結末
ウッドフォード城から少し離れた森の中に、クリフと少女はいた。
さっきまでの戦闘が嘘のように、鳥のさえずりと風に吹かれる小枝の音が響く森の中は、平和そのものの空気に包まれていた。
「お前は結局、何者なんだ?」
と、クリフは聞いた。
彼女の魂を解放した後、肉体の変容から回復し、白き檻から解放されたマリアは、目の前の少女とそっくりだったのだ。
赤の他人というわけがなかった。
「私は、マリアが最初に命を与えた自動人形、よ。そして、彼女の魂を一番強く受け継いだものなの」
胸に手を当て、その少女は静かに答えた。
「伯爵や領民を守って焼け落ちる城を脱出した後、少しでも人間に見えるように、マリアに近づくように、私は何度も身体のパーツを取り換えたの。おかげで肌の手触りはほとんど人間と変わらないし、髪だって勝手に伸びていくわ。それに体温や鼓動もあるし、赤い血も流せるの」
ほら、と言いつつ差し出された手をクリフが握ると、そこには人の温もりと生命の脈動が感じられた。
「それじゃ、マリアがいなくなったら……」
「そうね。私だけじゃなく、全ての自動人形は込められた魂を失い、いずれ動けなくなるでしょうね。それが1年後なのか、10年後なのか、いつになるかは分からないけど……」
何の後悔も気負いもなく、金髪の少女は言った。
その結末を知っていた上で、彼女はマリアを解放しようとしたのだ。
「次はあなたの番よ。どうして私を信じたの? 『ウッドフォードの女狐』の言葉を」
「あー。それな……」
真正面から見つめられ、クリフは目を逸らした。
言うかどうか一瞬、迷ったが。
「別に……難しい話じゃない」
と、頭をかきつつ、彼は切り出した。
正直に答えることにしたのだ。
そもそも、今さらな話なのだから。
「ただ単に、元・婚約者の話くらい、聞いてやりたいと思っただけだ」
「婚約者、って……」
少女は目を瞬かせて、その意味を飲み込んだ後。
「ぇぇ……えええっ! まさか!」
つっけんどんに放たれた事実を前に、目を丸くして大声を上げた。
「ちょっ、ちょっとまって。そんな……私は、マリアは知らない。お父様だって、何も……」
彼女は、真っ赤になって口元を両手で押さえた。
湯気でも出そうなくらいに恥ずかしがる彼女を見ていると、とても人形だなんて思えなかった。
「そりゃそうだ。俺の親父……オートレッド男爵とウッドフォード伯爵との間で勝手に取り決めたものだし、マリアはまだ小さかったから、伝えてないって聞いていた」
その話はクリフ自身も、不意打ちのようなものだった。
久々に領地へと帰ってきた父親に、会ったこともない伯爵の娘と婚約したと言われていた。
男爵家を継ぐ者として努力を重ねてきたクリフを、彼女の父が気に入ったらしいのだ。
父親も乗り気で、二つ返事で了承したらしかった。将来的に自分の領地よりも大きな伯爵領を手に入れられるチャンスを、逃す理由がなかったから。
「俺は一度だけ、マリアに会ったことがある。ウッドフォード城でのパーティで、だ」
この戦乱が起こる前、クリフはわざわざ正装して、大嫌いだった夜会に出席した。
自分の婚約者となった少女と会うために。
そこで初めて会ったのは、大きなクマのぬいぐるみを抱きかかえた女の子だった。
なぜか喋るそのクマと一緒になって、やたらと話しかけられたのを覚えている。
まだ言葉もおぼつかないくらい小さいのに、一生懸命クリフと話そうとするその女の子は、とても可愛らしいと思った。
そうかそうかと相槌を打つくらいだった彼のことを気に入ったらしく、その後もマリアと何度か手紙のやり取りをしていた。
少しずつ上手くなっていく手紙の文字を見て、幼子の成長を見守る父のような気分を、クリフは感じていた。
「覚えて、る……」
それを聞いた少女は、呟くような小声で言った。
「あの子の記憶に、あるの。戦争前に開かれたパーティで、とても優しい男の人に会ったのを……」
彼女の告白は、彼にズキリとした痛みをもたらした。
その痛みを、クリフはぐっとこらえて、胸の奥へとしまった。
この仕事を引き受けた時から、後悔しないと決めていた。
予想と異なる結果になったとはいえ、知っている女性を手にかける覚悟はしていたのだ。
「結局、カールトン王国との戦争が始まって、その婚約はご破算になっちまった。親父が、ウッドフォードの何十倍もの国力を持つカールトンの側についたからだ」
「そう……」
とだけ言って、金髪の少女はクリフをじっと見つめた。
彼女は全てを見透かしたような顔をしていたが、それ以上は何も言わないでくれた。
「あなたは、これからどうするの?」
彼女がそう言ってくれたので、クリフは安堵した。
過去の悲しみに浸るより、まだ見ぬ未来に目を向けたかったのだ。
「これからも傭兵稼業を続けるつもりだ。まだ当分戦乱は続くだろうし、俺はこの力を、マリアの願いを叶えるために使いたいと思ってる」
