今日こそが我の誕生日じゃない日(アン・バースデー)
ほのぼの~っとした女の子のきゃいきゃいしたヤツがいいな!と思って書きました
数え切れない堪忍袋の緒がぷつんと切れました。
彼女とはどうしても馬が合いませんし、彼女は日記などはつけません。
ゆえに、らしくもなく、まだ怒っていた頃の我が気分転換の日記を書いているのです。
意見の不一致は、常に、無限の絶交の大きな理由の一つです。
記念日や記録というものは大体において、おめでたい時に使うフレーズであって、世界を血祭りにあげた後に使うものではないし、指折りで数え切れないほどに滅ぼすことは良いことではないからです。
良識的な我は、ちょっと優しくしてやりますかと思って帰ったその日に、その日という表現もけして正しくはないのですが、恥ずかしながらぶち切れてしまいまして、また、いつも通りに、ただしやや激しく、彼女のもとを去ったのでした。
失礼、我の名前は『アン・バースデー』。
彼女というのは『M・カインド』のことであり、彼女は我という力の所有者です。
これから書くことは、ええと、なるほど、話の内容の書き出しとしては多少壮大になってしまう気もしますが、まず最初に知っていただく必要があると思ったようですね。
我々は神がかり的であっても、諸君の知る神ではないという事実を。
我々はひょんなことから古来に産まれ、ひょんなことから永遠を生き、世界の全てを管理しております。
だからといって上から目線でものを言うことは、彼女にはあっても我にはありません。
彼女は積極的に人の上に立とうとしますし、そういうところも大嫌いです。
我は人類が好きです。
いつのことだったか、彼女のもとを離れ、力として独立できるようになった時点で、人はすぐに我の力を悪用してはいけないと理解してくれました。
犠牲も少なく、初めも初めのころでしたからね。
我とて、あらゆることが不慣れだったというのに、そのころに一度身をもって知っただけで、なんと人類という不揃いな線は、散らばった髪を束ねるように、しゅるりと、身なりを正して我を認めてくれたのです。
これがまかり通ったのは我の知る限り、汝らのよく知る人類だけでした。
ええ、ええ、文化もたいへん興味深く、何よりおいしいものが沢山あります!
我の見た目は、どの道知ることになると思いますが、自慢のおでこと、ぱっちり真っ赤なお目々。
しかし諸君が気になるのはこの連なったドーナツ。螺旋を描く、ツインテールの長い白髪でしょう。
ああ、文章でよかった。このさらさらかわいいドーナツの穴にはみっちりと諸君の恐れる何かが詰まっておりますゆえ、あまり注目を集めるべきではないのです。
彼女の見た目。ううん。
まあ、その話はいいではありませんか。
そうそう、我の力であれば、文章越しても汝らに伝えることができますよ。
誤魔化し誤魔化しのデモンストレーションということで、お見せしましょう。
じゃん。
こういうことですね。
我は“増やす”力を持っております。
ページを増やすのではなくて、汝らの手間を増やしてみました。
原稿料が発生していないからこそ、なせるワザ。
そうですね、汝?
思うだけでぽんと発動し、我や、彼女というアホに対しては自動で発動します。
たとえばこの場にいる我がぷちんと潰されたとしても、増えるというわけです。
ちなみに今、汝らから見て二体目の我が書いておりますねえ。ぱちぱち。
サプライズとして、たわむれにやってみせました。
最初の我はどうなったのかって?
まあまあ、ありがちなのはよしましょう。
ちゃんと横におりますとも。物騒なのはよくありません。
とにもかくにも、生命の中に、知恵といってよいものか、とにかく片端にでも存在するものであれば何でも、時間、位置、形状を自在に超越して、増やしたいように増やせてしまいます。
つまり、自己紹介だって、もう汝で何度目かわかりませんから、そろそろいいでしょう。
寿命、弱点、制約、倒し方、そんなものが一切ありません。
どうしたって誰にも倒せない、ゆえに神がかり、というわけなのですね。
ただひとつ、能力者である彼女と、能力そのものである我の仲がひじょ~に悪いのは問題といえるのでしょうけれども。
この日記は、そんなすごい我の逃避行、そして永遠の青春の一ページに関する記録です。
書き出しはこんなもんでよいでしょう。
さて、話は少し前に戻って、彼女の破壊活動が嫌になったいくつもの我のうちのひとつが、いっそ人になってみようかと、たった今、黒板の前でベタベタにも頭を下げております。
「我が仮の名は『初〆目 有理数』、出身は不明、趣味は汝らに合わせます」
ぺこりと頭を下げた我は、床に髪の毛をぺっしょり垂らしていました。
かなーり”着られている”似つかわしくない青色の制服と、生徒諸君の苦笑いだけがそこにありました。
やはり、または、どういうわけかと思うべきか、誰も我につっこんでくれません。
迷走も迷走でした。なにゆえ我は流れのままに理解できない授業を受けているのやら。
そも、学生生活を本当に楽しそうだと思ったのかどうかすらも微妙です。
我は人のコミュニティに本格的に属したことがないのでした。
我、ぶっちゃけ、ああ、これは失敗だと思っていました。確か。
しかしまあ、わざわざ日記の内容として書くからには、日々の中で、それなりの物事が起こったのですね。
我というのは汝らからすると、さっき頭を下げていた我ですね。
そう、我はいっそ、この世界に増えた我をすっかり消してしまって、気分転換は別のことで済まそうかなあ、なんて悩んでおりました。
そして、そうしてうじうじしているうち、よく知った人が予定通り我の髪を覗き込んでいます。
最後の最後になってよくよく考えてみますと、この数秒の覗き込みこそが、他ならぬ我の決定そのものだったといえるでしょう。
「なにか動いてると思った!」
よく知っておりますとも。
彼女はこの髪の中をどれだけ見ようとも発狂しない変人なのです。
我のクラスメイトの『小団子 あまさ』。
緑のさっぱりショートヘアに青の髪留め、魔改造した長い袖に丈の短いブレザー。
水泳部所属、ごく平均的な身長、抜群の愛嬌。
距離感は近く、気取らない明るい声、心からの笑顔、ある意味で足りない気遣い。
このアマサのことを我は素直にすごいと思っておりました。
どの世界を見渡しても、いつも、なかなかないものを持っているといいますか、どう育ったのか、ここまで湿り気のない水泳部が。
「ほら、二人とも、来て来て」
ぼんやりと、放課後の教室。
夕暮れ時に先んじて手を振るアマサのシルエットが、磁力なんて言葉ではけしてありえない速度で、括ってしまえばそっくり同じものでありながら、それでいて全く異なる、不思議と、特別な二つの姿を呼び寄せています。
片方はすっと立ち上がり、片方はもう勘弁してくれ、と気だるげです。
知っています。これまたよく知った顔です。
「勘弁してクレメンスな~。これに関わったら絶ぇっ対キョンくんだもん、あたし」
まず、”これ”呼ばわり、来たくなさそうなほうは『白黄 つきみ』。
真ん中でわけた青の、おそらく皮脂の乗ったぼさぼさのミディアムにそれよりもう少し濃い青のセーター。相反するように青と白のみで揃えたしゃっきりした色合いと、ぴったりのサイズでありながらダルダルな制服姿に、これまた真逆ともいえる端正な顔立ちとスレンダーで美しいスタイル。不意に飛び出す我の知らない謎のスラング。
わかりづらい文章だったでしょうが、彼女の印象は実際、常にくるくる回るのです。学生でありながら、なにゆえかいつも借金漬け、運動、勉強、その他もろもろ絶望的で、しかし、ここぞというとき冴えわたる。
そして隣では、そんな彼女の親友が、しゅっと部活終わりの頭を下げます。
「転校生の……挨拶がまだでしたね。確かに非常識でした。申し訳ありません」
きれいに切りそろえられた赤のストレートボブ。ネクタイを挟む勢いのすごいおっぱい。
ううむ、我もあそこまでとは言わずとも、もう少しほしいところ。
弱点というほどではないのですが、ここだけ増やせないのですね、どういうわけか。
失礼。それに銀ぶち眼鏡と……う~~む、今また揺らしたのが『梯 ともえ』。
剣道部に所属し、穏やかであろう顔立ちをずうっときつくしていて、イメージ通りの女性になるために、”凛としようと努めている”ことがわかります。
ブレザーをしっかり正しく着こなして、スカートの丈はとても長く、なんとなく、規則のスカートに納得がいっていないような印象も周りに与えています。
彼女は自分で自分のことを女性の独立を目指し戦う戦士といいます。
この時間軸のこの時代、今どきでありながら、やや古風。
要はそういうことです。彼女といったら特別勇み足なのです。
ただ、クラスの誰もが知る限り、その口で言うほど男性が嫌いではありません。
よおし、まとめましょうか。
我は最初から順に、
緑のお天気ショートヘアをアマサ、
青の変なぼさ髪をツキミ、
赤の真面目なボブをトモエと呼びます。
「歓迎会ってわけじゃないけど、どうかな」
アマサが言いました。
先に言葉の意味を察したのはツキミでも、口を開くのはトモエです。
「ああ、ええ、構いませんけれど、初〆目さんが……お嫌なのでは」
ほうほう、さもこの後、何かありそうな言葉の含み。
我は余裕の返答をすることとします。
「構いませんといえば、我のことはアリスで構いませんよ」
「枕がデカすぎます!」
病的ともいえる、急にびっくり箱から飛び出す謎のスラングはこれからずっと、ぼさぼさの青髪から放たれるものとしたほうがよいでしょう。
