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第6話 マヌス

ヤマトとカヤがこれからどうすればいいかを話している中、気を失っていた少年が薄い瞼を開いた。彼は混濁した意識の中で周囲を見回し、近くに誰かがいることに気付くと咄嗟に身を隠そうとした。しかし手足に力が入らないのか体を起こせず地面に顔をめり込ませた。それに気付いたヤマトが少年の元に座り込み、表情を伺いながら声をかけた。


「気がついたんだね。よかった。心配しないで。僕らは何もしないよ」


カヤが持参してきた水を布に含ませて、それを受け取ったヤマトはそのまま少年の口元を少し拭った。


「力が入らないのは多分脱水症状だろう。少しずつでいいから飲むといい」


言いながら少年の口元で布を握って水分を口に含ませた。かさかさに乾いてひび割れた唇の隙間から水が僅かながら口の中を潤し、喉が少しだけ上下するのが見えた。


ヤマトは少年の傍らに座り込み、心配そうに覗き込んでいる。マシラは少し離れた場所で警戒するように辺りを見張っていた。普段は怠惰だがこういうときの動きは頼もしい。


虚ろだった少年の目に光が戻りつつあったが警戒と猜疑心が消えることはなかった。焦点もまだ覚束ないようだ。


「まだ無理しないほうがいい」


体を起こそうとする少年にヤマトが声をかけた。ヤマトの声に、少年は震える唇を動かそうとした。しかし言葉は出てこない。代わりに彼の手が痩せこけた胸元を押さえ、そこに刻まれた何かを隠そうとする仕草を見せた。


カヤの顔が強張る。彼女の鋭い目は、少年の胸元にちらりと見えた焼印のような痕跡を見逃さなかった。オルタナに生まれ育った彼女は、その印が何を意味するのかを知っている。下町やスラムにおいて、それは滅多に見ないものではあるが決して見知らぬものではなかった。


「ヤマト」


カヤの声は普段より低く、抑制されていたがその声に少年の体がびくっと反応した。ヤマトはカヤの声にすぐには答えられず、考えていた。カヤが何を言いたいかはわかっているつもりだった。“どうするつもりなのか”と聞いているのだ。野良猫を拾うのとは訳が違うのはヤマトも理解していた。だがヤマトは、少年の肉が削げ落とされたような体つきと恐怖に震える様子を見ていて、理由はよく分からないがこの少年を一人にしておくことはできないと感じていた。だがカヤはこの少年を見てから明らかに様子がおかしい。長屋に連れて行こうと言えばきっと反対するだろう。どうすればカヤを説得できるか、ヤマトにその言葉が浮かばなかった。


一方のカヤは、自分の力のなさ、決断力のなさ、経験のなさに打ちのめされていた。この少年に出会うまでの自分はどうだったか。ヨハンに戦う術を習い、ティオナやガランから知識を得て、自分の力で生きる方法を選べるようになると、そんな自分を思い描いていた。だがこの少年の姿を、胸元の奴隷印を見た瞬間、思い描いた全ては霧散して消えていった。今の自分はただの子どもだ。捨て置くこと、匿うこと、いろんな選択肢があったとしてもそれをヤマトに委ねて自分は考えることさえ放棄してしまっている。これではまるで自分が奴隷じゃないか。


「この子を長屋に連れて行くことはできない」


カヤは意を決して考えを言葉にした。


「カヤ…!」


ヤマトが抗うように口を挟んだが、それを制するようにカヤが続けた。


「今は」


ヤマトが意図を探るように黙った。


「長屋に最短で戻るにはマーケットを通らなきゃいけない。今はまだ明るいしこの子を隠しながら子どもだけで通り抜けるのは多分無理」


カヤは最近のマーケットの動きやそこで見聞きした情報から、この少年は十中八九、マーケットから逃亡した奴隷だろうと踏んでいた。そんな子を連れて自分たちだけでマーケットを通過するのは自殺行為だ。


「今思いつくのは二つ。一つはこのままスラムまで行ってエイヴィたちに匿ってもらう。でもさっきの大人たちは次はスラムを探すって言ってたから危なすぎる。もう一つはわたしかヤマトのどちらかが残ってどちらかがベルゴの工房へ行く」

「工房に?」


ヤマトはカヤの意図が掴めていなかった。


「昼間だからベルゴがいるかはわからないけど、工房にある魔導具を使えばマーケットを抜けることができると思う」


ヤマトはカヤの言葉に驚いて声が出なかった。自分の浅はかな無鉄砲さは誰かを動かせるような説得力を持たず、人を動かすには確かな思考が必要なことを痛感した。


「他の方法は今思いつかない」


カヤは息を震わせながら振り絞るように言葉にした。


「十分だよ、カヤ」


やることは決まった。マシラとヤマトが残り、カヤが工房へ魔導具を取りに行くことになった。


「気をつけてね」


カヤが手持ちの水筒や干し肉の欠片をヤマトに預けて言った。


「うん、そっちもね」


受け取りながらヤマトが応える。カヤは頷いて獣人の身のこなしであっという間にいなくなった。


---


できるだけ目立たないように屈みながら急ぎ足でマーケットを駆け抜けているときカヤは考えていた。何かとんでもないことをしている気がする。今回うまくいってもこのことがきっかけで何か大きな問題になるかもしれない。だが、ヤマトではないが、あの少年を見て見ぬ振りをするのは間違っている気もする。とにかく、今は余計なことを考えず工房に行くしかない。


