水路の水
国道169号線は奈良県の南部を南北に貫き、やがて海に通じる。
昭和の昔は一車線と二車線が交互に現れるような不便な道であったが、令和の御代には全線二車線の快適な道路だ。
藤井寺で暮らす、しがない派遣社員である岸部浩司は、休みの日に相棒のバイクを引っ張り出して、国道169号線を走る事がささやかな楽しみだ。
国道の入り口は吉野の里を通り過ぎた辺りにある。
右手に広がる吉野川の明るい景色が、薄暗い杉林に変わるにつれて、浩司の心は反比例して高まっていくのだ。
ここからは交通量も減り、自分のペースで自由に走ることが出来る。
前方を遮る車がなくなり視界がクリアになると、多くの日本人がそうであるように、浩司も法律違反を犯す犯罪者に成り下がる。
右手のスロットルを回すと、甲高い快音と共に、愛車のタコメータはエンジンの回転数を正確に伝える。
タコメーターの針はエンジンの回転数が一万回転に近い事を教えてくれる。
浩司はそれを小さな満足感と共に確認した。
国道は吉野の深い山に切り込んでいく。
整備されているとはいえ山道は、右へ左へと曲がり登り降りを繰り返しながら徐々に山を登っていくのだ。
コーナーの直前に左手と左足を僅かに動かしてシフトダウンすると、瞬間的にエンジンの回転数が上がり、甲高い音と共にマシーンは減速する。その音と同時に右手と右足で前輪と後輪のブレーキをかけ、本気のブレーキをする。
前輪と接続した倒立サスペンションがグッと沈み込み、路面の状況を伝えてくれる。
しっかりと減速したのを確認すると、身体を倒してマシーンをコーナに寄り添わせていく。
浩司の体重が移動することにより、マシーンはコーナーの出口に向かってゆっくりと進路を変えた。
この間、浩司の身体はスリルに染まって固まる。
減速は十分か、路面の表面はクリアか、そして、俺は美しく曲がっているか。安全の為に減速しすぎてもたもたとコーナリングをしていては、バイク乗りとしての沽券にかかわる。
速く、安全に、何より美しくコーナリングを行うのがバイク乗りという生き物だ。
浩司の視界から曲線が消え去り、直線が現れる。
じつに愛すべき景色だ。
右肩を入れ込むようにスロットルを全開に開く。
十分な回転数を与えていたエンジンは、浩司の命令を忠実に実行し金切り声を上げた。
それまで押さえつけられていた野生を解き放つようにマシーンは加速を開始する。
この瞬間が最も快感を与えてくれる。緊張からの解放。そして全力を出せることへの喜び。
ぼんやりしていると、身体が後ろに持って行かれるほどの加速の中で、浩司は恋人だった女の事を思い出した。
木曜に別れた。
二年ほど付き合ったその女とは、真剣に結婚も考えたが、終わらせることにした。
別れを切り出したのは浩司だ。
他の女を好きになったわけではなく、ただなんとなく違うなと思っただけだ。
女もあっさりと了承した。お互いに言葉にしがたい違和感を感じていたのだろ。
あいつは別に男が出来たのかもしれないが、それらなら、それでいい。
拍子抜けするほど何事も無く、別れ話を終えることが出来たが、心の中に大きな空白が出来ている。
確かにあの女の事が好きだった自分がいるのだ。
その男が心の奥で泣いている。
その男を慰めるのが今日のミッションだ。
実に下らない。
バイクを操りながらその事に思いを馳せていると、次のコーナーが迫る。
浩司がシフトダウンすると、吉野の山に騒音がこだました。
時折現れる、自分よりも正しい連中を安全を確認しながらパスしていくと、どこにでもいる大型トラックが行く手を遮るのだ。
厄介だ。
一般乗用車と違い大型のトラックを追い越すには長い直線が必要だ。
対向車がいても駄目だ。
すべての条件が揃うまで浩司はトラックのテールランプを眺めていた。
トラックのナンバーは大阪。
俺と同じところから来て、同じ場所を目指しているらしい。
俺とこいつの違いは何だろう。
こいつは仕事で、俺はただの趣味だ。社会の役に立っているトラックとそれを邪魔に思っている俺。