ツキミは普段は人形のように他人と喋らない人で、スラングの意味がわかる他の生徒はめったに彼女の周りにいませんし、いたとしても何が面白いのやらニヤリとするくらいで、このトモエとアマサ以外の誰もツキミとは口をきいていません。ツキミもそれで問題がないようにみえました。
「ああ、えっと、アリスさん」
我からの強いパスに言葉に詰まるトモエを、アマサがカバーしようと前に出ます。
「お化け! アリスちゃん! だいじょうぶ?」
「おばけ」
この断片的な話しかたというのは、もしかして我、留学生だと思われているのでしょうか、と、ある意味で今更ながら思いまして、言葉をそのまま返してしまいました。
断片はまだ、とんとんと跳ねて飛んできます。
「イエス、おばけ、肝試し」
「オバケ、キモダメシ」
現地に行くどころか、我がこんな具合ですから、決まるまでのやり取りは少し長く、しばらくぐだぐだと続きますので、汝らには退屈だと思います。
ではここで我から、お化けというのについて、トリビアをひとつ。
人がお化けと呼んでいるものとはおそらく死んだ人の魂のことです。
しかしながら、それはやや認識が大雑把で、ずれがあります。
生物たちは確かに個体のそれぞれに魂を持っており、それが死後残ることならまあまあ、まれにはありますし、それを取り除くのが汝らが天使と呼ぶ者のお仕事なのですが、それも、これには関係ありませんからそれとしまして。
実は、人の魂そのものが現世に介入できることはほとんどないのですね。
お化けとは錯覚、幻、あるいは力そのもの。
そう、その力とは我に備わった力と本質的には同じものです。
おそらくは生物、あるいはそれらの死から生まれた怪物や、土地にそもそも備わった力の仕業です。
ややこしくなってしまいますが、”死から生まれた怪物”と、”死んだ人の魂”とはまったく別なのです。
どれだけむごい死に様でも、人の魂自体に何かを起こすだけの力は普通は備わっていません。
死人に口なし、怨念に力なし。ゆえに、おばけなんてないさ、というわけなのですね。
おお、汝らにそうこう言っている間に、そっちの我が頷いたではありませんか。
「やった!」
アマサが我にぐっと近づいて、手を握りました。
さて、いよいよこれで本格的に、また一度はあやつのもとへと戻らねばなりませんね。
なにせこれから、世界最大級の畜生とたいして変わらぬほど、愚かな過ちを犯すのですから。
「ゾゾゾのお時間がやって参りましたぁ」
すっかり暗くなった夜道で、ツキミがしゃがれ声を作って、おのれのスマホをトモエの顔面に押し付けています。
「さぁ落合さぁん」
「梯ともえです」
まあ、この二人が仲良しなのはいつも変わらずのことで、この日のことは、いわばイレギュラーであるアマサがトリガーとなって引き起こした出来事でした。
不思議なのは、そこに我がいてもいなくても、このことが確かに起こると決まっていたことでした。
これが四人でも、三でも二でも変わらないのです。
事実よりも、時間軸が優先されている世界なのでしょうか。
ええ、勿論この文章とは、違う我が、直々に筆をとってあの時思ったことを素直に書いているのですが、あとになって入念に調べてみたところ、この三人組のいずれかは必ずこの場所に向かうと決まっておりました。理由は様々でしたが、結果は大差ありませんでしたから、一番人数が多いのを選ぶだけで、逆算も簡単に済みました。
「これがあたしらのゆるキャンかぁ。ええ、どうだい? どっちかってえと、あれだろう、こいつぁ、水曜どうでしょうなんじゃないのかい、ミスター大泉」
「梯ともえです」
そんなやり取りをよそに、アマサは我の袖をひいてライトを照らします。
「あれ、」
「あれ、」
それは一度ちかちかと不自然に、映像がとんだように点滅してから、まっすぐに光を放ちました。
誤差が残っていたようですが、たぶん、これが最後の微調整でしょう。
「よかった、点いた。暗いから気をつけなきゃね」
「汝は暗闇を恐れないのですか?」
そう尋ねる我は髪が地面につくのが嫌で、自慢のツインテールを両腕に抱えていました。
「怖いけど、怖いって思えるうちに一回くらいやってみたくて!」
「なるほどなるほど、それは理にかなっています」
汝らの敵は、ときに慣れであったりもするようですから。
退屈しない人間はいないものです。
「クソナガツインテ姉貴~! あんま遅くなっても例のアレなんじゃないのお」
いつの間にか入ったツキミが茂みの中から手を出して手招きしました。良識があるのだかないのだか、今ひとつよくわからないところまでが彼女の特徴の一つです。
「汝ら、その場所は安全なのですか?」
やることが決まっているとはいえ、すでに茂みの中とはいえ、我は至極まっとうな疑問をぶつけてみました。
「有名な場所を選びました。この時間帯なら尚更、私たちだけかどうかすら怪しいです」
チョイスはトモエですね。これまたなるほど。
事が起こる場所はトモエが決めている。
つまりトモエがいない場合でも、メッセージ等のやり取りが必ず彼女との間にあるということ。
そう、地道ですが、我の言った逆算とはこういう地味で面倒なやり方のことを指します。
なにせ何もかもが無限にあるのです。たとえば憎き敵を滅ぼしたいとして、全ての時間軸に増やした我を置いて総当たりを仕掛けたりしたら、ええと、誰にも伝えないことにしているのですが、とにかくどえらいことになってしまいます。ですからめったにやらないのですね。
「こ↑こ↓」
ツキミがまた、この頃の我はまだ知らない誰かの真似をしましたが、どうやらそれは二人の間で禁止されていたらしく、お母さんの顔をしたトモエに頭を叩かれました。
指差す先には三階建ての、落書きだらけの廃墟。外から中がよく見えず、そこそこの年数が伝わるグレーのキャンバスに走るひび割れ。街灯はまだしっかりついていて、これはこれは、なかなかにアーティスティックな雰囲気です。
「おっきいね、元は何の建物なの?」
アマサが尋ねると、トモエはしまったという顔をかあっと赤らめて、咳払いをしました。
「ですから……事前に調べてこなかったんですか」
「ラブホだよ、ラブホ」
「え~! ここ? そおなんだあ」
「なんか、もともと四階建てだったらしいよ」
ツキミは普通に話せるのなら普段から普通に話せばよいのでは、と言いたかったのですが、ここは空気を読んでだんまり、しました。
トモエはライトをいち、に、さんと上へ下へ動かします。
「それって……どういう事なんでしょう」
「一階分埋もれてるとか? 呪いとか、まあなんか、色々あったけど、呪いなんてさあ」
「はい。呪いは論外として、そんな綺麗に沈没するなんてあり得ません」
「梯の乳首みたいに?」
トモエはすかさずライトを地面に置いて、かわりに手元の木材を握ってツキミの胴をかっさばきました。剣道部、さすがの軌道。あばらの下が押し込まれて、漏れる声すら遅れています。
「誰が乳首の話をしたか! オス寄り思考! 下郎ッ!」
ツキミは、ねーもう無理、とかなんとか言いながら苦痛に膝を折っていました。
肝の据わったアマサはけっこう普通の人からすれば引くくらい鈍い音がしたというのに笑っています。
我がふたたび恐ろしくはないのか、なんて、隣の緑には問うまでもなく。
「たぶん、怖いところでナゾナゾを解くのって楽しいんだよね」
ふむ。まあ、その笑顔に同感としましょう。
これは我に比べれば飛び立ったセミよりも短い人生の中の、うだうだとした時間。
そして楽しいという感覚こそ、我が何よりも失いたくないもの。
我はいつまでも変わらぬ、さらさらのツインテールをぎゅっと握って、留学生っぽく振る舞いながら、ある意味では思い切って廃墟へと一歩踏み出したのでした。
「えっ」
すると壊れた開きっぱなしの自動ドアの前、まだまだ灯りに囲まれた空間で、トモエが小さく声をあげました。
止まった足にたたっとアマサが歩み寄ります。
「どうかした? 梯さん」
「いえ……その、声がしたような」
「ベタだよ梯~、他に誰か来てんじゃない?」
「ひそひそ声というか……かすかでした」
ええ、我も聞こえました。
“なんで”という声。
もちろん、さっきも言ったように、お化けなんてものはいません。
そこに声がしたなら、そこに人か怪物がいるのです。
我はすかさず、たたっと建物の奥に入ります。
「行ってみましょう」
少しの驚きと、後ずさる三人。
邪魔をするつもりはありません。
でも警戒心を強めた彼女らを導くのがここからの我のお仕事。
なるべくなら、ラグを防ぐためにも、手早く結果を出しておきたいのです。
ちょっと楽しい寄り道。神もどきの青春ごっこ。
そして、この道こそは我が最大の後悔へとたどり着くための、我による我自身への反逆ともいえる正真正銘の若気の至り、つかの間のスリルへの分岐点なのでした。
「んまぁそう……四階建てがガセネタだとしても、変は変だよなあ?」
あちらこちらを見やりながら、ツキミは突然裏声で、
「このラブホ、何か、変……」
クリハラサァン……と言ってみせました。
そして、右の奥にライトの光を運びます。
「梯、わかる? あっちに階段があって、それは客のための通路なんだと思うんだけど」
「はい」
「で、こっち見て」
ライトは左へ。
すると、すぐに光は遮られ、明るい円が伝い落ちる水滴のようにすうっと小さくなっていき、やがて透明な板の向こうを照らしました。
「で、この壁をつたって角が受付。ラブホって普通、客と店員がそうそうさ、普通のホテルほど顔合わせないようになってんじゃん」
トモエが嫌々、頷きました。
「オスの羞恥心がどうであろうが知った事ではありませんが、確かにおかしいですね」
「で受付の奥にも出入り口がない。従業員も玄関から入って、移動もモロ、あの廊下」
「ほんとだぁ。ううん、どういうことなんだろうねえ」
一緒に考える三人。
立地の都合では~?
