ。


俺様は刀の長さを最も扱いやすい、自信のあるものへと変えて、特性のセーフティロックを解除して、白い箱の中に不運のいかづちを落とした。


「てめえの運が尽きるまでの時間を、面白おかしく数えてやるぜ」


もっとも、こいつを受けてまだ、残り時間が残っていりゃあな。


島を沈めるつもりで地面を蹴って、たとえ死んだって時間が遅れて感じられるように、渾身の一発をその胴体めがけてねじ込んでやった。


むごいくらいの突風が吹いて、俺様の髪はのたうち回っている。


王は、


「神さまもどき、ゆうても、それ、だいぶん、昔の神さまの話でしょ?」


と、俺様に向けて、サングラスの奥で目尻にしわを寄せて、にっと笑った。


けたたましい機械音がして、突如、刀が弾かれる。

赤いフラッシュが目をぶっ潰して、アラートが鼓膜をぶち破る勢いで鳴り響いている。


ところどころに開いた穴から、コンピューターがまた元の位置に戻ってくる。

四方八方を取り囲んで、しかも、かなり大げさに姿を変えて戻ってきたようだ。


発射口、発射口、どこ見ても、何から何まで何かの発射口だ。


あれじゃもう絶対、数字を刻む事なんかできねえ。


「教えてくれる?ワタシ、あとどれくらいで運、尽きる?」


吐いた血がこの掌の上に落ちた。


息が乱れている。


どの機械を見ても兵器だとわかる。だが、どれから発射された?いつ喰らった?


俺様の特性、問答無用の不運は、あいつのロックを外せば確かに発動するはずだ。

今のあいつは何をやってもうまくいかねえんだ。なのに、なぜ俺様が攻撃を喰らう?


「次、これ、あなた、試してみるか?」


大砲がゆっくり、自分自身を試すように動く。


何の合図もなかった。


視界に焼きついた光の跡は既に、防御へと動いた触手の束を無傷にとどめたまま悠々と追い抜いて、ババアの胴体だけに穴をあけて焦がしていた。


「ババア!」


「……修復できるわ」


ふざけんじゃねえ、こんな事があってたまるか。


見慣れねえものばかりが、自由自在に動いている。

この島に来る前にもあった、スマホの障害、急な停電。


最悪の方向に物事が繋がっていく。


人類の育んだ文明、どこにでもあるテクノロジー。


まさか、あいつの力。

有り得ねえとわかっているのに、勝手に全てを察してしまう。


気づけばやられていて、理解が後から泣きべそをかいて追いついてくる。


この不条理、この絶望感、まるで——


「てっぺんの神さまみたい、思ったでしょ?」


機械仕掛けの神による、いにしえの神殺しが始まる。


おそらく、わざと、ぱちんと鳴らされた指に合わせ、全ての機械があいつの兵士のように一斉に動き出した。




「いや、待てよ、そんなのは無理だ、無理ってのは、こっちが勝つのがだ」


急な気の抜けたやり取り、マジでごめんね。

これでも先生、めっちゃ頑張ってるんだ。


「うはは、だから、そう言ってんだろう、ワンちゃんは全ての機械を支配する。まあ、ちょっと正しくないかね、実はからくりも弱点もある。きみが移動に使った純国産のオンボロの日本車なんかその最たるものだなあ。ここに今いること自体がかなーり、奇跡なんだよ。わかるかい、世界には国産の機械なんてほとんどない、世界は輸入品で回ってるのを知ってんだろ」


「お前らアングラ・カンパニーの息のかかったパーツを使うと機械がダメになるって?よせよ、陰謀論みたいだ」


「アングラなんとかってのはシルクロードのこと言ってんのかい、うはは。ダメにゃならないよ、ただ、いざって時に、ワンちゃんの制御下におかれるだけさね、普通に暮らしていくぶんにゃ問題ないだろうさ」


「シュワちゃんに銃を突きつけながら愛してるって言われてるみたいだ」


木須猫はぱんぱんと手を叩いて笑う。

ネットで猿みたいな奴から猿みたいって言われる動きだ。


「いいねぇい、シュワルツェネッガーが出てる映画はぼくちゃん様も好きだぜ」


「ああ、俺も。彼って暴れん坊将軍の究極系だよね」


ここだけ読んで、俺が殺されかかってるって誰が思うだろう?

窓の外がえらく賑やかだけど、そろそろ誰か死んだのかな。


「ニィッ!ニィッ!」


もちろん虫のセリフだ。俺なわけないだろ。

木須猫が手をやって、二体を俺につけたまま、ぞろぞろと通路の中を等間隔に、着実に配置につけていく。


「さあ、カワラズくん。ここはいっそ、ぼくちゃん様が思い切って引き金を引いてみよう」


そして俺がさっき閉じたドアを、何の躊躇もなく開けた。

そこにはやせた男がいて、窓だけが開きっぱなしになっていた。


「ああ、ドキドキだったな、うはは、セーフだ。これだきゃあわかんなかったんだよな。けど、ここを抑えときゃあ、ひとまず安心だねい。きみは”あの窓を抜けて、壁伝いにトガリくんを移動させた”。まっ、もちろん、そうは言っても、けっして、そうとは限らねぇってもんだからさ」


最奥の、地味系がいるはずの部屋から、すっかり俺だけが感じ慣れた、当たると最高に痛い振動が響いた。木須猫は何の驚きもないといった様子で、くるくる、今はすっぽり白衣の中だけど、たぶん人差し指を回している。


「おおっ、案外、男らしいところもあるんだねい、ああ、きみが駆けつけさせたのか。ま、いったんは恋仲だったそうだから、ならばなおさら、どっちにしろ、女は避けるってもんだよな、もちろんS-19は通路であって、部屋じゃない。ぼくちゃん様サイドのギミックさ。本物のカイコの部屋は別棟、本人はもういないよん。こいつぁ最初からチーム戦だったのさ」


地味系の部屋のドアがぶち破られて、飛び出た触腕とともに、虫の兵隊たちが壁に叩きつけられる。


「んじゃ、減った兵力を補強しなきゃだなぁ。だけどもきみの通る道はだんだん狭くなっていくぜ。さっ、カワラズってやつぁ、次にどう出るんだ?」


すでに、すぐ隣、やせた男の部屋の窓から、さらに数を増やした兵隊が外へ、みるみる這い出していた。S-19からは絶対あいつが引き起こしたものであろう、爆音と振動。


「うっはは、おいおい、彼、相当クレイジーだな。窓沿いを探知したか、きみの入れ知恵か。壁を破って隣の部屋に移動したんだ。一度来た場所にゃあもう戻れない。ある意味でのルールさね。だってS-19にカイコはいないし、人質にもとれなけりゃ、不意打ちにも使えないからさ。こうなりゃ、かなり話は簡単になってくるよねい。ちなみにだけど、さっきの”外壁伝い”の増援は、この通路半分のあたりまで到達したよん。カワラズくん、きみは未開眼で、勝つにはぼくちゃん様っつう目の所有者を彼に直接叩いてもらうしか勝ち筋がないわけだから、どこかから触手は必ず出てくるし、それが出てくるのはもう、確認を終わらせた部屋を除いての、S-13からS-17のいずれかのドアからしかありえないわけだよな、たった三つのドアの前で待機させときゃ勝手に挟み打ちだ。ちなみにこいつは悪い報せだが、どのドアから出てこようが、ぼくちゃん様のかわいい兵隊たちは獲物を見つけ次第、すぐに同じ場所に集合できるよう訓練してある。群れの力は強烈だ。そんじょそこらの怪物にだって負けやしないぜ」


「ニィィーッ!」


おおう、さっそく見つけたようだ、と向こうを見もせずほくそ笑む。

虫たちは次々に部屋を出てきては集まって、全ての部屋からS-17の部屋へと、なだれのように押し寄せた。


激しい、だけど一方的な戦いの様子がたぶん、向こうの目には見えていて、やがて部屋を、われ先にと一匹の虫が這い出してきた。


戦いの音が、まだ聞こえている。


木須猫はうーん、と一瞬悩んだ様子だったけど——


「待て!」


そう強く言って、片手の人差し指と中指だけを丸めて、強く前に突き出した。


虫はぴたり、六本の足を止める。


すぐに、うははは、と、女の気だるげな笑い声が通路を抜けていった。

兵隊がぞろり、数匹、その止まった一匹の周りを囲い込む、


いやな残響がしばらく続いて、金色のぐるぐるメガネがくるり、こっちを向いた。


「ぼくちゃん様は、虫たちにゃ、言葉でもハンドサインでもなく、シグナルで命令するんだよん」


俺はもう、あいつのダメさに、何もかもどうでもよくなって、ひとまず、仰向けに寝転んだ。


「どうやら、きみがトガリで間違いねえな。触腕をちぎって餌にでもしたのかい。おいおい、そしたら、もしや、あの彫刻みてぇな顔がここに這いつくばってるってことか。うははは、ちょ~似合ってるぜぃ。さぁて、カワラズくん、きみが今語った内容を思うに、きみの与えたタスクを彼は十分にこなせなかったようだ。けどそれだって立派なきみのミス、敗因だぜ。いいかい、チーム戦のコツはな、なるべく相手への指示を簡単にすることさってな。さて、ならばきみのことを、ぼくちゃん様はどうしようか」


重柄、俺は恥ずかしいよ。


「ホント、教員免許なんかでいい気になってお恥ずかしい限りだ、ダブルライセンス万歳、それとお手上げの意味を兼ねての、タブル万歳だよ。だけど——」


ここからはセリフにするまでもないか、心が読めるんだもんな。


だったらどうだろう、俺が普段からこのスペースを利用してこいつらと会話してるって知ってた?

別に困ってないけどさ、これがどういう病気なのか、もし生きてたら後で教えてくれよ。


比較的まともな俺との心理戦で追い詰めたつもりになるのは当たり前。

当たり前じゃないのは、あのアホに教員免許が取れた事だ。


俺はまず、自分の考えをそのまま伝えたんだ。部屋の中にいたやせた男は俺やお前に驚いた。なのに、あんな虫ソルジャー、異様な集団ががさがさ集ってきたって、どの部屋からも誰の悲鳴も聞こえない、びくともしないってな。


俺達がここに来てから人間と一緒に見ているものは何か。窓だ。

この施設の人間の側には必ずと言っていいほど窓、窓、窓がある。

ショーウィンドウかもなって、ピンときた。病気だから。


あのやせ男や他の連中はどいつもこいつも兵隊で、大掛かりな舞台セットだ。

外側からもよく見えるよう“住んでるふり”をする係なんだよ。


襲われないと知っているから驚かないんだって、確か、そんな風な事を言ったんだ。そうしたら重柄は外の様子と照らし合わせて、すぐに何かを理解したみたいだった。


俺が伝えた作戦は、途中までならお前の見立て通り、部屋を渡って殻を奪って敵に紛れる作戦だった。


けど、それこそがお前の罠だって気づけちまったんだ。ぼくちゃん様はね。


だって勝負の内容がシンプルすぎるだろ。ずるいよな。どうしたって、不用意に寄ってくるのがお前の敵に決まってる。で、建物の構造もお前が一番知ってるとなれば、どうしたって、俺にここからの不意打ちは不可能だ。お前の頭の良さに一つも触れてないのはわざと。


俺はとっくに詰まされてたんだよ。


だからお前は耳まで舐めて、くそっ、耳まで舐めて!そうまでして必死こいて、まとめてこの心理戦の土俵の上に乗せ続けようと頑張ってたんだ。戦いさえ行われれば、最高で勝ち、最低でも足止めになる。


つまり、お前が一番打たれたくない手は、”打たない”手。ベタ降り、フォールドだ。


教えてやるよ、あいつへの最後の俺のメッセージってのはこうだ。”どうせあの部屋は空っぽだから、いるフリだけして通路を見つけて抜けろ”。


そう、俺はあいつに”戦え”なんて、一言も言ってなければ思ってすらいなかったんだよ。


……ああ、そうだよね、そうなんだよな。向こうの部屋の戦いの音だろ?長かったよね。さっきまで続いてた。おかしいってわかるよ。俺が一番お前に共感してる。俺たちはもう介護者仲間かも。言っとくけど、聞かれたって知らなければ答えようもないよ。なんとなくムカついたから壁を壊して、それで、なんかいけると思ったから戦ってみたんじゃないの。あのさ、マジな話、土俵の上に乗せるとかさ、そういうのは無理だよ。あいつはコマやカードに例えられるような奴じゃないんだって。アホすぎて。


「ふうーッ……」


ほおら、ひとっ風呂浴びてきたみたいな態度で、ズタボロでも難なくドアから出てきて、さあ後は寝るだけとでも言いたげな顔であいつが通路をつかつか歩いてくる。びちゃびちゃ歩いてくる、のほうがしっくり来るかな。どこでも自分の家みたいにするなよ。化け物じゃん。そこに残りの兵隊が飛びかかって、ああ、うわあ、グロいな。君たち、嫌なもん見ちゃったね。ごめんね。


ぶっちゃけ、あの一人で逃げてきた兵隊くんは大切にすべきだった。今どんな感じだろう、あんな感じか、ダメだろうね。ただの賢い子だったんだよ。重柄と違って待てもできたじゃん。


幼稚園児の重柄くんによるアホアホパワープレイの一人勝ちだ。おめでとう。死ねよ。景品は思う存分殴っていい女だ。


「……なんだよう、ちぇっ」


なあ木須猫、お前さ、五十とか六十になってもそのキャラでいくの?


