序章7 思惑
夕暮れの街道を、一台の馬車が静かに進んでいた。
中に腰を掛けるのは天嶺院学術堂長・鴉取不識。
大柄な体を少し揺らしながら、窓の外に広がる田園をぼんやりと眺めていた。
頭に浮かぶのは、先ほど対面した二人の少年――雛汰と悠明。
ひとりは無垢にして異質な力を宿す子。
ひとりは震えながらも何かを隠す影を持つ子。
「さて、どちらが未来を開くやら……」
独り言のように呟くと、懐から小さな巻物を取り出し、簡素な印を切った。
次の瞬間、淡い光が走り、掌の上に一羽の鳩が現れる。
鴉取はさらさらと筆を走らせ、文をしたためた。
調査命令
・桃花庵の結界魔術の残存構造の分析
・蜘蛛型魔物との戦闘跡における魔力残滓の収集と解析
・孤児院周辺に残る異常な魔力反応の有無
文を鳩の脚に括りつけると、掌をひらりと返した。
召喚された鳩は羽ばたき、夜空に溶けるように飛び去っていった。
秋津の都に天嶺院はある。
そこから桃花庵までは南西におよそ四十六里――約百八十二里の距離。
馬車で進めば五日、六日を要する道のりだ。
しかし鴉取は、往路を一日もかからずして踏破していた。
彼自身の特異な魔術――空間を繋ぐ禁呪めいた術を駆使した結果である。
だが、それは尋常ならざる魔力を消費する。
御者台から声がかかる。
「旦那様、失礼ながら……行きは魔術で一気に来られたのでしょうに、帰りは何故馬車を?」
声の主は、天嶺院専属の御者・竹中甚平。
年季の入った腕で手綱を操りながら、不思議そうに問いかけてきた。
鴉取は苦笑し、大きな手で額をぬぐう。
「ははは……甚平よ、あれはな、骨の髄まで魔力を絞られる代物だ。行きはまだしも、帰りにまで使えば――わしの老体が先にくたばるわ」
甚平は「なるほど」と頷き、馬に軽く鞭を入れる。馬車は再び静かな律動を刻んだ。
ふと窓の外に視線を投げながら、鴉取は胸中で思案を巡らせた。
(……雛汰という子はただの器ではない。だが、本当の鍵は――悠明の方だろうな)
震える声、言葉を選ぶ間、隠したがる眼差し。
あれは真実を知っている者の仕草だ。
「さて……少年たちを天嶺院に迎え入れれば、いずれ見えてくるだろう」
飄々とした笑みを浮かべたまま、鴉取はその眼の奥に冷ややかな光を宿す。
馬車は秋津の都、天嶺院へと進んでいった。
季節は秋から冬へと差し掛かる頃。
雛汰と悠明の傷も癒え、二人は以前のように歩き回れるようになっていた。だが、心の中の影は消えきらず、それぞれが背負った思いを胸に抱えたまま日々を過ごしていた。
村長は彼らを天嶺院へ送り出すことを考え始めていた。だが、道のりは過酷であり、幼い二人をただ送り出すわけにはいかない。誰か大人が同行しなければならなかった。
そんな折、縁側で旅の費用や道程を相談していた雛汰と悠明の前に、ひょろりとした青年が現れた。
「俺が連れてってやるよ!」
彼の名は村長の孫・村重尊寿。
しかしその評判は芳しくない。村人からは「うつけ」と呼ばれ、日がな遊び歩き、真面目に働いている姿など誰も見たことがなかった。
村長も呆れ顔で首を横に振る。
「お前のような出来損ないの孫に、大事な子らを任せられるものか」
それでも尊寿は食い下がった。
「じい様! 俺だって行ける! 村のことなんざどうでもいいんだ、都に行ってみたいんだよ! 一度でいいからあの天嶺院ってやつを、この目で見てぇんだ!」
村人の目も祖父の思惑もまるで意に介さず、尊寿はまるで駄々をこねる子どものように身を乗り出す。
「どうせここにいても畑か薪割りばっかだろ? そんな退屈な毎日なんざ、俺はもう御免だ!」
村長は深いため息をつき、額に手をやった。
「……相変わらずのうつけじゃな」
しかし尊寿は悪びれるどころか、むしろ嬉しそうに笑っている。
「だからこそ、ちょうどいいだろ? 俺が二人を連れて行けば、都に出られる。俺にとっちゃ願ったり叶ったりなんだ!」
村長は深いため息をつき、厳しい条件を突きつけた。
「ではこうしろ。北の喝道寺に行け。楽巌源郎和尚に鍛え直してもらえ。あの方なら、腐った根性も叩き直してくださる」
喝道寺――村唯一の寺であり、かつて武人であった源郎が住職を務めている場所だ。村人たちも皆一目置く人物である。
その名を聞いた瞬間、尊寿の顔は青ざめた。修行の厳しさは村中に知れ渡っている。想像しただけで体が震えた。
駄々を捏ねる尊寿だったが村人たちは尊寿の両肩を抑え、連れていかれたのであった。
大の大人が涙を流しながら「いやだぁぁぁあああ」と咽び泣くあまりにも情けない姿に、思わず笑みがこぼれる。久方ぶりに交わしたその笑いは、胸の重苦しさをほんのひととき忘れさせてくれた。
尊寿を見送った村長は二人に静かに言った。
「……天嶺院までは遠い道のりだ。渡航費も馬鹿にならん。織枝さんの恩に報いるため、村の皆で金を出し合おう」
その言葉に、雛汰と悠明はすぐさま顔を上げた。
「待ってください!」雛汰が強い声を出した。
「村の暮らしだって楽じゃないのは、俺たちだって知ってます。だから……渡航費は、自分たちで出します!」
悠明も頷き、言葉を添える。
「そうだね。僕たちのことに、村の人を巻き込むべきじゃないよ」
村長は二人を見つめ、眉をひそめた。だが、その目の奥に光るものは誇らしさだった。
「……お前たち、本気で言っているのか?」
雛汰は迷いなく答えた。
「はい!仕事をして稼ぎます。計算すれば……4か月あれば、なんとか貯められるはずです」
そう言い切る彼の表情は幼さを残しながらも、どこか大人びていた。
村長は深くため息をつき、口元に小さな笑みを浮かべる。
「無茶を言うものだ……だが、わかった。お前たちがそこまで言うなら見守ろう。ただし、身体を壊すような真似は許さんぞ」
二人は同時に頭を下げた。
「はい!」
こうして、村人たちの支援ではなく、自分たちの力で渡航費を捻出することを決めた雛汰と悠明。
その決意は、彼らの胸に小さな火を灯した。




