魔女さまとの結婚
わたし、キャシー・アドラムは、本日結婚することになっている。その相手は森の深奥に住む麗しい魔女さまだ。
魔女さまはわたしより十一歳年上で、魔法を使うことと薬を作ることが得意な女性だ。わたしと変わらないくらい若く見えるし、とても美しい。腰まで伸びた長い黒髪はつややかで、切れ長の紅い両目はまるで薔薇のように鮮やかだ。
最後に彼女に会ったのはひと月前。その時に、わたしの誕生日であるこの日に森の入り口まで来れば、魔法を使ってすぐに迎えに来てくれると約束してくれた。
両親と義姉の分の朝食を用意し、身支度を整え、荷物を詰めたトランクを持ってから家を出た。足早に森へと向かいながら、胸がどきどきと騒ぐ。
待ちに待った結婚……! でも、結婚すると言っても、大層はことは何もしない。式典は執り行わず、指輪の交換と誓いの口づけだけを行う予定だ。それが終わると同時に、わたしと魔女さまは家族になる。
ただの村娘のわたしが魔女さまと結婚することになったのは、十二年も前に義姉からされた意地悪に起因する。
季節は秋。その日は少し肌寒い日だった。
当時六歳だったわたしは、母に頼まれて義姉と一緒に森までキノコを採りに行った。
けれど一生懸命キノコを採っているうちに、いつの間にか義姉は居なくなっていた。名前を幾度叫んでも返事は返って来なかった。意図的に置き去りにされてしまったのだと呆然とした。
はぐれたのではなく置き去りにされたのだと解釈したのは、義姉から意地悪をされたのは今回が初めてではなかったからだ。義姉とは気が合わず、これまでにも似たようなことが度々あったのである。
独りにされたことが心細くて怖くて、ただ泣きながらうずくまるしかなかった当時のわたし。
そんな非力な子供を、森の中で木の実を摘んでいた魔女さまがたまたま見つけてくれたのだ。彼女は優しくわたしを保護し、しばしの間、頭を撫でて慰めてくれた。
その間に、いろいろなことを教えてくれた。魔女さまは先代の魔女さまの跡を継いで、森やここに住む生命を護りながら魔法や薬の研究をしていること。年に数回、自作の薬を王都にある薬店まで納品しに行っていること。稀に家まで来る訪問者に迷惑していること。
話をしているうちに泣き止んだわたしを、魔女さまが森の出口まで導いてくれることとなった。先を行く背中を懸命に追いかけていく。歩幅が違いすぎて息を乱しているわたしに気付いた魔女さまは、途中からわたしと手を繋いで歩いてくれた。
十分ほど歩いた頃だったろうか。森の出口が見えてきた。叢生している木々の間から強い陽の光が見える。
「このまままっすぐ行けば、森から出られる」
そう、魔女さまが教えてくれた。思わず駆け出したくなる。けれど、魔女さまはわたしの足を制するように小さな手をぎゅっと握りながら、切れ長の目を細めて妖しい微笑みを浮かべてみせた。
「森を出る前に、キミを助けてあげた対価が欲しい。なんでもいい……と言いたいところだけれど、キノコは間に合っているから別のものがいいな」
お金なんて持っていないし、今はアクセサリーを身に付けていない。そもそもわたしが持っているアクセサリーなんて、家に帰っても亡くなったお母さんの形見である翡翠のペンダントしかないのだけれど。
差し出せるものが何もなくて困っていると、魔女さまはこう告げてきた。
「何も渡せないと言うのなら、大人になったら私と結婚してくれ。それが対価だ」
わたしは大きく首をかしげた。
「結婚? どうして結婚が対価になるの?」
「私は昔から結婚に憧れを持っていてね。でも、結婚したいと思うような人間には今まで出会えなかった。それが今日、キミという素直で可愛い素敵な人と出会えた。だからだよ」
「魔女さまは、わたしのことを好きになってくれたってこと?」
「そうだよ。だから時が来たら、私と結婚してくれないかい?」
幼いわたしは素直にうなずいた。幼いながらも、結婚の意味はきちんと分かっていた。好きな人同士が家族となり、同じ家で暮らすこと。
わたしには好きな人はいなかったし、優しい魔女さまとならば素敵な家族になれるかもしれない。魔女さまと別れたわたしは、そんなことを考えながら家路を歩いた。
それからのわたしは、大人になるまでの長い長い時間を小さな村の中で過ごした。
魔女さまに会いに行きたいと思う日もたくさんあったけれど、わたしが森に取り残され、帰るのが遅くなったのを機に新しく出来てしまった村の掟――森の中に子供だけで入ってはならない――のせいで、結局自分から会いに行くことはできなかった。
時折、気まぐれに魔女さまが魔法を使ってわたしに会いに来てくれた。会う度にたくさん話をして、わたしの身体が成長してからは、時々恋人同士がするようなこともした。
そうして過ごしていくうちに、わたしは魔女さまに会うことが何よりも楽しみになっていた。早く大人になって結婚できたらいいのにと、満月の日には必ず願うまでになっていた。
魔女さまに導かれながら、十二年ぶりに入った深い森のその奥。
魔女さまの住む家の小さな庭に立ち、わたしは目の前にいる彼女に向かってカーテシーをしてみせた。
「魔女さま。わたし、やっと十八に……大人になれました」
「おめでとう。正直、待ちくたびれた。でも我慢した甲斐あって、やっとキミと結婚できる。本当に嬉しいよ、可愛いキャシー」
そう言って魔女さまは、わたしの身体をぎゅっと抱きしめてくれた。さらには優しく口づけまで……って、アレ?
「指輪の交換をまだしていないのに、口づけを先にするなんて!」
「おやまあ。若いくせにずいぶんお堅いことを言うな、キャシーは」
頬を膨らませているわたしにそう言ってから、魔女さまはとても幸せそうに笑ったのだった。