それからすぐに”あの音”がして、”あの音速”で横っ腹にめり込んだ触腕、かっ開かれた電波女の目、声はやや遅れて、部屋をまっすぐにぶち抜けて、遠くのお外へと舞っていった。


どすんと重い落下音までしっかり聞いてから、重柄がクソほど何の意味もなく二枚、脱衣をして、セクシーなピッタリ黒インナー姿になる。


キモキモダッサ。

漫画ならベタ塗りで済むから楽そうなフォルムだね。


でも最高。爆笑だ。ジャイアンの近くにいつもいるスネ夫の気持ちがわかったよ。


「さて。問題は地下の王とかいう男だ、神々が押されているんです、すぐに向かいましょう」


「いいや、だったとしても俺たちが追うのはあくまであのぐるぐるメガネだ。何が起きてるか、俺と共有もしなくていい、外まで走るぞ。ああ、また鬼ごっこだな。アタリメ様にもうちょっと頑張れって伝えといて。織無にも、悔しいなら感じるなって伝えて」


俺たちは窓を同時に飛び降りて、その時に俺だけ足をくじいて、泣きそうだったけど、男の子だから泣かなかった。いくら泣きたい時に泣けなくても、この世界が終わろうとも、比喩抜きにムチで打たれない限りは、俺くらいの男の子の涙腺は意地を張り続ける。


「遅いなあ、追うと言ったのは知木先生ですよお」


どうやら俺が鬼だ。怪我をしたあいつは”触手引きずられ走行”が一番楽みたいだね。

あとで外では絶対やるなって厳しく言っておくよ。




「踏ん張れよ、ババア!根性見せろ!」


何にどこから襲われているのか、いつになっても目が慣れねえほどの機械の猛攻。

弾くのが精一杯どころか、事実上、俺様は何度も死にかけていて、それを庇われてやっていた。

俺様は格上として厳しく、今にも背中が曲がりそうな小さな女に檄を飛ばしている。


「オリナシ、アタリメ、どっちも、分析システム、追いつき始めているよ」


喋ったって聞こえねえだろうが、伝わるように言いやがれ。

レーザーが目の前をかすめて、かと思えば爆発にぶちのめされて、うつ伏せの体勢にまでぶっ倒される。


「細かい”くせ”、行動のパターン、100%になるまで、完全に解析するのよ、イレギュラーまで把握する。そうなったらもう、おシャカさまの手の上もおんなじ、本当の、”無駄無駄”、やってくるよ、あとはパーツ埋め込むだけで、ワタシの制御下におかれる」


ババアの触腕の動きは完全に遅れていて、本体は重火器で頭のてっぺんから足の裏まで穴ボコにされて、もう自分自身は完全に立ち上がれなくなっている。

あのしぶとさ、生命力を支える、今まで喰ってきた未来がいくつ失われているかなんて、考えたくもねえ。


それでも、ババアの片方だけ残った目が勝機を見出したように見えた。


俺様はどうにかにじり寄って、ついでに銃弾も数発喰らいながら弾けるだけ弾いて、身を隠す場所すら一切ねえから、その首だけをもいで、ラグビー選手みたいだぜとまた余計な事を思いながら、できるだけ全速力になるよう横に跳んだ。


もちろんここでも数発喰らうが、欲しかったのはコンマ数秒の会話だ。


「アンの姉御とやり合ってるみてえだって思っちまったが、まやかしだろ、違うか!」


「ええ、神さまの偽物。もちろん普段なら、あら、かわいいって思うけれど、この場合は確実に消えてもらわなきゃいけないわね。大嵐に終わりがくるって、大好きな先生が言ったと伝えたら、あなた、信じるかしら?」


右の耳が弾け飛んだ。年増との束の間のハネムーンもそろそろ終わりだな。


「戦いを続けましょう。最後の確認よ、小僧。あのまがいものから不運が吸えないの?」


「言いたかねえが、少しも減っちゃいねえ」


「そう。正直に言えて偉いわ。伝えておくわね」


そう言ったのを最後に、ババアの生首が膨らんだかと思うと、俺様をかぶりと飲み込んだ。

おそらくは人の姿をとどめておくのをやめて、部屋をみっちりと埋めるほどの肉の塊になった。


残ったエネルギーを全て使い切るつもりか。


そうはいくかよ。


俺様はババアの喉を通って飛び出して、何も見えねえ中、がむしゃらに刀を振り抜いて、重火器のいくつかを叩き斬ってやった。


「いつもの姿よか、今のてめえは美人に見えるぜ」


ぼやけた視界で不敵に笑ってやる。


「せっかく妾がここまでやっておるというに、生意気な小童よの」


嘲笑うような、しかし優しげな声が機械の箱の中に響いた。




「トネカ!」


私は小太刀に斬られる覚悟で彼女に駆け寄った。


「ちっくしょお、一発やられちまったぜ、でも安心しな、ショータイムはこれからってな」


あのクズ男どもがこれをやったのか。

私の腕は怒りに反応して、また、めきめきと凶悪なものへと変貌していく。


その力を使う相手はすぐに自ら姿を現してくれた。


「死ねッ!」


自分でも何を撃ったかわからない。

しかし、今までの弾とは速度と重みが違う。

期待通り、より凶悪な弾が、重柄、知木へと、自力で狙いを定めて飛んでいく。


重柄の触腕は誰よりも強靭な性質を持つ。でも私の弾だって、今はあんなに、地面をえぐれさせるほど、何度も何度も爆発を繰り返している。


クールダウンの時間を迎える頃には二人はゲホゲホ咳き込んで、その姿は黒焦げになっていた。


倒せると、わかった。


「ああ、それ、すげえイケてるね。顔が地味で似合わないから、人に向けないようにしなくちゃ」


それなのに、知木の態度は全く変わらない。


「おなごごときが、どうして僕たちを倒せると思う?」


私の起こした爆発で腕を全部もぎ取られたくせに、重柄もこちらを見下したままだ。


そう、こいつらは、頭を吹き飛ばされたって変わらない。


「実際、人を選ぶのは簡単でも、変えるってのは不可能に近しいんだよなぁ。いやあ、けど、そいつは、その武器は素直にすごいな、悪いんだけど相当、内蔵がやられてるんだ。ちょっと手を貸してくれるかい、カイコ」


タバコの匂いが重たくもたれかかってくる。

それと同時に、辺りはトネカの虫の兵隊に包囲される。


ピアスとコンタクトは不見神に襟の後ろを掴まれて、庇おうとでもいうのか、クズの周りに移動した。


「まだわからないんですか、あなたたちの負けです」


私は腕を再びクズどものほうへ向けた。


「いいぜ。すげえ、キマってるねい。あとはワンちゃんを待って、きみら知ってんだろ、ワンちゃんのデウス・エクス・マキナがこっちにある以上、こんな怪我はなんてことねえんだ、うはは」


知木がこちらに向けた目を周りにやって、それから、飛んだ虫でも追うようにトネカへと動かして、最後にそのよどんだ黒目を私の前で止めた。


「重柄、放課後だ。お前も本来の仕事に戻れ」


「国語教師の専門はやれやれと仕事をこなす事でしょうけど、僕は体育が専門ですよ」


「体育教師の仕事なんて未成年淫行と長渕剛との意思疎通だけだ。いいか、こういう事だよ。あいつらについて、思いついた事を順番に言う。いつもの雑談をするだけ。ここが職員室だよ。窓が開けっ放しだから、虫は飛んでくるけど、全部終わらせるには問題ない」


