マリアの願い
クリフは、殺すはずの少女とともに、森の中を進んでいた。
森の街道が途切れるまでは馬で進み、その先の道なき道を徒歩で進んでいた。そうしてほとんど休憩もせずに一日中歩き続けても、まだ目的地には着かなかった。
傾き始めた日差しがわずかに零れる深い森の中を、黄金の長い髪を持つ少女は、まっすぐに進んでいた。
クリフにはただの森にしか見えないが、彼女には道が見え、目的地が見えているようだった。
「ねえ、クリフ」
と、彼の前を歩くマリアが、初めて口を開いた。
「リリアを、彼女を巻き込まないでくれてありがとう。あの子は何も知らないの。それに、とてもいい子なのよ」
こちらを振り向き、口元に微笑みを浮かべて、彼女は礼を言ってきたのだ。
「お前、気は確かか? 俺はお前を殺しに来たんだぞ」
彼は、この少女の考えが分からなかった。
自分を殺そうとした男に奇妙な依頼をして、無防備な背中をさらして彼と共に歩いている。
さらには別の奴に手を出さなかった礼を言うなんて、彼の理解を超えていた。
「失礼ね……私はまともよ。私はただ、言わなきゃいけないことを思い出したの」
今度は身体ごと振り返り、金髪の少女はクリフをまっすぐに見据えて言った。
「そうかい。分かったよ」
そっけない返事をしつつ、クリフは不覚にも、彼女を見つめてしまったことを自覚した。
金色に輝く髪と、完璧に整った顔立ちを持つマリアは、『ウッドフォードの女狐』なのだ。
見た目は可憐な少女であっても、10年にもわたって破壊と殺戮をばらまき続ける人形どもを作った女なのだ。
そんな奴に心が揺らいだことに、クリフは悔しさを覚えた。
(やはりあの侍女ごと、【幻影剣】で叩き切るべきだったな……)
と、クリフは思った。
それなら、こいつの話も頼みも聞くことはなかったし、こんな森の中を二人で延々歩かされることはなかった。
なのにあの時、二人が重なるのを『見て』。
必殺の軌道を、自ら変えてしまった。
自分の甘さを後悔しつつ、クリフは再び歩き始めた少女の後を追った。
彼女は、驚くほどの体力の持ち主だった。
一睡もせずにほぼ丸一日、道なき道を歩き続けているのだ。普通の人間なら、倒れて動けなくなるはずだった。
クリフだって疲労を感じて少しいら立っているというのに、目の前の少女は欠片も疲れを見せず、彼よりも元気な気がした。
口をつぐんだクリフとその先を行くマリアが、しばらく無言で森の中を歩いていると。
「ねえ……」
と、彼女がまた口を開いた。
今度は何だとクリフが思っていると。
再び彼の方を向いた少女は、真面目な顔をしていた。
さっきまでの微笑みを消し、真摯な眼差しを向けてきた。
「どうして、私の言うことを信じたの?」
問いかけるその声も、真剣そのものだった。
「……」
下手な言い逃れも許されないその声に、クリフは口をつぐんだ。
つぐむしかなかった。
「あなたは、有無を言わさず私を殺せたはずなの。それなのにどうして、私の言葉を信じようと思ったの?」
「……言いたくない」
とだけ、クリフは言った。
理由は……あった。
だが、それを言葉にすれば、間違いなく剣が鈍ると、彼は思っていた。
それが嫌だったのだ。
「まあ、そうだな。全てが終わった後でなら、教えてやるよ」
「分かった……それじゃすぐね」
素直にうなずいた彼女はそれ以上の追及をせず、クリフの正面を指さした。
細い人差し指が示す先で。
森の木々が、途切れていた。
そこは、森の中に存在した都市の跡だった。
木でできた家々はほとんどが焼け焦げて、屋根が抜け落ちていた。かつては整備が行き届いていたであろう道路も草が生え放題で、多数の羽虫に支配されていた。
長期間にわたって荒れ果て、廃墟と化したこの都市には、誰も住んでいないことは明確だった。
「ここは……旧ウッドフォード城……か?」
と、以前は大通りだったらしい道を進みながら、クリフは呟いた。
都市の中央にある、大きな石造りの城。
元は白亜の壁を持っていたその城は、周辺国にも響き渡るほど美しい城だった。
特徴的な曲線を描く屋根と複数の尖塔を持ち、ここを訪れる人々を魅了した城。
