1-2 同級生
"Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the night."
合格発表の日、ジゼルは学校近くの森から学校へと移動した。
試験から3日で合格発表とは、早い方なのか遅い方なのか、ジゼルには分からなかった。
ジゼルが持っている服は当然の如く1着なので、周りからはかなり白い目を向けられていたが、本人にとって気にすることではなかった。
この学校の合格発表はかなり特殊で、クラスが発表される。
当然、入試不合格者を出さないと言っているからには不合格者はいないが、I 組と発表された生徒は不合格者だと皆知っている。暗黙の了解というものだ。
入学の意思があるものはその場に残り、次のブースへと進む。
実は、このクラス分けは現時点でのもので、上位者の入学拒否で繰り上がるのだ。
次のブースでは鐘がなった時間から入学の意思を順番に問う。順番とは成績上位順である。
高位貴族には I 組でなくとも辞退の選択をする者が稀にいる。そういう者が出るかもしれないと、I 組認定されても上位層は一応チャンスに賭けるのだ。
成績上位順に意思を尋ね、入学をすると言った人間の人数を数えていく。そして、繰り上がりまで判定するのだ。
尚、入学の意思を示した者には支給品が手渡され、同時に、即日入寮も開始される。
支給品とは制服や教科書類で、必要なものは別途申請により支給される。
制服のサイズは受験日に採寸されており、抜かりはない。手直しも無料だ。
以上が学校側の都合と合格発表時に行われる行程である。
ジゼルが聞いていたのは、3日後(3回夜を過ごしたら)に試験の結果を発表すること、そこに参加して入学の意思を示さなければ入学が不可能なこと、そこで必要なものは手渡され、入学の意思がある場合は即日入寮(家を無料で借りること)ができること。
ジゼルは最後尾の椅子に座り、担当者が来るのを待っていた。
周りには誰も座っていない。
I 組 でも後方なんて繰上げでも回ってくるはずがない、そもそも入れるだけでエリートなのだから拒否する人などほとんどいない、として皆、待つことすらしないのだ。賭けるのは I 組の上位者だけだ。
どれほど時間が経っただろうか。
あやとりをするように魔法を編み上げて、完成直前で解いて、を数百回繰り返した頃、担当者が目の前に現れた。
「え、えっと…あなたのクラスは I 組になります。あなたの入学の意思を尋ねたいのだけど。」
「入学する。」
なんで待ってたんだろうこの人、という視線を投げかけてくる担当者にさも当然と入学の意思を伝えるジゼル。
「そうですか。はぁ、受験番号が書いてある紙をお願いします。」
同情か、侮蔑か、ただ、仕事はこなす人だった。
ジゼルは番号が書かれている紙を渡して、紙袋を受け取った。
「寮は本日から入れますけど、どうしますか。」
「…泊まる場所は欲しい。」
ジゼルの返答からYESを読み取ったのか、引き攣った笑みで鍵を手渡す。
「あと2人待ってますから、そこまで案内します。」
担当者は余計な仕事が増えたことに少し面倒な雰囲気を出しつつも、待たせていた2人を伴って移動した。
ひとりは筋骨隆々な若い男。
もうひとりはおどおどとした小柄な女の子。
「少し早いですが、この3名が今年の I 組 新入生となります。クラスメイト、ということですね。 I 組はクラス替えも存在しませんし、寮はクラスごとに分かれているので共同生活を送ることになります。鍵はこれです。好きに使ってください。置いてあるものも自由に使っていいです。」
心底面倒臭いというのを全面に出して。
気づいたのは小柄な女の子くらいか、申し訳ないとペコペコ謝っているような雰囲気だ。
「この木に付いているような印を辿っていけば着きます。好きに過ごしてください。では、入学式は一週間後です。詳細は冊子を読んでください。遅れないように。」
そう言うと、スタスタと去って行った。
入学の意思を問うた場所からしばらく進んで、裏門のようなところから森が続いていた。
(…これは)