誰も彼も満身創痍だ。


一斉に襲いかかった、まだ十二分に力を残していて、勝ち目があるように見える虫たちの牙は、なぜだか、やかましい小男に届くことはなかった。


緑銀のしなやかな剛腕。

そして、数えるのも面倒なくらいの鬱陶しい白い腕と小太刀がそれを阻んでいたから。


「先生、五織も、織無の中で戦ってるよ」


「さっさとキモい事言えよ、バチカスゴミクソメガネ!作戦あるんだろ!」


「長くはもちませんけど……ああ、もう、長く喋るつもりなんですよね!」


さあ。そのちっぽけなクズを軸に、一体何をするつもりなんだ。


いつも通りに開いていく国語教師の口が、最初の一言が、私にはその時、なぜだかゆっくりに感じられて、それによって今まさに、奴らの作戦の全てが始まったのがわかった。


「地味系、お前みたいなちょっと変わった音楽聴いてるくらいしか特徴のない奴は、たいてい自分でもどこに行きたいのか全然わかってない本物の芯のない奴だから、いっつも周りがいいって言うものを引用してリスペクトする。だからこういう、なんとなく、一見独特そうな特徴、ヘビースモーカーってのを振りかざされただけで好きになるんだ。漫画の画像だけで他人と会話ができるような人生が楽しい男オタクくん共とお前は、無個性無価値の同類項だ。要するにお前ってすごくアホなんだ、言葉を選ばず言うなら、ううん、お前ってすごくアホなんだよ。男に抱かれて痛い目見てメンクリ、得体の知れない女と簡単にレズセ、レズセをしたから私はレズビアン、今度は家にいられなくて家出。短くまとめるとさ、お前って、当たり前のところに当たり前にいるだけっていうか、すげえ普通じゃない?そいつと別れたら、次はそんなにタバコにアツくもない、ただシーシャって言葉を言いたいだけのゴミみたいな奴と付き合う。もちろんそいつは他に女がいる男だよ。ガチモンの愛好家には基本、相手にされない。あぁタバコだけじゃない。目指そうったってお前はいつも途中でやめて、どんな愛好家にもなれないんだ。愛を知らない愛せないって書くと格好がつくけど、お前に限って言えば愛するのにはオツムが足りないだけだ。何かを病的に消費するなんてお前には高度すぎるよ。どこでも半端な奴ってキモがられて、キモがるわりにチンポは反応する微妙なエセモンに抱かれるだけ抱かれて愛してはもらえない。そんな自分がうっすら好きだし、あんまりに話がつまんないから、つけまくった他の種に紛れまくって見えなくなる、話の種にすらならないんだ。断言する、活動家でも風俗嬢でも、どのカテゴリでもお前は有名には絶ッッ対ならない。ただプライドだけは高いから、自分より下か同レベルのプライドだけ高い奴とおべっかを言い合って、死ぬまでしょうもない奴と一緒に全く同じゴミ箱を漁って今日もゴミ箱を漁ったねって言い合って生きていく。いいね。ロマンチックだ。そこまでいける奴はもう、スピリチュアルにもどっぷりハマりがちって言えるよね。アホだ。イライラしてきた。言葉をもう一度選ばずいきたい気持ちになってきたな。そう、すごくアホな奴なんだ。頭が悪いんだよ。トイレと同じだ。環境にも情報にも流されっぱなし。ケツを追っかけるだけなんだ。いや、トイレは自動でケツを追っかけたりしないから、それよりは偉いよ。便利だ。お前は永遠に、偉人は偉人だから狂人なんであって、狂人の真似をすれば偉人になれるわけじゃないって理屈がわからない。声高メンクリ通いの地味子ちゃんに対し俺が抱いてた偏見をお前が全部、自分のムーブで証明してくれたんだ。お前はこれから大人になって、適当に出されたカクテルの前で、なるべくシワをのばした指先のダサい爪の写真を撮ってSNSに貼る。女を出したくなるんだ、性別の死期を悟り出すから。日めくりカレンダーみたいに自己啓発書を読んで、いや、本はアホには難しくなってくるから、自動で電波に乗って流れてくる何かからの影響だけを受けて更に更年期へ向けて順調に誰かの金儲けのための都合のいい人格を形成していく。将来は終わったエヴァとガンダムの代わりになるアニメを観てる夫にブチ切れながら家事をして、ああ、夫との出会いは外ならサバゲー、内ならTRPGだ。外と中、ガイと陰。当然いつかは相手が嫌いで物理的に汚いからセックスレスになる。そして鏡を見て自分自身にさえどこか納得させられて、アンチエイジングが無理だとわかった途端、同じく順調に脳の劣化が進む夫からツバと一緒に飛び出す会話にならない一方的なうんちくと屁理屈に飽き飽きしてるお前は適当なブスの女芸人をリスペクトしだして、なんでって単純に声が大きくてはっきり聞き取れるからだよ、金づるは耳が遠くて頭も空っぽだから、何も面白い事言わなくても大きい声さえ出しとけば印象に残るって向こうもわかってるんだ。そうしてまたケツを追う形で人生をナチュラルビューティという名の豚ボディ路線に切り替える。すごいところはさ、お前は自分が変わるんじゃなくって、目に入れる情報をシフトチェンジしただけなんだよ。後はもう飼えもしない動物を衝動的に飼って、心は画期的な魔法の道具に目を輝かせる子供に戻って、次世代のあれこれをずっと見てるんだ。なんとなく見てるだけ、なんとなく良さそうなだけ、時代について行っているつもりでもお前は置いてきぼりなんだ。寝ている姿はほとんど死体みたいなのに、フィットネス系のビジネスに定期的に騙されて、何一つ続かないからやる事がない、なのにネットだけが不思議と続く、お前ってそういう奴だよ」


「は!?」


自らの暴走には十分な事情も理由もあると自負していた私の頭の中は、クズの大人ごときが発した、とてもじゃないけど有り得ない、自分の姿を一切顧みない、宇宙も困惑して動きを止めてしまうほどの長い罵倒で、汚い情報で、びっしりと埋め尽くされた。


「でも、お前へのお咎めはこれだけだよ。怪我させるつもりもない。眼中にないんだ。どいてろよ。お前があまりにも気持ち悪すぎて、どうしても悪口を言いたくなっただけなんだから」


これだけ、とは何か?


「そう、僕たちの目的はデウス・エクス・マキナ。君の名前なんていちいち覚えちゃあいられないが、僕とは結局のところ、神の元に身を置く無神論者で、デウス何とかというのは、どうにも笑いが込み上げてくる名前で、こらえるのに必死だ。もし神とやらの名を騙った人間がいるのならば、その首がどうなるのかを見てみたいものだ」


ああ、どいつもこいつも、どうして、そうなのだ。


今すぐにでも黙らせてやろうと、爆撃をもう一度行おうとしても、今度はうまく発射されなかった。

トネカは怪我など感じさせない動きで、すっと立ち上がる。


彼女がこんなに早く立ち上がったところを、私は初めて見た。


「ぼくちゃん様のお姫様にも、ワンちゃんにも、ずいぶんなことを言ってくれるじゃあねえかい」


「そうだ、立ち上がるのはお前だよ、木須猫都音香」


だけど彼女が立ち上がってくれた事で、私は、ずっと頭を穏やかに鈍らせてくれていたもやが、ずっと濃くなって、息がしやすくなっていくのを感じられていた。

もっと、もっと早くにあなたと出会っていれば。


「ぼくちゃん様はカイコの話を聞いてね。もちろんカワラズくん、きみの言った事も一理はあるかもしれねえさ、だが予想にすぎねぇ。カイコはまだ若ぇんだぜ。ぼくちゃん様はダブルライセンスだからさ、いっそうにスーパーな守秘義務があるから、細かい話ぁできねぇが、簡単にてめぇの生徒を切れるきみらと違って、こいつぁきちんと苦労してる」


「ああ、スーパー様のぼくちゃんライセンス持ちなのに、こうやって違法に手を染めてまで日本人向けの商売にわざわざ四苦八苦してんのはお前だ、そうだろトネカちゃん、当たり前だよ」


極限までいぶされた空気と私の頭の中で、


「だってお前、そもそも日本人じゃないんだもん」


それは鼻で笑うような発声だった。


ぱきり。


何かが割れる音が確かに、した。


あんなに煙っていたこの場所に、ただ、明瞭な視界と、鋭利な耳鳴りがあった。


「なんだって?」


低い低いトネカの声は、いつもの、私の知っている、穏やかなものとは違っていた。




地味系を建前にあっさい奴らを侮辱できてスッキリした。頭を俺は大げさに振って、太ももを叩いて、腹まで抱えてやっている。全然面白くなかったし、なんならブチ切れてたけど、まあ、あの顔は愉快には違いなかった。


「医者の不養生って言うだろ?ああ知らない?なんで完璧に隠せると思うんだ?指をすり合わせてお金ってのは中国式のジェスチャーだよ。日本式はこれ。ほら、マル!」


俺のかわいい生徒たちが肉の盾になって、虫の猛攻をすげえ頑張ってくれてる。

そんな頑張る肉壁のおかげで今回は大して怪我しなくて済みそうだ。あ~、国語教師やっててよかった。


「もう必要なさそうだけど、根拠もあるよ、キスネコトネカ。逆から読んで金とコネ好き。ワンちゃんと同じ、あからさまな偽名だ。次にお前の発声、最初から独特だと思ってたけど、もにょもにょした話し方だよ。それは発音を誤魔化すためだ。クソみたいな口調もそう。ばらつき、語順を誤魔化してる。いっそニホンゴムズカシに改名すればいい。いや逆から読んでシカズム・ゴンホニさんか、いいね、すげえ似合ってるよ。ゴリラが住むバナナ集落じゃメジャーな名前だ。なあなあ静かだな。違うなら違うって言ってくれていいんだけど、ああ待った、これだけ言わせて。最高に面白いのが残ってるんだ。ワンちゃんの無敵の力についての事。まだ気づいてないだろ、マジで笑える話だよ、ひとつ、致命的に言い間違えたの、今になってもお前ちゃん様、全然気づいてないんだから!」


木須猫は俺の懲戒免職ものの授業を聞いてくれてる。ポルノグラフィティが言うところの、心の性感帯はここでよかったみたいだ。さっき俺のお耳童貞を沢野ぽぷらの次に奪ってくれたお礼だ、もっともっと刺激してイカせまくってやるから、そこにいてくれ。


もちろん後で特別ゲストもお呼びするよ。ていうか、たぶん勝手に入ってくる。


「”きみが移動に使った純国産のオンボロの日本車なんかその最たるものだなあ。ここに今いること自体がかなーり、奇跡なんだよ。わかるかい、世界には国産の機械なんてほとんどない、世界は輸入品で回ってるのを知ってんだろ”」


口調までそっくりそのままお届けして、あいつが何をマズったのか気づく、その直前を見計らってすかさずお預けをするかのごとく、続けてやる。


「そうだバ~カ。俺たちが乗ってきた車、あの日だけ俺が乗ってた車は、たまッたま、その輸入品のパーツがたっぷり使われたであろう、しょうもないカスカスの代車だったんだよ。でもさ、車はクソだったけど普通に動いたんだよな。そうだ、どんどん青ざめてくれよ。一番ヤバいミスだ。だっておかしいだろ?部品を埋め込まれたものをどこまでも操る力なら、ここで戦う必要なんてない。事故で済むんだ。運転中に全員始末できたはずなんだから」


「僕は足々女様の脳を介して、明らかに偽名の何者かが中国の工場を運営し、質の低い、ため息すら出ないほどに質の低い部品を量産、破格の価格で取引し、全国の輸入ルートにそれらを紛れ込ませていた事実を示すデータを全て覗き見させてもらった」


ほら、テレビショッピングの国家公認詐欺師みたいに勝手に入ってきただろ。違うのはすっげえ商品のネガキャンしてるとこ。

これで無敵の地上波進出絶対無理コンビの完成だ。


「どうしてそんな大掛かりな嘘をついたかって?それは誰がいつ何時襲ってこようとも、王は機械を支配できるんですって大嘘をぶっこくため。そうだな、お前がもっとバカならの話だけど、いつかお偉いさん方を自ら招待して同じパフォーマンスをやるつもりだったのかもな。仲間由紀恵と阿部寛も来るよ。でも、その時お前は、もう車の事には絶対触れないんだ。気をつけててウケる。なあ、こうやってバカにしてるとさ、精神科医、臨床心理士なんかよりお前ってずっと、詐欺師に見えてくるよ。全部が全部こけ脅しのための、嘘を嘘で塗り固めたデカいクソのブラフ。部品をばら撒いて支配、そんな事、本当はできやしないんだよ。停電もスマホも、あの図書館の中だけの出来事だった。誰かさんが先にスーパーメカちゃん様を仕掛けに行っていただけの事だ。そうだよな。地味系」


地味系はただ、ぶっ殺してやるって感じだった。

じゃあ、図書館の部分は、たとえ何の証拠もないハッタリでも、正解で間違いないんだな。

ラッキーだ、生徒がアホで助かった。


ドゥワドゥワと手を動かして、重柄にマイクを渡す。


「キスネコ、お前は”目”を持っているが、その力によって生まれた、僕に致命傷のひとつも負わせられない不甲斐ない兵隊の正体は、人間の身体に殻という名の鎧を被せた木偶人形だ。無謀のシンボル、知木等と同じような攻め手になってしまうのは癪だが、どうしてそんな事をする必要があるのか、答えは一つ。お前に備わった目はお前の心の弱さから解眼に至れていないのだ。いつ開眼したのかなど知った事ではないし、これっぽっちも興味はわかないが、いまだ第一段階の、特性を発動するだけの存在だ。まともな戦闘能力を得られていない。悲しいほどに非力な目なんだろう」


「そう、ちっぽけなんだ、目が司るものが。わずかな電気しか操れないとかね。たとえばスイスの本拠地、シルクロード”本社”と丸ごとグルなら兵隊集めは簡単だ。重柄、安楽死施設で働く医者って見たことある?小児性愛丸出しのマッドサイエンティストみたいな奴だぞ。薬で死んだのを確認したら頭を撫でるんだ。ぞっとするよね。お前らのやり口はこう。まず、そこで薬で殺したように見せかけて、息がかかりまくりの葬儀屋に別の息のかかったとこに運ばせる。息まみれだね。そこにはお客様のお望みの方法で葬れるフェイクの遺体が用意してあって、ちょっと待った、君たち、これはスタンドバトルものだよ。どうかそのコメントを打つ手を止めてくれ。ハイジだってとんでもないブランコをこいでるだろ。で、話はお前らに戻って、本物は内蔵を抜けるだけ抜いて売りさばかれる。お前の力を使うには、脳と肉体を維持する機能さえ残ってればいいんだ。地味系の子宮にブチ込んで暴れさせた時と同じで、埋め込めば電気信号で体を操れる。で、ここはそのための施設でもある。パフォーマンスを兼ねて、ここで訓練をさせてんだよ。社会人代表の俺たちより健気だ、あんなのに従うなんて」


