私に執着している幼馴染へ、貴方はお呼びではありません!
婚約者が欲しい。
十五歳にもなって、貴族令嬢なら当たり前のたったそれだけの願いが叶わない。
ミリアムは深いため息を吐き出した。
彼女の隣でにこにこと笑っている幼馴染が全ての元凶である。
マルク・ボファン伯爵令息。彼はミリアムの恋路を邪魔する天才だった。
彼は「僕がミリアムを一番愛しているんだ!」というお題目を掲げて、ミリアムの婚約が決まりそうになるたびに横から邪魔をしてくるのだ。
幼い頃からそうだった。
マルクはなぜかミリアムに酷く執着していて、彼女のやることなすこと全てに口を出してくる。
お気に入りのぬいぐるみを取り上げて、泣く様子をにこにこと見ていたり、わざと間違った道を案内して庭園で迷子になって泣きじゃくる様子を観察したりと悪趣味に事欠かない。
「マルク! いい加減にして!!」
ミリアムはとうとう我慢の限界だと叫んだ。
新しい婚約者候補とのお茶会だったのに、どこから聞きつけたのかマルクが邪魔をしてきておじゃんになったのだ。
お茶会の会場から場所を移動してもついてきたマルクに、ミリアムは学園の庭園で振り返った。
彼女の言葉にマルクはゆっくりと首を傾げる。全然悪いと思っていない表情だ。
「どうして? ミリアムは僕のものなのに」
「貴方のものになった覚えなんてないわ!」
幼い子供が自分のおもちゃだと主張するような幼稚な言葉にミリアムが言い返すと、マルクの瞳がすっと細められる。
「なんでそんなことをいうの? やっぱり閉じ込めちゃおうかな」
ぞわっと背筋が泡立つ。にこにこと笑っているはずなのに、全然笑っている気がしない。
ミリアムは眉を寄せてその場から逃げるように走り去った。貴族の令嬢が走るのはよくないのだが、マルクから逃げるためなのだから仕方ない。
駆け去ったミリアムをずっと見つめていた視線に気づかないふりをして。
▽▲▽▲▽
(そもそも! どうして! マルクは私に執着しているのよ~……!!)
逃げ込んだ図書館の片隅で椅子に座って頭を抱える。
マルクの目的がわからないのが怖かった。彼は「僕と婚約しようよ」というけれど、幼い頃からの所業を見ているミリアムはマルクとの婚約だけは絶対に嫌だった。そのことは両親にも伝えてある。
両親は「ひとまずミリアムの好きにすればいい」と静観の姿勢だが、このまま学園の在学中に婚約者が決まらなければ、強制的にマルクと婚約させられるだろう。
父も母もマルクが善意でミリアムをかまっていると思っている節があるのだ。
「ううー」
唸っても解決しないとわかっているが、思わずうなり声が出てしまう。
頭を抱え続けるミリアムに、背後から声がかけられた。低くて落ち着いた声音はマルクのものではない。
「困っているようだが、手助けは必要か?」
「……?」
聞きなれない声に不思議に思って視線を上げると、そこにはブラックモン公爵令息であるエドゥアールがいた。
ミリアムは伯爵令嬢だ。目上の登場に慌てて立ち上がりカーテシーをしたミリアムに、エドゥアールが小さく笑う。
「ああ、硬くならないでくれ。ここでは俺たちは級友だ」
「はい。ありがとうございます」
優しい言葉をかけられる。
ミリアムが座っていた椅子の一つ隣に腰を下ろしたエドゥアールに彼女も椅子に座りなおした。
沈黙が下りる。窓の外から聞こえてくる小鳥のさえずり以外の音が存在しない静かな空間。
そっとミリアムがエドゥアールへ視線を滑らせると、彼は小さく笑った。マルクの嫌な笑みとは全然違う、心が落ち着くような優しい笑み。
どきんと高鳴った心臓を悟られないように、視線をずらす。膝の上で手を握っていると「なぁ」と声がかけられる。
「あの男を追い払うために、婚約者を探しているんだろう? いいぞ、なってやっても」
「え?」
思わぬ申し出に慌ててミリアムはエドゥアールを見た。
机に肘をついてこちらを見ている彼の視線に悪戯の色はない。瞠目したミリアムに、エドゥアールが優しく笑う。
「その代わり、俺の願いを一つだけ叶えてくれ」
「願い……?」