「チッ、勝手に行けってことかよ。」
大柄な男が舌打ちをする。
小柄な女の子はぶるぶると震えている。
ただ、ジゼルは別の場所を冷静に見ていた。
「ったく、行くしかねぇんだろ…。つーか、お前は何やってんだ。」
大柄な男はボーッと上を見上げて立っているジゼルが不審に思えて怒鳴った。
(今日の食べ物)
ジゼルは一瞬にして懐からナイフを取り出して投擲した。
「は?」
ナイフは木の枝の上にいた鳥を捕らえて、ボトッと鳥が落ちてくる。
「ひっ!」
女の子が悲鳴をあげても気にせず鳥を捌く。
ジゼルは血抜きだけでもとその場で内臓を取り出していたのだ。
女の子にとっても、大柄な男にとっても、気持ち悪い光景だった。
吐かなかっただけ、失神しなかっただけ、マシだったと言えるだろう。
(内臓は…いや、保存が効かない。)
ジゼルは内臓を薬の材料にしようかと検討したが、保存するための道具を持ってきていなかったため、却下した。
あからさまにガッカリしたように内臓を捨てる。
(もったいない。)
そして、立ち上がった瞬間に何かを察して枝を切り落とし始める。
(念の為、弓矢が欲しい。)
良さそうな枝を切って弓に、弦は持ち合わせの素材でつくる。
「おいおい、急に何してんだ。お前。」
真っ青な顔で声をかけてくる大柄の男に気づいて、不思議に思いながらジゼルは端的に状況を伝える。
「?…魔物が近づいてきているから、弓矢をつくっている。」
さも当然のように言うが、真っ先に女の子が慌て出した。
「ままままま、魔物ですか?なんで?騎士団が出てこなきゃじゃないですか。死ぬ、死ぬんですね…覚悟はしてたんですけど、こんなに早く、入学式前はないと思ってたのに。ごめんなさいごめんなさい…」
「?何を言っているのかわからない。魔物はこの鳥の血の匂いに誘き寄せられているだけ。」
"なぜ魔物が近づいてきているのか"という問いをそのまま受け取ってジゼルは返答した。
正直、魔女が死んでからかなりの時間、誰とも話していなかった上、同じくらいの年の女の子と話すなんて初めてのことで実は興味津々なジゼルは自分でどうにかできる程度の魔物の量は気にしていなかった。
むしろ、
(素材が増える…食料も増える…)
喜んでいた。
「いや、お前なにやってんだよ。少しでも長く生きながらえたいのに初っ端からよ。そもそも、なんで魔物が近づいているってわかるんだ。分かったとして、悠長に弓矢をつくってる場合じゃねえだろ。…学校側に助けを求めたって無駄な以上、俺らでどうにかするしかねぇが。」
大柄の男はパニックに陥りジゼルに怒鳴り、女の子はそれも聞こえず、懺悔に明け暮れていた。
「なんで…。これくらい誰でもできる。それに、これくらいじゃ脅威にならない。」
ジゼルはコミュニケーションに難がある上、会話相手の2人も絶賛パニック状態、そしてジゼルと彼らの間に断崖絶壁の如し常識の差がある。
弓矢をつくり終えたジゼルは弓を引いて木の奥に射る。
手応えを感じたジゼルはそのまま何発も矢を打ち込む。
(殺せてはいない、けど、十分。)
実は少しだけ"第3の目"を利用することで森の中でも性格な長距離射撃を可能としていた。
もともと、森の中で狩をしていたため不可能ではないが、肉眼で見えない距離の射撃は流石に不可能だ。
(素材は残念だけど…)
ジゼルは荷物のことも考えて寮を目指すことにした。
弓矢を荷物に差し込んで、背負い、目印である木を確認する。
(こっちか…)
「待ってー。」
よくわからないけど、着いていく2人。
数分進んだところで、ジゼルが立ち止まる。
(1, 2, 3, 4, 5匹の群れ。)
ジゼルは荷物を置いて、短剣を2本もって構える。
息を殺して、木の上へ上り、音を出さずにジッとまつ。
「急に何して…」
よくわからないけど、立ち止まる2人。
ジゼルが置いた荷物を女の子が持った。
「よくわかんないですけど、荷物は大事、ですから…。」
「そう、だな。」
大柄の男は、目を閉じて一瞬考えてから覚悟を決めたように頷いた。
「ただ死ぬだけなんて俺らしくもねぇ。足掻いてやるぜ。」
息を大きく吐いて集中する…
(魔力…?)
