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鳴々奇譚  作者: nocchi
序章 桃花庵
3/8

序章3 悲劇

空は曇りぽつぽつと雨が降り出していたある日。

桃花庵の窓を小さな雨粒が滴る夕暮れ時に事件は起きた。



突如として、庵を守護する結界魔術が裂けるような音を立て、稲妻のような衝撃が大地を揺らす。



織枝が込めた結界魔術は低級の魔物を寄せ付けない効果があった。

結界を割った魔物は中級以上の魔物ということである。

そう、この桃花庵周辺に中級以上の魔物はいない。



「なに? 今の音……?」



怯える子供たちの声が重なる。次の瞬間、天井を突き破って現れたのは、無数の脚を這わせる蜘蛛のような魔物――。

ぎらつく眼がいっせいに子供たちを見据え、耳障りな甲高い悲鳴を上げた。



「下がりなさいッ!」

織枝が叫び、再び結界魔術を展開する。

最初こそ魔物の脚を弾いが、結界を叩き割るほどの衝撃が建物を揺らし、梁が軋む。



轟音と共に木材が崩れ、幼い子供が下敷きになりかける。

織枝は咄嗟に子供を抱き庇った――その身を張って。



「……先生!」

雛汰が震える声で叫ぶが、彼女は幼い子供を庇い、瓦礫の下敷きになってしまった。



「雛汰!!みんなを外へ! 走れ!」

悠明が声を張り上げ、泣き叫ぶ子供たちを外へと雛汰に指示を出した。



「僕が囮になる! 雛汰、子供たちを頼んだ!」

悠明が震える手で術式を描き、雷光を走らせた。



「でも――!」

「行けッ!」



悠明の小さな雷は魔物の顔をかすめ、注意を引きつけ魔物を中庭にまで誘導した。

雛汰は唇を噛みしめ、子供たちを連れて庵を飛び出した。



庵の奥、中庭へと飛び出した悠明は振り返りもせず、雷をまとった手を振り抜いた。

「こっちだッ!」

青白い閃光が庭を走り、咲き乱れていた花々を焼き払う。甘やかな香りは焦げ臭さへと変わり、薄煙が漂う。



雷光に誘われ、蜘蛛の魔物は狂ったように八本の脚を振り回し、悠明を追う。

脚が大地を叩くたびに地面が裂け、木々が無惨に粉砕されていく。花々の残骸が舞い散り、かつての穏やかな庭は一瞬にして戦場へと姿を変えた。



悠明は歯を食いしばり、浮遊魔術を展開する。

ふわりと身体が持ち上がり、空中で姿勢を制御しながら魔物の猛攻をかわす。

「はっ……くそっ……!」

雷の閃光を放ち続けるが、魔物の甲殻は硬く、悠明自身の魔術が拙いため、かすり傷を負わせるにとどまる。



蜘蛛の脚が迫る。

空気を裂く轟音と共に、庭の石灯籠が粉砕され、瓦礫が四散した。

悠明は辛うじて身を翻し、雷で反撃するも――魔物は怯むどころかさらに速度を増して襲いかかる。



「僕が……止めるしか……!」

額から汗が滴り、腕は痺れ、浮遊の魔術も揺らぎ始めていた。

幾度も小さな雷を放ちながらも、悠明は心のどこかで理解していた。

――このままでは死ぬことを。



蜘蛛の魔物が咆哮を上げ、最後の一撃とばかりに高く脚を振り上げる。

悠明の視界に迫る巨大な影。



その瞬間――



「悠明っ!!」



庭の入口から駆け込む声が響いた。

振り返った悠明の金の瞳に、走り寄る雛汰の姿が映る。



悠明が一瞬、こちらを振り返る。

「なんで戻ってきたのッ!」

憤りが混じった叫び。



その隙を魔物が見逃すはずもなかった。

巨大な脚が薙ぎ払い、悠明の身体を吹き飛ばした。



「――悠明!」

雛汰の胸を貫いたのは、自分が戻ったせいで悠明が倒れたという痛烈な悔しさと、己への怒りだった。



魔物が倒れた悠明へと脚を振り下ろそうとする瞬間――

雛汰の視界は赤く染まった。



「やめろおおおおお!」



感情が爆発し、拳に黒い魔力が渦を巻く。

振り上げた拳は雷鳴のごとく魔物を打ち据え、その巨体を叩き飛ばした。



激昂した雛汰の込めた魔力が呪いのように蜘蛛の魔物を蝕み苦しめた。

雛汰の拳には黒い魔力が纏っていたが、次第に小さくなりそれは散っていった。



致命傷を負い断末魔のように高い悲鳴を上げながらも、なお(うごめ)こうとしていた。



その時、瓦礫を押しのけて織枝が姿を現した。

庇った子供を片腕に抱きしめながら、もう片方の手を静かに掲げる。



「――万縁(ばんえん)を絡め、抗う魂を鎖となし、屍と成せ――糸葬(しそう)・・・」



織枝が詠唱を口にすると掲げた手から淡い光の紋が浮かび上がると、鋼鉄のように硬質な糸が幾筋(いくすじ)も奔り出した。

糸は音もなく蜘蛛の魔物の脚を絡め取り、胴を締め上げる。



「ギィィィィィ……ッ!」



魔物が暴れれば暴れるほど、糸は軋みをあげながらさらに強く食い込み、やがて――

裂ける。

全身を締め上げられた怪物は、糸に引き裂かれ、血と肉片を撒き散らして絶命した。



織枝は静かに糸を収めると、子供を庇ったまま雛汰と悠明のもとへ歩み寄った。



「よくやったわ、二人とも。勇敢だった……」



その声音はいつもの優しい先生のもの。

だが、雛汰と悠明の胸には、先ほど目にした織枝の魔術の凄烈(せいれつ)さが深く刻みつけられていた。

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