いや、ある意味ではアタリで、鋭い考察なのですが。
まあ、確かに、この場合は普通とは違うのです。
中に多少、死後の魂の残留エネルギーも感じますが、それはやはり、かすかでした。
「外階段があるとか!」
「わざわざ外の階段で移動すんのも不自然じゃない?」
三人はまたがしゃがしゃ戻って、建物の前に立ちます。
そして、アマサが指をさしました。
「あ! ほら、階段だよ!」
「非常階段に見えますが……でも、それでもおかしいですよ、見てください」
ライトを動かすトモエ。
すると虫の声の中から、今度ははっきりと、ばきり、という破裂音がどこかから。
「ファッ!? ウーン……」
ちっとも驚いていないのに、わざわざこうやって甲高い声で驚いてみせるのはもちろんツキミです。
そろそろ汝らも判別がつくようになった頃なのでは。
「……やはり、誰かいるようですね」
かちゃりと動く眼鏡。
「どうする? やめとこっか」
アマサの提案はもっともなのですが、そうは神がかり的な問屋がおろしません。
「汝ら、行きましょう。我はお化けが見たいのです」
再びつかつかと中へ。ええ、電波の不思議ちゃんで構いません。
今回に限り、目的を果たすためであれば、我、恥をしのびましょうとも。
「アリスちゃんもお化け見たいんだぁ!」
「マ~?」
戻らねば座標のプラスマイナスでも増やしてやるつもりでしたが、素直な三人組に我もご満悦。
そうです、探索に戻ってもらわねば困ります。
通路には三つのドアがあり、どれも塞がってしまっていました。
「んー、ちょっと危なそう。一階はここまで?」
「……こんな造りであれば、あの非常階段をわざわざ一階に繋げる必要もないように思えますが、万が一を考えれば出入り口は多いほうがいいようにも……詳しく調べないと何とも言えませんね」
物が散乱した一階を一通り見てまわった後、この中で最も怖がっている自分をごまかしたくて仕方がない、そんなトモエがようやく謎解きに集中し始めました。
「そもそもの話になっちゃうんだけどさ、それこそ梯ヒスヒス案件だと思いつつも言うんだけど、学校からこんな近くに建てないと思うんだよね、ラブホ」
ホラーが絡むと意外にもシャープなツキミは階段を登りながら言います。
「そうですね、私が親なら建物ごと去勢してしまうでしょう。もっとも、私はマイノリティの立場におかれた同性愛者なので、生きているうちに人の親になる事もまずないでしょうが。しかし、この魂は受け継がれ、いつかの未来には必ずや肥えたオスのプライド、つまりは理不尽なる不理解を打ちのめすと信じています」
どうしてツキミなんかの友達なのかまで説明してくれたトモエがスマホを取り出しました。
「本当はラブホじゃないとかさー……」
「電波も届くようです」
「いざってときには、だね」
ほんの少し愚かな準備万端の中、我々は二階の部屋を見て回ります。
「あれ、ここから106なんだ」
階段のすぐ隣で、すっかり探偵モードのツキミが言いました。ここにきて根っこの何かがうずくのか、彼女が一番楽しんでいるようにも見えます。
「で、奥に107、108、109……」
うーんと言いながら歩き続けるぼさぼさ金田一。
アマサがそんな頭の後ろからぴょこっと顔を出しまして、あごをミディアムの肩に乗せました。
「なにか気になる~?」
「エッッッ!!! ガチ恋距離!?!? 助かる、たすかる、草、今日はこれでいいや」
「……縁起が悪いと4を使わない事はあると思います。しかし国際的に見れば縁起の悪い数字というのは4に限らず、まったくもって時代錯誤も甚だしい」
この三人の関係性がよりわかりやすくなったところで、トモエはさらなる補足を続けます。
「あなたは101から105までが丸ごとないと言いたいんでしょう」
「そうさ……だよ、ヴィンズィョウ=レオンハート」
「あっ、そっか。ほんとだぁ、ないね」
そのとき、アマサがあっと言って、人さし指を立てて、頭に豆電球をぴかっと浮かべました。
やや古風ですが、このアマサに限っていえば本当にそれが見えるのです。
「ね、ね、じゃあ、下の階が丸ごと、さっき言ってた働く人向けの場所?」
「なら全然あると思う。あの感じだと、奥に階段があっても別に」
だん、だんだん、だん。
突然物音が壁の向こうからしました。
ええ、もちろん足音です。
「……今、どこから聞こえました?」
凍える空間。
やや腰を抜かしたトモエが座り込みながらおそるおそる、誰でもよいと言った様子で尋ねます。
ここは人間盛り上げ隊、我の出番でしょう。
「部屋の奥からですかねぇ」
ツキミは一切の迷いなく我が指さしたドアを引きました。
「おっ開いてん——ないです。あっ、ない……」
一応、押してもみたようです。
「ちょっと、それでも急には開けないでください!」
早くもボロが出始めるトモエ。
ちなみに、音は開かない部屋の奥のあたりから本当に鳴っておりました。
「そ、外という事は有り得ませんか? 非常階段であったり」
「いや、そういう、鉄ってよりか、ていうか、土ってよりかはかなり、床の音? 足音のリズムじゃなくて、なんなら足音っぽくもなかった」
「ええぇ……あたし、怖くなってきたぁ」
三人の気持ちが引き締まるのを感じます。
いよいよもって肝試しモード突入といったところでしょうか。
「その、さっきから……見られているというか、つけ回されているような気がします」
それはノイローゼですねぇ。大丈夫ですよ。トモエは打たれ弱いところがありますね。
その視線は視線ですらなく、もう、つけ回してもいません。
ここで終わってしまっては勿体ない。我という心霊スポット一流ガイドは階段へと走りました。
「次が最後でしょう。とりあえず、一通り巡ってみようではありませんか」
そんな我を見て、ツキミが大胆にも、
「……西尾ネーム姉貴、クッソ遠回しな幽霊って事ない?」
と尋ねましたから、我はアルカイックスマイルを浮かべてぶんぶんと首を横に振り、ある意味ではそうであるという意味も込めて、マル、のついでにお皿を添えて、菩薩のハンドサインを作るのでした。
願わくば、後光などささぬことを願いつつ。
「四階建てっての? どっから来たんだろうなぁ」
ツキミがドアノブをガチャガチャやりながら言います。
「どの部屋もしっかり施錠されているようですね」
「まあ、ほんと、なるべく安全な心霊スポットって感じ。で、やっぱり、ここも206」
この時点での我々が抱えている謎と呼べる謎は二つ。
なぜ三階建ての建物から四階建てという話が生まれたのか。
なぜ部屋はいつも「06」から始まるのか。
「別に、部屋数は……辺ぴな場所に建てたラブホとしては十分すぎる、や、多すぎると思うんだけど、それがもし、カラオケとかだったとしても、結局、番号はおかしいわけだから」
我々はライトをあちこちやりながら、うだうだ、うろうろしておりました。
「ちょっとヘンだよね」
「ううん」
ぽつぽつと、しらみ潰しにドアノブをいじるツキミ。
やっぱ開かない、と繰り返し、手前から奥、奥からまた、手前へ向けて。
「ん~、なんか……」
しかし、その手があるとき、突然ぴたりと止まって、比較的冷静な彼女の頬に冷や汗がつうっと流れました。
そしてこちらを見やり、短く短く、
「開くんだけど」
とだけ言いました。
206のドア。
「さっき開かなかったんだけど……」
笑顔から、つうっと伝う汗。
「あ、あ、あなたって人は!」
アマサのええっ、という明るい声もこだまします。
思いきり胸ぐらを掴まれることは余裕でありながら、現象そのものにしっかり引いてるツキミを見るのが我、嬉しいです。
トモエはというと、掴んだ胸ぐらはそのままに周りを見渡して、さっきツキミをひっぱたいた木材がいざという時に手元にないことを悔やんでいるようでした。
「戻りましょう。それこそ、誰かいたら——
「いませんよ」
トモエが下そうとした英断をはっきりと遮ったのは我です。
ちょっぴり不気味でしょうとも。
ただ、ちっぽけな三人の目線だけが我を捉えています。
けれども、そんなに不安がらなくとも、いないものはいないのです。
「さあ、いざ進まん。我がお化けから汝らを守ってあげましょう!」
ばさっと床に髪を落としてまで、我の手は勢いよくドアを開きました。