ジゼルがいきなり放出された魔力に驚いて振り向くと、大柄の男を中心に半球のドームができていた。
そう、結界である。
(意外と頑丈?)
ジゼルは組まれた魔法の割に頑丈であることに少し驚く。
ジゼルは全くと言っていいほど結界に適性がなかったため、少し羨ましいと思った。
そして、もう一度接近してきている魔物を確認する。
(魔力反応に集まってきた…)
魔物は魔力が強い方に集まる傾向にある。
そう、先程の血抜きとは全く違う次元で魔物を誘き寄せるのだ。
つまり、魔物にとって大柄の男は格好の的だったのだ。
ジゼルは大柄の男がわざと魔物を集めていると思って奇襲をかけようと潜んでいたが、大柄の男は自分の行動が魔物を引き寄せてるとは思いもせずに全力で結界を張っていた。
前から勢いよく魔物が駆けてくる。
(皮膚が硬め?)
静かに観察して、1度で殺せないことを先に悟る。
(2回。全く同じ場所に2回で殺す。)
ジゼルは方針を立てて、息を潜めて、勢いよく奇襲を仕掛ける。
5匹のうち3匹に一つ目の傷をつける。
魔物たちの注意が一気にジゼルの方に向く。
そして、ジゼルはその隙を狙って先ほどまで潜んでいたところに用意しておいた魔力弾を動かし、残りの2匹に傷をつける。
警戒の外から攻撃されて困惑する魔物たちに2回目の攻撃を1回目と寸分違わない場所に打ち込んで首を落とす。
それを魔力弾で目を引きつけるのを混ぜながら5回行って、魔物は全滅した。
(魔物がいる…この近くにも迷宮があるかも。)
ジゼルは魔物を観察しながら、意外にも早く迷宮を探すことができそうだとほくほく顔だ。
(使える部位は後ででいい。)
ジゼルは適当な枝を組み合わせて持ち帰る算段を立てる。
「お前、なんでここにいんだ、マジで。」
結界を解いたらしい大柄の男がそう尋ねた。
「…寮に向かっているから。」
ジゼルは彼の意図と合致しない答えを返した。
「ああああああ、あの、お話はあとでにして、とりあえず寮に行きませんか。そ、その、私がいうことでは、ない、と思う、のですが、その、寮なら、ゆっくり、話せると思いますし、私たち、名前すら、知りませんし…、えぇと、偉そうにして、すすす見ません…。もし、気分を害してしまったのなら、その…」
「お前は謝りすぎだ。そっちの方が気分悪りぃ。」
大柄の男が割り込んで言った。
「あ、すみません。」
「謝んなっつったろ。だが、正論だ。こいつの素性も含めて話し合わなきゃならねぇし。っておい!」
ジゼルの方を振り向いたと思ったら、ジゼルは既に木の目印を見ながら進んでいた。
「お前の話をしてたのになんでガン無視きめこんでんだ!」
「あ、あの、ツッコミ体質なんですか…?」
「あ゛?」
「ひっ!すみません!」
「だから謝んなっつってんだろ。そして、テメェは待てや。」
大柄の男の怒鳴り声が森にこだました。
今後の苦労が見込まれる。
それからしばらく歩き寮に向かうが、その道中、いきなり弓矢を引いて鳥を狩り、その場で血抜きを始めるジゼルを必死で止める大柄の男、パニックに陥り"すみません"を連呼する女の子に謝るなと怒鳴り散らす大柄の男、そして全く木にすることなく彼らをおいて先に行くジゼル、というやりとりが何回か繰り返された。
「嘘だろ…」
大柄な男が思わずと呟きをもらしたのは寮の前でのこと。
おんぼろな寮は誰にも手入れされておらず、先程のような魔物が襲いかかってきたら、防ぐことなどできないだろう。
広さは意外とあって、3階建てだが、所々に蜘蛛の巣が張られていて全てを使える状態ではない。
「ここまでとは…俺も甘く見てたか…。」
自嘲するように言っても、全ては後の祭り。
「あ、あああの、すみません。せせ僭越ながら、私が掃除してもよろしいでしょうか…。」
小柄な女の子が怯えながら言う。
「は?」
「ひっ!」
思わず男は聞き返すが、それが自分への怒りだと思ったのか女の子はひどく怯える。