「面白い事に、愚かな群れの中には必ずと言ってよいほど愚かなおなごがいるものだ。ああ、そうそう、あの最も愚かなおなごからいとも簡単にくすねたスマホによると、目の名前は『ドブロウ・ノッツ』だそうだな。何か参考になるか——なりますか、知木等!」


「俺は乾いた笑いしか出ないし、参考どころか、あからさまにわかるよ。うっすら思ってた。キモいなって。フランツ・カフカの『変身』だ。目の名前はチェコ語でおやすみなさい的な意味。主人公の名前はグレゴール・ザムザ。部屋番号のSはザムザだ。ザムザの頭文字はZじゃなく、精子やセックスと同じSで始まるんだよ。いいか重柄、海外産太宰はドラッグなんだぞ。ラノベを読むほどには落ちぶれたくない、プライドだけ高いオタクが青空文庫でラノベの代わりに読むもんだ。で、思春期真っ盛りの頭の構造を残酷なまでに変えられて、その後、一生分の人生を痛々しいものにされる」


「どうしてわざわざ?素直に太宰治を読めばいいじゃないですか」


「地味系みたいなのは『おれはかまきり』より長い文章は読めないんだ。碇シンジと同じ気持ちでオナニーはできても、文字の中の登場人物になったとたん、何をしているのか全然わからなくなる。いつかのある日、そういうタイプのザ・アホが大量湧きして、マスクどころか絵を被って、ネットでサイコパス、ノンデリとして持ち上げられたろ。Vtuberの誕生に伴う大いなる犠牲だよ。それはネットで起こってる事なのに、こういう人が社会で成功しているんだ、かわいい、かっこいい、虚言を真に受けた素直な地獄の2.999次元キモキモオタクたち、つまり、ネットと現実を本気で混同する新人類が生まれて、皆が皆、ちやほやちやほや、女は男の、いや、主に男が女の絵を被り始めたのかな。モブの一人一人すら名前を持ちたがって、金さえ払えば家でも勤務先でもゴミみたいに扱われて当然の自分の言葉なんかを読み上げてもらえるもんだから、変な自信をもって主人公を気取るようになる、そして婚活会場はいよいよストレスでパンクした。あいつをはじめとした無個性無価値の連中のせいだ。あいつらって影響されやすくて、根本的な部分が尋常じゃなくアホなんだ。アホだから人を不幸にする、けどサイコノンデリって免罪符が与えられてるからいつも元気なんだよ。わかる?これって全部、絵が悪さをしてるんだ。もしも大量発生した連中が皆エラのはった極端に丸いか四角いか薄い童顔の、つぶらなおめめの歯並びの悪いメガネそのままの見た目ならこうはならなかった。絵はいっつも悪さをする。だって最低限、絵がついてないと昔のオタクは難しい話についてこれなかったし、それはある意味で必要なふるいがけだった。別にそれで良かったんだよ。俺も小さい頃にADHDのテスト受けたけど、苦笑いで”この子は絵や動画をつけてあげると理解できます”って言われたよ、俺の過去が一つの証明だ」


「だけど国語の教師になったなんて、すごい事ですよ。テストなんて馬鹿馬鹿しい、議論の余地すらなく明らかに発達障害、精神疾患持ちの社会不適合者で、嫌悪の対象と同じく無個性無価値、無ならまだ良い。自称物書き、おまけに低身長で、悪口までほざく。鏡を見れず、誰よりも婚活会場のストレスの源になれる不細工な男オタクなのに、ひとびとの、ある意味で正しい、率直な言葉や見る目に負けず、俺は違うの一点張りで奇跡的に社会に適応して、毎日教卓に立って日本国民の絶滅に貢献しているんだ。もっと自分を誇るべきです」


「ありがとう、お前もテスト受けてみたら?今のよりボロクソ言ってやるから」


木須猫は何も言わず、確かな怒りを胸に秘め、俺たちをじっと見つめていた。

嫌だって感じたとこなら、別にお前じゃなくても、俺にだってわかるよ。


お前は人間が大好きなんだ。


じゃあやっぱ俺とは合わないね。




「感じるだろ、ババア!」


もちろん、ヤってるわけじゃねえ。


くそ、なんだよ、その前置きは。またあの先公の影響か。


もうまともに動かせねえ片膝をついた俺様の刀は今や、弾や刃を完璧に弾くようになっていた。癪だが、それは俺様がこの局面で力に目覚めたように強くなったからじゃねえ。単純に、有効な攻撃の母数が減ったからだ。


あの先公とゲス野郎が、上で何かやっていやがる。


「すべて見えて、聞こえた。反撃の手段は決まりね」


ババアも何か、ゲスとのやり取りがあったようだった。

俺様はずっと疲れねえはずの肉体の疲労を振り払うように、刀をぶん回している。


「小童、あなたの力は確かに優れているけれど、あくまで生命へ対する力なのよ。なぜ運が尽きないのかって、彼はからくり人形だから、幸福や不幸が存在しないんだわ」


「そうかよ、驚きだ。なら聞くが、先公たちがしくじったらどうする」


「しくじる方法こそ、ないのよ。神さまたちも、からくり人形も同じ、感情のちからで動いているんだもの。ひとはそれを制御しようと、いろいろな言葉、手段や薬を創ってきたけれど、どれもこれも、場当たり的な対処療法だわ。生まれ持った感情の振れ幅は、かわいそうだけれど、けっして制御できはしないの。ひとは変わらない。傷つくひとはずうっと傷つきっぱなし。刀を刺して、矢は刺さる一方。機会を待ちましょう、機械だけに、ふふふっ」


斬るまでもねえババアの巨大な目のいくつかがにまりと笑い、ぎょろりと目線をやって、それらは亀裂の入った、ここ地下施設の入口に俺様の目線までも誘導して、進入時に使った接着剤が溶け始めている事を示した。


王の口はぴくりとも動かねえ。いつの間にか、一言も話さなくなっていやがったんだ。


「幸福の概念をもつ生き物なら、上にたくさんいるでしょう」


「おいおい、むごい事考えやがるぜ」


そう言って、俺様は攻撃を弾きつつ、さり気なく後ろへ後ずさった。




弱小サッカーチームみたいにバラバラだ。虫の制御が危うくなってきているのを感じていた。

この鎖で縛ったうえで馬乗りになってボコボコに殴るだけのラップバトルは俺たち、偏差値の低い学校ディヴィジョンが優勢だ。ああ、チーム組みたくったって、一人足りないんだった。友達いないから。


まあ、そう、君たちの言う通り、俺は一人だけ全然戦ってないけど、それでもあらゆる生徒から過剰に肯定されたいから、罵倒の合間に指示を飛ばしているって風を装う。


「いいぞ、ピアス、コンタクト、三織!シロコ!ホシノ!お前ら最高!」


「うん、織無、わかった、もう少し」


「一番大人のくせに、口ばっかり動かしてないで働けよ!」


「ああ、ダメかもしれない、気を失いそう……」


ああ、お前らみんな俺の事が大好きなんだよな、わかるよ。


「なあ地味系、お前にも三秒やるから、何か言葉を返してくれよ!いきなりビンタされて黙っちゃう女の子のシチュは全然好きじゃない。マゾは思考回路が気持ち悪いから迫害を受けて然るべきだけど、サドは迫害を受けて然るべきだ、思考回路が気持ち悪いから」


「……この——


「三秒終わり~~」


どう?白目でべろべろ舌を動かす成人男性だ。


キツい目がもっとキツくなって、銃弾が何発もこっちに向けて飛んできて、重柄がこういう時だけナイスなアシストで全部弾いてくれる。


いや、それどころか、弾きながら、群れを離れ、前にずんずん踏み出している。


「話は残っているぞ、いくらお前がくだらないおなごでもな」


ああ、ダメダメ、それは勇み足すぎだろ。ケイスケホンダやな。

あいつはヒートアップすると限度がわからなくなるんだよね。でも面白いから見ておこう。


「王の”模神眼”?笑わせるな、王は吊られた人形だった。一方で、己が従うにあたり、足々女様の力は本物だと今回の件で再認識させられたぞ。神としてはまがい物だがな。だが、吊られた人形などは、それ以上のまがい物にすぎない。神々の受けた攻撃はすべてお前のメカニックとしての技術によるもの。あの兵器の箱庭の中ならば、王はさも力を発動しているような顔で、そこに立っているだけで済む。まずはお前が理解しろ、全てがはりぼてなのだとな。そう、事実上、その全てを管理するお前は、チームリーダーどころか、ただ暗い洞穴で死者を貪りながら石を積むだけの孤独なメカニックだ。ライセンスライセンスとうわ言のようにほざいていたが、あれほど近い距離で知木等ごときを仕留め損ねた事実を含め考慮すると、腕前は大したものではない。僕に認められるのは少なくとも、技術者としてのシングル・ペーパー・ライセンスくらいのものだ」


「重柄くんはちょっと気持ちが宇宙旅行中なのかな、まあ、俺たちの前で王の頭を抱きかかえた時に多分、虫に具体的な命令を送ったんだろ、で、お前は指パッチンで意識をそらすのが好きだから、あの時も、王が部屋にたどり着く前に捕まえられるのを防ぐために指を弾いたんだ」


「お前の行った見るに耐えない研究の内容も、臓器や兵器の売買による稼ぎも、全てのデータが今や僕の中にある。さあ、かかって来い、いくらでも猶予をやろう。ネクロフィリアの人形師よ、まがいものの神の使徒をその手で始末してみるがいい」


「いいや、まだお前が始末されるには早いね。なあ地味系、ひとつフォローしておくと、そのお前とアッツアツのトネカは場所だけ借りてちまちま働いて、面倒くせえからうつでいいわって医者に言ってもらって、周りに私うつなのって撒き散らすような、プロフィールに自分のハンディキャップを簡単に羅列するような雑魚のメンヘラを吟味して、”きみだけさ”って合言葉で一箇所にかき集めるのは得意だと思うよ、言ってる意味わかるよな?俺と一緒に向かった総合病院に精神科はなかったんだ。トネカはソーシャルワーカーとして紛れ込んでる。医者に”目”の虫なんか見えるわけないから、ストレス性と診断されれば、あとは自分のクライアントだ。抱かれたのが先だろ。そうやって出会ったんなら、お前みたいなのが同情の中、優しく抱かれるのを我慢できるわけない。お相手は生計立てるだけなら違法ビジネスで十分。カウンセラーとして成功する必要もない。もちろん法律なんて守らない。好きな場所で人と話し放題、相手がアホだとわかれば地獄の果てまで自由自在だ。あの日、俺が車で病院まで連れて行って、その後自分だけ行方不明になってしまえば、疑われるのはもちろん、二人きり、車で運んだ犯罪者予備軍の教職員だよな。ああ、俺の授業内容のいいとこ取りのトリックだ、教師が性犯罪者予備軍って、俺が一番大事にしてるメッセージ。覚えててくれたんだな、すげえ優秀な生徒だ」


「おなごでもひとでも、喰えそうなものを何でも喰って囲ってはものにする。僕の信じる神もどき以上の、いや、それ以下が過ぎる。だからこそ足々女様はお前の兵器の王を”からくり”と言ったのだ、キスネコトネカ。明らかに反社会性パーソナリティ障害を抱えているな。精神科医でありながら。それも、江戸時代の悪代官のように。なんと下等で醜い小悪党だ」


俺は立ってるだけだけど、重柄の重心はまったく狂わず、触腕のコントロールと、上半身を軽くそらす動きだけで自分への銃弾と虫の突撃を全てかわして、そのうえで発言しているんだから、ちょっと引くよね。




盤上で踊る、守るべきコマを完全に置き去りにした、いい大人の聞くに耐えない罵詈雑言のマシンガンに、私はそれこそ、溢れかえった殺意のニトロを何度も混ぜ合わせて、さらなる腕の進化を促していて、トネカはまだ、ただ黙ってそこにいた。