まあ、ちょっと、髪はあとでしっかり入念に整えましょう。
ちょ~~ばっちい。苦手。
床はぼろぼろで、壁も当然、物は散乱、トイレの中なんてのは、なるべく見たくないですねえ。
「あ、風呂トイレがあるって事は、やっぱホテル系なんだ」
ツキミはまったく、不浄な感じは平気のご様子。
「なんだか、変な匂いする……?」
「水回りでしょうか……それに汚い」
「いや、でもさあ、荒らされてるって、おかしくない?」
我は三人のやり取りに聞き耳をたてながら、これ以上汚れる前に、やれやれと、いそいそと、チャームポイントを抱え直しております。我の髪はそこそこの逸品なのですから。フンス。
「荒らされないように施錠したんじゃなくて、荒らされたから施錠したんじゃない?」
「そう……だと思います、その考えが自然ですね」
「あとは大穴で、施錠したから荒れたとか」
「まさか、そんな事は……」
あごに手をやるトモエに向けて、アマサが深くは考えずに尋ねました。
「梯さん、ここって、なんで心霊スポットって呼ばれてるの?」
「……共通していたのは、頭が三つある幽霊が出るって」
「怖スギィ!」
「えー! なにそれ! 幽霊って普通、女の人とか、子どもとかじゃない?」
ツキミは一旦間に入って、大切なことをトモエに伝えるべく、しっかりとアマサを遮ります。
「待った待った梯、真剣な話。聞いて。あたしが調べた情報とそれ、全然違う」
「え……!?」
おお、よいですねえ。
それらしくなってきました。
「あたしはコテコテの、死んだ女の霊が出るってのしか見てない」
「い、いや、でも現に、ちょっと待ってください」
トモエが震える手でスマホをしゅりしゅり操作します。
そして激しさはみるみるうちになくなって、やがてトモエは崩れ落ちそうなほど力なく言いました。
「確かに……見たのに、本当です、嘘なんかついてない」
「終わり! 閉廷!」
ツキミのスラングも、心なしか不安げに響きます。
「白黃さん! 梯さんは人を脅かしたりなんかしないよ!」
「んにゃぴ……なんかがあったんだと思うけど」
ぎすぎすした空気感のおしゃべりを我が大いに楽しんでおりますと、ふと、ツキミが気まずさに耐えかねて、何かを吹っ切るように、部屋の窓を開けようとしました。
がらり、の、”ら”の辺りで、
「あー!」
急に、思わず、大きな声を出しました。
その声に混じって、絶叫が我の耳へ、奥のほうから聞こえました。
が、三人は自分の声と、ツキミの声への驚きで、それどころではなかったようです。
「わあっ!」
「うわっびっくりした何!? あ、ファッ!?」
「な、な、何ですか! あなたの大声でしょう!」
泣き出しそうなトモエをアマサが支えます。
「違う、違うって、ビビらそうとしたんじゃなくって、わかった」
「えっ、すごぉい!」
それはこの後、誰かが正解を当てたときに言う言葉ではないのでしょうか。
もしや一番すごいのはアマサの褒めの反射神経なのでは~?
「梯も来てみ、見ればわかるから」
「い、いいですか! 驚かさないで、くださいね!」
アマサが誘われるまま、率先して窓へ。
ぼさ髪をぎろりと睨みつけながら、後ろからこっそりと、銀縁眼鏡。
すうっと息を吸う音。
「わかった~!」
「ひっ!」
そして陽気な声に遅れて、あ、ああ、と震え混じりに納得する生真面目な声。
「……こ、この建物、二つに分かれているんですか、そうなんですね」
窓の隙間から、ちょうど同じようなすりガラスの窓が見えておりました。
「見ろよ見ろよ」
屋外に出た三人は、ちょうど正反対の位置にある暗い駐車場の中、来たときと全く同じようにライトをやります。
そこにはやはり、ちょっと変な螺旋階段。
「ガタきてるっぽいけど、見てなかっただけでさ、逆側にもあったんだよ。ほら」
「ほんとだぁ」
「だから、つまり……ああ、よかった、こっちが四階建てです。全部わかりました。はあ、怖かった」
そのとき、我はあえてトモエの頭の近くでぱんぱんと拍手をしました。大きめに。
三人の、特にトモエの背中が天にまで登って、確かな手応えを感じます。
「いやはや、汝らの歓迎会、楽しかったです!」
「お前精神状態おかしいよ……」
ちなみにこの場にいる我はですね、学校で過ごしていた我とは違います。
力によって二つになりまして、ずうっと、こっそり別行動をしておりました。
ですが汝らは我の言うがまま、ひとまず視線はこちらのままで、かりそめの解決編を楽しむとよいでしょう。
「たぶん、こっちから入ると部屋はちゃんと101スタートなんだと思うよ。ただ、地面がけっこう、なんていうの? 傾斜になってる、だから普通にさ、来ようとすると普段の歩き方とは違うから、疲れるんだよ」
トモエが落ちていた缶をころころと転がしました。
缶は建物とは正反対の方向へと転がります。
「あ……本当ですね」
「たぶん二分割の理由も、なんなら音だってそれ関係なんじゃないかなあ。んで、でかいほうの裏はもちろん……あっ、ほら、ライト」
照らされた場所にはフェンスと、さらに遠くには車の光の点々までもが行き来しておりました。
「あたしらみたいに丁寧に、たぶん本来の道から入ろうとすると、向こうの低い建物側に出るんだと思う。だけど、あの車道とか、遠くから見たここは紛れもなく四階建て」
ツキミはその名の通り、月の下でつらつらと推理を披露していました。
今はスラング、一切使わず。
「しかも街灯まで壊れてるもんだから、近くに来ようとすればするほど、明るいほうが目立つ。こっちの暗くて高いほうがどんどん見えなくなるんだよ」
アマサはライトを大きな、本来、大きな建物の入口があるはずの場所へとやりました。
「入口は……なんだろ、壁が落ちてきちゃってるのかな? 入れそうにないね」
「ここは勾玉のごとく対に重なった建物であり、“L”の字の横線の部分がちょうど、内部の階段にあたるというわけなのですね」
補足、補足。
「そうそう、テトリスで長方形作るみたいに噛み合ってんの」
「でも、じゃあ聞こえた声や足音って、もしかして——」
「……まあ、他の部屋がどうなってんのかも、建物と建物がこんな近いのかもわかんないし、できればその答えには会いたくないし、考えたくないし、こっからは早く出たいかなあ」
「そうですね、話は出てからにしましょう」
こわぁい、とアマサが素直な反応を示したのを皮切りに、我らはすたこらと廃墟を後にするのでした。
「あれは何だったんでしょう、頭が三つの……」
「梯の貼った地図のURLが関係してるのかもなぁ。調べ方まで同じページ共有してたわけじゃないから、もしかするとなんか違うとこ見てたとか。あるいは……まあ、本物の、そういうの」
ツキミが振り返った先にはもう一軒の未探索の建物がありました。
これまた気の抜ける、こわいね~、という声。
帰り道のアマサの相槌、細かく分けても二パターン。
ツワモノですね。
「あっ、共有といえば、二人はなんでクラスのグループ入らないの? 二人だけだよ」
「通知がキモくなるじゃん、アゼルバイジャン」
「え~、なんで? 楽しいのに」
「あ、う、受付はどうだったのでしょうね!?」
いわく、通知がキモいのだそうですよ。
おそらく同じような理由でグループチャットに属さないトモエがあわあわと誤魔化します。
「四階建て側はもっとしっかりしてんじゃない? やっぱ、なんで分割したのかわかんないけど」
話しているうち、町並みはすっかり、我らが町でした。
もう心霊の”し”の字すらありません。
まばらにぽつぽつ、人の群れ。
「拍子抜けは拍子抜けだけど、二度とやりたくないなあ。収益化できんなら別だけどさ」
「楽しそう! やってみる?」
「それこそ目もあてらんない惨事になるよ。今日のあたしらが味わったモヤモヤが全てだって。ニコニコで梯に耳のマイクとオモチャいじらせたほうが絶対いい。あたしもそこまでしといてコケるとこならちょっと観たいよ。ASMRって音のトリガーより共感性羞恥でゾクゾクする事のが多いから」
ちゃっと、トモエが近くの鉄パイプを手に持って、面をばっちりキメました。
肝心でない時だけ、いつも近くに落ちているのですね、ランダムな鈍器が。
……あ、ツキミ、動きません。
死んだのでは?
