マリアの事情
ガタガタと揺れる馬車の中で、マリアは胸を高鳴らせていた。
永らく待ち焦がれた日が、訪れるかもしれないから。
ついに、彼が来るのだ。
その噂を聞いた時は、興奮のあまり心臓が張り裂けるかと思ったくらいで、ここ何日もの間、まともに寝ることさえできなかった。
(この時のために、私は……)
「お嬢様ぁ……」
と、静かに心を躍らせるマリアに、泣きそうな声がかけられた。
「どうしてお嬢様が、戦場に行かなくてはならないんですかぁ」
彼女と向かい合わせに座る侍女のリリアが、何度目かも分からない疑問を投げかけてきたのだ。
黒っぽい地味なドレスを着た彼女は、そばかすの浮いた可愛らしい顔を歪ませ、とび色の瞳に涙をいっぱいに貯めていた。
「だって、前線で戦ってくれているみんなへの慰問は欠かせないもの」
マリアは、その度に繰り返してきた答えを言った。
心優しい侍女を安心させるように、微笑みながら。
「でも、お嬢様の命を狙う悪者が、どこかに潜んでいるんですよぉ」
しかし、声を震わせるリリアの不安は、解消されなかったようだった。
目に今にもこぼれそうな涙をたたえ、不安げにマリアを見たり、窓の外に目を向けたりしていた。
(ほんと、どうやったらいいのかな……)
とマリアは心の中で嘆息した。
彼女はこの10年、人前でどんなふうに振舞えばいいのかを考え続けてきたけれど、まだ明確な答えは見つけられなかった。
心配そうに外の様子をうかがうリリアにつられて、マリアも窓の外を見た。
そこは、廃墟と化した村の跡だった。
すべての家が焼き払われ、多数の村人が惨殺された村は、悲劇から10年経った今でも無人のままだった。
旧ウッドフォード城に通じる街道にあるここは、カールトン王国との戦端が開かれた直後に、敵の軍勢に襲われていた。
カールトン軍はその勢いのまま、当時ウッドフォード伯とマリアたちが住んでいた城まで進撃した。体勢を立て直して駆け付けた救援部隊がカールトン軍を撃退するまでの間に、この地域一帯は破壊と略奪の限りを尽くされ、マリア達は慣れ親しんだ城を捨てなければならなくなった。
無人の村は荒廃が進み、魔物か何かが今にも飛び出してきそうな雰囲気で、リリアはすっかりおびえた様子だった。
「大丈夫よ。キャロルたちがいるんだから、心配いらないわ。ね?」
不安がる彼女を落ちつけさせたくて、マリアは馬車のすぐ隣を歩く少女へ、窓越しに話しかけた。
「はい。問題ありません」
キャロルと呼ばれた少女は、抑揚のない声でそう答えた。マリアに似せて造形したという彼女の顔立ちは、絶対、自分よりも奇麗だと思えた。
透き通るような白い肌と陽光を受けて黄金に輝く長い髪、それに装飾の少ないグレーのボディアーマーに包まれた、細く女性的な肢体を持つ彼女は。
人間ではなかった。
それら全ては、祖国の人形師たちが、総力を挙げて作り上げた傑作だった。
自ら思考し、与えられた命令を忠実に遂行する自動人形。
この10年、ウッドフォードの根幹を支える人形たちは、マリアの分身ともいえる存在だった。
彼女が自分の魂を分け与えることで、人形たちは人のような思考と人を圧倒する戦闘力を発揮できるようになるのだから。
その力こそ、マリアが受けた祝福【人格付与】の能力だった。
あらゆる無機物に生命と思考を与えるその祝福は、マリアが幼少のころに女神様から授かったものだった。
戦争前はお城で自分のぬいぐるみと遊ぶくらいだった祝福は、戦争の開始と同時に、役割が大きく変わってしまった。
どんな人間よりも強い人形たちは、ウッドフォード軍の主力となっていったのだ。
魔力で強化されたその皮膚は金属よりも硬く、ライフル弾程度なら容易くはじき返してしまう。攻城用の大砲の直撃を受けても手足が損傷するくらいで、完全な破壊はできなかった。
さらには、手にした剣は分厚い石壁でも容易く切断し、放つ銃弾はどんな装甲だろうと貫いた。
オートマタを止めるには、より強い魔力を込めた武器や防具、魔法で対抗するしかなかった。
だが、人形の中枢に込められた魔力を上回れるのはごく限られた魔術師のみで、数百数千の人形で攻勢をかけられるウッドフォード軍の脅威にはならなかった。
与えられた魔力が尽きるまで不眠不休で戦い続けられる彼女たちは、ウッドフォードに襲い掛かってきたカールトンの軍勢を押し返し、彼らを支援する周辺諸侯の軍を相手にしても負けなかった。
「ブラウニング侯爵のお城を落とせば、戦争は終わるんですよね?」
両手を胸の前で握り締めたリリアが、すがるように聞いてきた。