私にはわかる。言われっぱなし、やられっぱなしの私たちじゃないって。

私はまだ進化できる。トネカにだって考えがあるのだ。


「カイコ、もうちと、こっちだな」


ぎゅっと肩を抱かれて引き寄せられて、濃いタバコの匂いに包まれる。


ああ。


「そら、来るぜい」


直後、大地の揺れとともに海上に大きな水の柱が立って、なにか、飛び出してきた巨大な怪物が私の真上に、ばちゃり、まばゆい月となって空に重なった。


その姿はうさぎを探す時みたいに徐々にはっきりしてきて、私はそれでようやく、その月の正体がアタリメと不見神織無、そして囚われの王だとわかった。


奴らは、原型がわからないくらいに壊れていたけど、王にはヒビ一つ入っていない。


すかさずトネカに織無の、不運の真っ白な閃光が走る。

奴らが何をするつもりなのか、私にはすぐにわかった。


「ああ、畜生、ババア、てめえを庇いすぎたせいで、ぼんやりしやがる」


「言い訳がましいのね。補ってやるから、思い切りかっ飛ばしなさい」


ひどく長い滞空時間。重力など関係ないとでも言いたいのか、ここからの全てはたぶん、陸地と完全に平行になった二人によって行われる。


アタリメが王を触腕で鷲掴みにしたまま、陸地の方向、織無の斜め下へと位置取って、めきりと触腕を筋肉質なものに変えて、振りかぶった。織無は鞘に入ったままの刀をやや太い形に変えて、おおよそ、刀の構えとは思えない、いわば、そう、野球のバッターの、フルスイングの、まさか、まさか、まさか、こいつら。そこまでバカな事をするつもりじゃ——


「甘ぇなぁ」


パニックや恐怖心は指を鳴らしたトネカの一言でさっと、かき消された。


私は希望とともに確信した。


今からこの盤面は、すっかり、ひっくり返るのだと。


「うあはは、あのな、ダビデ像くん。ワンちゃんは特別頑張って作ってんだ。単なる木偶の坊じゃねえ、兵器の王なんだぜ。箱の外で戦えなきゃ王様たぁ呼べねえだろう。くたばっちゃいない。今まさに、モードの切り替え中なのさ。まっ、”兵器の箱”の操作はきみらの指摘どおり、ちょっぴりアナログなセミオートに違いねぇ。けれどもボディパーツの操作くらいなら、ワンちゃんはフルオートでもばっちりイケんだぜ。もちろん、ぼくちゃん様の切り札がワンちゃんのパワー自慢だけなら惨めってもんだ、だけどもね、ぼくちゃん様はここまでなら想定済みだ。きみらを侮っちゃいねえさ。なにせ、もう、それしかねえんだ、きみらにできるこたぁ」


トネカはすっと腕を広げた。

その瞬間、びょんと、クズ教師の小さいほうが、トネカの両腕へと飛んできて、すっぽり収まった。


両腕と膝に抱えられて、やや後ろのめりになったクズのあごを、トネカはくっと持ち上げた。


「いやあ、言ってくれたじゃあねえか、響いたぜい。やっぱきみ、いいな、カワラズくん。もうまったく、箱を制御するほどにゃあ、脳みそがまともに動かねえのは間違いねえんだもんなぁ。ぼくちゃん様は怒ってんだ。なんて、理解だけできたってしょうがねえや、うはは」


陸地の連中が間抜けにも、揃って驚いた顔でこちらを見ている。


「女の子扱いって、低身長は結局絶対勃起するんだよ、やめてほしいんだけど」


「うはは、意識してもらえんなぁ嬉しいねい。別に構わねぇぜ、またみっともなく勃起してくれても。そしたら生徒の見てる前でお楽しみといこうかい。ぼくちゃん様がずうっと上。与える側でいてやるよ。好きだろ?すっげぇ手さばきで、ずうっとくっついて、きみの好きなとこを、きみより上手にさ。うはは。そんなヒマぁねえや。そう、鼓膜を破く時、アドレナリンがフルに出た瞬間を狙ってみたんだよな。君の汚言症のスイッチはピンチの”だけど”だろ?太鼓判を押してやるよ、難聴も何のそのって、その通りみたいだからさ。後で片耳が痛くなるかもしれねえけど、ま、それどころじゃねぇか」


そうか。

トネカはとっくに、何らかの手段で、このクズの中に虫を入れていたんだ。


私は周りの全てに向けて、天へと叫んでやった。勝利のおたけびだ。


「——あははは!”先を行った”!これが私のトネカだ!」


「地味系、俺の最後の教えだ。”煙に巻く”って表現は絶対使うな、ありきたりだから」


尽きてはいないものの、確かに運をすり減らされたトネカに対してなら、あの不貞腐れた天はどうせ味方をしてくれないに違いない。だけど私たちはそんなの、最初からちっとも、あてにしていない。箱の中に対抗手段が見当たらないから、王を箱の中から取り出して、ついでに本体を潰して万事解決、そんなばかげた算段だったんだろう。


白いいかづち、落ちる不運はあくまで織無からセーフティロックを外された”トネカの不運”だ。


王にはもちろん不運の力なんて通用しないし、ロックがかかったままの私の幸運は今やトネカの味方をするに決まっている。だいいち、ついこの間、お前の大好きな知木等はお前自身の手によって運を吸い付くされたのに、ここにみっともなく生きているじゃないか。セーフティロック?そもそもが馬鹿馬鹿しい。貧乏神は大人しく貧乏神でいればいいのに。まさか福の神にでも憧れたのか、なれると思ったのか。お笑いだ。


本人の意識と他人の意識、誰にとっての幸運で、誰にとっての不運かをごちゃ混ぜにするトリック。


私があらかじめ伝えておいた、貧乏神の力の攻略法だ。


「おっと。言っとくが、カワラズくん。きみをうっかり腕から離しちまう、なんてこたぁ100%ねえぜ。ぼくちゃん様はお転婆でね。きみみてぇな完全ノートレの男の子を泣かせたこたぁ、さすがにねぇけれどもさ。んまぁ、大人しくしてりゃ、きみだきゃあ大丈夫ってことさね。ちょ~美人なぼくちゃん様の感触でも楽しんでるといいぜ。うははは」


時間が止まっている。

粒子の一粒一粒が目に見えるほどに感覚が研ぎ澄まされている。


人質をとった。


陸地の連中よ、好きなだけ仕掛けてくるがいい。

どんな搦め手も私にはもう通用しない。


そして天におわす神々よ、あはは!ご愁傷さま!

お前たちに、王を地に落とせるわけがない!


ねえ、不見神、足々女、お前たちだって本当はもう、全てを悟っているはずだ。

だって、知木や私を避けて、トネカだけを潰す方法など、あるわけがないんだから!


ああ!やったんだ。すごく、すごく気持ちがいい。


これが終わったら、私はトネカと——


「ド真ん中のストレートだぜ、しっかり振りかぶれよ、ババア」


「どうかしら、カーブも投げられるのよ、こう握るのよね」


——は?


「俺様が空振りしたらどうなるかわかってんのか、ピッチクロック知らねえのか、さっさと投げろ」


「そういえば神さまって、野球のルール、投げて打つくらいしか知らないわ」


いや、ちょっと。


あっけに取られる私が目をやると、トネカも冷や汗混じりにこちらを見つめていた。


「ま、まさかだな、カワラズくん、きみさ、あの子らの教師で、恩人なんだろ?」


クズは半分お姫様だっこをされたまま、生理的に無理な顔で泣いていた。


「そうだよ、少なくとも、俺はそう思ってた」


銀髪のゲスのほうは、目つきを穏やかなものに変えて背中を向け、生徒のほうへと戻った。


画面が暗転する。


「さようなら——知木先生」


「劇場版の予告編みたいに!そんな!重柄!俺が新一でお前は蘭だろ!結局何にも起きないんだろ!?ちょっ……おい、メガネ!違う、メガネは俺だ!コンタクト!ピアスさん!?」


コンタクトもピアスも、その場に座った。


「こうするほか、手はなかった、そうでしょ」


「一生忘れねえからな、あの世にパチンコがあるといいな」


メジャーリーガーの触腕が上できりきり言っている。


「三織!不見神三織!様!三織様!あれ、どこ行った!?」


「ここにいるよ、先生」


ちょこんと、本当にいつの間にか、おかっぱ頭はクズや私の背後にいた。


「ああ、約束の事ね!?死ぬ時に会いに来てくれたのね、嬉しいなあ!今は違うんだよ!今は死ぬ予定じゃないの!縁起悪すぎるだろ!待てよ、待って、待ってくださァい!織無様ぁ!アタリメ様ぁ!お慈悲を!」


「おなごはね、知木先生。面倒なひとと縁を切る前には、みな、許すと言うものなのよ」


「先公。まあまあ楽しかったぜ。それじゃあな」


舞い散る塵すら歪ませて、空間を切り裂く勢いで投げられた王は、宇宙が真っ二つになるんじゃないかってくらいに強く、太刀筋にぶつかって、ぐわん、ひしゃげて、速度で言えば恐ろしいくらい、すごく早いのか、あるいは私が死んだ事に気づいていないだけなのか、時間すら遅らせてこちらへ、ゆっくりゆっくり降ってきた。


私の意識はそこで、ありがたい事に、先に途切れた。




どこか遠くで波がざんぶ、ざんぶと揺れている。


びびり、びび、びびり。


ここはところどころ、電気の爆ぜる音がする、日本じゃない、どこかのスラム街だ。

だったら、天国って、なんだ、こんな所なのか。


少し色のはげた、蝶のヘアピンを持った男が歩み寄ってきた。


「はい、これ。なくしちゃったんだね」


私はその言葉を厚かましいとも思ったけれど、特別に感じたものを手放したのは確かだったから、ごめんなさいと謝って、再びそれで髪を持ち上げた。


男はいいんだよ、と言って、また幼い子供みたいに、私の隣に内股で座った。


「ねえ、フランツ・カフカ?の変身?って、ぼくも読めるかな?どんなお話なの?」


死者のような男が、きらきらお目々で尋ねてくる。

この突拍子もない展開は、天国というよりは、きっと夢なんだろうな。


死んだ後に見る夢は存在しない。


脳も死んでいるのだから、死後の世界が長い夢って事だきゃあ有り得ない、と、トネカは言っていた。


「あなたには少し難しいかもしれません」


私は怒りの余韻で、少し冷たく言ってしまった。

だけど、男があからさまに落ち込むものだから、


「虫になった男の話です」


と付け足して、空気を凛と綺麗に整えた。


「どうして虫になったの?」


「その理由は書かれていませんけど、主人公のグレゴールは虫になることで当然、苦労します」


「そうだろうね、ぼくは人間のままがいいなあ」


男はまた足をぶらぶらさせていた。


「それまで頑張ってきたグレゴールに起きた異変は間違いなく、理不尽な悲劇でした。だけどカフカは家族に甲斐甲斐しく世話をされる事や、自分の働きに満足する事、あと、天井にぶらさがったり?……とにかく彼の心の中に、喜びの表現を小刻みに入れているんです」


絶望のうちに、些細な喜び。


授業では習っていない。

これは珍しく、真面目な顔をしたクズが余談として言っていた無駄な話だった。


「じゃあ、グレゴールは虫になって幸せになったの?」


「いいえ、残念ながら、グレゴールは最後には皆から腫れ物扱いされて、ほとんど殺されるような形で死んでしまいます」


「ええっ、かわいそう!」


かわいそうって、あなたもそれなりに腫れ物扱いを受けていそうな印象がありますけど、とは言えなかった。


「私は、カフカが書きたかったのはグレゴールの変身ではなくって、周りの変身だったと思います」


「他の人は人間のままなのに?」


「彼の家族にとってグレゴールの存在は大きかったんです。変身するまでは、献身的な彼を利用するようにして成り立っていたんですよ。そんなつもりはないでしょうけど、普通でも、けして、普通の家族とは、いい家族の事ではない。私もそれはわかる気がします。腫れ物となったグレゴールが死を迎える事によって、家族が前向きな方向へと進み出す瞬間、そこで、話は締めくくられるんです」