時間は少し巻き戻って、こっちは”もう片方”の内部にいる我です。
我ながら急ごしらえのベアトラップでしたが、うまくいきました。
びたりびたり、人間のような姿をした、ほとんど這いずる白いもの。
単に離れるだけでは我から逃げるのは不可能です。
前へ後ろへと、シャトルランのごとく、只今てこてこと歩いて追いかけております。
「なんで、なんで」
「我が問いに答えて差し上げましょうか!」
じゃーん、と、それの隣に突然、現れてみせます。
すると彼はぎょんぎょん鳴いて進みを早めました。
ぎょろりとした大きな目玉が真ん中にひとつ、ずっと涙を流しており、ヒトともタコともヘビともつかぬ半端な足取り。血管の大きく浮いた人の形の肉の固まりに散見される、やや常人よりも数の多い大きな顔のパーツはそれぞれうまく機能せず、ばらけて動いている様子。
当然のごとく、もはや彼が辿り着く場所は、前か後ろ、201から205、209から206の文字のいずれかのみ。
天井には電灯、床にも電灯。
並行世界の予期せぬ増殖を防ぐため、もともとの「三人A」にはまことに残念ながら、予定通りの運命を辿っていただきました。
汝らからすれば最初に声をかけてきた、さっきまで我と行動を共にしていた新たな「三人B」は少し時間を遅らせて増やした全く同一の個体たちです。
なんせ、この我の左右を行き来し必死に走っている白い彼は、数多の世界より完全に消滅させてしまうにはあまりにも釣り合わぬ存在だったもので。
ですから我は彼の一切合切を滅ぼすのではなくって、この世界、この場所で存分に元々の役割を果たしていただいてから、三人Bの前からのみ、消えてもらうと決めました。
この三人A、Bのすり替えには同個体のつじつま合わせのためにも、肝試しの部分が行われ、彼ともどうにか接触させることが絶対条件だったのです。
だって、なるべく元に近く、より分岐内容がシンプルでなくては、その後の事象は我自身にすら想像できません。
それならばと、我は三人の他にもう一つだけ、あるものを増やせば万事解決と気づいたのです。
”心霊スポットが増えた未来”であればシンプルです。
ええと、つまり、心霊スポットがひとつ増えた、彼のいない未来がひとつ生まれますね。
そのはずですよね?
ああ、我これ大嫌い。頭が痛いのなんの。
とにもかくにも、もともと対に造られた四階建ては、例の”06”からなる三階建てを複製して縦回転、丸ごと、くるっとぽいっとちゃぶ台返し。そうするだけで綺麗に重なってくれました。
文字は上下が逆さですから、今は509とも言うべき206の部屋へ、天井をぱきぱきと踏んで、3Dモデルのように建材を貫通して途切れている両端の階段へと何度も何度も向かう彼をこの目で追いつつも、我は汝らのために一応、206のドアのレイヤーをばきばきと重ね増やし、ばきり、と壊して開きます。
アマサはこれを“変な匂い”として感じたと。
届かぬようにと気を遣ってすらおりましたのに、底知れぬ子。
知らないのですから、変な匂い、とは当たり前の表現です。
我が旧友は、これからもずっと、そんなこと、知らなくて結構。
我には馴染みのあるものですが、それは、平凡な人生を送るぶんには、ほとんどが知らない、いいや、なるべくであれば我だって嗅ぎたくない匂いでしたから。
アマサ、ツキミ、トモエ。
部屋の中で喰い方も知らぬ者に喰い荒らされている、それぞれのしかばね。
すでに我の力によって、腐食、分解は順調に進んでいます。
アマサは向こうを向いて死んでいるのですね。
だけど、きっと、揃ってあごを開いた間抜けな顔で、生前の面影を残しているのでしょう。
我は全てを見ていますゆえ。
意外にも、最初に犠牲になろうとしたのはツキミだったのです。
それから、トモエ、アマサの順に。
生まれてまもなく、恨みもなく、ただ、たまたま居合わせただけ。
どのみち彼も、しばらく人を食い荒らして、結局は退治される運命。
なるほど、なるほど。
ここからは出られないと本能で悟ったのでしょうか。
やはり、我のすぐ後ろで、べちょり、通りすがる彼が首を傾けました。
「ううう、おお」
裏返った口から大きな腕が数本、こちらに向けて勇み足。
「懸命な判断とは言えないのでは~?」
数センチの距離ですが、汝らとのおしゃべりの時間を増やして作るのはあの三人を救うよりも簡単です。
そこには風さえ吹かず、ただ腕は内部の”かさ”を増して、ずずん、我の前に落ちました。
それから、これからの邪魔になるので、ぱちんと爆ぜていただきました。
爆ぜた体液の中の小さなツブツブが、また握りこぶしになって我に向かってきます。
そうそう、彼が先ほど書いた”死から生まれた怪物”ですね。
「ふーむ、気持ちを汲みたくもありますが、我と数で勝負するのはいただけませんねぇ」
むなしき抵抗は、むろん全て藻屑となりて。
「ネイティオ姉貴さぁ、なんか仕込んでない?」
ここは気絶から目覚めたツキミの家の前です。ご家族は外出中ですね。
ああ、汝ら、そちらの我のほうに戻って構いませんのに。こっちの我は比較的ヒマですよ。ただ大いなる責任をもって彼女らを順番に家に送り返してゆくだけです。
「ホモなんだろ?」
「いいえ」
まあ、返答は見ざる、言わざる、聞かざるです。
最も空虚で、おのれの価値を正しく知る女の子。
今日の汝らには何も起こらなかった。安心して眠るがよろしい。
お風呂には毎日入りましょう。今日なんかは特にじっくり浸かるが吉。
「俺もソーナノ」
ひとまず、意味不明なスラングに一安心です。
「シラキツキミ。ゆっくり、特に、頭を洗ってくださいね。それでは」
「や、それは面倒——
も大いに結構、それも人の生きかたでしょうが、もしかすると、さもなくば、ああなってしまうことでしょう。
ああ、腐敗や分解というのはけして特別なことではなくって、死骸の処理を我の力を与えたウジとバクテリアに一先ず任せているだけにすぎず、こっちの我は滞りなく、着々と歩みを進めておりますゆえ、心配ご無用。
「なんで」
ええ、我は極めて平等ですから、彼の経験もしっかり感じております。
殺した相手が再び現れて、しかも今度は殺すこともできず、歯車のようにがっちり噛み合っただけの、ほんのすぐそこ、すぐのすぐ隣の建物の中をひたすら、今度は追われる身になって、決まったコースを延々とうろうろさせられるだなんて、いま、彼はさぞやもどかしく、恐ろしいことでしょう。
「汝ら。しかし、いわば、これは我の生み出した、彼のためだけの空間なのです」
ですから、わざわざそうしたのです。
彼、いえ、ほとんどの彼らは知能というものを持ちません。
ずうっと、この汚いガラスケースの中をぐるぐると巡ることしか知らなかった彼は、驚かすというよりはただ通り過ぎることすらも選べたけれど、今日というある日、不幸な気づきとともに、不幸なものを、気の向くままに食い散らかしてしまったのでしょう。
「美味でしたか?」
尋ねておいて何なのですが、そんなものはわからないと知っていました。
彼は懸命になにか特性のようなものを振るっておりましたが、ただ下から順にぼこぼこと爆ぜていくだけで、我のうちの一つにすら届くことはありません。
ですから我は、それがあんまりに哀れでしたから、彼を動けなくするようつとめて、こうして歩いているのです。
「へんだけど、あたし、なんだかアリスちゃんと、もう会えない気がする」
怒ったご両親の隣のアマサがぐさり直球、我に言いました。
「汝はどうしてそう思うのですか?」
家の中から話しかけると、ご両親はアマサを抱えて前にすっとんで行きます。
それなりの動揺が伺えますが、今はそれは大切ではありません。
「あたし、今日、ほんとはたぶん、死んでたと思う」
何をバカな、と涙目のパパがアマサを抱きしめています。
そして、ママからの、我に対する敵意。
もし何かを感じているのであれば、親子揃って大したものです。
「お二方、アマサ、心配は無用です。オダンゴアマサはたぶん、天寿を全うしますゆえ」
やっぱり我は、御託を並べるほか、アルカイックスマイルを浮かべるしか能が無いのでした。
「さあ。汝、もういいでしょう」
彼の壊れた体が我によってさらに壊され、まともに機能しないことを確信し、そっと、その崩れた頭部に手をやります。
「なんでえ、なんで」
その、うわ言のような悲しい叫び。
ぼとりぼとりと落ちるねばっこい涙。
きっと、それこそが汝の本能であり、本心なのでしょうね。
ええ、死別がありましたね。無念なのでしょう。
いわば彼もこの世のルールの被害者なのです。
