第三十話 暗闇の中の彼女
朧が、千里の気配を感じ、強引に店の中へと乗り込む中、再び、あの布をかぶった男が、屋根の上に乗り、覗き込むようにして、朧達を観察している。
だが、目立つ場所にいるというのに、誰も気付いておらず、見向きもせず、素通りしているようだ。
「あーあ。見つけちゃったか。まさか、あの共通点を見つけるとはね。さすが」
朧達の会話を聞いていたのであろうか。
男は、朧達が、共通点を見つけた事を知っている。
やはり、この男の狙いは、黒い星がついている衣服を着ている者達のようだ。
そして、恵麻を殺そうと考えているらしい。
だが、朧達が、彼女が狙われている事に気付いてしまった。
男は、残念そうではあるが、どこか、感心しているようにも見える。
朧に興味を示しているかのようだ。
「もー。俺って、そんなに信用できない?やれるって言ってるでしょ」
男は、独り言ではなく、誰かと会話でもしているかのように呟く。
だが、男の周辺には、誰もいない。
たった一人で、男は、朧達を観察しているのだ。
遠くにいるのか、それとも、道具を使っての会話なのかも、今の所は、不明である。
「ん?誰かいる?」
気配を察したのか、男は振り返る。
すると、もう一人布をかぶった人間が、男の背後へと現れた。
背丈からして、宣戦布告を告げた少女と見て間違いないであろう。
少女は、布を深くかぶっているので、素顔は見えない。
だが、とても冷酷な雰囲気を醸し出しているように感じる。
少女は、何も言わず、黙って男の隣へと歩み寄った。
「なんで、お前が、ここにいるのかな?」
「あいつは、最後の一人だから」
男が、不思議そうに尋ねてくるのに対して、少女は、淡々と説明する。
どうやら、恵麻が、最後の標的らしい。
「前にも言ったけど、こう言う汚れ仕事は、俺に任せといていいの」
「けど、全員、殺したら動くはず」
「確かに、ね」
この男は、殺人などの汚れ仕事を主にこなしているようだ。
その理由は、少女の手を煩わせたくないのか、もしくは、汚したくないのか、どちらかなのだろう。
だが、全員殺したら、何者かが動くと少女は、予測しているようだ。
それは、聖印一族なのか。
もしくは、他の誰かなのかは、不明だ。
もしもの場合に備えて、今回は、少女も、聖印京に侵入したと考えて間違いないだろう。
男は、納得しつつも、残念そうにため息をついた。
「って、あの子は?」
「残してきた。目立つから」
「まぁ、そうだね」
少女は、常に誰かと行動を共にしているのであろうか。
男は、「あの子」がいない事に違和感を感じて尋ねる。
「あの子」が、誰なのかは、不明だが、おそらく、あの美しい鬼か、蛇男と見て間違いないだろう。
彼らは、布をかぶっておらず、目立っていたのだから。
「ここに来た気持ちは、わかるけど。俺に任せておいて。お前は、見届けてくれればいいから」
「……わかった」
男は、少女の肩に手を置く。
なぜ、危険を冒してまで、少女がここに来たのか、男は、少女の心情を理解しているようだ。
だが、やはり、少女の手を借りるつもりはないらしい。
最後の標的も、男が仕留めるつもりのようだ。
少女は、こくりとうなずく。
布をかぶっているため、表情が全く見えない。
彼女が、男の言ったことに納得しているのかどうかも。
彼らが動きだそうとしている事とは、知る由もない朧は、とらわれた千里を見て、驚愕していた。
「千里!」
千里の元へ駆け寄る朧。
千里は、殴られた形跡も、怪我を負っている様子もない。
どうやら、とらわれただけのようだ。
安堵した朧は、急いで、腕を縛っている縄をほどき始めた。
「朧!?なぜ、ここに!?」
「狙われてる人がこの店の人だってわかったんだ!けど、千里は、どうして……」
「それが……」
問題は、恵麻が、なぜ、千里をとらえたかだ。
妖だからと言う理由ではないだろう。