「えぇえ…その…家では掃除とか、やってて…役立たずって言われるのですが…、このくらいの掃除なら、いつもよりも簡単なので…できると思って、その、すみません…。」
怯えながらも、しっかりと話す女の子だが、ぶるぶると震えているので動揺は痛いほど伝わってくる。
「さっきのときも、役に立てなくて…役立たずの落ちこぼれだから、これくらいはと思ったんですけど、すみません。差し出がましいことを…すみません。」
「いやいや、俺はあのオンボロを掃除しようとしていることに驚いただけで怒っちゃいねぇし、むしろ、それが簡単な掃除っていうやつすげぇと思うし。さっきのは全部、あいつが狩ったし、あれはあいつが異常なだけだ。だから、俺が気にくわねぇのはお前が謝るからで、それ以外は何も気にしてねぇから。」
怒鳴るような口調だが、言っている内容は概ね女の子を擁護している。
なんなら、掃除できる人がいると思っていなかった男はとても驚き、心から尊敬している。
「だから、ってアイツは?」
2人が話している間に獲物をおいて忽然と消えたジゼルに困惑が隠せない。
しかしジゼルは獲物とは逆方向から歩いて戻ってきた。
(結界石の数を増やす…威力弱め、隠匿強化。)
ジゼルは建物を見ながら、結界の張り方を考えていた。
ジゼルとしても、魔物が闊歩している中で結界を張らずに寝るなど考えられることではなかった。
そもそも、拠点となる場所には結界を張るつもりでいたため、そのサイズや仕様を検討していたのだった。
「おい、お前、こいつが寮を掃除してくれるらしいんだが、いいよな。」
ジゼルを見て大柄な男が声をかける。
ジゼルは自分が呼ばれたことに気づいて顔を上げるが、何を言っているのかわからない。
女の子は困惑の表情を読み取ったのか、自分で説明した。
「えっと、さっきは、役に立てなくて、すみません…。そ、その、お詫びにはならないと思うのですが、寮の中を掃除しようと…その、すみません。」
ジゼルの目線に耐えられなくなったのか、若干涙目で謝罪をする。
「…確かに足手まといだった。」
言っている意味が分からない中でグサッとジゼルが傷を抉る。
「おい!そりゃないだろ。お前がいくら強いからといって…」
「でも、荷物持ってくれた。役に立った。」
傷を抉ったジゼルを責める男の言葉を遮るようにジゼルは言った。
女の子はジゼルの荷物を持っていてくれたのだ。
感謝や"ありがとう"という言葉は知らないが、役に立ったということだけを端的に伝えた。
「結界もいい囮だった。役に立った。」
加えて、男にもそう伝えた。
「は?囮ってなんだよ、おい!」
男にとって囮役など引き受けたものではないから心外だろうが、役に立ったからとジゼルはそう伝えた。
"役に立った"と"足手まとい"はジゼルが魔女と暮らしていたときに言われた言葉だ。
上手く行った時は"役に立った"とジゼルのせいで失敗したときや何もできなかった時は"足手まとい"と。
「掃除は役に立つ。でも、外にいられると邪魔。建物の中に。」
ジゼルは獲物を乱雑にドアの側に置いてから、また建物の周りを歩き出した。
「…荷物を持ってくれてありがとう、結界を張ってくれてありがとう、掃除にも感謝していて、危険だから建物の中にいろ、ってことか?そう、読み取っていいのか?」
困惑しながらも、大柄の男は"役に立った"を"ありがとう"に置き換えてみる。
「…とりあえず、中入ろうぜ。俺も何か手伝うからよ。」
「は、はい。」
2人は建物の中に入った。
(長期間の固定結界…)
ジゼルは建物の周辺を確認しながら、結界石を置く場所を検討する。
魔女の家では結界石の数も少なかったが、今回の場合は魔女の家よりも広いため、より多くの結界石が必要となる。
また、長期間稼働するように魔女の家には結界石の燃料として使用済みのジゼルの指輪をセットしてあるが、それと似たような仕組みをつくることになる。
そのとき、ジゼルは建物の中から極小の魔力反応を感じた。
つまり、誰かが魔法を行使したということになる。
(なぜ?)