我は彼にふぁさ、と、自慢の髪をまとわせてやりました。
彼が傷まないように、しっかり、その大きな瞳で、この髪の中の全てを覗き込めるように。
「なん……」
嗚咽はぴたりと止まり、彼の世界も同じく、一瞬だけ止まります。
その一瞬に感じた永遠とは、どれほどのものなのでしょう。
我はそもそもが永遠ですから、永遠は恐ろしくなくて、過ぎる時間には苦痛を一切感じません。
人は永遠や無限を、怖い、とよく考えますね。
ええ、同感である予感がするだけに、我はあまり自らを振り返ることをしないのですね。
だって、もしもその中で少しでも怖いと思ってしまったなら、それはこの世の中で唯一、人になどではなくって、我にだけ無限につきまとってくるものですから。
あるとき、ぽつりと落ちた小さな涙を最後に、彼の涙が止みました。
そして我にはっきりと、こう言ったのでした。
「わたしはいま、死ななくてはならないのですね」
きっと、それはまったく、その通りなのでしょう。
彼の目に恐れはありませんでした。
「ならば、どうぞ殺してください、はやく、はやく」
「早くという認識は違います。そして、この訂正が我が汝に与えられる知恵の全て」
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」
我はずぶずぶと、自分の核に手を伸ばしているようでした。
「これも、わたしという存在もまた、螺旋を舞う土埃」
螺旋というのも、似ているようで少し遠いのですが、それでも構いません。
一瞬のえづきのあと、彼はそのどくどく脈打つものを我に差し出してきました。
「どうぞ、さあ、お願いいたします」
「むろん。また、どこかで汝にも会いにゆきましょう」
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありが——
会話はそこで、我のまったく意図していなかったタイミングで、不自然に途切れました。
「本当にご迷惑をおかけしました!」
母子家庭、親子ともども頭を下げたのは冷静になったトモエです。
「いえ、我が言い出したのです、どうぞ何なりと」
嘘をつきました。
トモエのママは少し、精神的に弱そうな気がしましたので、分身の”つかみ”は抜きです。
「アリスさん。おかしな事がひとつ、気になっているんです」
「はい、言葉をまとめなくて結構、我が全て答えましょうとも」
「……今の……私は本当に……私なんでしょうか」
「それは、トモエはトモエでしょう」
トモエは、そうですよね、と、もう一度、浅い浅い答えを返した我に頭を下げて、ママにもまた、もう一度謝ってから、その手を取って玄関の中へと消えていきました。
どれだけ浅かろうと、”厳密には違う”と、そんな風には言いたくありませんでした。
この世界では、亡眼に喰われて死ぬのがカケハシトモエ。
汝の死があり、汝も知らぬ何かを前に進めるのが本来の運命。
汝はどこかをねじ曲げられた存在なのだと。
そんな事をねじ曲げられた者自身に言って何になるというのでしょうか。
さあ、そろそろあやつの元へと。ぼんやりした我。
そんな事をふらっと考えておりますと、がちゃりと、ふたたび、トモエが玄関を開けて現れました。
「あ、あのっ、また明日! 私達は、もう友達だと思います!」
それでは、と、裏返った声でより強く玄関を閉めるトモエ。
我は、ほんの少し気分がましになって、ひらひら、玄関へ手を振っておりました。
「ぎいぃあああああぁ——」
悲痛な叫び声、皮を剃り上げられた心。
表面からはぷつぷつと青い体液がまあるく滲み出してきて、その不細工なラズベリーは手元を離れればごく自然に地に落ちて、だけど、たったそれだけの衝撃すら、彼にとってはひどい苦痛のようでした。
「教えをおろそかにしてはいけないよ、アン・バースデー」
びちびち跳ねる彼の腕部に見えるパーツを踏み潰してから、どこからわいて出たのか、あやつは、彼女は大きく跳ねた一、二本の自らの髪を気にしてぷちりと抜いて、それを捨ててからこう言いました。
「すすんで裁きを下しなさい」
「教派が我と違いますねぇ」
M・カインド。
うすい水色のセミロングの髪に、神秘的な、これまた薄く、大きいサイズの純白の衣。
ワインの飲み過ぎによるふらふらの体幹、なにゆえか、骨がうっすら見えているのに、そこだけ我よりちょっと良い胸の肉づきと、うつろなる真っ赤な瞳。
頭の上に浮かんだ輪っか、いえ、正しくはまぶたの中には本来、我という目玉が入るのですが、ああ、もう真っ赤な我が入っておりましたか。
それは向こうの我が無事に三人を送り終えたということですから、まあ良しとしましょう。
だから力を使ってここまで来れたのですね。ちっ。
「なんでえ、なんでえええ」
「我だけに光あれ! 汝らにはただ闇あれ!」
ぶち、と、核の隅の端だけを、足の爪先でえぐり潰しました。
「おおお、ううう、ぎいい」
「さあ、アン、いっそ音楽の奴隷となってみせようか」
カインドはさらに外側を細かぁく、ぷちゅ、ぷちゅ、ぷちゅ、ぷちゅ、と花の形を作るように潰しながら、ひどい苦痛のジュークボックスを秤にかけて、我にたった一言で強いました。
我はといえば、このくだらない苦痛をさっさと終わらせてやるために、やむなく真紅の刃をぎらつかせ、大きな大きな鎌となって、彼女にされるがまま、握られています。
彼女はその感触にまるで娼婦の仕事を心から楽しむ少女のように笑って、ああ、と愛おしげに頬ずりをしてから、我をひとつの怪物、みっつの建物、あるいは地の核すらめがけて振り下ろしたのでした。
おわ~。
振り下ろされながら言うのもなんなのですが、
この場所、有名になるでしょうね。
ただよう二つの線、暗闇、星と星。
我は常にそこに大地を見出し、彼女はといえば自分のルーツという、ひとつの目印に座っています。
石造りの家の中、家具はあまりなし。
窓の内でも外でも変わらず、無限に広がる二本の曲線を覗き込むだけ。
時に眠り、時に旅立ち。
我の目の前にも、まばゆく輝く、やわらかな、ねじれの鎖がいくつもありました。
ここでは退屈が全てです。
「小さなメビウスの輪の集合にひとつの輪が編まれ、それがまた編まれて、さらに大きな輪が作られる。けして回っているんじゃない。進み続けているんだね。それは永遠に続く道で、また、それというのは、その道を歩く途中、私達だけが特別、苦としないものなんだよ」
土産のワインをくぴくぴ飲みながら、波で途切れた荒野に座ったカインドが言いました。
「あまり考えすぎると熱が出ますよ、汝はアホをこねて作ったアホなのですから」
「遺伝子を生むものとは、やはり遺伝子だよね。そうして二本がちょうど交わって、輝かしく、点にまでなった場所が終焉だ、君は結局その線の上にいた」
「汝、なにか嫌味を言っているのですか?」
「そうじゃないよ、アン」
また、ワインを瓶ごとくぴり。
くっちゃくっちゃと下手くそなテイスティング。
「これ、おいしくないよ! アンの行った地点のものだ」
「適当なところで買ったからでしょう」
「ううん、だけど、すごく大きな店だったんだけどなあ」
「汝は古代人ゆえの大きな勘違いをしていますね」
さっきまでひとつの我が汝らに語っていたのは、その交わり激しくきらめく点、すなわち終焉のほんの少し前でのできごと。
我もよく”どっちにしろ”とか”どの道”とかいいますが、結局全てがねじれた線なのです。
始まって、分かれて、終わって、また始まって。
大きく大きく、その繰り返しが続くだけ。
「肝試しっていうんだっけ。それ、楽しかったかい?」
「ええ、汝といるよりかは、ずうっと」
「私もやってみたいなあ」
「仮にお化けがいたとしても逃げていくでしょう」
「アンはこれらのどこかにお化けがいると思う?」
「探さずとも、我のすぐ近くに」
カインドはワインをざくり、砂のテーブルに置いて、アンだなあ、と我の背中を不意に抱きしめました。
こんなに殺意のわくバックハグ、我もこんちくしょう、望むところといった気持ちになります。
「何千年ぶりだろう」
「今回はたかがトータル数百年の出来事です、不本意にも」
「そうだっけ。けど私だって、運命が再び定まって、ひとつのアンが帰ってきて、それから迎えに行くまでは、きちんと一段落つくまで待っていたんだよ。考えて力を使う利己的なアンは珍しいから、何か面白い事が起こるんだろうと期待していたんだけど、まったく、学校に通ってみたいだとか、何の力もない、たった三匹の子羊を助けたいだとか……」