だとしても、それ以外の理由は、見当もつかない。
千里がどういった経緯で捕らえられたのか、朧は、尋ねる。
千里は、説明しようとするが、見上げた瞬間、何かに気付いたように、目を見開き、驚愕させた。
「朧!上だ!」
「え?」
千里が、叫び、朧は、上を見上げる。
すると、恵麻が、短刀を手にして、朧の顔に突き刺そうと、短刀を振り下ろした。
「っ!」
間一髪で、朧はよける。
朧は、頬を切られたらしく、血が流れ始め、朧は、血を手で拭い、体制を整える。
恵麻は、まるで、妖のように目を光らせて、朧をにらんでいる。
彼女が、人間ではないように思えた朧は、背筋に悪寒が走った。
「まさか、見られてしまったとは」
「お前は、何者だ!」
「知る必要などない!」
恵麻は、もう一度、朧に向けて短刀を振り下ろす。
朧は、かわし、短刀は、壁に深く突き刺さる。
恵麻は、朧を殺そうとしているようだ。
だが、今の朧にとっては、不利な状況だ。
何せ、灯がない状態の為、恵麻の姿をとらえることができない。
恵麻の攻撃は、かわせているものの、それは、短刀が格子からわずかに漏れる月の光で光っているからだ。
その光に警戒して、かろうじてかわしていると言っても過言ではない。
朧は、体制を整えて、立ち上がり、紅椿を鞘から抜こうとする。
だが、それよりも早く、恵麻が俊敏に動き、朧の心臓にめがけて、刺そうとする。
朧は、かろうじて、かわせたものの、恵麻は、すぐさま、逆手に持ち、朧に斬りかかる。
その俊敏な動きに朧は、ついについていくことができず、右腕を切られてしまった。
――強い……。この人……人間じゃない!
恵麻の動きは、明らかに人間の動きではない。
本当に妖のように感じる。
人間にしては素早すぎる。
それに加えて、暗闇の状態では、太刀打ちできない。
彼女の素早さに舌を巻く朧。
だが、恵麻は、容赦なく、朧に斬りかかった。
「朧!」
朧を探していた陸丸達が、ようやく、たどり着いたようだ。
朧の危機を察知し、陸丸が、恵麻の右腕を噛み、空蘭が、恵麻の左腕に、爪を立て、海親が、恵麻の足に巻き付く。
陸丸達は、三人がかりで、恵麻の動きを封じることに成功した。
だが、そう思ったのもつかの間。
恵麻が、妖気を発し、陸丸達を吹き飛ばした。
「皆!」
朧が、鞘から紅椿を抜き、構える。
恵麻が、再び、朧に斬りかかろうとした。
だが、その時だ。
「何やってんだ!?」
「っ!」
和巳が、四季を使って、宝珠から灯をともす。
これにより、朧の眼は、恵麻の姿をとらえる事に成功した。
その姿は、もはや、人間ではない。
かといって、妖でもない。
黒かった髪は、血のように紅に変化しており、目も髪と同様に紅だ。
食いしばる歯は、牙へと変わっている。
爪も、鋭利で長い。
まるで、人間と妖が、融合した姿であった。
灯に照らされた恵麻は、動揺し、一瞬の隙が生まれる。
朧は、その隙を逃さず、恵麻に足払いをかけ、恵麻は、大きくのけぞりながら、仰向けになって倒れる。
朧は、馬乗りになって、恵麻の首元に、紅椿を突きつけ、動きを封じた。
命の危機を感じたのか、朧の息が荒い。
朧は、呼吸を繰り返して、息を整えた。
和巳は、千里の元へと駆け付け、縄を解き始める。
豹変してしまった恵麻を警戒しながら。
「もう一度聞く。お前は、何者だ?なぜ、千里をとらえた?」
朧は、刃先を恵麻の首に近づける。
抵抗することも、黙り込むことも不可能だと察した恵麻は、不敵な笑みを浮かべて、口を開けた。
「この者は……我が同胞であり、主だからだ」
「同胞?」
「そうだ!邪魔は、させぬぞ!」
「ぐっ!」
「朧!」
恵麻は、再び、妖気を放つ。
その妖気は、風圧となり、朧を吹き飛ばした。
千里の縄を解いた和巳が、朧の元を駆け付ける。
その隙をついて、恵麻は、勢いよく部屋を飛び出した。
恵麻は、そのまま、店の外へと飛びだしていった。