湯を沸かすにも少なすぎる魔力を不思議に思ったジゼルは"第3の目"を全開に使って確かめようとした。
能力"第3の目"は、いくつかの稼働段階がある。
0% → 稼働していない。
50% → 恒常的、日常的に利用しても支障のないレベル。ほとんどの人には魔力行使の事実すら掴めない。
70% → 目を外部に出現させずに利用する最大レベル。これ以上の出力をする場合には眉間に目が現れる。
100% → 完全に稼働している、眉間に目が現れ、瞳孔が開く。
したがって、"第3の目"を全開に使っているジゼルの眉間には綺麗な3つ目の目が現れていた。
(緻密…魔力操作、あの人よりは劣るけど…。)
ジゼルはそこで確認した事実に驚愕していた。
ジゼルのいう"あの人"とは魔女のこと。
つまり、魔女の魔力操作には劣るものの、女の子の魔力操作は達人の域に達していた。
ジゼルよりも上だ。
(…問題ない。)
事実を確認した後は、ジゼルは"第3の目"の行使をやめ、結界を構築し始めた。
消費されている魔力量は少なかったため、魔物を誘き寄せることも、結界構築に影響を及ぼすこともないと確認したからである。
ジゼルが"第3の目"を通して魔力操作のレベルに驚愕している頃、部屋の中でそれを直接見ていた大柄の男も驚愕していた。
女の子は掃除を始めるというのに箒ひとつ持たずに建物の中を全て見始めた。
男は何をやっているのか全く理解できなかったが、それに追従した。
そして、全ての部屋の確認が終わった瞬間、最上階である3階でジゼルが魔法を使用し始めたのだ。
消費されている魔力量は少ない上に、威力も少ないが、埃だけが風に吹かれて階下へ落ちていく。
そして、掃除された部屋には埃は残っていない。
それを2階で、1階で同じようにすると、最後には埃の大きな球ができていた。
「嘘だろ、掃除ってこんなものだったか?」
「あ、あの、まだ途中でして、その、綺麗じゃなくてすみません。すぐ綺麗にしますから。」
「いやいや、そういうことじゃねぇ。速すぎるだろ。それなのに、綺麗って…。」
驚き呆れるとはこのこと、というような反応に、女の子は不安になって謝罪をする。
「あ゛〜、今日はこの部屋だけ綺麗なら問題ねぇだろ。後は明日以降でも。まぁ、トイレとか台所が綺麗なら嬉しいがな。」
この勢いだと全部屋を掃除し始めそうだと思った男は女の子にそう言った。
「あの、寝る部屋とかは…。」
「必要ねぇだろ。誰かは外で見張りしなくちゃならねぇだろうし、気になるなら俺やあいつは外でもいい。」
男はジゼルを男子だと勘違いしているようだった。
「…そう仰るなら…。」
そう言ってメインの部屋の掃除を始めた。
「…俺は、料理でもつくるか。」
男はキッチンの食糧庫を開ける。
「…だよな。あるわけないよな。」
期待した自分が愚かだった、と溜息をつきながら空っぽの食糧庫を閉めた。
救いがあるのなら、料理道具は古いながらも揃っていたこと、塩と胡椒だけはなんとか食べれそうだったことくらいだ。
「これを見越して鳥を狩っていたのか…?」
ジゼルの先を見通す頭脳に驚きながら、ジゼルに鳥の使用許可をもらおうとしていた。
尚、ジゼルは自分で獲物を狩る意外に食事の方法を知らないだけである。
その頃、扉からジゼルが戻ってきた。
「お前、これから飯をつくるんだが、材料がなくてよ…その鳥、料理してもいいか?」
男は申し訳なさそうに願い出た。
「…構わない。けど、魔物はダメ。」
「おう、ありがとな。魔物は頼まれても使わねぇよ。食ったら死んじまうだろ。」
笑いながら冗談もいう奴なんだなと少し感心した男だった。
「?」
男の魔物を食べると死ぬ発言に、こいつマジかよ、という目線を向けてから、ジゼルは建物の中を探索した。
容器を求めていたのだ。
女の子は拭き掃除をしていた。
それには目もくれず、容器を探した。
なんとかガラス瓶を見つけるも、破れていたり、ヒビが入っていたり、そうでなくとも、汚すぎて使える状態ではなかった。
陶器・土器も割れているものが多かったが、まだ使えるものも意外とあった。
