《「合理的」に殺されるのって、こんな感じです。》
――「お前ら、晋恵帝と同じだよ」
最近やっと気づいた。
晋恵帝って、別に間違ってなかった。
ただ、場を間違えただけだ。
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知ってるか? 晋恵帝。
昔の中国の皇帝で、
民衆が「米がなくて飢えてます」って言ったとき、
真顔でこう答えたんだ。
「米がないの?じゃあ肉粥でも食べれば?」
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もちろん、あいつは善意だった。
彼の世界では、肉粥の方が安くて当たり前だったから。
「え? なんで米にこだわるの? 肉粥の方が手軽じゃん」
それだけの話だ。
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みんな歴史の教科書でこれを読んで、
「バカだな」って笑う。
でもな、お前らも今、まったく同じことやってるぞ。
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手術受ける時、医者が言う。
「成功率95%です。」
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投資する時、証券マンが言う。
「長期平均リターン8%です。」
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科学動画を見れば、学者が言う。
「この現象が起こる確率は6分の1です。」
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宝くじ売り場のおばちゃんが言う。
「当たる時は当たるからね。」
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恋愛相談をしたら、友達が言う。
「大丈夫、そのうち運命の人に出会えるよ。」
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神社で祈ってる人が言う。
「確率は低いけど、拝んどけばマシだよね。」
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なあ、気づいてるか?
お前が今まで聞いてきたその全て、
実はぜんぶ「何不食肉糜?」なんだよ。
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確率って、結局こうだ。
「分からない。でも分からないって言いたくない。
だから数字で包んで誤魔化す。」
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世界を理解した気になってるけど、
実際は数字で自慰してるだけだろ。
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聞くけどさ、
お前の人生、6回リセットできるのか?
手術失敗したら、また95%で再挑戦できるのか?
交通事故、何回轢かれたら保険屋の「平均リスク」を実感できるんだ?
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彼女に振られた時、「標準偏差的に仕方ないよね」って言うのか?
親が倒れた時、「平均寿命的にはあと12年あったのに」って言うのか?
子供が受験落ちた時、「それは標準偏差だから安心しろ」って慰めるのか?
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お前は「多試行」を持ってない。
なのに世界は「繰り返し実験モデル」でお前の生死を語る。
これが「合理的」だって?
笑わせんなよ。
それ、晋恵帝と同じ「場違い」だ。
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「確率を計算しよう」
これ、要するに「分からないから数字つけとこ」ってだけだ。
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晋恵帝が「何不食肉糜?」って言ったのと、
お前らが「何不確率?」って言ってるのは、
完全に同じだ。
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聞こえは良いけど、
世界はお前らの数字通りに動かねぇんだよ。
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人生はサイコロじゃない。
ガチャでもない。
「今回は95%だから引けるはず」なんて、宇宙は言わない。
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一回きりだ。
成功は成功。
失敗は失敗。
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だからな、
晋恵帝を笑うのはもうやめろ。
あいつはまだ誠実だった。
自分がバカだって自覚もなかった。
お前らはどうだ?
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「理性的に考えましょう」って言いながら、
実際は晋恵帝と同じで、
自分の世界に引きこもってシコってるだけだろ。
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「何不食肉糜?」
「何不確率?」
同じだよ。
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保険屋が言う。「リスクは分散できます。」
医者が言う。「大丈夫です、これは珍しいケースです。」
経済学者が言う。「格差は広がってますが、ジニ係数はまだ大丈夫です。」
原発の責任者が言う。「1万年に1度の確率です。」
AI開発者が言う。「99%は正しいです。」
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みんな、すげぇ丁寧な顔して言うんだよな。
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晋恵帝と同じだよ。
皇宮の中で、満面の笑みでこう言う。
「米がない? じゃあ肉粥でも食べれば?」
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並べて座れよ。
晋恵帝が一番前だ。
隣は現代のモデル信者たち。
お前ら、みんな仲良しだ