「大したことじゃない。身構える必要はないさ」
願ったりかなったりな申し出だ。だが、エドゥアールのいう『願い』がなんなのかで変わってくる。
真剣に考え込むミリアムに、彼は小さく微笑んでこう口にした。
「つまり、契約結婚、ということだ。君は面倒な幼馴染を追い払える、俺は願いを叶える。悪くはないだろう?」
「……はい」
このままマルクと婚約して結婚をするくらいなら。
賭けに出たほうがいい。ミリアムはじっとエドゥアールを見上げて、頭を下げた。
「よろしくお願いします、エドゥアール様」
「ああ。よろしく」
軽い口調で返された言葉だけれど、その声音に穏やかな愛が感じられて、ミリアムの胸はやっぱり高鳴るのだった。
▽▲▽▲▽
学園では時折パーティーが開かれる。
夜会の予行練習として開かれるパーティーは男子生徒が女子生徒をエスコートするのが習わしだ。
婚約者が卒業している、あるいは入学していない、という事情があるものは単独での参加も許可されるが、基本的に男女のペアで参加しなければならない。
いままでミリアムは嫌々マルクにエスコートされていたが、今回はエドゥアールがエスコートしてくれるとあって心が軽かった。
いつも以上に綺麗に着飾って、新しいドレスに袖を通したミリアムは髪をメイドの手によって丁寧に結い上げ、エドゥアールから贈られた髪飾りをつけた。
マルクから「今回もエスコートしてあげるよ?」と言われていたが、きちんと断った。
彼は最終的にミリアムが泣きついてくるのを期待しているのだろうが、そうはいかない。
今までの婚約者候補はマルクと同じかあるいはそれより下の貴族だったから、彼に強く出られなかったがエドゥアールは違うのだ。
それでも心臓はどきどきとうるさい。会場に入る寸前で足を止めたミリアムへ正装に身を包んだエドゥアールが穏やかに微笑む。
「大丈夫だ、奴がなにか言ってきても俺が盾になる」
「ありがとうござます。……もう平気です」
深く呼吸をして気持ちを落ち着けたミリアムは、エドゥアールの腕に乗せた自身の手に少しだけ力を入れた。
エドゥアールが仄かに微笑み、リードするように歩きだす。
(優しい方なのよね)
ちらりとエドゥアールの横顔を見上げて、ミリアムはそっと息を吐き出した。
何の思惑があって『契約結婚』を持ち出したのかはいまだ謎のままだが、ミリアムの中でエドゥアールの印象は悪くない。
少なくとも意地悪で執着心むき出しのマルクよりは百倍はマシだ。
学園で唯一の公爵令息であるエドゥアールの入場に場がわっと盛り上がる。
いままでエドゥアールが誰かをエスコートしていたことはない。それは「学園での勢力図を変えたくない」という理由だと本人からミリアムは聞いていた。
特定の令嬢を贔屓にしてブラックモン家の立ち位置を変えないためだ、と。
だが、今日のエドゥアールはミリアムをエスコートしている。それに気づいた令嬢たちの間にさざめきのように動揺が広がった。
彼を狙っている令嬢が多いことはミリアムだって知っている。
凛と背を伸ばしてエドゥアールの隣を歩いていると、ふいに目の前に一人の男子生徒が立ちふさがるように現れた。――マルクだ。
「ミリアム! 一体どういうことだ! 僕以外の男と……!」
ギリと奥歯を食いしばっているマルクの言葉につんと澄まし顔でミリアムは答えた。
「私は貴方の婚約者でも何でもないわ。婚約した殿方にエスコートされてなにがおかしいというの?」
「婚約?! ブラックモンとか!」
「呼び捨てとはずいぶんだな、マルク伯爵令息」
思わずといった様子で叫んだマルクの言葉にエドゥアールが眉を寄せた。
マルクはぐっと言葉を飲み込んだ様子で、一礼する。さすがは伯爵令息。綺麗な礼だ。
「失礼しました。少し、動揺しておりまして」
「君がミリアムに執着しているのは知っているが、やり方を間違えたな」
鼻を鳴らしたエドゥアールの言葉にマルクが顔を上げる。
その口元は常の余裕など忘れたかのようにひくひくと引きつっている。
「……なんだと」