「きゃあっ!」
「な、なんだ!?」
恵麻にぶつかりそうになった通りかあった通行人が、慌てて、足を止める。
恵麻は、気にも止めることなく、屋根へと飛び移る。
その行動は、人間ではなく、妖そのものと言ったところであろう。
その異様な光景に、人々は、あっけにとられ、呆然と立ち尽くした。
「待て!」
朧達も、続けて、外に出る。
恵麻を追いかける為、陸丸達は巨大化し、朧は陸丸に、千里は空蘭に、和巳は海親に乗った。
朧達は、屋根へと飛び移りながら、恵麻を追う。
だが、恵麻は、速度を緩めない。
距離がなかなか縮まらず、朧達は、焦燥にかられた。
「あいつ、妖だったのか?」
「みたいだな」
恵麻の異様な姿と異常な速度を見た和巳は、ようやく、彼女が人間ではない事に気付く。
朧も確信しうなずいた。
和巳は、千里の事が気になったのか、千里の方へと視線を向けた。
「ねぇ、千里。なんで、あの人に捕まったの?」
「……最初に捕まえられたのは、あの女じゃない。別の女だ」
「別の?」
千里は、妙な事を口にし、和巳は、尋ねる。
「最初」や「別の」と言う言葉が、朧達も引っ掛かる。
千里は、恵麻一人に狙われていたわけではなさそうだ。
複数の人間に狙われたことになる。
よくよく考えれば、恵麻は、千里の事を「同胞」や「主」と言っていた。
複数の人間が、千里を狙っていたとしても、不思議ではなかった。
「第五の被害者にだ」
「え?」
なんと、最初に千里をとらえたのは、第五の被害者のようだ。
と言う事は、第五の被害者も、恵麻と同じ妖に近い存在だったのだろうか。
いや、彼女達だけでなく、他の被害者たちも、妖に近い存在だった可能性が浮上する。
黒い星は、彼らが人間ではない事を示していたのかもしれない。
となると、犯人は、それを知ってて殺したのだろうか。
「俺は、抵抗しようとして、もがいた。だが、そいつは、殺された」
「布をかぶったやつにだね」
「ああ」
ここまで、説明を聞いたら、朧も見当がつく。
第五の被害者は、千里をとらえようとしたのだが、布をかぶった男に殺されてしまったようだ。
だが、もちろん、それだけでは、千里の動向は探れないし、千里もすべて語ったとは、言いきれないであろう。
千里は、話を続けた。
「俺は、そいつと戦った。だが、逃げられたんだ」
「千里、その時、そいつを切ったりしなかった?」
「ああ、切ったぞ」
「やっぱり」
千里は、犯人を捕らえようとして、戦ったが、逃げられたらしい。
しかし、彼は、犯人に傷を負わせている。
千里の短刀に血がついたのもその時のようで、朧達は、納得した。
「俺は、そいつを追おうとしたんだが、あの女に捕まったんだ」
「へぇ、女の人に人気なんだ。焼けるねぇ」
「妖だがな」
犯人を追いかけようとした千里は、恵麻に捕まってしまったらしい。
その時に、あの短刀を落としてしまったのであろう。
これで、全てがはっきりした。
千里は、犯人と共謀していたわけではない。
むしろ、千里こそが被害者のようなものであろう。
千里の身の潔白が、証明できそうだと胸をなでおろしたい朧であったが、その余裕はまだない。
なぜなら、恵麻をとらえないことには、証明はできないのだ。
だが、恵麻は、逃げ続けている。
彼女との距離は縮まらなかった。
「追いつけねぇでごせぇやす!」
「まずいでござるな」
「ここは、挟み撃ちにしたほうがいいかもしれぬ!」
「では、拙者が、左から」
「わしは、右から攻めるぞ!」
空蘭と海親が両側から、攻めて、恵麻をとらえようと動き始める。
しかし……。
「待て!」
朧が、二人を制止させる。
なぜなら、恵麻の前に、あの布をかぶった男が立ちはだかっていたからだ。
いつの間にか、誰も気付くことができないままで。
「はぁい。やっと、会えたね」
男は、不敵な笑みを恵麻に対して、浮かべていた。