我と同じ髪質の原始人が、何やらうだうだ言っております。
「いいなあ! そんなのずるいじゃないか、私も一緒に通ってみたいよ!」
まあ、このアホのミトコンドリアに対し、汝らの中にはちょっとした愛嬌を感じる者もいるかもしれませんが、そんな考えはすぐに捨てるべきです。どうせすぐに悪い病気が出るのですから、たぶん、説明の必要すらないでしょう。
「さて、アン?」
ほうら、耳元囁きタイムです。そろそろ来ますよ。
「あそこの光が見える?」
「光なんてそこらじゅうにあるでしょうに」
「見えなくても構わない。向かえばわかる事だよ。罪人がいるんだ」
声が怒りと快感に震えているのがわかります。
また勝手に侮辱を受けたのですかと思いきや——
あれま。
あれは三人の世界の、数多ある分岐の一つでした。
その光の先のひとつの編み目がほころんで、ぽろぽろと崩れ始めています。
ううむ。結局、何か失敗したのですね、向こうの我。
「その代わり我、これが終わったら休暇をもらいたいところ」
「きちんと戻ってくれるなら、今回に限り、構わないよ」
我は大きくため息をついて、膝下にまで深く沈んで、すぐにロケットのごとく立ち上がり、どっこいしょとあごに頭突きをぶちかましてやってから、尻もちをついた彼女に言いました。
「もちろん、今回に限ってでしょうとも」
「ふふっ。痛いよ、アン」
わずかな間があって、すっと差し伸べた手が我を握ります。
あの三人とも、他の誰とも違う、よく知った手の感触に包まれる。
すなわち、この憎き手とは、我の手の感触なのでしょうね。
「真っ赤な光だ。神の子が母の腹を農具で突き破る。羊のスープをすすり、瞳を開く」
彼女は瞳孔をぎゃんと開いてアルカイック・デモンズスマイル。
我はもちろん、アルカイックに笑っておりますとも。
さて、ひと眠りして、なゆたの先からなゆたの先へ、増えては潰して増えては潰し、不仲が踊る社交ダンスのごとき我らと我らの冒涜的バケツリレーによる長い長い旅路に一区切りがついたのを感じますと、周りにはぞろりぞろりと異形の者。
カインドはそれらをガン無視して、まだ話を続けていました。
「つまりDNAなんだよ、それを裏切り者とは……アン? 聞いてる?」
「我はたぶん、DNAの話を聞いていたはず」
「ふふ。ちゃんと聞いてくれてるんだ。大好きだよ」
そして、べろりと長い舌を伸ばして玉座におわす、何らかの強靭な者がクククと笑います。
「わかるぞ。世界の果ての殺戮者だろう。お前の事をずっと前から感じていたよ」
追記になりますが、こちらもまた、よく喋っておりましたね。
なんか、要するに、あのなにかが、どん底から全ての”特性”の頂点にのぼりつめたそうです。
たぶん隣の人間っぽいのが、重要ななんかをなんかしたみたいですね。
「さあて、神の瞼どの。次に磔にされるのは果たしてどなた様なのだろうかねえ」
たしか、この辺りで地面がグワッとなって、ワーって感じの戦いが始まりました。
まあ別に、特には。特筆すべき点はなく。
「うぅむ、何をどう間違えればあの地がこうなるのやら」
まあ我も、世界線とか、時間軸とか、いちいち理解してはいられません。
おそらく異形の一体一体がなにか、征服に値するなにかなのでしょうけれども。
我、すなわち刃にわずかにつく血。
彼女はすでに派手な色の血しぶきの中、目を閉じもせず、両手を広げて恍惚としておりました。
「やっぱり世界の終わりは気持ちがいいなあ」
さて、遺伝子とかメビウスの輪とか、あのアホアホの付き添いのことなどは結局どうでもいいのです。
本題とはまるで違います。
筆を取る我がまた代わりましたゆえ、話がそれて申し訳なく思います。
うう~む、そうですねえ。どう切り出したものか。
そうだ。カインドに言っていたこと。
我がのちにいかなる休暇をとったか、当てられますか?
ヒントは汝らにも共通する時間です。
夕暮れ時。
答えは今まさに、この我が書いているところ。
「アリスちゃん!」
夕陽のオレンジと制服の青を絵の具に混ぜて広げれば、ある人は醜いと感じるのでしょうし、また、ある人はそこに限りなく美しい生命を見出すのでしょう。
「なに書いてるの?」
こちらはアマサ。
汝らから見れば、あの後しばらくして、すっかり心配が徒労に終わったアマサです。
いなくなるつもりでいましたからねぇ。
いやはや、本当にすごい子です。
かなり神寄りの神もどきの計画を覆してしまいました。
「日記です。徒然なるままに~」
「アビゲイル姉貴さぁ、絶対あたしらに隠し事してんだら? 教えてくれよな~頼むよ~」
「ふぅむ、我も汝のために少ぉし勉強しましたが、注意することすらもネットミームになるなんて、彼女はかなり恐ろしい特性の持ち主といえるでしょう」
いやぁ、我にも見つけられないとは、恐ろしい女の人です。
「特性……まあ、そうですね、わかっていただけたんですね、よかった」
トモエがツキミをチョークスリーパーで絞めながら安堵しております。
うぅむ、相変わらずすごい。服のしわがああまで伸びるものか。つまりツキミの背面はおっきいむっちむちをみっちりと押し付けられながらも、男に負けないよう、フェミニストゆえ、大きな血管の位置を心得ている彼女の腕にかかればちゃんと相手は息苦しくなり……おや、視線がありますね。ほほーう、汝ら、男子諸君、さては、ちょっと羨ましいのですね。
その中でも特に本気寄りに羨ましがっている真性の——
「汝、我でよければ、真正面から”ぎゅーっ”てして差し上げましょうか」
背後から現れる我。もう片方はこっそり爆散。
うわあ、と解散する男子諸君。
したり。
まあ、トモエなら可能性はありましょうとも。
恋が成就するとよいですねえ。
……ふむふむ、まあ、たわむれですとも。
ぺそぺそぺとりと手をやれば、もう少しほしい音がする。
三人はこんなの、もう慣れっこですから、絞められっぱなしです。
筆を取る我も、もちろん、難なく交代。
「おじさんやめちくり~!」
「本当に殺しますよ! LGBTQの方々を侮辱するコンテンツです!」
「レグブトキュって何だよ(哲学)」
ファッションフェミニストのメガネと、終わってるオタクも相変わらず。
カラスがかあかあ鳴いて飛んでいます。
「あ、それで思い出したわけじゃないけど……待って梯、大事な話」
数回のタップであっさり試合を終えて、素の喋りのえげつない温度差を教室に見せつけるのは、やっぱりツキミでした。
「ガチだったらしいよ、あそこ」
こっそり震え上がるのも、やっぱりトモエです。
「な、何がですか、あそこってなんですか、性的な表現はやめてください」
「いや、なんか、出まくってるらしい。片側の造りも、あたしら行かなかったほう、切れ目? みたいなとこからドローンで撮ってる奴がいたんだけど、めっちゃヤバかった。上下がグチャグチャっていうか……見ればわかるよ、あたしらが行った時と今じゃ様子が全然違う」
「ドローン」
しまった。
う~~む、そのとき、そのときのテクノロジー。
「本格的に警察が動いたからもう入れないっぽい。いやまあ、その気になれば絶対入れるんだろうけど、あれ入りたい奴いないんじゃないかなあ」
「警察って、なんで警察が動くんですか、それに造りって何ですか、出るって……」
「骸骨。三人分出たって」
どさり。
トモエ、また屈しました。
お手本のような女の子座り。
ちなみに、我もちょっと膝を折りたくなっておりますね。
建物の発見は想定内でした。それはアホの乱入で割り切りました。大した事はありません。
でも、なるほど~。
骨、ウジ、バクテリア。
「だいぶ前の骨らしいよ、かなり経ってるだろうって」
ほほーん、彼らはあれだけ力を与えられながら”かなり経ってる”くらいの働きをしたと。
あれだけではちょっと足りなかったと。
微生物の博士でも監察医でもないのに、やった気になっておりました。
我はちょっとお馬鹿さんですが、何よりも、あのアホアホのアホアホ星人が現れたせいです。
すっかり、確認を忘れたまんま立ち去っておりました。
これだから我、我の力が好きになれないのです。
「うそ~!」
ですから、うそ~! ではないのですよね、アマサは。
トモエの反応が正常です。汝はちょっとおかしい。
つまり、だから、骨が出た世界、その身元が、ええと、見た者が、あ~、もう。
我作、不出来なわけのわからん世界線がいくつも誕生してしまいました。
一つの蝶の羽ばたきが——
そんなくだりは汝らには必要ありませんね。
もうおわかりでしょう、つまりは我は汝らよりも自由でありながら、ことごとく不自由なのです!