「すごく、ひどい話なんだね」


「ええ、まあ」


私は話の途中、ネオンと呼んでいいんだかわからない薄い光、目眩ましのスモーク、それらにかき乱されてぼやけている、たくさんの窓の中にくっきりと、赤い赤い髪の、トネカだと、明らかにそう確信できる少女を見ていた。


少女はぼろぼろのサイズの合っていない飾り気のない服を着て、たくさんの狭い部屋のうちの一室で、私が顔を知っている若い男と向き合っていて、蚊帳の外の私がそちらに意識を向ければ向けるほど、不思議と声は頭の中に、大きくなって聞こえた。


「虫でも、人でもない、思うでしょ、きみみたいな子、つらいよ」


男は日本人で、カタコトの中国語で少女へ話しかけているとわかった。


「でもね、王、ゆうのは、英語でいちばん、さす意味よ」


たぶん、男には視力がなく、目をずっと閉じていた。

それに、体のあちこちに、くっきりと、誰にでもわかるほど醜い”こぶ”があった。


彼は、それらをまとった体を平気で動かしている。

少女と同じ目線になるまでかがもうとして、だけど目が見えないものだから、目線は平行だけど、それはややずれていた。


ふと、少女の部屋に当たり前のように置かれた、刃の出し入れを繰り返すいびつな機械の鋭い音に驚いて、機械を避けるようにして、慌てて手探りでレバーを探して止めた後、額を拭って、もう一度同じ所に戻って、ずれて、かがんだ。


「ええと、だけどね、いちばん辛いひとが、いちばん偉いひと、ちがうよ。いちばん辛い、いちばん偉い、いちばん楽しい、ええと、そうね、ほんとは、いちばんなんて、ないのよ」


男は言葉に自信がない様子で、ずっと、ゆっくりゆっくり話していた。


そしてポケットから取り出した小さな機械を、その弱々しい手ごと、すっと体の前に取り出した。


指が触れて、小さな手に小さな機械が渡ったのを認識すると、人差し指をそっと自分の唇の近くへとやり、照れくさそうに”内緒”のジェスチャーをした。


機械には血がついていて、よく見ると、男の手からも血が落ちていた。


「また明日、おはなし、聞きにくるけど、お薬、飲ませてないの、ナイショにしてね、あのね、ほんとは、ほんとはね、飲むよ」


少女は黙ったまま人差し指を一本、唇に持っていって、後は一言も口をきかないで、黙っているつもりだったけれど、その瞬間、抑えきれない言葉が漏れたように、それはまるで男の肩を大人の女性が指でつついたように、白昼夢の中の一瞬のように、そんなばかげた光景がはっきりと、私には輝いて見えた。


「でも、せんせいは、いちばん、おいしゃさん」


すると男はその発声と言葉に意表を突かれたように、それが自分の最後の喜びだとでも言うように、ぼろりと大粒の涙をこぼし、立ち尽くして、結局、ほっとしたように正座で座って、少女のほうへはっきり顔をやって、砂地の乾いたひび割れに雨でも降ったかのような、濡れた口を開いた。


「あはあ、そうかあ、うれしいよ」


その部屋の電球は、それっきり、点かなくなった。


今は死体のような男が目の前に立っているだけだ。


「ぼくの家族は、ぼくが迷惑をかけても、殺さずに家に置いてくれたよ」


私はこれを受けて、必ずや言い返さなくてはならなくなった。

そして、これからもまた、同じようなやり取りを繰り返すような気がした。


「よかったですね。私の家族は違います、迷惑をかけるのなら、いないほうがいい」


男はまた言葉を返してくる。


「そう。”ここにいちゃいけない”なんて、ほんとは誰も言わないんだよね」


病室のあの時間まで、青い白目と、ぱさついた黒い髪を巻き込んで、時が巻き戻っていく。

それは骨ばった手で、私の手を、何の躊躇もなく握っていて。


ひっぱたいてやろうかとも思って、屈託なく笑う、ひどく情けない男の顔を見て、やめて。


「ぼくたち、傷を痛がるだけで精一杯なんて、ひどいよ。きみの中のきみに、そんなの、ひどいよって、言ってあげなきゃ」


男は白い”もや”を背後に浮かび上がらせた。


それは当然の事みたいで、衝動的ではなくって、純粋なエネルギーとして私に伝わる。

すると男より、さらに幼い金切り声が私の中で、何かと一緒に、とんとん響き始めた。


手から脳へと広がる、白と青と黒、眼球がいくつも溶け込んだ、グロテスクなビジョン。

青白い赤子とがん細胞が交互に結合する様子に、進化を続ける腕の血管がいきんで、拒んで、ずきずき傷んだ。


「それもあげる。ぼくは男の子で、きみは女の子だから、こんなの女の子は怖いかなって言ったんだよ。でもこの子が、どうしても、きみにあげたいってきかないんだ」


響いていたのは、心臓の辺り。

にぶい色の、真珠によく似た青白い指の先だ。


「ねえ、どんなにひどくなっても、またぼくたち、どこかで会おうね!」


蝶のヘアピンが今度こそ間違いなく羽ばたいて、汚れた蜜を吸うために、私の管へと針を突き刺した。




目が覚めた時、最初に見たのは、赤ではなくて、青い髪飾りだった。

オレンジの猫が私をひっぱたいたのは、その次の出来事だ。


朝日の集中線と海岸に揺れる巨大な船。

『いちをちクリニック』というふざけ極まりきったロゴ。


「学会の調査によると、実際、患者の治療放棄の原因のほとんどは病気と医師にあります」


「コーヒーを習慣として飲んでいる奴は、ほぼ毎日コーヒーを飲んでいますみたいなデータだ」


一ヲ知と知木が話している。ならば、ああ、こっちが現実だ。

縛られた私とトネカは、いまや、ただ船の上で揺れているだけだ。


あれだけいた兵隊はどうやら壊滅して、施設はすっかり静かになって、私みたいに自我のある人が、謎の集団によってぞろぞろ、連れ出されていく。


「トネカさん!すべてから守ってくれるってぼくに言ったじゃないか!」


ちっとも知らない男が駆け出してきて、鼻水を垂らしながらトネカにすがりつく。

それが無理やり引き剥がされて、船室にどかんと突っ込まれた。


「センセイ。死体の他にもこういう人がいっぱいいる、閉じ込めておかないと」


「ふ、ふん、惨めな奴らだ、こうはなりたくないな……」


「今のカマ野郎で最後だ。俺が一応、部屋ン中で脅しをかけてくる、大人しくしねえなら寝かしつける、いいな、フクロウ」


一ヲ知がどうぞどうぞと手をやった。


「ええ、私は一切関与していませんので、暴力は謎の専門家にお任せします」


「それで尻尾を切ったつもりなのかよ、このバカが」


何も知らない連中が全員、それぞれの役割を果たすため、それぞれの船室に入った。


島が小さくなる。波が立っている。


「ぼくちゃん様のワンちゃんが、どうしてびくともしないんだい、それに、きみら、向かわせたのは”あの島”だぜ、なにせ、技術の結晶だ。あの島からどうやって」


トネカは呆然としたままだ。

そんなの、私のほうが、ずっとそうだ。


「あの島ってのはどの島の事なんだかわからないが、お前の機械はどいつもこいつも、まるで空を斬るような斬り心地でつまらなかったよ。ああ、単なる風邪ですねえ、ってな」


知木がトイレはどこかと尋ねて消えたあと、たっぷり時間を置いてからトネカの髪を鷲掴みにして、明確な悪意のもと、一ヲ知はせせら笑った。


底ノ淵さんがそれを振りほどいて、スマホで何かの信号を送ると、遠くからでも知木のお尻にダメージを与えるには十分過ぎる爆発とともに、私が信じていたものは燃えて、木っ端微塵。


「これで終わり。死者の兵隊を相手にするのは二回目です。それよりもずっと弱かったので、助かりました」


底ノ淵さんの今度の侮蔑の目は、軽くだけど、私にも向けられていた。


それにしても、大きな船だ。

あんまりにもひどい吐き気を止められなくて、私は嘔吐するように笑っていた。


誰も私の笑顔だけは止められまいと。


現実離れしたクルージングは終わって、泡で途切れ途切れの、それでも現実へと必ず繋がる一方通行の道だ。そこに座って、砕けたまんまで流されてゆく私を、でろりでろりと伸びてゆらめく、歪んだ太陽が嘲笑っていた。




夕暮れ時の職員室で、俺たちは何事もなかったかのように働いていた。


「お疲れ様です、知木先生」


重柄が冷えたスポーツドリンクを差し入れてくる。この時期は純粋にありがたいね。


「俺さ、お前の事、自販機だと思う事にした」


「はい?」


「杉下右京だけだよ、はいで聞き返していいのは」


窓際に立って、あっついから窓は開けないで、やかましい、よくわかんない楽器に掛け声にランニング、金属バットすら落ち着いて、今、ようやく一段落つけている夕陽を見た。


「読んだ?カフカ」


「はい、一応」


「どう思った?本の感想って生徒には絶対聞かない事にしてるんだよ、ぶっ殺したくなるから」


「そうですね、勝手に虫になってしまったのはグレゴールで、そのグレゴールは実際、生きているだけで迷惑なんですよ。多少なりと雑に扱われるのは当然ですし、あの家族の判断は遅すぎるように思いました」


「ああ、お前のそういうとこはもしかしたら、いいとこかもしんないね。カフカもなんも言えないって地獄で言ってるよ」


君たち、俺は今、夕暮れ時、ビールの代わりに冷え冷えのスポドリだよ。君たちの中に糖尿病の人がいるのなら酷なシーンかもしれないね。ああうまい。俺はたぶん痛風にならないかわりに糖尿病になるんだろうな、子供舌バンザイだ。


「子供だましは大した問題じゃない、問題は子供だましを本気で考える大人のほうだよ」


「ええ、ガキはバカですから、死んで当たり前の存在です」


カラスが一度だけ、かあ、と鳴いた。


「……なんかお前って、返事の内容が1.3歩くらい、中途半端に先にあるのが話しててすげえ気持ち悪いよ。それ同意してくれてんの?」


「全面的に」


ああ、そうなの。全面的に同意してくれてんのならいいか。


「正直、組めると思わなかった。俺たちってヨルシカとYOASOBIくらい近くて遠い存在だろ」


「そして■■と■■以上に本気の殺し合いをする関係のはずですね」


本当の一線は意外とわかってるんだ。君たちのために黒塗り入れておいたからね。


「知木先生はどう思っているんですか?」


「変身の事?まあ、実は芥川龍之介が『鼻』を出すほんの少し前の作品なんだ。ある日突然うんぬんは当時から好き嫌い分かれてたと思う。俺は梶井基次郎の『檸檬』みたいな、しょうもない日常を文章力で構築していく、硬派な作品が好きだな。まあ、お前に言ったってわかんないか」


何かが伝わってしまったのか、もとを辿れば全部お前のせいだろうに、重柄がくすりと笑った。


「待った、話を逸らさないで。あの一件に関する事でしょう。珍しく面白い話が聞けそうな気配がする」


「なあ、お前さ、生まれつき無い感情を取り戻そうとするのは無い物ねだりだろ、面倒くさいな」


このままだと殺されかねないので、俺は観念して頭にちらつくイタい内容を話す事にした。


いや、殺されるわけないだろって思う君たち、君たちは知らないんだって。こいつは何でもない場面で怒りの臨界点に達せる奴なんだよ。こんな締めくくりの場面で重柄が急にキレたりしたら、ページ読み飛ばしたのかな、毎回同じパターンでまとめると後々楽だからかな、急にキレてキモいなって思うよね?