工房の扉を開けるとベルゴが一人、大きないびきをかいて寝ていた。ベルゴに問い詰められる前に魔導具を持ち出そう。そう思ってカヤは、音を立てないように工房に足を踏み入れて魔導具を探し始めた。そぉっと机の上の乱暴に置かれたものを動かしながら探し始めたが以前見かけたものが見当たらなかった。


ベルゴを起こして聞いてみるべきか。カヤはちらっとベルゴを見た。まだいびきをかいている。足元には酒瓶が転がっていてどうやら昨夜深酒でもしていたようだ。ベルゴは少年を連れ帰ることに反対するだろうか。わからない。とはいえ、このまま探していても見当がつかず埒が明かない。もう一度ベルゴの方を見たときベルゴの姿がなかった。


「何をしとる」


カヤが不思議に思った瞬間、頭上からベルゴの低くて嗄れた声が振ってきた。


カヤは心臓を掴まれたと思ったくらい驚いたが、思い切ってベルゴに全てを打ち明けた。ゴミ捨て場に子どもが倒れていたこと。ヤマトとマシラと自分とで見つけたが、その子を探している輩がいること。そしてその子の胸に奴隷印が見えたこと。


奴隷印の話を聞いたベルゴは目を大きく見開いて言った。


「よぉ話してくれた。そんでここに来たのはなぜだ?」

「マーケットを抜けるのにあの魔導具が使えないかなと思って」

「どれじゃ?」


---


マシラは用心のため、あらためて自分と少年二人の周りに暗い帳を覆わせていた。自身が暮らしていた深山とは違い、この欲望渦巻く都市の中で神獣としての力を使うのは少し骨が折れる。だが今それ以上に、マシラの胸を重くしていたのはヤマトのことだった。ヤマトの中には神獣の自分でも得体が知れない”何か”がある。それは大きな力を伴っていて、力は彼の感情によって制御できない状態に陥る危険がある。


マシラは、ヤマトが少年を見つけ、その痩せた体つきを見たときから不安定な状態にあることを感じていた。以前、同じゴミ捨て場で只人の大人たちと対峙したとき、怒りによって声に魔力が乗り、空気を歪めた。気付いていたのはおそらく自分だけだったろうとマシラは思ったが、もし魔法に精通している者があの場にいたら空間が割れるかのように感じただろう。ヤマトには制御できていない圧倒的で強烈で、無垢で剥き出しの力が眠っている。それが今また無軌道に渦巻き始めたことを感じていた。


少年は意識が朦朧としたまま、うわ言のように呟いていた。


「村…燃えた…星…子ども…」


ヤマトは心配そうに少年の顔色を伺っていた。


「無理して話さないほうがいいよ…」


そう言っている最中に少年はまた意識を失った。ヤマトは思わず少年を頭を抱き抱えた。その時ヤマトの両手からヤマト自身も気付かないくらいの淡い光が漏れ出した。マシラは緊張した面持ちでじっとその光を見ていたが、やがて忘れていた呼吸をするかのように息を吐き出した。


(癒やしの光だ。よかった。一帯を吹き飛ばしてしまうかと思った)


意識を失った少年の顔色が僅かばかりではあるがよくなったがヤマトは気付いていなかった。


その時、マシラの感覚に雑音が混じった。


マシラが低く唸る。それをきっかけにヤマトも遠くから近づいてくる複数の足音に気付いた。徐々に足音が近づいてくる。マシラはその足音の気配からカヤとベルゴであることがわかり、闇魔法を解除した。カヤとベルゴが姿を見せたとき、ヤマトは安心して意識が緩み、そこで初めて自分が思っているより疲労していることに気付いた。


「カヤ…ベルゴ…」


少年を抱き抱えたまま声をかけてくるヤマトの姿に、カヤは、自分たちの到着が間に合わず少年が息絶えたのだと思って固まった。ベルゴが慌てて少年の様子を確認し、ほっと息を吐いた。


「よく保たせたな、ヤマト」


そう言ってベルゴは懐から腕輪を取り出して少年の腕にはめ、魔導具を起動させた。すると少年はヤマトの腕の中で白い毛の獣人の姿に変わり、ヤマトとマシラが目を丸くした。


「取りあえずこれで運ぶぞ」


ヤマトとマシラが目を丸くしたまま、呆然と頷いた。


---


その頃、マーケットの一角では、薄暗い部屋の中で数人の男たちが密談していた。彼らの装束は統一されておらず、一見すると雑多な商人や労働者のように見える。


「商品が一つ、見つかっていない」


低い声で報告する男の顔には、十字の傷痕が刻まれている。


「森人の血を引くガキだ」


別の男が舌打ちする。


コルヌ・デイ()からの指示は?」

「何としても捕まえろ、だ。アルチエリにつけ込まれるネタになりかねない」


男たちの会話は続く。彼らは『コルヌ・デイ』の実働部隊で、組織内では「マヌス(手)」と呼ばれるメンバーだ。選民思想を掲げるコルヌ・デイにあって、その理想を実現するために手を汚す役割を担っていた。


「手がかりは?」

「マーケットの商人が森人の特徴を持つガキを見たと言っているが逃げたのはスラム方面だ。それ以上はまだ何もわかっていない」


男たちの一人が地図を広げる。オルタナのスラムは入り組んでおり、日々変動していて隠れ場所には事欠かない。しかし、彼らには時間があった。


「そう遠くへは行けまい。印を刻んである」


十字傷の男が不気味に笑う。奴隷として売買される者たちの証を見て、好き好んで関わろうとする者は少ない。男は楽観的に捉えていた。


「いいか、数日内で捕まえる。明日中には手がかりを持って来い」


彼らの会話は、夜風に乗って闇の中に消えていった。

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