それが今では戦争の炎と風雨に屋根と壁とが削り取られ、まるで屍のような無残な様子をさらしていた。
クリフたちはその、城の中へと入った。
入口をくぐってすぐの大広間も、天井から落ちたらしい大きなシャンデリアが床の中央で砕け散っていて、破れた赤いじゅうたんが様々な靴跡で汚れていた。
周囲の大きな窓もそこかしこがひび割れて無くなっており、かつての栄華の残滓が、そこに横たわっていた。
「さあ、ここが私たちの目的地、あの子がいる場所よ」
シャンデリアの残骸を背に、マリアは言った。
「ここ、が……?」
クリフは、いぶかしげに眉をひそめた。
広間のどこにも、命の気配はなかった。
隠されているモノ、不可視のモノが見えるはずの彼の『目』も、何も捉えられなかった。
ここは、すべての生命が死に絶えた場所にしか見えなかったのだ。
「心配いらないわ。あの子は、ここにいるの」
マリアが見上げた先、広間の天井に。
それはいた。
それは、白い塊だった。
広間の天井に陣取るそれは、無数の白い糸をくるんで丸めたような形をしていた。
白い本体から太いストリングのようなものを四方の壁に伸ばし、自らを空中に支えていた。
「なんだ! あれは!?」
クリフは思わず声を上げた。
不気味な存在感を放つそれは、生物ではなかった。
凍えるような冷気に包まれたそれは、命の温もりを感じなかった。
オートマタにすらある意思の揺らめきを感じなかった。
なのに……
その白い塊からは、誰かの気配がした。
苦しみ呻き、痛みに悶える誰かが、その中に閉じ込められていた。
「あれは、人の形が変質したモノ、なの。【人格付与】の副作用とでも言えば、いいかな」
悲嘆にくれた声で、マリアは言った。
「副作用、だと?」
クリフは馬鹿みたいに、その言葉を繰り返した。
(ヒトの変質? それに、人格付与……?)
聞き覚えのある言葉に、クリフは戦慄した。
ではあれは、あれこそが……
「あれが、本当の【マリア・ウッドフォード】よ」
金髪の少女は、クリフの予想を肯定した。
「あの子は、自分の家族を、故郷を守るために、自分の魂を差し出したの。彼女の根源たるものを切り刻んで人形に与え、自分の代わりに戦わせたの」
悲しみに沈んだ声で、マリアは続けた。
「そんなことを続けるうちに、彼女は、人としての形を保てなくなっていった。幼い手足が、小さな身体が、頭までもが崩れていって、悲惨な状態になっていった」
「なんで、そうなる前に、誰も止めなかったんだ!」
マリアの告白に吐き気を覚えたクリフは、たまらず叫んでいた。
不可視のものが見える、クリフには分かった。
魂とは、ほんの一部でも失ってはいけないモノなのだ。
自分が自分であることを定めるそれを削り取れば、自分が誰なのかも分からなくなってしまう。
自分の形を維持できなくなってしまう。
(周りの大人は、何をしていた!)
とも思った。年端もいかない幼子を生贄にする前に、できることがあったはずなのだ。
「もちろん、お父様も私も、何とかしようとしたよ。でも、お父様も私もキャロルも、ウッドフォード兵の誰も、彼女を止められなかった。あの子が自分を傷つけるのを、ただ見ているしかできなかった」
唇をわななかせ、泣きそうな声でマリアは言った。
「彼女は、人としての自我をなくした今でも、人形を生み出しているわ。自分の大切なものを守るため、自分を犠牲にして、ね」
つらい現実に、自分の力不足に打ちのめされ、それでもマリアは顔を上げた。
「彼女を止める方法は、おそらく二つ。一つは、敵対するあらゆる国を滅ぼし、すべての敵を殺して、ヴェスティン地方に平和をもたらすこと。あの子の願いを果たしてあげれば、彼女は自然と天に召されるはずよ」
クリフには、そんな選択はできなかった。
この10年もの間、あらゆる国が敵を殲滅しようと争い続けてきた。今も様々な不幸をまき散らしている戦乱を、どちらかが滅びるまで続けるなんて、考えるのも嫌だった。
「そしてもう一つは、あの子の、【マリア・ウッドフォード】の魂を開放すること。あなたの【幻影剣】で、ここに繋ぎとめられている彼女の魂を、あの世へといざなうの」
(それしか……ないのか?)