「アプローチを変えればよかっただけだ。幼い子供でもあるまいし、お気に入りのおもちゃを壊すような真似をするからこうなる」
遠慮のないエドゥアールの言葉に、傍にいるミリアムのほうがハラハラしてしまう。
容赦のない指摘に図星でも付かれたのか、マルクがかっと顔を赤くした。
そして。
「エドゥアール様!!」
マルクが大きく腕を振りかぶってエドゥアールに殴りかかる。
だが、彼はミリアムを腕に抱きしめると、そのまま華麗にダンスのステップでも踏むかのようにマルクを避けた。
殴りかかったはずがよけられてたたらを踏むマルクの背を後ろからエドゥアールが蹴りつける。
無様に床に転がったマルクが立ち上がるより早く、エドゥアールが殺気すら籠っている低い声で口を開いた。
「ミリアムは俺の婚約者だ。今後も手を出そうとするなら、ボファン伯爵家は取り潰す」
「っ」
実家を盾に取られては、さすがのマルクもそれ以上言葉を重ねられなかったのだろう。
大きく目を見開いてがくりと項垂れたマルクの姿に、同情する気持ちは湧きあがらない。
ただ、これでわずらわしさから解放されるのだ、という安心感だけがあった。
パーティーも終盤に差し掛かる頃。
ミリアムはパーティーの喧騒から逃げるようにテラスにでていた。突然エドゥアールとの婚約を発表したミリアムは、クラスメイトを始めとする女子生徒たちから質問攻めにされて少し疲れたからだ。
風が涼しい。
パーティーは夕方に始まったが、すっかり日は暮れ周囲は夜のとばりに包まれている。
目を細めて少しの息抜きをしていたミリアムは背後からかけられた声にゆっくりと振り返った。
「体が冷えないか?」
「いえ、ちょうどいいです」
微笑んだミリアムの隣にエドゥアールが並んだ。一緒に庭園の綺麗に整えられた花を眺める。
ふと胸中に疑問が沸き上がって、ミリアムはそっと口を開いた。
「エドゥアール様の願いとはなんですか?」
契約結婚を結ぶ際に言われた言葉だ。『俺の願いを一つだけ叶えてほしい』と。
いまだ明かされない願いの内容を問うたミリアムにエドゥアールは小さく笑った。
「もう叶った」
「え?」
「俺の願いは――君が隣にいることだったから」
さらりと口にされたけれど、その言葉が意味するのは熱烈な愛の告白だ。
頬を朱色に染めたミリアムが「そ、れは」とかすれる声で問いかけると、エドゥアールはミリアムへと体ごと視線を動かした。
「昔、花畑で遊ぶ君を見た。その時に一目惚れをして――ずっと、君が好きだったんだ」
その言葉に、大きく目を見開く。エドゥアールの手が伸びてきて、髪飾りに触れた。
壊れ物を扱うような優しい手。
「でも、俺はずっと君はマルクの婚約者だと勘違いをしていて。家の手伝いもあって学園にはあまり顔を出せずにいたから、誤解が解けたのはつい最近だった」
思えば、エドゥアールはあまり授業に出席していなかったように思う。学園で見かけることも稀だった。
思わぬ告白に大きく目を見開いたミリアムに、エドゥアールはどこまでも優しく微笑んだ。
「望まぬ婚約を強いられようとしているなら、俺がもらってもいいだろうと思った。……こんな打算的な男は嫌いか?」
「っ。いいえ!」
ぶんぶんと首を左右に振る。髪が乱れたかもしれないが、気にしている余裕はなかった。
どきどきと心臓がうるさい。ずっとマルクに付きまとわれていたから、こうやって気にしてくれる人がいるなんて想像もしなかった。
「ありがとうございます。エドゥアール様。嬉しいです……!」
頭一つ分以上高いエドゥアールを見上げてミリアムは笑み崩れた。
契約結婚といわれていたから、愛のない結婚も想定していた。
それでも、マルクと結婚するより万倍マシだと思って受けた婚約だった。
けれど、そこに愛があるというのなら。
こんなにも嬉しいことはない。
エドゥアールの顔が近づいてくる。ミリアムはそっと瞳を閉じた。
二人の人影が重なって――初めてのキスは、とても甘い味がした。
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