そんなまさか!キレなくたってこいつはずっとキモいよ。


「ああ……変身だけど、あんなのはしこたま酒を飲んだ後に、一人称を”グレゴール”にしたカフカが書いた夢うつつのエッセイブログだよ。カフカでもないくせに、あれに何かを感じて本気で分析したり、発信する奴がいたとしたら、そいつは全方位自己投影型スタンド、何にでもわかりみ感じるアホで、しかもナルシストな奴か、そいつらを捕食して生きてる冷笑系ペテン師だ。両方ってケースもある。深淵に覗かれてるのと同じで、アホばっか食ってるとアホになる」


「楽しく聞けています、このまま続けてください」


「いいね、フィットボクシングみたいだ。とにかく、必要なのはシェアじゃない。他は知らないよ。ただ、あればっかりはね。いち消費者として、あくまでもカフカの自分語りとして”変身”をとらえる奴を俺は信用するよ。頼むから書を閉じて、外に出て、忘れて、日常に戻ってくれってカフカが地獄で叫んでるのがわかる。いや、主人公がイコールすぎるんだよな。正真正銘被害者でも、延々と被害者意識ぶちまけてると世間にも俺にもウザがられるだろ。かわいそうな僕は死にました、でもそれが皆の幸せなんでしょ……(笑)って、ぶっちゃけボカロ曲の歌詞みたいで好きじゃないんだ。あぁ、なんかかゆくなってきたな、蕁麻疹出てない?」


重柄が、愉快だ、と全然動かない目で笑いながら、しかし、また逸れている、と鬱陶しくも指摘してくる。だから、つまり、と、俺は恥をなるべく後ろに追いやるべく、努力して言葉を減らした。


「ああ、もう、だからさ、虚言癖持ち女の”目”の存在が、やけにモヤモヤするんだよ。あれだけなんか、ウソっぽくない。確かに木須猫の作った箱の中にグレゴールくんは大量にぶら下がってたよ。けど、カフカは別に虫かごを作りたかった奴じゃない。心の芯が食い違ってるんだ。中国人の”目”の名前がチェコ語なんだぞ。それってつまり、よっぽど強くカフカに自分を投影したから力として現れたって事だろ。なのに、あいつはちっともカフカじゃなくて、飄々と悪事の中に生きてて、どこにもカフカが見当たらなかった。どこかにいるはずなのに、どこにもいなかったんだよ」


「どこにも、というと?」


「何だその顔、面白いのか?」


拳を振り上げるのを我慢してやって、続ける。


「例えば……あいつは、もしかして、カフカになるために虫かごを作ったんじゃなくて、憧れのカフカを見つけたくて、虫かごの中のグレゴールを観察してたんじゃないかな」


重柄があははは、と声高に笑う。何?何?新たなモーションだ。アプデで追加されたのかな。


「それは全く違うでしょうね!どうしてそんな無意味な行為を犯罪に手を染めてまで!しなきゃならないんです?」


「いや、でもほんと、何言ってんだろうって思う。たぶん、女の事だからわかんないんだよ。ああ、目の所有者が男だったら話は単純なのに。そいつはプライドの高いポルノ依存症で、大学生未満の女にしゃぶらせるのが大好きで、国家資格を取ってすぐにYouTubeチャンネルを立ち上げる。持ち前のキモさで周りに嫌われては、まったく、たちの悪い病人ってのは、俺自身を映す鏡なのかもな……ってワイン片手にスパゲッティに射精する。そういう厚かましいナルシシズムからカフカを発現させた奴だって簡単にわかるんだよ。けどさ、女になった途端これが全然わかんないんだよな。お手上げだ。虚言は間違いなく持ってるし、偽名のカネとコネはどうも自戒っぽいっていうか、それがいかにも女っぽいっていうか、男ほどにはカネもコネも好きじゃないように思った。ただ、あいつの場合はそこに残りがちな”愛”ってのも別に、はべらせていい気になってたわけでもなかったっぽいし、それも稼ぎの手段だったのかな、うぅん、うーーん、なんか、頭が働かないんだよ」


「そこに残りがちな、愛!ですか!小さな背丈で随分大きく出たものだ!いやいや、この、心理士のおなごに対し、おなごの手を握った事すらない知木等が懸命に取り組んだ、その性器のように粗末な分析、けして無駄ではありませんよ、少なくとも僕は一生忘れません」


そうそう、昔、深呼吸は吐く息のほうを多くするって聞いて、失神しかけた事があるよ。みんな嘘つきだよね。一度は飲み込もう、自戒、まさに自戒だ。俺がいつも他人にやっている事なんだから。


「なんだよ、プレイボーイだから謎が解けました、なんて言うなよ。セックス探偵」


「生体サンプルですよ」


「何?」


重柄は確信のある顔で、先に問題を解いたのが嬉しくてたまらない、いや、しかし、やはり、この男ごときを上回ったところで、といった顔を今はしている。バカ。アホ。


「あの日、アニメばかり観ている知木先生は当然といった様子で、奴の重大なミスを無視して、ふっ、車がなんたら、と、得意気に御託を並べ立てていました。でも考えてみてください、あの施設の中にいたのは死者だけではなかった。生きた人間のハーレムを作る意味がどこにあるんです?」


「だからつまり、何だよ」


「僕の予想では、キスネコトネカはグレゴール・ザムザの心理を究極まで探求すべく、その特徴、行動などを記したマニュアルを完成させようとしていたんですよ。だからグレゴールに似た者のサンプルを厳選して集めていた。知木先生、Wikipediaの関連項目は見ましたか?”引きこもり”、”ニート”、ええ、まさに、虫けらの苦痛など、その程度で済まされるものなんですよ。まだわかりませんか?」


「まだわかりませんね。なあ、俺はお前のカウンセラーじゃないんだから。ネタなら、客が困ってるよ。ここでウケてほしいのかな、そうじゃないのかなの微妙な笑いだ」


「探していたのは、どう考えたって、パラレル、例外、人間に戻ったグレゴール・ザムザです。奴は精神科医だ。それさえ完成させれば、現代に蔓延る多くのグレゴールを救えるでしょう。ああまで思い上がったおなごが考える事と言ったら、それしかない」


なるほどね。

俺はもちろん、君たちと同じで、言っている意味が全然わからなかった。


正義感で動いてるわけないじゃん。そうだよね?

まあ、けど、今ので君たち、一つの確かな物事をわかってくれたはずだ。


こいつが宇宙人だって事だよ。


「もう死ねば、ここで」


「いいだろう!但し、死ぬのはお前だ、知木等!」


絶叫。触手。どかん、ぱりんぱりん。悲鳴。


ごめん学校守れなくて。二回目なんだ。

まあ、やっぱ、これだよな。


つい最近、敵の敵が生まれたもんだから、仲良くなれそうで気持ち悪かったんだよ。

ほおら、せっかく冷房の効いていた部屋が生ぬるくなってきた。


お互い木須猫の目的とかさ、きっと、どうでもいいんだ。

全部が全部、してやられた。俺たちにあるのはそれだけなんだから。


そう、着物掛加絲子は学校に帰ってこなかった。


は~~あ。滝にうたれなきゃな。無意味にさ。

修行も、その前に気持ちの入れ替えも必要だ。俺もお前も。


俺は手元の紐を後ろ手にやって、割れたガラスの破片をもう片方の手にとって、さて、これでどう重柄のバカを引っ掛けてやろうかと考えていた。




沈むように溶けてゆくように、私たちは夜を駆けている。


「うはは、ぼくちゃん様の総取りだぜ、げほげほ」


「ドローです。所有する兵器が壊滅させられたんですよ。内蔵も傷ついてるって自己申告していたでしょう。どうせお仲間の闇医者がいるんでしょうから、さっさとそこに案内してください」


考えられないほどにハイテクなピッキングを行ったのはトネカだ。


そして、その後すぐの事だった。


腕の筋肉が自分の肉体に突き刺さる感覚とともに、おそらく、あの青白い指の真珠を軸に、私の肩甲骨から突然生えた真紅の蝶の羽は、あっという間に上空に到達した。


どうも感覚の急激な変化に混乱しつつも、しっかり生えていたらしい両腕は、私がそれを確認するよりも早く、トネカの両脇をいつの間にか絞め上げていたようで、大きな羽ばたきを支えるように、最初はほとんど自動で、トネカをはるか上空へとエスコートしていた。


自在に動かせるようになったのは、空を飛んでしばらくしてからだ。


それは移動にはもちろん、内科の中になぜ作る必要があるのか、監禁のための部屋を抜け出して、宝石の群れみたいな憎たらしい夜景を眺めるのに大いに役立っていた。


トネカは群れにたった一匹しかいない、ラメの入った金色の虫を頭に乗せている。


「さっきなぁ、正しかぁ夜に羽ばたくだな、うはははげほっおえっ、ああダメ揺らさないで、いやぁしかし、ワンちゃんのメモリ兼コアならさ、ここにちゃんと”いる”けれども、まあ一つ、この子が無事で何よりだ。けどさぁ、問題ぁパーツだよなぁ、いや、大変なのは素材なんだよ、ハリボテなら簡単なんだぜ、けどパーフェクトな性能に戻すとなったら、高ぇのなんの。あぁ、全部、また集め直しかと思うとさ、こっから落ちて死んでおいたほうがいいのかなあとか、ついつい思っちゃうぜ」


「確かに、生きているべきじゃないですけど」


私は彼女が体重を預けるほうへと、導かれるように、それでも自分の意志で、空気の抵抗の中を賢明に引きずってやっていた。


「本当に生きているべきじゃない事を私が知っていて生かしているんですから、それを忘れないでください」


「うははは、なんだよう、でっかくなっちゃって、つまんねえな」


一ヲ知とトネカには二人きりで話をしている時間があって、それで、トネカを私の元に戻す頃には、まとめてどこかに突き出すつもりだと口では言っていた。でも、今のところ無理に追跡をしてくる様子はない。医者同士、片方はヤブ医者、何か通じ合うものでもあったのだろうか。


そのおかげで二人のクラスメイトにも、最後にお別れの挨拶を言う事ができて、月並み、予想通りに、軽い言葉でこそちくりと刺されたけど、彼らはどっちも、最後には、わかった、と、そして、いつまでも友達だと言ってくれて。つまらないけど。つまらない言葉だなんて、あんなに頭に血が昇っていたのが嘘だったみたいに、その時は少しも思わなかった。


連絡先を消すのが寂しくて、泣きそうにもなってしまった。

でも、そんな私はもう、私じゃない。


多分、きっとどこかでまた会えて、その頃の私は怒っていないんだ。

昔、殺し合いをした同窓会、なんて、こっそり三人でできたらいいな。


ちょうど海の上、トネカが吸うにはあまりにも不自然な環境の中、金色の虫を使ってタバコに火をつけさせて、ぷかぷかふかした。


「夢で見ましたよ、トネカの事」


「本当かい?なんだい一丁前に口説きやがってぇ、夢ん中でもかっこよかったろぃ」


「小さくて、ワンちゃんさんと一緒にいました。たぶん死にぞこないの」


手からぽろっとタバコを落として、古い仕草で、こいつぁ、たははと頭をかく。

あのタバコの火は、たぶんどこかに燃えうつるんだろうな。


トネカは自分の手を目の前に持ってきて、聞こえないほど小さく、


「いつまでたっても、ザムザ一家の気持ちにゃなれねえや」


と、言った。


言葉の意味はわからなかった。


ただ、トネカの余裕がはっきりとなくなったのが不気味で、さっきの軽口とは言葉の重みが違くて、本当に飛び降りそうだったものだから、私は急いで交渉に戻る事にした。


「トネカ。あのクリニックや学校以外ならどこにだって行きますけど、これからはひとつ、守ってほしいルールがあります。私のサポートを受けるにあたって必要になる、たった四文字のルール。他の大抵の事は、トネカは病的ですから許します。ただし、これに関しての嘘は絶対に許しません。それって、私が今も怒っている確かな理由でもあります」