そんな迷いを抱いたまま、クリフは戦闘態勢に入った。
両手を前に出した構えを取り、自らの祝福を発動。
すると、彼を中心とした球状の範囲が広がって、天井の繭もその中へと収めた。
クリフの祝福【幻影剣】の効果は、半径10メートルの中にいる、あらゆるものの切断。
それは対象を選ばず、どんな硬い物質でも、目には見えない生命の魂でさえも、切り捨てることができた。
そして、中心にいるクリフはその領域内なら瞬時に、自由に移動できた。
だから彼との戦闘になった敵は、効かないはずの攻撃を食らい、当てたはずの攻撃が外れるという、あり得ない事態を目の当たりにしていた。
そんな手品のような戦闘を繰り返しているうちに、いつしかクリフは【幻影使い】などと呼ばれるようになった。
そのエリアに入るなり、白い繭が動いた。
丸い本体が大きく震えて糸の束を解き。
中から、5体の人形を生み落とした。
床へ落ちたオートマタたちは両手に持った剣を構え、自分たちの敵と対峙。
床を蹴り、クリフへと飛び掛かってきた。
「邪魔だ!」
叫んだクリフは、自分へ向かってきた3体を一瞬で切り捨て、繭に向けて飛翔した。
自動人形を、相手にしている時ではなかった。
あの繭を、白き檻を何とかしなければ、この地方を覆う悪夢は終わらない。
マリアを襲う苦痛は、終わらないのだ。
伸ばした手で白き檻に触れ、内部を探ろうとした、瞬間。
「タ……ス、ケ……」
と、幼い声が、した。
「ヤ……メテ。コロ……シ、タク……ナ……」
聞こえたのでは、なかった。
彼の中心に、囁きかける声がしたのだ。
子供の、女の子の声が、彼に流れ込んできていた。
同時に。
「がっ……あああああぁぁ!」
クリフは、思わず叫んでいた。
彼女に触れた手を通じて、激痛が流れ込んできた。
まるで全身を切り刻まれたような、細切れにされたような、耐えがたい、苦痛。
たまらずクリフは手を離し、檻から距離を取った。
転移のような瞬間的な移動を繰り返し、攻勢を仕掛けてくるオートマタの猛攻をかいくぐりながら。
「お願い! クリフ!」
足元から、マリアの叫びが聞こえた。
「彼女を、助けてあげて! あの子はもうこれ以上、苦しまなくていいの!」
少女の必死の叫びは、彼にも理解できた。
ほんの一瞬、感じた苦痛。
あれは、今もマリアが感じている痛み、なのだ。
触れただけでも発狂しそうな激痛を何年も、彼女はずっと受け続けていた。
魂を削り取り、肉体をそぎ落とす苦痛を、だ。
その痛みに苛まれながら、マリアは人形を生み出していた。
今も、クリフに切り捨てられたはずのオートマタがうごめき、床の上から復活しようとしていた。
新たな魂を与えられて。
大切な人々を守りたい。
その一心で、彼女は耐え難い苦痛を耐え続けているのだ。
「やるしか……ない、よな!」
クリフは、その決意を固めた。
マリアの苦しみを、止めなきゃならない。
彼女の願いも、果たさなきゃならない。
そのためには。
「あなたには、『見える』はずよ! あの子を縛り付けているものが!」
マリアの言う通り、クリフは檻に触れた一瞬で、見えていた。
檻の中に囚われた、【マリア・ウッドフォード】の魂。
傷つき泣き叫ぶ少女を束縛する無数の枷。
強すぎる自らの思いが、彼女の魂を、その身体をがんじがらめにしていた。
その枷が、少女の心と身体を切り刻み、無限に続く痛みを与えていた。
「あなたの全てをぶつけるの! そうじゃなきゃ、彼女は救えない!」
「言われなくても!」
クリフは自らの祝福で白き檻を、中に閉じ込められた少女を『見て』。
彼女と、目が合った。
「もう、止めよう。お前は十分頑張った、から……」
彼の言葉が聞こえたのかは、分からない。
ただ、マリアはクリフをじっと見つめて。
やがて……
静かに目を閉じた。
その未来を、受け入れるように。
「オ、ネガイ……ミン、ナヲ……」
「ああ、任せろ。後は俺が何とかしてやる」
クリフは囚われの少女にそう告げて。
持てる力の全てを、彼女を縛る枷と差し向けた。
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誘拐事件発生から3日後、廃棄された旧ウッドフォード城内で、マリア・ウッドフォード嬢の遺体が発見された。
その身体には傷1つなく、今にも目を覚ますのではないかと囁かれるほどであり、彼女の状態を確認した治癒術師も、その死が信じられないほどであった。
無言の帰宅を果たした娘と対面したウッドフォード伯の動揺はすさまじく、亡骸に縋り付いてむせび泣いていたという……