「そうすればお嬢様も、誰にも命を狙われなくなるんですよね?」
「そう、だといいんだけど……」
「そんなぁ……」
思わずこぼれたマリアの本音を聞いて、リリアが新たな涙を浮かべた。
(また、失敗しちゃった)
と、マリアは思った。
彼女を落ち着かせてあげたいのに、どうしても上手く振舞えない。人の心の難しさを、また思い知らされてしまった。
(だって、これで終わりじゃないもの)
実際、彼女はそう思っていた。
ヴェスティン地方で最強と謳われる、ブラウニング侯爵の本拠地を包囲して2か月。
5日後に予定されている第2次総攻撃の前に、彼女は少数の護衛の人形たちと共に、兵士への慰問を兼ねた視察に向かっていた。
難攻不落の城塞と、優秀な将軍が指揮する屈強な兵士の前に、半月前の第1次攻撃は完敗を喫していて、多数の兵士が傷つき、オートマタもかなりの損害を受けていた。
ブラウニング侯の右腕といわれるオートレッド将軍。
彼が指揮する守備隊の抵抗を粉砕するには、気落ちした兵を鼓舞し、人形たちの力の全てを絞り出さなくてはいけない。
そのためには、自分が前線に行く必要があると、マリアは父であるウッドフォード伯を説得していた。
(でも……)
とも、彼女は思った。
この攻勢でブラウニング候を下しても、すぐにまた、次の標的を探すのだ。
(ここにいる全ての敵を殺し切るまで、お父様は絶対に止まれない)
と、マリアは考えていた。
こんなはずではなかった。
オートマタは、戦乱を拡大させるものではなかった。
マリアはただ、みんなを守りたかっただけなのに。
10年前、突然のカールトン王国の侵略を受けて、滅びそうなこの国を守りたくて、彼女が最初のオートマタを動かした。
【人格付与】の祝福を使って、城にあった古い人形へ、魂を分け与えたのだ。
そうして起き上がった一体の自動人形が、炎に包まれたウッドフォード城から父と、大切な人たちを助け出してくれた。
やがて人形師たちの手によってオートマタはその数を増やし、開戦から4年後には、逆に敵の王都を制圧するほどの力を発揮した。
そしてさらには、王都から逃げ出したカールトン王を追撃したウッドフォード軍と、彼を守る周辺諸侯との戦端までもが開かれ、戦争は泥沼の長期戦へと突入していた。
(こんなつもりじゃ、なかったのに)
マリアは、もう一度ため息をついた。
彼女はみんなを守りたくて、人形に命を吹き込んだのだ。
決して、他の人を傷つけたり、殺したりするためじゃない。
間違った使い方をされるくらいなら、人形なんてなくなってしまえばいいとさえ、彼女は思っていた。
(そう。そのために……)
マリアはわざと目立つように、振舞ってきた。高圧的な態度で敵国との交渉に臨み、彼らの憎悪が彼女に向くようにした。
それを何年も繰り返しているうちに、マリアは『あの女狐が』と蔑まされるようになり、命を付け狙われるようになっていた。
暗殺されそうになったのも、一度や二度ではなかった。
自動人形の力の根源であり、ウッドフォードの政治を取り仕切るマリアを殺せば戦局が覆せると、あらゆる敵が考えていた。
「お命が危ないのに、どうしてお嬢様は、そんなに落ち着いていられるんですかぁ?」
(だって、そうなるようにしてきたから)
という本音は口にできなくて、
「キャロルたちがいるから、私は安心しているの。彼女はとても強いんだから」
と、代わりに、用意していた答えを言った。
「今度の相手は、あの【幻影使い】という噂もあるんですぅ。キャロルよりも強いかもしれないんですよぉ」
「……っ!」
震える声でリリアが口にした名前に、マリアはドキリ、とした。
その名を聞くだけで、胸が高鳴るのを感じたのだ。
一級の傭兵として名をはせる【幻影使い】のクリフ。
ブラウニング侯爵を支援するクライブ公爵が、大枚をはたいて雇ったと言われる戦士。
様々な戦場で活躍してきた彼の名は、マリアの耳にも届いていた。
「どうしても私を、『ウッドフォードの女狐』を殺したいんでしょうね」
「そ、そんなことはっ!」
「いいの。私を嫌っている人は大勢いるのだから」
そう言って目を伏せたマリアの手を。
リリアがしっかりと握り締めた。
「お嬢様は、とてもお優しい人です! なのにっ、なのになのに、お嬢様のことを悪く言う人達の目は、きっと節穴なんだと思います!」
恐怖で涙を浮かべながらも、彼女は懸命にマリアを励まそうとしていた。
「……ありがとう。あなたが分かってくれるだけで十分よ」
心優しい侍女に微笑みかけると、リリアは頬を赤く染めて目をそらした。
(これは、どういう反応なのかしら……?)