「いや、だから、いた奴の正体もなんとなく、つじつまが合うっていうか」
おお。
金田一の推理タイムは我からすれば若干のタイムラグをおいて、続くようです。
「ドア、開けちゃったんだよ、あの時。いやに荒れた部屋に、後からかけたっぽい鍵があった。で、騒動はその後。つまりさ、あたしら、あそこに元々閉じ込められてたものを外に出しちゃったかもしれない」
「ま、回りくどいですよ、何が言いたいんですか」
「三つの骸骨。三人分の”身元不明”の。それって男か女かもわからないんじゃん。死んだ女の霊はいてもおかしくないし、頭の数も、ぴったり三つって事はさ、最悪、あり得るよ」
「なになに? どういうこと?」
「あのさ、あの窓、覚えてる? あたしらから向こうの部屋の窓が見えたって事は、向こうの部屋の窓からも、ほら、あたしらの居た、あの部屋が見えるって事じゃん。もしかして、噂を流した人って、隣の建物にまだ入れたころに、ちょうど向かい側の窓からそれを見たんじゃないかな」
わかりますよ、回りくどいのではありません。
ツキミは今、空気を作っているのです。
「死んだ三人、頭は三つ。施錠された荒れた部屋と、向かい合った窓。調べた情報の全部が全部正解だったとしたら、もしかして、その人が見たのが人間であれ幽霊であれ、頭が三つあったのは——」
それにしても話の持っていきかたが、やけにうまいのですね。
さあさあ、渾身のオチをどうぞ。
「あの部屋の中から、三人それぞれ首を傾けてすりガラスの向こうを覗こうとしてた、閉じ込められた何者かだったんじゃない?」
トモエは、ギッ! と叫んで息絶えました。
伝えるまでもないでしょうが、アマサはこわいよぉと言っております。
ちなみに全然違います。
我が原因を倒しました。
「いやないよ、ないない。さて梯の財布ど~こだ」
「泥棒だよ? 白黄さん」
「友達料。ナニ友情に甘えてンの?」
「白黄さんが取り立てられる側なんだよ?」
汝らの多くが生きる時間。
永遠の中の八十年や九十年、もしかしたら百年。
あるいはそれ以上、たとえば、もっともっと、それ以下。
謎の愛着と、相対的に言えば気まぐれにも劣る数秒の、それ以下の時間。
たった数年間の蝶の羽ばたき。
息をしているだけでも増え続ける世界。
こんな我Aのちょっとしたはためきごとき、なんだというのでしょう。
彼女らはまた家に帰って、明日もここにやって来る。
「アリスちゃん!」
「五条悟姉貴~」
「アリスさん」
ええ。
我も、もう少しばかり寄り道、していきましょうとも。
さあ、我の休暇はこれにて終了。汝らともそろそろお別れです。
あの我は最後に、人間として無理やり生涯を終えたようですね。
むろん、
「おお、我。我に何か御用でしょうか」
会おうと思えば簡単に会えるのですが。
さあっと雨の落ちる夜、実はまたもや家出をしたこの我はふらり、彼女のもとへ。
我が増やして差し出した傘を、彼女は拒んで、その身をただ濡らしています。
湿気たベンチにぐしょりと腰をおろし、交互に空を蹴る長靴だけが水を弾いていました。
「さも誰か死にそうな雰囲気ですが、殺しに来たわけではありませんゆえ」
「もちろん、我は死ねません」
隣に立って、ちょっと傘を閉じてみました。
ひたひた、ぽたぽた、冷たい雨でした。
「汝を待っていたのです。風邪をひいてしまいますよ?」
粒が跳ねるように彼女は我の顔で微笑んでみせて、我に言いました。
「長いものです、百年間」
我は首をかしげます。
長い百年とは一体どういうものでしょう。
いいですか、と、彼女はこちらを向いて人間のように、その胸にそっと手をやりました。
「三十年から二十年、それから数十年、すごくすごく、長いのです」
彼女はひとつ間をとって、線をしぶきに変えてぱしゃんと立ち上がり、透き通ったワインのシャワーを存分に浴びてから、両手を広げてみせました。
「だけど、この『初〆目 有理数』を、我は気に入りましたゆえ」
そして、目をはっきりと閉じてにっこり笑うと、大きな音で一度、手を叩いたきり、我の目の前から、すっかり消えてしまいました。
それはよく、よく見慣れた踊りの動作でした。
その破裂とは何度も見た破裂でした。
でも、彼女はなにゆえか、わけもなく、自ら生命を散らしたのです。
「この我はおかしな冗談を言いますね。我の名前はアン・バースデーです」
ふたたび、先ほど耳にした小難しい名を否定するように、力すらも使って、思い描いては呼び出そうとするけれど、どうしてだか、それができませんでした。
何をしたって、雨に濡れるだけ。
「アリス」
ようやく名前を呼ぶころには、雨はすっかり止んでおりました。
それでも彼女はどこにも見当たりません。
いっそ、と、生きているところまで増殖して、あの赤、青、緑を見にゆきました。
「なにか動いてると思った!」
再び出会った彼女らは相変わらず彼女らでした。
はじめは、この気持ちの悪い穴を埋めるため、同じことをしてみました。
ですが結局、あのアリスにはなれませんでした。
それから我はむきになり、次から次へと全く違うことをしてみました。
あっちへこっちへ、全く違う運命を辿るところを見てゆきました。
だけど、いつになっても、世界のどこにも、アリスはいませんでした。
無限の我の中、どれだけ我が増えようとも、とてもとても、二度とあんな風には笑えそうにないなんて、そんな風に思ってしまって、我は気づけば道の途中で歩くのをやめて、驚くべきことに、足の止まったまま、流されるように、つまらない、二本線と光の浮かぶ視界へと戻っていたのです。
「アンじゃないか!」
カインドはぱあっと笑います。
大嫌いなその笑みが、この我にはなぜだか少し暖かく感じられて、そんなつもりなど全くなかったのに、ぽろり、きわめて、不覚にも涙を流しました。
わっと驚く気色悪い姿がにじんで見えます。
「ど、どうしたの!?」
うろたえる彼女。
我はたぶん、普通の反応をするのはよせと言いました。
「ああ、アン、よほどの事なんだろうね、ええと、話してごらんよ」
不慣れな彼女は、手に持ったものから察するに、ワインの味や成分、もしかするとちゃぽちゃぽする音と、あるいは直筆の、オリジナル聖書の読み聞かせで我の機嫌を取るつもりのようです。
「休暇中、友だちが三人死んだのです」
それはたぶん、我の物語でありながら、我の物語ではないものでしたが。
馬鹿らしいこと極まりない。全てわかっていますのに。
我の知っているカインドは絶対にきょとんとして、新しい友だちを作ればいいと言います。
「ひとりは病気、もうひとりは突然倒れて、最後の一人もやはり病気でした。みな、十分に生きました」
もう、それでも勝手に続けてしまおうと、いっそ、滑落するように口を転がして。
「それぞれがしわの増えた、かさかさの薄汚れた手で、我の手を握りました」
力強く笑って、またね、と。
冗談っぽく、明日あたり死ぬから、と。
気恥ずかしそうに、見られたくはありません、と。
有限のシステムが無限を望み、その果てにおののくのは、必然が恐ろしいからなのでしょう。
未来はおろか終焉へと好き好んで赴くこのアホに、人間に似た怪物の気持ちなど、わかるはずもなく。
薄い布がばさりといいました。
意外にも、我はやわらかな真っ白い繊維と、晴天の水色の糸の中にぽふりと沈んでいました。
流れのそのままに涙を拭われて、ただよう優しいアルコールの匂いに、喉の奥を鈍らされています。
「そう。アンは私に欠けたものだから、それはきっと、さぞかし、つらいんだろうね」
またもやまたもやの、想定外。
でも、思い返してみれば、この日記の中身は想定外のことだらけでした。
「ええ、友だちのいない汝とは違いますゆえ」
こんな怪物にすがって泣いて、情けないったらありゃあしない。
もしもこれを読む汝がまことの神であるのなら、人間ごっこはほどほどになさいませ。
「私の友なら、アンがいるじゃないか」
「なんと重く悲しい思い込みを」
心の鼓動は星の瞬き、短い短い百年間の一本線だけが、深く刺された傷のごとくうずいておりました。
これにて我の日記はおしまいです。
書いてから気づいたのですが、僕はほのぼのした女の子から最も遠い陰でした