いったい何様なんだろう。
そんな、感想も長い直線が現れると消し飛ぶ。
前方からの対向車は見えない。
浩司はまた、シフトダウンしてマシーンを加速させた。
こいつをクリアすれば、またしばらくは俺とマシーンと道の三人だけの世界に戻れる。
国道169号線を南に小一時間ほど走ると、小さな分岐点が現れる。左に向かえば和歌山の熊野、即ち海だ。右手に進路を取ると大台ケ原、即ち山の頂上だ。
どちらも好きだが、今日は海の気分だ。
浩司はマシーンを左に傾けた。
バイクを操るのはダンスに似ている。
リズムに合わせてステップを踏むように、道の様相に合わせてマシーンでステップを踏む。
右へ、左へ。
加速し減速する。
登って、下る。
バイクの操縦はたった六つのステップだけで構成されたダンスだ。
だが、道という舞台でどう踊るかはライダーによって違う。
激しく踊る者。優しく踊る者。伸びやかに踊る者。どんな踊りもそのライダーのポリシーが現れる。
浩司はこのダンスを愛している。
クラブでのダンスとの違いは、ミスをすると命にかかわることだ。自分の命だけではなく、他人の命も危機に晒すこともある、死のダンスだ。
故に美しい。
減速には死への恐怖があり、コーナリングには美があり、加速には生き永らえた喜びがある。
浩司がバイクを走らせる一番の衝動は、普段の生活の中で後ろから忍び寄る、漠然とした恐怖だ。それは淀んだ湿気と異臭を放ちジワリと忍び寄る。
そこから抜け出し、明るい日の光と乾いた空気を求めてスロットルを開ける。
女の事、これからの事から逃避するためにバイクを走らせる。
健全な乗り方ではないが、そんな気分も、長くは続かない。
それは、ぐだぐたと雑念を持ったままマシーンを走らせていると死ぬからだ。
迫りくるコーナーを前に管理すべきことは多岐にわたる。
アクセル、ブレーキ、ギア、サスペンション、視界、視点、サイドミラー、態勢、対向車、前方の車、後ろから忍び寄る俺よりも、ネジの飛んだライダー、そして警察。
ありとあらゆる情報を瞬時に処理しなくてはならない、
そこには普段の生活などという雑念は、入り込む余地が無い。
下らない雑念にとらわれ、一秒でもブレーキング遅れれば対向車線に飛び出しかねない。
そこに運悪く車や人かいたら。
それは、最悪の死だ。
どうせ死ぬなら、ガードレールを突き破って一人で谷底に転落する方がましだ。
浩司を取り囲む世界は、鉄の馬と、立ちはだかる空気の壁と、こちらを試してくる道。そしてエンジン音だけでいい。
頭を真っ白にして、目から飛び込んでくる映像情報を脳で処理し、適切な動作を身体に命じるのだ。人馬一体というよりも、浩司自身がマシーンと化して機械の一部になるのだ。
その感覚に三時間以上、身をゆだねていくと、次の世界が訪れる。
その世界の事を浩司は水の世界と呼んでいた。
人でも機械でもなく、浩司とマシーンは道路という水路を流れる一掬いの水ととなる。
もはや、無理な加速も減速も無粋な雑念となる。
道の指し示すままに、自然に、ただあるがままに、加速し減速し曲がっていく。水路を下る水のように。
岩に遮られ先の見えない深い左コーナーで、マシーンをバンクさせると、左肩に地面の圧を感じる。もう少し押し込めば地面だ。
しかし、そこには恐怖はない。
水路を流れる水が、転倒するだろうか。
ただ、水路の指し示す方向に向かって流れるのが水だ。
前方が開けても無理に加速などしない。ただ自然に加速すればいい。
それが、水路を流れる水だ。
恐怖も喜びも消え去り、そこにはただ美のみが存在する。
もし、天上の彼方から下界を見下ろしている存在がいるとすれば、そこには何の変哲もない水が水路を下っている様子が見えるだろう。
さあ、この坂を下りきれば海だ。
終わり
バイクのエッセイを書くつもりが、なんか変なものが出来てしまいました。
何がしたいのか自分でも不明です。うーん。(/・ω・)/