第三話ー猫の気持ち、勇者の言い訳
翌日、王都はいつもより少し冷たい風が吹いていた。空には雲が広がり、街全体がぼんやりと霞んで見える。そんな空模様の中、陸は昨日の出来事を思い出しながら、《黒月亭》へと向かっていた。
「……なんか、怒らせたっていうより……“がっかりさせた”って感じだったよな」
屋台の前に着いた陸は、暖簾が下ろされているのを見て、ふと胸がざわついた。そして、その真ん中には、見慣れない札が貼られていた。
《本日休業:呪力調整のため。話しかけ禁止》
「うわ、ガチで閉まってる……ていうか、呪力調整って何だよ。休養日って言えよ」
店の中からは物音もせず、気配も感じられない。陸は数分ほど前で立ち尽くしてから、意を決して暖簾の端に触れようとしたが、突如ビリッと痺れるような反応が指先に走った。
「いてっ!? マジで結界張ってんのかよ……やっぱガチだな、こりゃ」
肩を落としてその場を離れようとした時、背後から小さな声が聞こえた。
「……未練がましい男って、嫌い」
驚いて振り返ると、ミィ=ルナが屋台の脇にある小さな石階段に腰掛けていた。黒のローブは脱ぎ捨て、ゆるいセーター姿で、猫耳フードは膝の上に置かれている。そこには、昨日よりもずっと“普通の女の子”に近い彼女がいた。
「……ミィ」
「呪力調整中。つまり、心の整理中って意味。だから今日は営業しないの」
「そうか……でも、話だけでもさせてくれないか?」
「……はぁ。まぁ、聞くだけなら、特別に」
許可が下りたのをいいことに、陸は彼女の隣に腰を下ろした。しばらく沈黙が流れた。
「……あのさ、昨日はごめん」
「何が?」
「アリアナが来て、いろいろ空気ぶち壊したのもあるけど……お前のこと、ちゃんと気にかけてるってこと、全然伝えられてなかったと思ってさ」
ミィは目を細めた。
「はあ? ちょっと何言ってんの。別に、気にされたいとか思ってないし」
「それでも、言わせてくれ。お前のラーメン、美味かった。心に染みた。だからまた来たくなった。だけどそれって、ただ“うまいから”ってだけじゃなくて……たぶん、“お前の作るもの”に惹かれたからだと思う」
「…………」
ミィは黙ったまま足をぶらぶらと揺らしていたが、ふいに口を開いた。
「……その言い方、ちょっとずるいわよ」
「ずるい?」
「“私に惹かれた”って言えばいいのに、間にラーメン挟んでるところが。言い訳じみてて、なんか……ズルい」
陸は言葉に詰まった。図星すぎて、反論もできなかった。
(たしかラーメンもそうだが、似たような境遇を持つミィ自身にも惹かれていた)
「……でも」
ミィは、ふっと目を逸らした。
「嫌いじゃない、そういうの」
「え?」
「勇者のくせに、恋には不器用なところ。見てて安心する」
「それ、ほめてる?」
「うん。……多分」
陸は、なぜか急に顔が熱くなるのを感じた。けれど、ここで照れたら負けのような気がして、強引に話題を変える。
「そういや、猫耳ってさ……」
「はい?」
「……地毛?」
「……地毛ですけど!? それ聞く!? このタイミングで!? 今けっこういい雰囲気だったのに!?」
「いや、なんかふわふわしてて、今日よく見えたから気になって……」
「うわ、やだ、触ろうとした!? 今ちょっと指動いたよね!? やめてマジで!」
「分かったってば! なんで魔力暴発しかけてるの!? なんか魔法陣みたいなん出てるよ!」
その騒がしさに、どこからともなく声が飛んできた。
「おふたりとも、今日もお元気ですわね〜♪」
陸が目を凝らして向けると、王城のバルコニーから双眼鏡を構えメガホンのようなものを携えたアリアナが優雅に手を振っていた。ドレス姿のまま、風に吹かれて実に堂々たるストーキングスタイルだ。
「うわああああああ!! どっから見てたの!? どの段階からモニタリングしてたの!? ていうか、王女が王宮のてっぺんから双眼鏡ってどうなの!?」
「私は“仮の恋人契約”中の恋愛観察義務を忠実に果たしているだけですのよ♡」
「誰が義務化したんだよそんな法律……!!」
ミィは眉をひそめた。
「……あの王女、ずっと見てるつもりなの?」
「多分そう。趣味とかじゃなくて、使命感でやってるあたりが一番怖い」
「……あーもう、めんどくさい国に召喚されちゃったのね、あんた」
「言うなよ……俺だって好きで召喚されたわけじゃねぇんだよ……」
ふたりは同時に、肩を落とした。
その姿は、異世界の片隅で出会った失恋勇者とツン魔術師の、ある意味で理想的なシンクロだった。