ジゼルは状況を確認してから、水魔法で容器を掃除し、もう一度外にでて、魔物の解体を始めた。
しばらくして、男がジゼルを呼んだ。
「おい、飯できたから夕飯にするぞ。互いの事情も話したいしな。問題ないだろ。」
「ん。」
ジゼルはうなずいて、内臓の処理が終わった魔物を紐を使って吊るしてから建物に入った。
「悪いが、肉しかねぇ。今日のところはこれで我慢してくれ。」
「いえ、その、料理任せてしまって、すみません、すみません…」
「だから謝んなっつってんだろ、そしてそこ、勝手に食べ始めてんじゃねぇよ。」
縮こまって謝り始めた女の子を止め、挨拶もせずに食べ始めるジゼルを諌める彼は苦労性なんだろう。
「??」
「食べんなら、"いただきます"くらい言えや。」
「あの、すみません、すみません…」
「そっちは謝るなって言ってんだろ。」
「うっ…」
騒がしい中で、ジゼルはその様子を見ながら言った。
「"いただきます"ってなに?」
その一言に2人は絶句した。
「はぁ。礼儀とか性格とかじゃなくて常識そのものがねぇってことかよ。」
男は小さな声で呟いてから説明した。
「そういう風習、マナーなんだよ。食べる前に、これから食べる食材に感謝して、命をいただくって意味だ。後は、これを用意してくれた人に感謝する、とかだな。こいつは掃除してここを綺麗に整えた。テメェはこの食料を狩ってきた。それに感謝、ありがとう、っていう意味だ。はぁ、こんな説教ガラじゃねぇってのに。」
かなり丁寧に説明をした男はやはり面倒見がいいのだろう。
「…そう。…いただきます。」
ジゼルは説明を聞いて、とりあえず、いただきますと言った。
「えっと、私もいただきます。」
「俺も、いただきます。」
そうして、やっとのことで食事が始まった。
「色々と話し合おうっつったけど、まずは名前からだな。ここまできて互いの名前を知らねぇ。いいかげん、お前とか呼ぶのも変だしな。」
食べながら男が言った。
「…名前、そんなに重要?」
ジゼルはそう質問した。
ジゼルは魔女の名前を魔女が死ぬまで知らなかった。
遺言で初めて名前を目にしたが、ジゼルは名前で呼ばれたこともなかったし、名前を読んだこともなかった。
「…お前の非常識についてはキリがなさそうだから、別の時に話そう。もう、話が進まねぇ。」
男は諦めたように言った。
「俺はランバート=フォン=ケクレだ。ランバートが名前だ。好きに呼んでくれ。」
「あああ、あの、もしかして、ケクレ侯爵家の…」
名前で何か気づいたようで、女の子は尋ねた。
「あぁ、まぁな。だが、ここにいる時点で察してくれ。廃嫡はまだされていないが、時間の問題だろうな。それよりも事故死が先の方が家には望ましいだろうよ。で、それを知ってるお前も貴族か?」
「えっと、その…子爵家、だったのですが。アリス=ラコストと名乗ってます。すみません。その、正確には、学校へ行くということで追い出されたのです。姓もラコストと名乗るように言われています。その、嘘じゃないんですけど、すみません。名乗ると殺されそうで…。えぇと、ランバート様ともあらせられる方に嘘をつくなど、その、命だけは…。」
男、ランバートが何気なく尋ねた質問で、女の子、アリスは命の危機に瀕していた。
「いや、殺すとかねぇから。そもそも、そーいう事情を持ってるのはここにいる以上想定内だ。驚くことじゃねぇ。あと、様とかつけんな。気持ち悪りぃ。」
「ひっ!気分を害してしまいすみません、すみません。」
アリスはヘコヘコと謝り続ける。
そして、ランバートに謝っていることをまた怒られる。
「で、お前は、名前はなんなんだ。」
ランバートが睨んだ先は既に完食したジゼルである。
「…ジゼル=ルモニエ。」
「そうか、お前の名前はジゼルっていうんだな。そうか。…って、それだけか?」
アリスはビビって動けていない。
「名前を聞かれた。私は答えた。問題ある?」
ジゼルは不思議な生き物を見るように答えた。