やっぱりよく分からなかったけれど、とにかく彼女の不安は紛れたみたいで、マリアはひとまずほっとした。
リリアがそば仕えになってほんの1年だったけれど、今ではマリアの最も信頼できる人になっていた。
裏表がなく、感情表現が豊かな少女を見ているだけで心が和み、戦争や政治の疲れなんて忘れてしまえた。
だから今回の慰問も、マリアは一人で行きたかった。
リリアの言う通り、危険に満ち溢れた行程だから。
なのに、置いて行かれまいとするリリアに涙目で訴えられると、どうしても彼女の手を振り払えなかった。
(もう、最後にしたいのに……)
と、マリアは考えていた。
胸の奥底。
彼女の中心たるその部分はいつも血を流していて、痛みに震えているのが分かった。
一刻も早く、それから解放してあげたい。
私とつながっているあの子を、助けてあげたい。
そのためには……
目の前の少女に、さよならをしなければならない。
「あのね。リリア……」
マリアがお別れを告げようとしたその時。
あたりに、莫大な魔力が満ちるのを感じた。
鼓膜を突き破りそうな轟音が、周囲を襲った。
とっさに外の様子を見たマリアたちの眼前で。
馬車のすぐそばを歩いていたキャロルの体が。
肩口から、両断されていた。
袈裟懸けに一瞬で切り捨てられて、真っ二つに分かれた身体が。
宙を飛び、地面を転がっていった。
キャロルだけではなかった。
護衛として周囲を固めていた人形たちが、ことごとく破壊されていった。
腕を、足を失い、瞬く間に戦闘不能に陥っていった。
世界最強と称えられたウッドフォードの自動人形が、地を這いずることしかできなくなっていた。
(来た……!)
と、マリアは思った。
ついに来たんだ、と思った。
こんな攻撃ができるのは、彼しかいない。
マリアは精神を集中し、次の攻撃を探った。
彼の【幻影剣】も、女神の祝福の賜物のはずだった。
だからその動きには、必ず魔力の流れが伴う。同じく祝福を持つマリアなら、その流れを感じられるはずだった。
次は……
マリアが座っている、まさにその場所。
頭上から、破壊をもたらす不可視の刃が降ってくる!
「お嬢様っ!」
「っ! ダメっ、リリア!」
とっさに主を庇おうと覆いかぶさってきた少女に抱きしめられ、一瞬、集中が途切れた。
もつれあいながらも直前まで感じていた軌道から身体をそらそうともがき。
その軌道が、変わっていることに気付いた。
直後。
真っ二つに割かれた馬車から、マリア達は外に投げ出されていた。
リリアを抱きながら受け身を取って地面を転がり、マリアはやっとのことで身を起こした。
戦場は、とても静かだった。
護衛の人形たちはもはやなく、バラバラに砕けた馬車と、立ち上がろうと懸命にもがく2頭の馬がいるだけだった。
頭上に、影が差した。
一人の男が、彼女たちを見下ろしていた。
無精ひげを生やした旅装束の男。
どこにでもいそうな顔立ちの中で、刃のような鋭い光をたたえた琥珀色の瞳が、影の中で輝いているように見えた。
「あなたが……?」
というマリアの問いかけには答えず、男は気絶したリリアの首元をつかみ、片手で持ち上げた。
「待ちなさい!」
と、強い声で制止すると、男はようやくマリアを見た。
殺意のこもった視線は鋭く、常人なら失神しそうなほどだった。
間違いない、と思った。
彼がクリフ。
【幻影使い】にして、マリアを殺しに来た相手。
「私が、マリア・ウッドフォードよ」
彼女は片手で胸を抑えながら名乗った。
胸の中にあるものが、溢れ出さないように。
「彼女は、リリアは関係ないでしょう? 離してあげて」
言われた男は手にした少女をしばし見つめてから、気絶して動かなくなった彼女を地面に下ろしてくれた。
「俺の、目的は分かっているよな?」
「ええ。もちろんよ」
威圧的な声ですごまれても、マリアは動じなかった。
この時のために、彼女は生きてきたのだ。
あの子を救うためなら、何も恐れない覚悟があった。
「でも……私を殺しても、ブラウニング候は救えないわ。あなたの目的は果たせない」
その言葉に、クリフはピクリと反応した。
琥珀色の瞳に、いぶかしるような光が混じり始めたのだ。
「何が、狙いだ? 言っておくが、命乞いは無意味だぞ」
その迷いを断ち切るように、クリフは言葉と視線を強めた。
鋭い視線で額を射抜かれ、マリアは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「命乞い、ではないわ。私は……あなたに、あなたの目的を成し遂げて欲しいだけ」
反論する声が震えた。
そのことに彼女は驚き、自分の身の内に生まれたものを自覚した。
それは……恐怖。
彼女が、生まれて初めて感じたもの。
(私に、それを感じさせる、なら……)
と、マリアは思った。
この男なら、できるかもしれない。
キャロルたち最新の自動人形を圧倒した【幻影使い】なら、この願いを、叶えられるかもしれない。
「あなたにあの子を……【私】を、殺して欲しいの」
その望みをかけて、マリアはクリフに告げた。
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ブラウニング侯爵との戦場に向かう途上で、ウッドフォード伯爵の一人娘、マリア・ウッドフォード嬢が誘拐された。
ただ一人生き残った侍女リリアの証言と、破壊された人形の残骸から、【幻影使い】の異名を持つクリフ・オートレッドが犯行にかかわっていると思われた。
最愛の娘の行方を捜すため、ウッドフォード伯爵は軍の総力を挙げて追跡するよう命じた。