第三話ーラーメン復活と恋人ごっこの注文票
翌朝、空には雲ひとつない快晴が広がっていた。アモーレ王国の朝は、基本的に“カップルの手繋ぎ散歩”を推奨する条例があるらしく、通りのいたるところで恋愛成就中の人々がラブオーラを撒き散らしている。
(うわ〜……どこを見渡しても恋愛一色、恋のノイローゼになりそうだ。)
そんな中、ひときわ異彩を放つ黒い屋台が、久しぶりに店を開けていた。
「《黒月亭》、本日より営業再開です……あくまで仮営業ですけど」
屋台の隅に小さく張り出された札。ミィ=ルナの文字で書かれている。
「なんだよ仮営業って……試運転のラーメン屋かよ」
陸が肩をすくめながら近づくと、ミィは既に鍋の前に立ち、黙々とスープを撹拌していた。顔を見せた瞬間、ぴたりと手が止まる。
「……来たんだ」
「そりゃ来るだろ。昨日ちゃんと話し合ったし。それに、昨日ラーメン食べ損ねたしな」
「……今日は、“新作”があるわよ」
ミィはぽつりと呟くと、鍋から立ち上がる湯気を見つめた。
「失恋ラーメンの次は……“片想い進行形ラーメン”。甘ったるくて、ちょっとしょっぱいわよ。……胃に来るけど、心にも来る」
「ラーメンで人の感情操作しないでくれませんかね……?」
「するわよ。味ってそういうものでしょ?」
ラーメンが出されたと同時に、カウンターに一枚の紙が添えられた。陸は眉をひそめて、それを手に取る。
「……ん? なんだこれ。『恋人ごっこ用注文票』?」
《本日限定オプション:以下の中から1つお選びください》
・恋人風デート風景を魔術で再現(最大10分)
・おでこツンツンOK券
・膝枕+耳掃除付き休憩コース(※要同意署名)
・猫耳に触れるチャンス(ただし死亡リスクあり)
・勇者とのカップ麺半分こ(ラブイベント扱い)
「……なあこれ、どういう趣旨の……?」
「……別に、こっちがやりたいとかじゃなくて。昨日の……その、話の続きというか……なんとなく。ラーメン屋って、サービス必要かなって」
「……顔赤いぞ、お前」
「は、はあ!? 赤くないし!? 湯気のせいだし!」
「湯気、透明だぞ。火力下げてるじゃん今」
「うるさいな! べ、別に、アンタと恋人ごっことかしたいわけじゃないし! 客に“それっぽい体験”を提供するだけの、営業努力なんだからなっ!」
「なるほど。“猫耳ツンデレの経営哲学”って感じだな。うん、納得」
陸は笑って、手元のメニュー票にチェックを入れた。
「……『カップ麺半分こ』、これで」
「……それだけ?」
「おでこツンツンはハードル高いし、耳掃除とか勇気出ないし……猫耳は死にたくないから最初から除外。てことで、これが一番ハートに優しそうかなって」
「……ふうん。じゃあ、追加でお湯入れてくる」
ミィは顔を逸らしながら、小鍋で別に温めていたカップラーメンをそっと出した。猫の絵が描かれたそのラベルには「ネコニャンヌードル」と記されている。
「パッケージの名前ふざけすぎてて、ラブ感どころか笑いの方が勝つんだけど……」
「文句あるなら自分で茹でなさいよ……」
ミィがカップを開け、湯を注ぐと、ほんのり香る魚介のだし。二人の前に置かれたラーメンは、たったひとつの器で、箸は二膳だけ。湯気の向こうでミィの頬がわずかに紅を差していた。
「……あのさ、こういうのって、案外……悪くないな」
「……何が?」
「その、恋人ごっことかじゃなくて。こうやって誰かと、同じ器から何かを食べるってさ。安心する」
「……ほんと、恋愛偏差値低いわね、あんた」
「否定はできん……」
しばらく二人は、カップ麺を分け合いながら黙って食べた。だけどその沈黙は、気まずさではなく、心地いい静けさだった。
その時、背後からひとつの足音。
「わたくし以外と“間接キスイベント”を開催するとは、許しがたい背徳行為ですわね」
声の主は、もちろんアリアナだった。
手には例の双眼鏡、そしてなぜか“王国公認恋愛取り締まりバッジ”が掲げられている。
「また見てたのかよ!? どっから監視してた!? あれか、もうドローンで常時追跡してるんじゃないの!?」
「今回は“恋の結界鳥”を使いましたのよ♪ ふふっ、これで王国の恋愛安全もバッチリですわ♡」
「なんだよ〃恋の結果鳥〃って……もうなんかバッチリすぎて犯罪臭がするよ!」
「それより陸くん。“お試し恋人契約”中の私がいるのに、別の女の子とカップ麺を半分こするとは……修羅場フラグ、立てますわよ?」
「やめて!? 魔力で実体化するタイプのフラグだよねそれ!? 爆発オチが見えてるやつ!!」
「ふん……どうせ私なんか、ラーメンの器にも勝てない女……」
「いや変な方向に卑屈になるのやめて!? 王女としての尊厳を保って!? いや、俺が言うのも変だけど!!」
「……はあ、もう……あんたって本当、“巻き込まれ型”よね」
ミィは半ば呆れながらも、どこか楽しそうに微笑んだ。
「でも……それも、悪くないかも」