「こいつはこういう奴だと分かっていながら普通の感性を求めた俺が馬鹿だった…。あのな、普通、魔物が5匹襲いかかってきて当然のように倒せる奴なんざいねぇの。あーいうのは、腕利きの冒険者やハンターのパーティか、騎士団が動くような案件だ。学園に入学してすらいねぇ奴が当たり前のように、無傷で、どうにかしちまう方がおかしいんだ。つまりだな、お前の実力は世間的にありえないくらい高い。なのに、なぜ Infenior Class にいるんだ。なぜ、落ちこぼれなんだ。そもそも、このクラスで入学即決とか、理由がなきゃしねぇだろ。」
アリスは隣でうなずいている。
「その、確かにここの学園はレベルが高いですけど、上級生でも、先生ですら、同じことはできないと思います。その、私なんかが意見してすみません…。」
アリスがこれまでになくしっかりと説明したと思ったら、やっぱり言い終えた途端に元に戻った。
「…できない?この程度のことが?」
ジゼルは瞬きを何度もしながら呆然と呟いた。
「はぁ。その程度のこと、じゃねぇんだよ。」
頭を抱えながらランバートが言うのを聞きながら、目の前に座るアリスとランバートをじっと見つめる。
「俺たちが今いるのは Infenior 、落ちこぼれのクラスだから、学園の奴らよりは弱いが、これでも他の学園とかも合わせたら真ん中くらいだと思うぜ。これが普通だ。」
その声を聞き流しながら、2人をじっと見つめる。
「…2人なら倒せたと思う。」
そして、ぽつりと言った。
「何言ってんだ?」
ランバートが聞き返す。
「さっきの魔物5匹くらいなら、2人でやれば安全に倒せたと思う。ひとりだと腕1本くらいは消えるかも。でも、倒せると思う。」
「じょじょじょじょ冗談ですよね。」
アリスが震えながら尋ねる。
「準備がなかったから、さっきは無理だった。でも準備してあれば問題ない。」
「根拠はなんだ?」
ランバートはこれまでのやり取りでジゼルは冗談を言えるような人間ではないと判断したのか、理由を尋ねた。
「とても強力な結界魔法。とても緻密な魔力操作。毒を風魔法で魔物に吸わせれば怪我もしない。」
そして、ランバートとアリスはハッとした。
確かに、できないことではないと。
「わわわわ私が風魔法が使えるなんていつ…」
ランバートの前では魔法を使ったが、ジゼルの前で見せたことがなかったアリスは驚いた。
「部屋の中で使っていた。あんなに緻密な魔力操作は私にはできない。」
魔力操作はジゼルの不得意分野だ。
そして、アリスは掃除に使うために、消費魔力を抑えることと、風のコントロールに全てを費やしてきた。
「たくさん風は使えないですよ。」
「大きな風よりも、完全に制御された風の方が有用。毒が他のところに散らばってしまう。」
アリスができないことを並べても、淡々と説明していく。
「ジゼル、俺ぁ確かに結界魔法と治癒魔法が使えるが、男だぞ?」
「?…それがなにか?」
ジゼルは首を傾げる。
「あのな、結界魔法や治癒魔法、回復魔法なんてのは女のもんだ。援護・支援を男がやることはできねぇ。男は前に出て攻撃をするんだ。だから入学試験にも男にその試験を課さなかった。俺は援護系にありえねぇほど親和性が高かった。それが家を追い出された理由だ。家の恥だからな。」
「なぜ男は攻撃?」
「そりゃ、臆病な男なんざいらねぇからだ。男は屈強で力強くなきゃいけねぇ。それが人の後ろに隠れてました、じゃ格好がつかねぇ。筋力を鍛えてもみたが、攻撃の魔法とは相性が悪いままだ。」
ジゼルはますます意味がわからなかった。
「男と女の違いは子宮があるかどうか、と聞いた。それは何も関係ない。」
ランバートはハッとした。
「筋力のつき方は違いがある。けど、魔法があれば関係ない。」
骨格に違いが出てくるのは女は出産のため、男は…ということだと魔女から教えられていた。
「最後まで回復が倒れないのは大事なこと。頑丈なのはいいこと。」
ジゼルは淡々と自分の考え方を述べた。
「…ジゼル、お前はどこで育ったんだ?非常識な考え方、発想はどこからくるんだ?」