腕にトゲをちょっと生やすと、トネカはびっくりして、あいたた!ときちんと痛がって、すぐにいつもの調子に戻ってくれた。


「浮気厳禁」


だから、そう、しっかり殺意をもって告げる事ができて、腕の締め付けも、ずっと強くしてやれた。


「うはあ……そいつぁ、厳しいねい。ま、善処するよ、ぼくちゃん様のお姫様」


蝶の羽ばたきは私の意思に反して、スピードと激しさを増すばかりだ。

家族の顔は見に行かなかった。見ればすぐにでも殺せただろうに、見に行く事すらできなかった。


だからたぶん、こうして飛んでいるのは、その悔いをかき消すためでもあるのだと思う。


「怪我が治ったら何が食べたいですか」


いやな気持ちが襲ってくる前に、私はすごく、くだらない質問をした。


「カイコ、かな」


いったん腕を離して、遠くなる絶叫をもう一度近くまで飛んでいって捕まえて、元の高度まで戻る。


「怪我でナンパの腕も鈍りましたね。おじさんの答えですよ。何を食べたいのか答えなさい」


「わかった、わかったよう、じゃあねえ、スタバの甘いやつ」


「思ってたよりかわいいんですね」


地上の宝石はどんどん少なくなってきて、やがて、トネカがあそこかなぁと不安げに指をさした。

ところで、この飛翔は誰かに見られて、ニュースにでもなるのだろうか。


赤い蝶のヘアピンが、みごと、髪を飾って、この身体に、闇の中に溶けている。


『変身』の結末は、昔は、ひどいものだと思っていた。


——だけど、今は違う。グレゴールには足りなかったものがあると私は思っている。


ならば、グレゴールのしなかった事をするまでだと、私は半ば意地に近いものをもってして、自分の手で結末を変えてやろうと、あの感じの悪いザムザ一家も、にっくき他の連中もろとも、くたばれ、くそくらえと、大嫌いな、くそったれの大人たちと島でぶつかってから、そして、あの死体のような男の手に触れてから、妙な約束を取り付けられてから、この羽が生えてから、より強く、そう思えるようになっていた。


「要するに、わけもわからず、やけっぱちってわけだ、うはははげッほごぇっ、さあカイコ、どっから始めようかねぃ、ごほごェほ、げえっボ」


「トネカの怪我の回復と禁煙です。逆らわば、ここで死んでもらうまでです」


「怖いよう」


鱗粉を大いに撒き散らしながら考えていた。


あの教師どもにはわかるまい。


きっと私にしかわかるまい。


トネカ。あなたの変身は、とうの昔に済んでいる。


グレゴールでいる時間は終わって、それを取り巻くどのザムザにも、あなたはなれなかった。


ならば、あの本の中にあなたはいないのだ。

若い顔の医者は死んだ。

あなたがどれだけ頑張ったって、二度と会えなければ何も与えはしない。


人の心の結び目を数分でほどけたって、その事には永遠に気づけないのでしょう。


だって、私の見た夢の、ほんの少しの続きがあなたの全てなんでしょう。


私は、トネカがその有り様だから、たぶん、そんなトネカが大好きなのだ。


ああ。なんて、なんて、馬鹿な人だろう。


毒虫を何匹殺してもろくに動かない脳細胞の持ち主が、同じ本を何冊も集めて、そうすれば、ある日、めくったページの内容が変わっているかもしれないって?

もしも、子供の思い出だけで造ったからくり人形が本物の心を持てば、その日には幸福を感じられるかもしれないって?


なんて、ひどく愚かな人。


道化さん。もっと私の前で、私を笑わせてください。


愛するあなたが壊れるまで、いいえと、違うのだと、私に叱られ続けてください。


ものの試しに、一方的に愛させてください。


あなたを一番愛している私が、あなたから一番愛されるわけなどないのだから、愛が返ってこなくとも、ちっとも構いません。

哀れなあなたを悪だと呼んで蔑むものを、これから私は一切の容赦なく殺して歩むでしょう。


そんな痛々しくて寒々しい、私にとってはひどく正しい、すごく私らしい思考が頭の中に浮かんできて、やっぱり私は、のどの奥で枯れ木をぱきぱき割って、眉を下げるしかなかった。


ねえ、トネカ。


私はあなたのためにここにいるって、今はわかるんだ。


ずっと、グレゴールなんかよりずっと愛に溺れて、それでも私はあなたのグレゴールでいるよ。

あなたが私に納得できずに死を迎える、その日まで、ずうっと。


「なんだようカイコ、なんか、怖ぇこと考えてるって感じがするぜ、やめておくれよ」


「ほら、考えている事がわからないんでしょう。トネカには人として大切なものが欠けているんです、人間もどきには慣れっこです」


地に降り立った蝶の羽は、ばきばきと何度も大きく姿を変えて、舞い散る星の粉をきらめかせ、トネカの赤い甲虫ほどきれいなカーテンでもないけれど、しっかり思った通りに役目を果たし、これからの未来を祝福するように、彼女と私の姿を包んで隠してくれた。


「私の知る誰よりも、ずっと平等で”やさしい欠け”ですけど」


邪魔をする毒虫も邪魔をしない毒虫も同じ。部屋の中で何匹死のうが、幸福になりはしない。人を騙しても殺しても何とも思わない。夢は叶わず希望も訪れない。不思議の国のアリスの住人で、自分も他人も過去も未来も、果てなく続く永遠すらも、ずっとずうっと煙に巻いて。


誰が死んでも幸せになれないあなたこそ、やさしくて、かわいいよ。


私はトネカがくだらない嘘をついて笑う前に、思いっきり笑って、潰れた内臓をもっと潰すくらいに抱きしめて、今まで考えた事もなかったほど子供っぽいキスをしてやった。


「ほら、大嫌いな病院のベッドまで、あなたのお姫様をエスコートしてください、私のお姫様」


変形させた舌の上でもがく毒虫を見せつけると、トネカはもう一度血を吐いて、降参だと観念して、とぼとぼ私の隣を歩いてくれた。


全てが嘘なら全てが本当。私の楽しい話はここからが始まりなんだろう。

そんな風に思うくらいに着物掛加絲子は、初めてできた大好きな人と、自らの鮮烈なる恋心に、心の底からはしゃいでいた。




「小童、傷の具合はどうかしら」


ババアが元の姿のまま、にこにこしながら、いい気になって俺様の包帯を取り替えている。


「あらあら、まだ、こんななの。そうよね、あなた、おなごの一部なんだもの、もろくて当然よね」


ここ、聖域とやらは少し前まで俺様のもんだったんだが、今回の戦いでババアの手に返っちまった。

まったく、この、ねちっこい皮肉まみれの介抱をいつまで受けりゃあいいんだか。


「五織は元気だよ。早く外に出たいって、ふしぎ」


「そうねえ、ふしぎねえ。さっさと戻りたいのなら尚更に、そこの葉っぱ……だから、それではなくって、そこの、そう、それ。さっき教えたでしょうに。その葉を数枚ちぎって……ああ、もうよい!こんな手際の悪さでどうして生きていこうというのか、この、たわけ者の座敷わらし」


「むっ」


俺様抜きなら、えらい仲良しじゃねえか。

しかし、まあ、模神眼ってのは、あながち嘘ってわけでもねえかもな。


神に追いすがる人間の執念ってやつか?

あそこまで苛烈な破壊ができりゃあ、機械でもなんでも、それはもう”目”とほとんど違わねえ。


「ねえ、あのおなご、学校をやめてしまったんですって」


「もう他人事みてえに言えんのか。羨ましいぜ」


——あの時、ババアのピッチングと俺様のフルスイング、完璧な弾丸ライナーは、突如現れたもう一振りの刀に阻まれた。


しゃりんと鳴った後、王はへたりと力をなくして、まるで世界と世界の切れ目の海に沈んだみたいに、誰にも当たる事なく、ほとんど時空のずれた地面へと、不自然なルートを辿って落ちて、それっきりだった。


ありゃあ、一体何だ?

俺様の知る人間の太刀筋じゃあ、なかった。


元々は王がぶつかる前に姉貴の中に入って、幸運のエネルギーに任せようと考えていたんだ。


それでやっと、頭の片隅によぎった事すらねえ計算、勝率ってのは、あの機械の余力を思うに二割近くあればいい、その程度だった。

犠牲者をあのいけすかねえ女だけにできたかって話なら、数字はもっと低く。


先公を助けるなんざ、そうする為に、どうすりゃいいのかすら、わからなかった。


完全に、人間に殺されかかっていた。

ああするしかない状況だったからだ。


そして、そんな、認めたくねえが後ろ向きな、小賢しい計算を一瞬のうちに崩して見せた、医者医者とやかましい、あの丸メガネの侍だって人間だった。


俺様たちは人間に負けかかったところを、人間に救われたんだ。


「あんまりにも面白くねえ」


「若いんだもの、ゆっくり強くなりなさいな」


同じものを感じていたのか、心を見透かしやがったババアが、再生が追いつかずにまだえぐれている腕に薬草だか何だかをすり込んで、痛ぇなと叫んだその口に、これまた薬草だか何だかを流し込んできた。


「ああ、くそ、畜生」


「若いんだもの、ね?」


さてはこいつ、ババアって呼ばれたくねえのか?

そいつは御生憎様だな。


「あのおなご、似ていると思わない?」


「どっちだよ、トネカとカイコ、二匹、ああ、”二匹”だ。いただろうが」


バ、バ、アはくすっと笑って、ひとはひとりだわ、ひとやおなごに影響され続けるおなごというのは、最終的にどう変わってしまうのかしらね、と脇道にそれてから、俺様との会話に戻ってきた。


「彼らのほうに、よ。重柄十柄に、知木等。あの髪飾りのおなごは少しずつ似ているわ」


「急にブチ切れる、周りをブチ切れさせる、それに何より、俺様をイラつかせる、か」


なるほどな。

確かに、悪いとこだけがやけに似てるかもしれねえ。そういうもんか。


「神さまが思うにね、問題は煙のおなごじゃなくって、髪飾りのおなごよ。煙のおなごはこれから苦労するわ。けれど全てはおのれが招いたの。きっとあの虫けらの髪飾りは見境なしに、すべて吹っ切れたつもりになって、頭をろくに使わず、自分に足りないものを片っ端から奪っていこうとするでしょうから」


「なんだ、珍しく悪党を悪党らしく言うじゃねえか」


「ええ、そういえば神さま、おなごが大嫌いだったって思い出したの。なんだか若返っちゃう。うふふ。次に会うのが楽しみ」


「精進あるのみだぜ。たとえ老いぼれていても、若者に及ばねえなりに、無駄な努力ってのは続けるべきだ、おのれの先の短さに絶望しねえためにな」


どぱんと爆ぜた触腕が、てめえが治したかったんじゃねえのか、えぐれた腕を狙って飛んでくる。俺様はそれをとっくに万全の元気な足で、横っ飛びでかわし、一気に距離をつめて、頭を鞘でこついてやった。


「なあに、小童。痛いじゃない」


「うるせえ、ババア。俺様のほうこそ痛かったんだ」


だが、腕はいい具合に動いたぜ。

にやりと笑い合って、どっかり座る。


「何度も塗って、繰り返すほど早く、この時間は済むわ。さ、座敷わらし」


「むぅ」


「俺様のほうが先に覚えちまった。この枝と、粉をこれくらい、最後に葉をこうだろ」


「よくできました。いい薬ができるわ、塗れるものなら塗ってみなさいな」


「むぅ~~……!」


自分のIQを置いてきぼりにされてご立腹の姉貴の顔はまるで風船だ。

あんまりに膨らんで、あんまりに真っ赤なもんだから、ババアが笑っている。


そうだ。


三角の中に目がどうのだなんだと王は言っていたが、あれが最後のチャンスだったんだ。

俺様たちが生き残ってやり合い続ける限り、てめえの入る余地なんか二度と生まれようはずもねえ。


三角を作る目からのアンサーは、悪ぃが陳腐でシンプルだ。


もっと楽しくなって、いつでもかかってきな。


「負け惜しみだって、言っちゃいけねえって事もねえだろう」


「ええ。神さまもそのほうが、あっさり負けを認めるよりもずっと好きだわ」


空をすり抜けた先、あちこちに散らばる無限の目が、ぱらり、誰かが覗く窓を照らした。

読了ありがとうございました…! どうぞ耳にクリームをお塗りください それともサラドはおきらいですか ちなみにシルクロード勢に入りたい人は少なくともpixivの人気アンケートにおいては1人もいませんでした いいって 俺が愛そうじゃあないか

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