「どうして、そんなに危ない仕事をするの? クライブ公からの報酬があれば、他にもやりようがあるでしょう?」
「成功報酬は、弟が受け取ることになってるからな。俺がそんな大金を貰っても、酒かギャンブルに消えてしまうんだよ」
だからいつもクリフが受け取るのは、前金だけと決めていた。
「弟……と言うと、ブラウニング城にいる、ウォルター・オートレッド将軍?」
「そうだ。あいつは優秀だし、何よりいい奴だ。ウォルターなら、どんな大金でも上手く使って見せるだろうよ」
彼女が思い立ったように、【幻影使い】と同じくらい、弟であるウォルターの名は知れていた。
彼らの父とクリフがウッドフォード伯に負けてからも、領民のほとんどを引き連れてブラウニング侯爵領まで脱出し、そこでも将軍の地位まで得ていた。
「それに、俺は誰かのために戦う方が向いている、と思う。仕えるべき領主や、力なき人々のために、だ」
言っててなんだか恥ずかしくなってきて、クリフは身体を搔きむしりたくなった。
自分の内面を話すのは、どうにもむずがゆかった。
「それならっ!」
と、それを聞いた少女はなぜか顔を輝かせ、期待のこもった声で言った。
その美貌には、何か、最高に良いことを思い付いたような表情が浮かんでいた。
「私が、あなたを雇ってもいい?」
「はああっ!?」
その提案に、クリフは思わず声を上げた。
それは全く予想外で、顎が外れるくらいに口を開けて、バカみたいに金髪の美少女を見つめてしまった。
「だっ、だってだってっ、あなたの目的は私の目的でもあるのっ。この戦乱を終わらせるためには、お互い協力した方がいいと思うのっ」
何も言わないクリフに不安を覚えたのか、やたらと早口で彼女はまくしたてた。
彼に向けられた眼差しは真剣そのもので、その提案が冗談ではないことを物語っていた。
「あー、いや……ちょっと待て」
それからもあれこれ理由を並べ立てる少女を、クリフは片手を上げて制した。
「何よぅ。あなたに私と協力するメリットを……」
「いや。損得の話じゃなくて、だ」
彼が聞きたいのは、それではなかった。
クリフがその気になればいくらでも金は稼げるし、これまで培った名声と人脈でたいていの貴族にだって会える。
根本的に、彼女の協力がなくても、クリフは様々なことを成し遂げられるのだ。
「俺が知りたいのは、お前の本心だ」
「私……の……?」
「そうだ。俺は曲がりなりにも、お前を殺そうとした奴だ。それに傭兵なんて、ちょっとした理由で簡単に主を裏切っちまう。お前はなぜ、そんな奴と手を組みたいと思うんだ?」
「そっ、それはっ……」
さっきまでの饒舌が嘘のように、彼女は黙り込んでしまった。
なぜか頬を赤く染め、両手を胸に当てて、モジモジ身悶えしていた。
クリフが辛抱強く彼女の言葉を待っていると。
ようやく決意したように、金髪の美少女は彼の顔をまっすぐ見つめて。
「あ、あなたはっ、私が、何年も、待ち焦がれた人なのっ。そっ、それなのに、ここであっさりお別れなんて、寂し……」
真っ赤になってうつむいた彼女は、その台詞を最後まで言えなかった。
(ああ、くそっ)
と、クリフは思った。
上目遣いで彼を見上げ、自分の言葉への返事を待つ美少女は、恐ろしいほど魅力的だった。
それに照れて耳まで赤くなった彼女は、年相応の可愛らしさが溢れ出ていて。
思わず、目が釘付けになってしまった。
「……分かった」
と、彼は言った。
こんなのに抗うなんて不可能だった。
「今から君が……俺の、雇い主だ」
彼はただ、自分に与えられた運命に従うしかなかった。
「ありがとう……そう言ってくれて、すっごく嬉しい……」
彼の返事を聞いて、少女は満面の笑みを浮かべた。
それは、温かな日差しのような笑みだった。
クリフは彼女に会って始めて、心の底からの笑顔を、見た気がした。
―――――――――――
事件発生の直後、ウッドフォード軍はブラウニング城の包囲を解いて撤退すると共に、あらゆる軍事作戦の中止と、伯爵自身が娘の喪に服すと公表。
これを好機と見た各国が逆侵攻を開始し、迎撃したウッドフォード軍と度重なる衝突と小競り合いを繰り返す中。
クリフ・オートレッドは各地の戦場で活躍し、戦乱の終結と和解のために多大な貢献を果たした。
その、傍らには。
常に一体の自動人形が寄り添い、彼を支えていたという。
そして、事件から3年後。
クライブ公爵の仲介の元、伯爵と反ウッドフォードの諸侯との間で終戦協定が結ばれた。
それと同時に、あらゆる国々が参加する、国際平和維持軍の創設が宣言されて。
13年間に及んだヴェスティン地方の戦乱は終結した。
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