ランバートにとってジゼルの考え方は理解できるものだったが、常識とはかけ離れていた。よって、どうしてそんな考え方ができるのかと気になったのだ。
「…山。」
「山?」
ジゼルにとっては山、としか言いようがないのだろう。
「どういう経緯でこんな学園に入学することになったんだ?」
「一緒に暮らしてた人が死んだ。遺言も遂げた。やることがなくなって人里に下りた。素材と物を交換してもらおうとしたけど、なぜか受け取ってもらえなかった。素材の交換には学園に通わなければならないらしい。なし崩しにここにきた。」
ジゼルはこれまでの経緯を語った。
「ここここ交換してもらえなかったのって、ああの、規則ができてからだと思うんですけど、その、それって随分と前のことで…5年くらい前のことでしたか?」
「ああ。優秀な人材を逃さないように一定年齢の人間は学園に通うことが義務付けられ、それを終えないとまともな職につくこともできないし、買い物すらできなくなった。それが今の現状だ。その年齢層の人間を王都以外で見つけたら通報する決まりだが、通報する前に学園に向かわせたってことか。山から下りることはなかったのか?」
「今回が3回目。はじめてはずっと前。まだ一緒にいた人が生きてたとき。素材を交換しようと下りたときが2回目。その次の日に下りたのが3回目。」
ジゼルの話に開いた口が塞がらない。
「…それで生きていけたんですね、そうですよね、今生きてますから、その、すみません。」
「はぁ、山の中でその一緒にいた人?とやら以外とは接点がなかった…それで、そいつも非常識だったのか…。」
ジゼルは話をしながら、支給品を確認していた。
本が8冊と服が一着。
「ああ、それが支給品か。…噂通りとはな。」
「都市伝説じゃなかったんですね…その、すみません。」
ランバートはもう、アリスの"すみません"をスルーし始めた。
会話が進まないからだ。
「それだけ接点がなかったら、この学園のことも知らないんだろ…。」
「?」
「このクラスのことです。そ、その、山の中で暮らしてたそうなので、気にしてないかもなんですが、ここは人が暮らすような場所じゃないんです。魔物も出没しますし、そうでなくでも動物がたくさんいます。夜、寝ているときに襲われたら死んでしまう可能性が高いです。」
「いやいや、そこじゃねぇだろ。こんなおんぼろに住まわしてる時点で、死ぬとか関係なく冷遇だろう。食料もないし。」
「ひっ!その、すみません。これくらいだと私の住んでたところと変わらなくて…すみません。」
「お前も苦労してんな…。」
思ったよりもハードなアリスの境遇に同情しつつも、怯えられてることに複雑なランバートはそう言うにとどめた。
「こここここのクラスは、冷遇することで、自主退学を促したり、事故死に見せかけて殺したりするためのクラスなんです。そ、その、滅多なことがなければ、わざわざ入学なんてしないんです。その、家を追い出されて行き場がないとか、その、だから、3年間なんていられないですし、生きて卒業できた例はありません。かかかか仮に卒業できても、卒業資格はえられず、ただ身分証が発行されるだけなんです、すみません。」
アリスの"すみません"は最早、語尾になってしまっている。
「その一環として、わざと難しい教科書を与えて成績を落とす、制服を与えないで作業服だけ、作業服にも魔法の付与はなし、というのがあるんです。寮は意外とまともでしたけど。その、すみません。」
「いや、寮もまともじゃねぇから。場所からして、殺す気満々じゃねぇか。入学式も全員が制服の中で俺らだけが作業着、そこからして恥をかかせる気なんだろうな。だから、入学式までは殺さないと思っていたんだが、それも怪しいな。」
ジゼルはその話を聞きながら、パラパラと本をめくる。
そこに書かれている魔法に目を輝かせた。
"Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the night."
「1人で明るい場所を歩くより友と暗闇を歩く方がいい。」
ヘレン・ケラー